133:閉会式③
お待たせしました。
「御前試合編」完結です。
※ちょい長めです。
あと、割烹で書籍版のカバーイラスト(表紙)を公開しております。
(詳細は後書きにて)
その日は雲一つない晴天で、十二月とは思えないほど陽射しが暖かかった。
ヒキフネ村は騒然としていた。村の中心に突然、不気味な白装束の集団が現れたのだ。彼らをとり囲む村の大人たちの陰から、幼かった彼女もその様子をこっそり覗き見していた。
険しい森の中を歩いてきたとは思えないほど、その衣装は誰も積もったばかりの雪のように真っ白なままだった。フードを深くかぶっているために遠目には顔が見えず、性別がはっきりするほど背丈が特徴的な者もいない。あるいは冬の使者のような人外の神秘のようにさえ思われた。
「メトロ教団の者です」
彼ら八人の先頭に立つ者が、よく通る声で遮った。男の声だった。
「教団の勧告に則り、この村の皆様にはこの地を退去していただきます。ひとまず我々とともにアキハバラの教団本部にお越しいただく形になりますので、これよりご出立の準備をお願いいたします」
喧騒が一気に危うさを帯びていった。「ふざけんな!」と怒鳴ったのは彼女もよく知る隣家の長男坊だった。
「持ち運べない家財などについては、教団より同等額の補償をいたします。また、馬車は遠出に自信のない方などを優先していただけるよう、皆様もご協力を――」
村の男が一人、「出ていけ!」とふわふわした白装束に掴みかかろうと手を伸ばした瞬間、
「――ぬぇっ?」
気づけば腕を軸にぐるんと宙に跳ね上げられ、「ごばっ!」と腹から地面に叩きつけられていた。菌才の彼女の目でさえ、白装束の男の体捌きは捉えられなかった。
「……申し訳ないのですが、これは、要請ではありません。指示でも命令でもありません。執行です。皆様にそれを拒む自由はなく、穏便に従っていただくか、強制的に従っていただくか、どちらかを選んでいただくことになります。深皇猊下の命において、我々は必ずそれを行ないます」
(あの人たち)
(かなり強い)
周りの大人たちと同様に、彼女も悟った。
この村は、壁による抑制効果の範囲の境界付近にある。普通の〝糸繰りの民〟なら、居続けるだけで力を削がれ、体調を損なう。
それでも白装束たちは、それを差し引いてでも相当な手練。それもおそらく、獣を狩ることに長けた村人とは違う、人を相手どることを専門とする連中なのだと。
みんなで相談する時間がほしい。
長老がそうかけ合い、わずかな猶予が与えられた。話し合いのために村長の家に向かう大人たちの背中が獣のように前傾し、目が燃えるように血走っているのを彼女は見逃さなかった。
「――みんなと遊んできたらどうだ? いつもの隠れ家で」
家に戻ると、父にそんなことを言われた。
「話が終わるまで、外で遊んできたらいい。終わったら迎えに行くからな」
年の近い女の子は何人かいたが、彼女はむしろ(外の基準でいう菌職持ちの)年上の男の子たちと村の外で狩りや食材採集をすることを好んだ。十五歳の少年二人を筆頭に、集まった九人で隠れ家へ向かうことにした。
「教団の人を追い出すつもりだろうな、力ずくで」
「ここは俺たちの土地だ。あんなシロキクラゲみたいな連中の言いなりになってたまるかよ」
「子どもを外に出すなら、俺たちじゃなくて菌職のないやつらにすりゃよかったのに」
「むしろ俺たちが残ってたら『一緒にやらせろ』ってうるさいからだろ」
「俺たちだって戦えるのにな。まあ、一番強いのは一番チビっこのお前だけど」
唯一の女の子で一番年下。だがこの中で最も高レベルでもあった。
ただ、いくらレベル20超えとはいえ、しょせんは七歳児。技術も体力も大人にはまだまだ敵わないことを彼女自身が一番自覚していた。
そして、あの白装束たちも只者ではない。殺し合いにまで発展するとは思えないが、本気でやり合えばどちらも無傷では済まないかもしれない。
(父さんたち)
(ムリしなきゃいいんだけど)
やがてたどり着いたのは、より壁に近い場所にある、地下空洞――メトロへの入り口。そこは政府や教団にも隠しとおした、彼ら村人のみが出入りする秘密のメトロ。子どもたちはその地下一階のとある場所に、彼らだけのちょっとした隠れ家を築いていた。
「――よお、悪ガキども。食いもんは持ってきてくれたよなあ? つーか、ここにいてほんとに怪我治るんかなあ?」
いや、そのときは彼らだけではなかった。
