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闇仕合④


お待たせしまりす。


「こないだの試合、見てたぜ」

「見てくれたんですか」

「ああ、立派になったもんだってちょっと泣きそうになったわ。腕ぶった切られても試合続けてたのはさすがに引いたけどな」


 人懐っこい笑みは十年前と変わらない。名前をカザマ・トミーと改め、新たな人生を歩んでいるとしても、クレの目の前に立つのはあの叔父だ。


「対戦相手が俺だと知って名乗り出たのか? 仇討ちに燃えるほどジジイっ子だったとは知らなかったな」

「叔父さん、ジョークが下手になったんじゃないですか? んなわけないでしょう」

「ははっ、だよなあ。お前がそんな可愛げのある普通のガキだったら、今頃俺が当主やってらあな」


 自身の息子の武術的才能に見切りをつけた祖父クレ・エリックが、門下生の知り合いの貧しい家庭から「買って」きたのだという。庶子でも親類の子でもない、文字どおりクレ家とはまったく無縁の子どもだった。


 この人とはいつか腹を割って話をしてみたい――クレは密かにそう思っていた。


 後継者としてクレ家に招き入れられたことは、この叔父にとって望むところだったのか。クレ式格闘術の当主の座など真に欲するところだったのか。


 祖父が命を落とす結果となったあの「尋常な立ち会い」は、本当に不幸な事故だったのか。叔父に殺意があったとするなら、その動機は「つなぎの二代目」の座さえ奪われた恨みだったのか、あるいは祖父個人への――。


「父の病死はあなたとは無関係だし、祖父(あの人)の死も結局はあなたより弱かっただけのことだ。僕はあなたに個人的な恨みなんてかけらもないし……むしろ僕のほうこそ、叔父さんに恨まれているんじゃないかって思ってましたけど」


 二代目を義理の息子でなく孫に継がせると、血に拘泥して約束を違えたのは祖父だ。それについてイズホ自身が責任を感じることはないが、正論だけが感情を左右するものではないことも承知している。


「安心しろよ。当時も今も、可愛い甥っ子を恨んだことは一度もねえ。嘘じゃねえぞ……ああ、可愛いは嘘だがな」


 その一言だけでこれほど胸が軽くなるとは、クレは自分でも意外に思う。


 この叔父のことがわりと好きなのだ。決して善人ではない、むしろ嘘つきで卑怯者でおまけにケチだ(お小遣いやお年玉をもらったことなど一度もなかった)、なのに不思議と憎めない天然の愛嬌を備えている。互いの複雑な境遇さえなければ、きっと愉快な叔父と甥の関係を築けたことだろう。


「……じゃあなんでお前、わざわざ闇仕合なんかに出張ってきやがった? 俺が相手だって知ってたんだろ?」

「簡単な話ですよ」


 クレはぐいっとマスクを剥ぎ、金網の向こうに放り投げる。空中で翻ったそれがコウイチの手の中に落ちる――かと思いきや隣のハマダの禿頭にふぁさりとかかる。


「五つもの街でベルトを巻いてきた伝説のチャンプと立ち会いたい――それ以上の理由が必要ですか?」


 トミーは傷痕だらけの顔をにやりとする。


「ああ、その目だよ。二十年前に兄貴んとこから連れてこられたときから変わらねえ、あんときもそんな目ぇしながら一回り近く離れた門下生に挑みかかって、いきなり腕をへし折りやがったよな。嬉しそうに蕩けた面しやがってさ、心底ぞっとしたもんだぜ」


 そしてクレの前から一歩離れ、ぐるぐると肩を回しはじめる。なにもない空間に放った拳がひゅっと風切り音をたてる。


「俺はお前を恨んだことなんか一度もねえ。だがずっと、俺はお前にビビってた。お前の才能に嫉妬してた。ジジイが俺に継がせんのをやめたのは、なにも血縁だけが理由じゃねえ。お前がやってきた時点で、俺の用済みは決まってたんだよ」

「それでも僕を恨んでないと?」

「逆に感謝してるくらいだぜ? お前がいなきゃ、今の俺はいねえ。中途半端な才能にあぐらをかいて裸の王様ぶっこいてただろうし、後継をめぐってお前と骨肉の争いってやつを繰り広げてたかもしれねえ。どっちに転がってもろくでもねえ人生だよ」


 クレのほうに向き直り、ひゅっと拳を走らせる。鼻先でぴたりと止めたそれが、風圧と乾いた音でクレの顔を叩く。


「お前がマジもんの天才だってのは誰より俺が知ってる。だけどな、それでも、死ぬほど鍛えた半端な天才のほうがつええ。つーわけで今日は、叔父様の威厳ってやつを堪能させてやるから覚悟しやがれ」

