ドングリをめぐる冒険②
コミカライズ企画進行中。
詳細は活動報告にて(一巻の挿絵なども公開しております)。
三年半以上に渡るオオツカメトロでの活動において、レイスに遭遇するのはこれで四度目だった。
一度目はかつての苦すぎるトラウマの事件のとき。二度目はレベル30台の頃に突然襲われて軽くパニックに陥り、ありったけ菌糸玉をばらまいてどうにか逃亡した。三度目はレベル50に上がって少しした頃、意を決して戦闘し、辛くも勝利を収めた。
そして今、四度目の対峙。
しかし相手は、ただのレイスではない。凄惨な顔の火傷跡を見るに――少なくとも、愁たちにとっては。
(間違いない)
(あんときのやつだ)
愁とタミコに失禁もののトラウマを刻み込んだ、因縁の相手。生きとったんかワレ。
「――ボ」
そいつは愁たちよりも高い位置にあるパイプの上に立ち、残った右目で愁たちを見下ろしていた。ずいぶん個性的な顔になったものだ。
「ボ、ボ」
つぶやくような低く小さな声が、それでも腹に響くように感じられるのは気のせいか。まるで恨みをこめた呪詛のようだ。
(いや、気のせいじゃない)
(あいつ――憶えてるか、俺たちのこと)
忘れられない相手なのはお互い様ということか。もっとも愁にとっては恐怖の思い出であり、向こうは(無事な右半分の顔がひくひくと歪んでいるのを見るに)怒りとか憎悪の類のようだ。
(くっそ、チョーこええ!)
(ビビんな!)
(単純なレベルなら、今の俺のほうが――)
「アベシュー! あいつ――」
タミコが最後まで言いかける寸前、愁は横に飛び退いた。さっきまで自分が立っていた場所を蛇のように伸びた白い腕が貫いていた。
(っぶね!)
(つか音がしねえ!)
ユニコーンや、あるいは愁が倒した別のレイスがそうだった。動作による音を消す菌能だ。さっき受け止めた奇襲もこの一撃だった。
パイプの上を滑るように着地。苔や蔓のぬるっとした感触を足裏に感じながら、間髪入れずに迫ってくる二撃目をバックステップで回避。振り返らずともパイプの位置はわかる、今度は菌糸刀を突き刺してギャリリッと制止した。
「――タミコ、さっきなんて?」
「え、あ――あいつ……レベル60りす! アベシューよりうえりす!」
「ちょ、マジ!?」
レイスは頭上からひょいっと飛び降りて、愁とほぼ同じ高さに立った。ご明答とでも言いたげに片目を細めて「ボ」と鳴き、その腕を背後まで振りかぶった。
***
レイスはゴブリン村やオーガの草原のような縄張りや出没スポットのような場所を持たないらしい。おそらくは個体数もかなり少ないのだろう。
つまり他のメトロ獣よりもレアな、ダンジョンにおける神出鬼没の死神モンスターなわけだ。そんなのに何度も出くわして、これまでよく生き延びてきたものだ。
三度目の遭遇のとき、相手のレベルが「アベシューとおなじくらい」というタミコ評もあり、「おし、いっちょやってみっか!」と腹をくくることができた。
結果は、辛勝。ほとんど初見の相手だったというのもあるが、レベルの近いオーガやオルトロスとくらべてもかなり戦いづらかったという印象だった。
主な攻撃手段は長い前腕を活かした殴打と掴みかかりだ。単にリーチ差だけでも厄介なのに、パワーはオーガにも引けをとらず、大柄な体躯に似合わず敏捷性はオルトロス並み。加えて高すぎる静音性能で挙動やタイミングを掴みづらかった。
あのときは容赦なく振り回される猛攻をかいくぐり、懐に飛び込んでのインファイトに持ち込んだ。壮絶な血みどろの泥仕合を最終的には愁が制した形になった。
あのときの達成感と万能感はよく憶えていた。「このへんじゃタイマンならもう負けねんじゃね?」という自信も芽生えた。あのときからさらに強くなった。普通にやれば負けるはずはない。
――普通の相手で、ここが普通の場所だったなら。
「ボッ!」
空気を裂く音すらたてずに伸縮自在の腕が襲ってくる。そもそもこれだ、愁が倒したレイスはそんなゴムゴム的な芸当はやってこなかった。消音が種族固有の能力なら、腕を伸ばすのはこの個体固有の能力ということか。