一週間前、偶然この場所に迷い込んだ男。
東にある大きな街から来たという、黒メガネをかけたうさんくさい自称狩人。
その怪我が治るまではと、彼らは大人たちには内緒で男を匿っていた。親に見捨てられた子猫をこっそり隠し飼うみたいに。
***
閉会式が始まる、少し前。
カワタローは必死に思考を回している。頑丈な縄で椅子にくくりつけられ、手首も足首も縛られ、鼻もほじれないような現状ではそれくらいしかできることがない。
「……外が少しバタバタしてんな」
真正面に置かれた椅子に、前に向けた背もたれに頬杖をつくようにして、シモヤナギが座っている。
「なんかあったのかもしんねえな。もうすぐ閉会式だってのに」
確かに、部屋の外が少し慌ただしい。単に準備に追われての、という雰囲気ではない。なにか物騒なことでも起こっているのかもしれない。
「こちとらすんなり終わらせて酒場にでも直行してえとこなのによ。てめえんとこの菌才ガールもまだ見つかってねえし……なあ、どこにいるか教えてくれよ」
「…………」
【囁】の連絡も途絶えている。トロコが、団長が今なにをしているのか、カワタローにも把握する術はない。
(このままだと)
(無茶しそうだよなあ)
団長のような化け物はどうでもいい。だが、あの男とともに最後の場面に参加するとなれば、いくらトロコでも命がいくつあっても足りない。本来ならそこにいるべきは自分だったのに。
「……俺を、解放してくれ」
「は?」
「あの娘を止められんのは、俺だけだ」
「その言葉を鵜呑みにできるほど、俺はお人好しじゃねえ。それなら先にてめえらの目的を吐けよ、洗いざらい」
ごもっともだ。悠長に長話している時間などないという点を除けば。
「……俺たちの目的は、復讐だ。あの子らの親や家族を奪ったやつらに、事実を認めさせ、謝罪させる」
「そりゃあまた、ずいぶんお上品なこった」
「それでじゅうぶんなのさ。それだけでやつらの権威は失墜する。認めなけりゃ、観衆の前でそいつと、人質を殺す」
「待て……人質? というか、相手は誰だ?」
「けど、あくまでそれは、俺たちの目的だ。あの人の目的じゃない」
「あの人? おい待て、順番に消化させろ」
「あの人の本当の目的は、俺にも詳しいことはわからない。手段と利害が一致した、あの人は俺たちの望みを叶えるだけの力を持っていた。だから俺たちはあの人の下についた。あの人はいくつかのプランを用意してると言ってた。これから先どこに向かうのかは、俺にもわからない」
「だーもう、矢継ぎ早にわけわからんことを……しゃーねえ、カイケ嬢呼んでくっか――」
がちゃ、とドアが開く。カワタローは顔を上げ、シモヤナギは振り返る。
「やっぴょー。久しぶりピョンね、シモやん」
入ってきたのは、若い男だ。長身痩躯、黒髪、艷やかな白い肌、女性受けしそうな甘い顔立ち。若草色のジャージが爽やかさとは対照的に、鼻や唇や目尻の下についた無数のリングピアスが異様な雰囲気を醸し出している。
そして、最も特徴的なのはその耳だ。ふさふさとした白い毛に覆われた耳はエルフよりも長い。ウサギ耳――亜人、〝兎人〟だ。
「……お前も来てたのか、〝スプーキー〟」
(〝スプーキー〟)
(確か……本部所属のトップランカー)
「一応ね、閣下の護衛ってことで。ジュウベエ先輩とかはシンジュク遠征真っ最中だし。あ、ピョン」
「無理に語尾足さなくていいからよ」
(なんでそんなやつが)
(こんなときに、こんなとこに)
「なんかなんか、シモやんが柄にもなくお仕事張り切ってるって聞いて、からかいに……じゃなくてお見舞いに来たピョン」
「はは。ありがてえこったけどよ、そろそろ閉会式だろ? 閣下んとこにいなくていいのかよ?」
「でも……やっぱり後輩たちは見捨てられないピョンね」
「後輩?」
カワタローは目を見開く。
シモヤナギが一瞬目を離した隙に、〝スプーキー〟はその手を振りかぶっている。
「――俺も、あの村出身だピョンね」
***
『……あの夜、村に帰ったとき、村は燃えていた……村人もみんな、一人残らず……私の父さんも、母さんも……』
トロコのたどたどしい口調を、それでも五千人の観衆は固唾を呑んで聞き入っていた。
『……残された私たちは、たった十人で生き抜いてきた……私たちの村の件が、〝越境旅団〟なんて根も葉もない噂になってるって知って……なら、本当にそういうテロリストになってやろうって……あえて〝越境旅団〟を名乗って、お前らに復讐してやろうって……』