 

 

 

「本仕合は〝ステゴロルール〟にて行なわれます」


 ピエロマスクのレフェリーが、二人に向けて最後の確認を行なう。


「菌能の使用、道具の使用は即座に失格となります。試合時間は十五分の一本勝負です。相手のギブアップ、セコンドによるタオルの投入、あるいは私が戦闘不能と判断した際に決着とさせていただきます。相手が死亡した場合も同様ですが、故意に死に至らしめた場合は以降の参戦に関して規定のペナルティーが課されますのでご注意ください。制限時間内に決着がつかない場合は、私が勝敗を裁定させていただきます」


 御前試合が「特定種類の菌能の使用不可」なのに対して、闇仕合は〝ステゴロルール〟の名のとおり互いに素手で戦うことになる。菌能の使用自体が失格対象であり、それを裁くレフェリーは相応の実力と眼力を備え、さらには【心眼】や【察知】といったレアな菌性を持っている者もいるらしい。酔狂な組織の上に人材の無駄遣いときたものだ。


 ただし――これにはクレの【自己再生】やシュウの【不滅】のような常時発動型の菌能は含まれない。自身でも制御することができないこれらの能力は黙認という形になっている。運営や観客が求めているのはあくまでも「肉と肉とのぶつかり合い」なので、あとの細かい齟齬は些事なのだ。


 事前情報によれば、トミーは【自己再生】と【苦痛軽減】を持っているという。〝ステゴロルール〟においては理想的な組み合わせだが、クレからすればそれほど脅威ではない。手足をへし折って首を絞めて落としてしまえば済む話だ。


(気にすべきはそこじゃない)


 叔父の性格と、闇仕合のリングという特殊な環境。


(この人なら)

(必ずやるだろうな)


 問題は、どんな能力をどんな風に隠して使うかだ。


「――さあ。やろうか、イズホ」

「――はい、叔父さん」


 中央から離れて開始位置についたクレは、歓声と野次の入り交じる喧騒を意識から排除しつつ、周囲の状況を確認する。


 セコンドにつくコウイチは神にでも祈るような顔をしている。隣のハマダも同様だ。


 ハマダの斜め後ろに、蝶を模した趣味の悪いアイマスクを着けている男がいる。コウイチによればあれが市議のオオサキ・ロクオらしい。


 そしてもう一人、目当ての人物は――いた、二階のキャットウォークだ。ド派手な赤いジャケットを羽織っているというからひと目でわかる。あのアラサーくらいの背の低い男がサコタ・トシミチ、〝奇米裸〟のリーダーだ。


(役者はそろってるな)


 この仕合はどのような意図をもって組まれたものなのか。この仕合のあとに待っているものはなにか――自分とは無関係ながら、ここへきてちょっとばかり興味が出てきたのも事実だったりする。


「余裕のつもりかよ、おい」


 正面に目を戻すと、トミーが頭を掻きながら苦笑いしている。


「集中しろよ――お前の成長を味わう前に終わっちゃあ、今日まで辛酸を舐めてきた甲斐がねえ」


 彼の言うとおりだ。終わったあとのことは終わったあとでいい。


 今は目の前の仕合に己のすべてを集約させるときだ。再会の喜びを関節の砕ける音で伝え、成長の証として地に伏した彼を見下ろす姿で表現する。それだけを考え、求めればいい。


「――クレ・イズホ、推して参る」


 レフェリーが大きく腕を振り下ろし、重厚なゴングの音が会場を震わせる。




    ***

 

 沸き立つ熱気の中心で、二人の男は互いを睨んだまま身構える。

 

 クレはいつものように両手を緩く前に出し、重心を低くする。獲物に飛びつかんとするネコ科動物のような構えだ。


 対するトミーは、軽く握った両拳を胸の前に置き、半身を切って上体を揺すっている。


(この構え、変わってないな)

(いや、あの頃よりアバウトになったような――)


「なんだ、来ねえのか? ならこっちかr――」


 相手の言葉尻、その最も無防備な一瞬の隙をつく。クレの常套手段だ。


 最小限の動作で懐へ飛び込む――つもりが、気づいたら目がくらみ、衝撃で頭が大きくのけぞっている。


「――っ!」


 なにを、と考えるより先に、反射的に身体が防御をかためている。その腕に、肩に、あるいはそれをすり抜けて頭に無数の礫が突き刺さる。たまらずバックステップで距離をとり、じんと痺れた鼻からあふれ出る血を拭う。