横にステップしてかわした瞬間、不安定な体勢の愁の頭へともう一方の腕が放たれる。
「んがっ!」
菌糸盾で殴るように受けると、勢いに押されて腕が大きくはじかれた。足場のパイプから片足を踏み外しかけた愁の視界の端に、
(はえ――)
すでに元の長さに引き戻された腕を上段に構えるレイスの姿が垣間見えた。
伸びた腕が垂直に振り下ろされ、直径一メートルはありそうなパイプが∨の字にひしゃげた。けたたましい破壊音が響き、ぶわりと埃が舞った。
寸前で足場を蹴っていた愁は一段下のパイプに着地し、同時に刀を振るようにして「ふっ!」と指先から燃える玉を放った。
「ボッ!」
かつて痛い目を見させられた赤い球体、レイスは大げさに飛び退いてかわした。伸ばした腕で頭上のパイプを掴んで身体を引き寄せ、勢いのままに愁の頭上へ躍り上がる。
(なんか来る)
(違うのが)
ぐんっと背中を反らせた体勢から、腕が――同時に脚が伸びて放たれた。
うねりながら迫る四筋の白い刺突。やばいと感じて寸前で回避に移った愁だが、それでも相手の左腕が軌道を変え、愁の脇腹をガリッとえぐった。
「アベシュー!」
「問題ねえ、かすり傷!」
ずざっと別のパイプに着地しつつ一度言ってみたかったセリフを吐いたが、まるきり強がりだった。上着ごと肉と骨まで削がれている。いずれ治るとはいえ、痛みと出血がひどいことに変わりはない。
(つーか)
(ムチャクチャはええ)
腕が伸びるのも元に戻るのも、かわすので精いっぱいのスピードだ。おまけに射程も長いし軌道も変わる、おそらく十メートル以上距離をとっても追ってくるだろう。
(つーか)
(レベル60は伊達じゃねえ)
パワーもスピードも、以前倒したレイスとは別物だ。あのはぐれガーゴイルやボススライムと同じように、こいつも歴戦の成長個体ということか。
レイスは勝ち誇ったように口の端をにたりと歪め、「ブフ、ブフフ」と不気味な声を漏らしていた。再会した宿敵を前に悲願の成就を疑っていないのだろう。確かにそれは間違っていない、レベルは向こうのほうが上だし、おまけに地の利も向こうにある。
「アベシュー!」
タミコの警告と同時にバックステップした、その足下がボンッ! と爆ぜる。燃える玉、愁のものではない。
「キキッ!」
「キィイッ!」
見上げると、いつの間にか先ほどの赤ゴブリンが背後の頭上に陣取っていた。計三匹。
「……まさか……」
ギュンッと前方から腕が伸びてくる。かわす間もなく菌糸盾で受け止め、はじかれてのけぞった瞬間に後ろから飛来物の気配――三匹のゴブリン自身の特攻。「くおっ!」と愁はあえて横に身を投げ出して落下し、数メートル下のパイプに退避する。
「ちょ、チョマテヨ!」
一息つく間もなくレイスの腕とゴブリンの特攻や投擲が押し寄せてくる。間違いない、レイスの攻撃に合わせた連携だ。必死に防御し回避しながら、
「ストップ! ブレーイク!」
煙幕玉を投げ放つ。霧を押しのけるように灰色の煙がばらまかれ、視界が途切れたと同時に愁は近くのパイプの陰に身を隠す。
(くっそ)
(猿同士のチームプレイかよ)
数種のモンスターがRPGのように徒党を組んで襲ってくる、ということはこれまで一度も経験したことがなかった。同じ種ならともかく、狼系や猿系といった親戚っぽいやつらでさえ、種が異なれば生存競争のライバルとなる。積極的な縄張り争いなどはしないようだが、実力的に上位の種が下位の種をモリモリ食っているシーンをたびたび見かけたりもした。
しかしこいつらは、別の種同士なのに明らかに手を組んでいる。十中八九、赤ゴブリンがレイスに従っているのだろう。獣避け胞子で逃げなかったのも上司のパワハラ恫喝によるものか。だからブラック企業って嫌い。
それがレイス固有の能力によるものか、それとも力ずくの隷属契約なのかはわからないし、今考えても意味がない。肝心なのは、あのレイスだけでも手ごわいのにお邪魔虫が上から横槍を入れてくることだ。
(先にあいつらを排除するか?)