彼女は相変わらず表情に乏しい、こうしている今も。だからこそというか、その朴訥とした口調が余計に愁の胸に刺さる。少なくとも彼女がデタラメを語っているとは思えない。
『はい、というわけで――』
ススヤマが拡声器を自分の口に戻す。
『教団は八年前、残虐な粛清によって二百名を超える尊い命を奪った。相手が戸籍を持たない自由民だったとはいえ、トーキョー法で一定の権利を保証された国民、我らの同胞たる〝糸繰りの民〟だ。その彼らに一方的で理不尽な要求を突きつけ、拒むと見るや村ごと火にかけてすべての事実を焼却した……』
しきりに左右に振り向きながら、じわじわと口調に熱をこめていく。その身振りに合わせて襟首を掴まれたイケブクロ族長のぐったりした身体が揺れている。
『ショーモン深皇猊下、教団には確か〝シロモグラ〟なる猊下直轄の諜報部隊が存在するとかいう噂がありますよね。武力の規模という点でも、今回の大量虐殺を仕掛けたのは彼らではないかと疑っているのですが……猊下、なにか反論はございますか?』
愁の目が、観衆の目が、ずっと口を閉ざしたままの教祖へと向けられる。彼は表情を変えず、周囲を窺うこともなく、短く息を吸い込む。
「教団が……八年前のあの日、ヒキフネ村に外交員を派遣したことは、事実だ」
拡声器を使わずとも、これだけ静まり返っていたら観客にも声は届いただろう。
「彼らが外部への諜報活動に従事していた者たちだったことも認めよう。そして……なんの罪もないヒキフネ村の犠牲者が、メトロへ還ったのちも根も葉もない噂で汚名を着せられたとするなら、メトロ教団深皇の名において、これを雪ごう」
教祖は抑揚のない口調でそう続け――そこで口を閉ざす。
トロコが目を見開いたまま固まっている。
「……それだけ? あの虐殺については……?」
教祖は小さく息を吐き――ゆっくりと首を横に振る。
「ヒキフネ村の壊滅については認知している。だが、派遣された外交員に村人を殺傷するような任務は与えられていない。その件に彼らの、我らの関与した事実はない」
「……嘘つくな……」
トロコの小さな身体が小刻みに震えはじめる。
「……ふざけるな……お前らがっ!」
怒りを含んだ絶叫が響き、トロコの殺気が膨れ上がる。
思わず愁は身構え、都知事も教祖を庇うように腕を横に広げる。と思いきや、それは庇うのではなく、闘技場に下りてきた教団員を制する仕草のようだ。
「……返して……返せ、村の人たちを……父さんや母さんを……!」
人質を抱えたまま、それでもトロコは今にも襲いかかってこようとしている。息を荒らげ、歯を剥き出しにして、目に涙を浮かべている。
彼女のナイフを握る手を、隣のススヤマがすいっと導く。切っ先がハグミの柔らかい喉元に突きつけられるように。
『……罪を認めろ……謝罪して、捕らえた仲間を解放しろ……! でなきゃ、この子を……!』
拡声器に彼女の最後通牒を拾わせて、ススヤマは満足げににたりとする。まるで我が子に悪行の手ほどきをする鬼のように。
「ちょ、あのさ……その子はなんも悪く――」
「……薄顔は黙ってろ……!」
「薄顔で悪かったなチクショー!」
場違いなのは重々承知ながら口を挟まずにはいられなかった。ちょっぴり後悔。そもそもなぜこんな修羅場に居合わせなければいけないのかと百回くらい自問。
と、都知事が一歩二歩と前に出る。敵意がないことを示すように、軽く手を掲げたまま。
「――猊下の言ったとおりだ」
「……は?」
「あの村で起こったことは、誓って教団や政府の手によるものではない」
「……嘘つくなっ! お前ら以外に誰がっ……」
「君たちは、村に残された遺体の数を確認したかい?」
「……は?」
「後続の人員が派遣されたのは一週間後だった。ほとんどの遺体は炭化したり獣に食われたりして判別できなかったが、その中には彼らの遺体の一部もあった。彼らも惨劇の被害者だったんだ」
言葉を失うトロコ。
その隣で、猫のように爛々と目を見開くススヤマ。
都知事がもう一歩近づき、手を差し伸べる。
「あの日の真実を語ろう、我々の知っている限りの。君にも、拘束している君の幼馴染たちにも。君たちを救いたい。だから、その子を放してくれ」
「……そんなの、信じられるわけ……」
嬉しそうににたりと歪むススヤマの笑みが、よりいっそう邪悪さを増す。身震いを覚えるほどに。
「……アイツか。堕ちやがったか、〝伊邪那岐の使徒〟に」
(使徒?)