「今のは挨拶代わりだぜ、甥っ子よ」


 トミーはにやりと笑い、緩く握った左拳をぷらぷらさせる。


 その手が消えたかと思った瞬間、クレの視界をふさぐほどに間近に迫っている。打ち抜かれる寸前でわずかに首を引いたが、それでも目の奥で白い光が爆ぜるような衝撃が伝わる。


 必死にガードをかためながら、


(十年前より)

(倍は速くなってるな)


 クレの脳裏に浮かぶのは称賛と感嘆だ。


 センジュ領内の武術や武器術の「いいとこどり」をし、新たな総合武術を構築しようという理念から端を発したクレ式格闘術。数々の当て身系の技術がとり入れられていたが、その中でもトミーが得意としていたのが〝ケントースタイル〟、いわゆるボクシングと呼ばれる技術体系だ。


 軽快なフットワークと拳での殴打に特化したそれは一昔前のセンジュでそれなりに流行していたそうだが、昨今では使い手はあまり見られなくなっている。理由は簡単、その技術や理念が対人に寄りすぎていたためだ。種により体型や体格が大きく異なるメトロ獣を相手どるためには、蹴りや手刀などの多様な攻撃手段を用いる〝カラテスタイル〟のほうが有効と見られているのだ(実際にはコウイチのような「なんちゃってカラテ」のほうが圧倒的多数だが)。


 トミーの最も得意とする速拳(ジャブ)にしても、通常の使い手ならメトロ獣相手には牽制程度の役目しか果たせないだろう。ところが――


(かたい)

(重い)


 クレの身に突き刺さる最速の拳は、まるで鉄球を投げつけられるかのように重く速い。【鉄拳】でも使っているのかと疑いたくなるほどの威力だ。人間よりタフなメトロ獣でもこれだけでノックアウトできるかもしれない。


 レベル63の身体能力、一発一発に自重を乗せる技術の高さ、目にも留まらぬ連打を可能にする洗練された反復動作。


(これが)

(この人の十年か)


 雨のように降りそそぐ拳が、クレの身体を滅多打ちにする。急所には受けていない、それでも身体の奥に重たいものが蓄積していくのを感じる。後ろでコウイチがなにかをさけんでいるが、拳の風切り音のせいでほとんど聞こえない。


「イズホ! このまま終わりk――」


 ぱんっ、と乾いた音とともにトミーの拳がはじかれる。クレのパリング、てのひらでの払い落としだ。


(速くて重いけど)

(その軌道は見たよ)


 舌打ちしつつトミーが追撃の右拳を放つ――しかしそれもクレの顔面をすり抜ける。

 下に滑り込んだクレはトミーの後ろ足の足首を掴み、立ち上がる勢いで捻り上げる。


「くぉっ!」


 だが間一髪、トミーは回し蹴りのように全身をよじって振り払う。


「やっぱりジイ様の技(打撃)は使わねえんだなっ!」


 すかさず速拳の雨が再開される。クレはガードをかためるがその上から削られ、あとずさった先で背中から金網にぶつかる。


「クレさん!」

「ほれ、お返しだ」


 コウイチとトミーの声が重なる。そして、トミーの全自重を載せた蹴りがクレの側頭部に命中する。


(クレ式活殺術、〝龍巻〟)


 ――次の瞬間、回転しながら吹き飛んだのはトミーのほうだった。


 相手の蹴りが命中する寸前、薄皮一枚でそれをすり抜け、蹴り足を掴んで身体ごと回転投げを放つ大技だ。蹴りを予測できたとはいえ文字どおり紙一重、もう数ミリ深くくらっていたら決着がついていただろう。


 背中から叩きつけられながら、それでも受け身をとってすぐに立ち上がるトミー。それに合わせてクレが低空タックルの姿勢で迫る。


 下からカウンターの膝が突き上がってくる。横に逸れてかわしたところへ振り下ろしの右。回避が間に合わずに左腕で受ける。前腕の骨がみしりと軋む。


 またも拳の間合いになり、同時に速拳がクレを襲う。ガードをかため、側面から払い落とすように丁寧に捌く。瞬きの合間にも満たないわずかな空白を狙い、伸びたその指先がトミーの鎖骨に引っかかる。


(〝熊手落とし〟)