その隙を狙われるリスクは高いが、それがベターか。あるいは……このまま逃げるという選択肢もありかもしれない。もっとも後ろを突かれて袋叩きに遭う可能性が高いが――。
「アベシュー」
ぺち、と頬を叩かれた。タミコだ。
「あいつらは、あたいにまかせるりす」
「へ?」
「ゴブリンは、あたいがひきつけるりす」
「いや、でも――」
タミコはすでにレベル30を超えていた。とはいえ身体的にも能力的にも戦闘に向くタイプではない。単独で赤ゴブリンを仕留めた経験はあるにはあるが――さすがに三匹を相手どるのはリスクが高すぎる。
「だけどこのままじゃピンチりす。レベルだけじゃなくかおのインパクトもまけてるりす」
「顔は今はいいわ」
「あたいをなめんなりす。あんなエテコーども、あたいのまえばでギットギトりすわ」
「ギッタギタね」
ちょっぴり不安げな顔で、小さく震えていて、けれどいつになくきゅっと引き締まっていた。
愁は数瞬考えて、うなずいた。
「……無茶はすんなよ、絶対。危なくなったら先に逃げろ、約束だ」
タミコも、まっすぐに目を合わせたままうなずいた。
「こっちのセリフりすわ、このチョーシこきシューが」
「痛いとこ突いてくれるね、このリス公は」
煙が晴れていく。愁とタミコは同時にそこから飛び出した。愁は前へ、タミコはその後ろへ。
感知胞子で位置は把握している、燃える玉と電気玉を放った。
着弾の寸前で白い巨体が高速で飛び退き、小爆発と電流を回避。背後のパイプに着地と同時に腕を振りかぶり――ぴたっと止まった。
警戒しているようだ――だとしたら、正解だ。腹をくくったのはタミコだけではない。
「きっ、きやがれりす!」
頭上でタミコの声が響いた。赤ゴブリンの攻撃がやってこない、タミコがやつらと相対しているのだ。
「セキネンのウラミ、はらさでおくべきか! シャーッ!」
背中を預ける相棒の頼もしさに、愁は思わずふっと笑った。
「……なあ、知ってる?」
幽霊のように沈黙するレイスに声をかけながら、狼製の足袋をすばやく脱ぎ捨てた。パイプの上は滑りすぎる、裸足のほうがまだ動きやすい。
(俺たちの目標は)
(こいつに勝つことじゃない)
先に見据えるものがある。それはまだまだ遠いところにある。
「――オオツカメトロじゃあ、いっぺん負けてからが本番なんだよ」
ならば今は、喉に刺さったままじわじわと蝕み続ける大きなトゲをぶっこ抜くときだ。それだけを考え、それだけを実行する。
「――決着つけようぜ、恨みっこなしでな」
震えはとっくに収まっていた。愁は歯を食いしばり、菌糸盾を前に、菌糸刀を後ろに構えた。
***
「ボォオオッ!」
正面から、あるいはパイプを迂回しながら腕が迫ってくる。その指先は貫手のようにそろえられ、愁の腸をひたむきに求めているかのようだった。
愁は神経を研ぎ澄ませ、脳をフルスピードで回転させていった。
攻撃の初動と軌道を注視して被弾を避ける。飛び退いた先の足場まで把握し、次の踏み出しにつなげる。
いつものような平面の戦場ではない、立体的な動作と思考が要求される。鼻血が出るほど集中しなければいけない。もうすでにがっつり出ているが。
レイスは間合いを詰めさせることを異様なまでに警戒している、そういう立ち回りだ。絶えず愁と一定の距離を保つように足場を変え、じわじわと獲物を追い込むように牽制と削りに徹している。猿にしておくにはもったいないほどの狡猾さと計算高さだ。