(イザナギ? ウツキが言ってたやつ?)
また思わせぶりな単語が出てきてしまって、置いてけぼり感が留まることを知らない愁。
「なるほど、そこのルーキーを同席させたのも、そういうことか」
「ほえ?」
と思いきや、急に話題に上げられる。
「まあ……タイミングがよすぎでしたからね。でも、アベさんは使徒じゃない……僕らと同じ、ただの〝糸繰士〟です」
愁は内心で白目を剥く。はい、やっぱりバレてた。
素直に自分から認めるべきか、それとも開き直って徹底的にしらばっくれるか。などと愁が迷っている間、都知事とススヤマは睨み合ったまま、互いに口をつぐんでいる。彼らもなにか思考をめぐらせているかのように。
「……トロコちゃん、帰ろうぜ」
先に沈黙を破ったのはススヤマだ。かったるそうに首を回しながら、呆気にとられているトロコに続ける。
「君らの仇はここにはいねえ。俺としても、ここで戦力を使いきるわけにはいかねえ理由ができた。収獲もあったし、帰ってメシでも食おうぜ」
「……でも……」
「これだけあちこち引っ掻き回して、大事なイベントも台無しにしといて、はいさようならで済むと思ってるんですか?」
「ひゃはは、強がるんじゃねえよ。こっちだって消化不良は一緒だぜ、なんだったらどっちかつぶれるまでやり合うか? この街が三十周年記念に更地になってもいいならな」
都知事と団長、二人の間の空気が歪む。肌をざらりと撫でるような濃密な殺気があふれ出す。全身に冷たい汗を掻いているのは、愁だけでなくトロコも同じようだ。
と思いきや、後ろにいる教祖までなんだか青ざめている。さっきまで無表情で大物感大量漏出していたくせに、明らかに表情がビビっている。伝説の〝糸繰士〟なのに、ケンカは苦手なのだろうか。
「イベントってのは生き物だ、大事なのはその場のノリさ。てめえを殺すのは後回しにしてやる。好意は素直に受けとっとくもんだぜ」
「ご忠告、感謝しますよ。ですが……もう終わりです」
「は? てめ――」
ススヤマがとっさに人質の青年を前に突き出す。
愁は【感知胞子】でそれを捉える。
その上から、足下から、左右から――目に見えないほどの無数の糸が波のように押し寄せていく。
「【障壁】の隙間は見破った。時間稼ぎはじゅうぶんです」
一本一本は肉眼では見えないほど細い、だがそれが無数に束なり、真っ白な巨大繭となってススヤマを包み込む。
「――糸は、紡がれました」
人質を掴んでいた右腕がぶちっとちぎれ、人質ごと繭の外に落ちる。
「団ちょ――」
その隙に、愁は駆けだしている。
察したトロコが、再びナイフをハグミに向けようとする。それを読んだ愁の【白弾】がトロコの頬を削る。そうして生み出した一拍が、愁を彼女の目の前までたどり着かせる。
「返せ――」
左手でナイフを持つ手を掴み、右手でハグミを抱える手を握りしめ――背中から生じた四本の菌糸腕で彼女を殴りつける。
「うぁっ!」
トロコがふっとび、ハグミは愁の腕の中へと渡る。温かくて柔らかい感触を無事奪還できたことに、思わず愁は「っしゃ!」と吠える。
すぐに体勢を立て直したトロコが低く身構える。同時にその輪郭がブレる。あの滑る無音機動だ、こんな砂の上でも可能なのか。
「わりいけど――」
左下から急襲するナイフを、ギィンッ! と菌糸腕の【鉄拳】がはじく。
「菌能使えりゃ、負けねえんだわ」
ボグッ! と愁のつま先がトロコの腹にめりこむ。ふっとんで地面を転がりながらも、すぐに片膝立ちで構え直すトロコ。それでも腹を押さえ、苦しそうに咳き込む。
「もう終わりだろ。お前のボスも菌糸ボールでゲットだぜされちゃってるし」
「……私は……」
「抵抗すんなら、こないだのリベンジさせてもらうよ。ここまで空気だった分、最後にちょっとくらい活躍――」