 鎖骨を掴んで頭を引き寄せ、そのまま脇で首を絞めたり腰を抱えて投げに転じる崩し技だ。


「――――!」


 裸絞で迎えようとしたトミーの頭が、その寸前で沈み込む。ぐるんっと身体が前方に回転し、クレの頭上に踵を降らせる。


 寸前で左腕を挟んでガードしたが、【戦鎚】の一撃のような重さに左腕が悲鳴をあげる。痛みからして骨にひびが入ったようだ。


(この人)

(やっぱり――)


 即座に立ち上がったトミーが、畳みかけるように左拳を振り乱す。拳の角がクレの皮膚を刻み、肉をつぶす。ついに上半身は血みどろへと陥っていく。


 そのうちの一発が顎先をかすめ、クレは身体をぐらりと揺らがせる――あえて。


 大振りの右がうなりをあげる。まんまと誘い込んだそれを手刀でいなし、伸びきったところで手首をとる。トミーの肘を垂直に立てたままその後頭部へと振りかぶる。


 背中合わせになったこの体勢から掴んだ腕を振り下ろし、相手の後頭部を足元へ引き落とす〝四方投げ〟――


「――やっぱりな」


 トミーが身体をぎゅっと縮めるようにして、掴まれた腕をばちんっと振りほどく。


(まずい)


 バックステップが間に合わない。密着状態から繰り出されたトミーの左肘がクレの脇腹に突き刺さる。


「ぐっ――」


 勢いのまま飛び退いた先で尻餅をつき、そのまま後転して片膝立ちになる。一番下の肋骨が折れたのを激痛で悟る。

 対するトミーは、すぐに追撃には来ない。グラウンドでの展開を避けようとしているのだろう。


 互いにいったん静止し、めまぐるしい攻防がとぎれたところで思い出したかのように歓声が膨れ上がる。トミー越しに向こう側の客が興奮して腕を振り回しているのが見える。「ぶっ殺せー!」「死ねー!」とかいう小汚い声援が多いのも闇仕合ならではか。


「強くなったなあ、イズホ。叔父さんは嬉しいぜ」

「叔父さんこそ、あの頃の倍は強いですよ」


 祖父に冷遇された時代、ふてくされていたあの頃の面影はない。枷が外れ、才能が開花し、研ぎ澄まされてきた。まさにリングチャンピオンにふさわしい実力だ。


 だが――それだけではない。


「だが――あくまで親父の技だけで戦うつもりなんだな」


(やっぱり)

(この人は知ってるんだ)

(父さんの技を)


 対人の組技の類は、昨今のセンジュではほとんど使い手のいない遺物的な技術だ。ましてや〝龍巻〟や〝熊手落とし〟はクレ式活殺術のオリジナルに近い。いくらこの叔父とはいえ、あらかじめ知っていなければ初見でここまで綺麗に対応できるはずがない。


 クレが父ヒジキのクレ式活殺術を学んだのは、父の病死から五年後。祖父がこの叔父と立ち会って死亡したあとのことだ。


 実家の物置で見つけた父の膨大な遺書、それらは父が編み出した技術や理念を書き連ねた秘伝書だった。一晩のうちに読み終え、一読ですべて暗記した息子イズホは、秘伝書を(自身の秘蔵書などと一緒に)誰にも見つからない場所に隠し、センジュを発ってその技術の習得に励んだ。


 あのあとにあの本を見つけられたはずがない。というか、失礼ながらこの叔父があれだけの長文を読解できるとも思えない。

 だとしたら、それより以前に父と直接接点を持ち、その技術を目にしていたということになる。


(知らなかったな)

(二人が交流あったなんて)


 その叔父は、拳のバンテージをきつく巻き直しながら、気の毒そうに眉根をひそめている。


「……右腕だったよなあ、こないだぶった切られたのは」


 気づかれたみたいだ。クレは表情を変えず、内心でこの仕合の勝率が変化したことを悟る。


「イズホ、お前――右手の握力、死んでんじゃねえか?」


(……ああ)


 これで、確定した。

 こらえきれず、クレは口元を数ミリ弛ませる。


(――僕の勝ちだ)


毎度の終わる終わる詐欺でほんとサーセン。

今度こそ決着です(終わるとは断言しない)。


リス書きたい。


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― 新着の感想 ―
[一言] >リス書きたい。 トミー「おじさんな、実はリスだったんだよ」
[一言] 総合武術って不思議な言葉だなと思ったけど、殆ど失伝して格闘技と武術の情報がごっちゃになったとしたらそうなるかもと鼻息荒くして納得しました。
[良い点] 相変わらずアクション描写がすごい [気になる点] > クレの秘蔵書 あっち系のエロ本だったっけ? [一言] > リス書きたい (書いても)ええんやで(ニッコリ
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