(猿って足の指めっちゃ発達してんだっけ)
不安定な足場でも強力な攻撃を繰り出し続けられる土台が向こうにはあるのだ。それは機動力や回避力にも直結する、つまりここは圧倒的にやつのホームだ。
「ぐっ!」
頭だけはしっかり防御しながら、それでも身体のあちこちを削られる。
迂闊に飛び込んでもかわされるかカウンターをもらうだけ。このままではずっとレイスのターンのまま、遠距離から嬲り殺されるだけのジリ貧に。
「――いや」
菌糸刀の一閃が、その筋書きを変える。
「ボォエエッ!」
レイスが慌てて引き戻したその腕は、手首のあたりが赤く染まっていた。
「なにびっくりしてんだよ」
言ってしまえばなんのことはない。ただ待っていただけだ。
信頼できる足場にたどり着くことを。相手の攻撃のスピードとタイミングを掴むときを。腰を据えて刀を振るえる瞬間を。
これまでやってきたこととなんら変わらない。辛抱強く耐え続け、攻撃パターンを見抜き、その機会を待ち続けていただけだ。レイスにとって一手のミスを、愁にとって一瞬のチャンスを。
「まだ一発返しただけやん」
乾坤一擲で斬り落とすくらいのテンションだったが、予想以上に毛皮と骨がかたかった。
それでも傷を負わせたことは事実だ。三年前には手も足も出なかった相手を前に、ここまで大きな傷を受けることなく凌ぎ続けたのは、運や偶然ではないとわかっている。
この三年積み上げてきたものが、ここまで届かせてくれたのだ。
「ボォオオッ!」
低く轟く怒声をあげながら、レイスが両腕を振り回す。まるで巨木の鞭だ、それが嵐のように吹き荒れてあたりを薙ぎ払い、打ちつけたパイプの破片を撒き散らす。
断続的な破壊音とひしゃげてめきめきと軋むパイプの悲鳴にまぎれて、
「――悪手だろ、発狂攻撃は」
愁はすでにレイスの背後に回り込んでいた。
背中を袈裟に斬り裂くはずの二撃目。渾身の一振りは寸前でかわされて肩をかすめる程度に留まった。だがようやく間合いをつぶすことができた――ここからはターン交代だ。
「おあああっ!」
レイスが後退しながら腕を振るって突き放そうとする。愁は距離を詰めて食らいつく。ここで畳みかけなければ元の木阿弥だ。
「ボォオオッ!」
至近距離から繰り出される腕は、遠距離以上の脅威が詰まっている。耳元を通過する風のうなりは最小限でも、まともにもらえば頭が吹っ飛びそうな威力だ。
だが、やることは変わらない。動きを予測し、回避と防御。
(見える)
目を見開け。
(怯むな)
かすり傷なんか気にするな。
(いけ)
足でしっかり掴め。
臆せずに飛び込め。
(そこだ)
そして、垣間見えた隙へ斬り込む。
愁の刀を受け止める腕は、やはり鉛が詰まっているかのようにかたい。かなり気合を入れて斬りつけても骨に刃が通らない。
「らぁあああっ!」
それでも、ダメージは確実に蓄積されている。その腕は鉄やコンクリートではない、生身だ。血が飛び散り、体毛のついた肉片がちぎれ飛ぶ。能面のような左半分が苦痛と焦りで歪んでいる。
(やれてる)
お互いに至近距離での殴り合い削り合い。それでも一歩も退かずに渡り合えている。
レベル的には格上。しかも一度は完膚なきまでに叩き伏せられた因縁の相手に。三年前には対峙しているだけでチビりそうなくらいだったのに。
(どうだよ、俺の三年間は?)
(間違ってなかったろ?)
パイプの滑り具合にも慣れてきた。足の裏で力強く踏みしめ、低く懐へ飛び込み、横薙ぎの一撃を叩き込む。真っ白な脇腹に横一文字に赤い線が走り、ぶしゅっと血が噴き出す。
「ゴォオオッ!」
レイスが大きくバックステップし、そのまま頭上のパイプへと飛び上がる。ベキッと指がめりこむ握力でパイプを鷲掴みにし、逆上がりのように身体を振ってよじ登る。
「――逃げんなよ」
愁がその頭上に舞っている。跳躍力強化だ。
「お前のが強いんだろ?」
レイスの目の前に着地したと同時に、足の指でしっかりと噛ませる。これがコツだ、猿のような長い足の指がなくても、レベル58相応の指の力があれば。
菌糸盾を捨て、両手で菌糸刀を握り、下段から大きく振りかぶる。
同時に体勢を立て直したレイスが腕を繰り出す。
あのときのように愁を串刺しにする貫手――それが腹へと届く寸前。
すべての力を集約した振り下ろしが白線の弧を描き。
レイスの手首が彼方へと落ちていった。
黒ずんだ血を撒き散らしながら、がむしゃらに振るわれるレイスの豪腕をかいくぐりながら。
愁は妙に冷静だった。余裕があるわけでもないし、実際あちこち被弾もしていたが、それでも視界は妙にクリアで、頭の芯はどこか冷えていた。
思考を占めているのはタミコのことだった。
彼女は感知胞子の範囲内にいない。目の前の敵に集中しすぎているせいか、声も戦闘音も聞こえてこない。
だが、ゴブリンはこちらに加勢に来ていない。タミコが今も食い止めてくれているのだ。
(無茶してないといいんだけどな)
心配だったが、それ以上に信頼もあった。ちょっと不安げながら覚悟を決めたあの顔を見て、たくましくなったなと思った。
(当たり前だけど)
(成長したのは俺だけじゃない)
最初に出会ったときとは別リスのように。強くなって、頼もしくなった。生意気さと口の悪さは最初からだが。
(もっと強くなる)
(俺たち二人で)
「ボォオッ!」
レイスが拳を振り下ろす。ギリギリ横に逸れた愁の耳を削りとる。
「――ここを出るまで」
懐に潜り込んだ愁は、刀を突き上げる。
切っ先はまっすぐにレイスの右目を貫き、後頭部へ抜け、その顔を上下に両断する。
その剣閃が空をなぞり――立ち込めていた霧が晴れた。
「タミコ! タミコ!」
あたりが急に静まり返ったことで不安が芽生え、愁は声を張り上げた。
と、感知胞子がパイプを伝って駆けてくるちっぽけな輪郭を捉え、全身から力が抜けるほどほっとした。
「アベシュぅうううっ!」
頭上から落ちてくる毛玉が愁の顔面に着地。一瞬モモンガのように見えたのは置いておき、そのまま愁は尻餅をついた。
「アベシュー、ボロボロりす!」
「……えっと、お前もだろ」
背中を掴んでぺろっと剥がすと、タミコもあちこち傷だらけ血まみれだ。返り血ではなく、タミコ自身の。
「へっ! あんなクソエテコーども、あたいのテキじゃ……いっぴきはヤッたりすけど、のこりはにげちまったりす。いてて……」
「そっか……でも、三匹相手によく粘ったじゃん。大健闘だよ」
「アベシューもヤッたりすね。あのときのリベンジせいこうりす」
「……まあ、ドングリのせいで散々な目に遭ったけど……」
愁は、肩の上の相棒に拳を差し出した。
「勝ちだよ、俺たち二人のね」
タミコは、それに自分の拳をぴたっと合わせた。
「まあ、キサマがあたいのヘソクリぬすみぐいしやがったのがそもそものゲンインりすけどね」
「まだ根に持ってやがったか」
***
果たして。
それから時間をかけて慎重に〝パイプの森〟を越えた二人は、ほどなくしてタミコの言っていた「もう一つのオアシス」にたどり着いた。
そこは愁たちのオアシスよりも少し狭い空間だったが、様相はよく似ていた。綺麗な水が湧き、菌糸植物が生い茂り、危険な肉食獣の気配はない。
目当てのブツをさがして数分後、それはあっさりと見つかった。見慣れた可愛らしい黄色の花弁と、それに包まれた不似合いな木の実。ドングリタンポポがみっちりと寄り添って咲いていた。
「あった!! あったりす!! あたいのドングリぃいいいいっ!!」
興奮しすぎてなぜか愁の耳を噛むタミコ。犬か。
「カイシメりす! カネにイトメはつけねえ! ぜんぶあたいのもんりすぅううううっ!!」
「意味わかってないだろうけど落ち着け。ていうか、全部とっちゃダメだよ」
「えっ?」
本気で驚いてショックを受けている顔。本当に根こそぎ刈っていくつもりだったのか。
「だって、全部とったら向こうのオアシスと同じになっちゃうじゃん」
「……でも……むこうのはぜんぶとられちゃったりす……」
「確かにそうだけど……ああいうのはめったに起きないだろうし、だからってタミコがそれやっちゃったらさ」
「……でも……」
「これを必要としてるやつは他にもいるんだよ、ネズミとか小鳥とか虫とか。そうやってメトロは回ってるから、このドングリタンポポだってここにあるんだ。でも一気に全部とっちゃったら、いろんなやつらに影響が出る、今の俺たちみたいにね」
「……あたいにはわかんないりす……」
ちょっと難しかったかもしれない。愁自身、それが正解なのかどうか確信があるわけでもない。
それでも、間違っていないはずだ。自分だけがよければいいという考えかたは、めぐりめぐって自分の身に返ってくる。だからそうならないように、みんなでちょっとずつ分け合うほうがいい。
「じゃあ……とりあえず七個だけ、一週間分だけとっておこう。それで一日一個食べてさ、なくなったらまたここに来ればいい」
「……つぎにきたとき、ここのもなくなっちゃってたら……?」
「そうだな」
愁はタミコの頭をむきゅっと撫で、うなずいてみせた。
「またさがしてやるよ、他の場所」
大事な相棒の好物だからな、というセリフはさすがに恥ずかしかったので胸に秘めておいた。
「そういやあっちのほう、花までむしられてたよな。タミコは花は食べないの?」
「ドングリタンポポのハナはたべるとおなかいたくなるからダメって、カーチャンいってたりす」
「そっか……あれ、俺何度か食ったりお茶にしたりしてたけど、なんで教えてくれなかったの? こっち向け、俺の目を見て答えろ」
***
「――って感じなことがあってさ。それから二・三日したらオアシスにも普通に復活してて、ドングリ枯渇問題も解決したんだけど」
「ニチジョーのアリガタミってやつりすね」
「大変でしたね……ていうかほんと、オオツカメトロの土産話はハードなのばっかりですね。レイスの成長個体とアウェー戦とか、想像しただけで胃が痛いんですけど」
「ねえ、ノア。結局ドングリタンポポの自家栽培って一度も成功しなかったんだけど、あれってどうやって繁殖してるか知ってる?」
「あー、はい……一応……」
「お、マジで?」
「おにわでそだてるりす! タベホーダイりす! ぴぎー!」
「あれって、綿毛を飛ばして繁殖するんですよ。見たことないですか?」
「いや、ないかも」
「実を食べた動物の死骸から」
「え」
「え」
「実の中身って菌糸のかたまりとかで、胃の中で未消化の状態で死ぬと、そこを苗床に菌糸が増殖して、綿毛状の胞子をつくるんです。最後にはお腹が膨れ上がって、ぱんって破裂してぶわって舞い上がって。ああ、普通に生きてれば消化できるんで問題ないんですけど」
「…………」
「…………」
「ちなみに花のほうには毒があるとかで、実と一緒に食べると耐性や免疫の弱い動物なら死んじゃうらしいです。それも生息地を広げる生存戦略なんじゃないですかね」
「アベシュー、【げどく】たべたいりす」
「奇遇だな、俺もそう思ったところだよ」
前書きでも触れましたが、「迷宮メトロ」のコミカライズ企画が進行中です。
一巻が出る前なのに!もうすぐ出ますけど!
詳細は活動報告をご覧ください。
次回も番外編の予定です。
 