【感知胞子】が異物を捉えた瞬間、愁は頭を後ろにのけぞらせる。
それでもかわしきれず、額がなにかかたいものにガリッと削られる。
「んがっ!」
とっさに放った菌糸腕の拳が空を切る。と思ったら、その腕にそいつはカエルのように四足で張りついている。
同い年くらいのイケメンだ。狩人のジャージを着ている。ウサギ耳の縁が月明かりでほんのり照らされている――亜人か。
「――うちの後輩ちゃん、いじめないでくれないかピョン?」
腕にかかる体重が消えたかと思うと、愁の頬を衝撃が打ちつける。同時に愁は菌糸腕で彼のジャージの胸元を掴み、顔面を蹴られた勢いのまま身体を回転させ、相手を地面に叩きつける。ズドンッ! と鈍い音がするが、ゴムボールのようにはずみながらこともなげに着地する。
(こいつ)
(はええ)
(つーか、超つええ)
「〝スプーキー〟! なにを!?」
「閣下ー、悪いけど、俺はこっちにつくピョン」
スプーキーと呼ばれた男は、愁と対峙したまま振り返らずに都知事に応える。
「それと――まだ終わってないピョン」
ずぐ、と巨大繭から黒い棒のようなものが突き出る。それが鮫の尾びれのように白い表面を泳ぎ回ったかと思うと糸がはらりと散り散りになり、中からススヤマが現れる。
「あー……今日は右腕の厄日だぜ」
前腕の先がちぎれた右腕を残念そうに見つめながら、
「だが、【不壊刀】は楽しいな……チュウタご自慢の【糸繰】がただの糸っ切れだぜ。ひひっ」
それでもススヤマは笑う。
「さあ、ずらかるぞ! 来いっ!」
すぐさまトロコと〝スプーキー〟が駆けつけると、三人の身体がふわりと浮く。まるで見えない風船にでも吊り上げられているかのように。
「――最後の余興だ。派手にやるか」
ススヤマが、再び生やした右手で、自らの顔面を鷲掴みにする。
ぐりゅん、とその身体が蠕動する。顔が、皮膚が、体型が、波打つようにしてその形を変えていく。
「……なんだ、あいつ……」
やがて変動が収束すると――そこにいるのは、顔の左半分をケロイド状にただれさせた、若い男だ。
「……うおっ、スーツピッチピチやんけ!」
***
観客席の最前列で、身を乗り出すようにして動静を見守っていた、ギラン。
状況が変わった瞬間に動きだし、都知事が【糸繰】でススヤマを閉じ込めたのと同時に、族長を抱えて離脱していた。
そしてギランは今、教団員に保護されていた教祖と並び、宙に浮かぶススヤマだった男を見上げている。
その目は釘づけになっている。
呆然としたまま、その口がぽつりとこぼす。
「――先王……」
***
闘技場の入場口で、市長らとともに固唾を呑むことしかできなかった、ノア。
シュウの手でハグミが奪還され、同時にアオモトらとともに闘技場に雪崩込んでいた。
そしてノアは今、ススヤマだった男を見上げ、その場に崩れるように膝をついている。
その目には涙がにじんでいる。
「――ひいじい……」
乾いた唇からこぼれたそのつぶやきは、周囲の誰の耳にも届かない。
***
『さーてお立ち会い! これが俺のハンサム顔だ!』
ススヤマだった男が、頭上から拡声器でさけぶ。
『まあつっても、ここにいる九割は知らねえよなあ……偽〝越境旅団〟の団長とは世を忍ぶ仮の姿、我が真の名はツルハシ・ミナト。始まりの〝糸繰士〟の一人にして、初代イケブクロトライブの族長であーる! ただいま、イケフクロウ!』
観衆のざわめきが一気に膨れ上がる。
『諸事情で死んだふりしたり、八年前のクーデーターで半分死んだりとかいろいろあったけど、私は元気です。つーわけで、ここに四人目の〝糸繰士〟が復活! あ、五人目かな? ひゃははっ!』
もはや理解不能な展開でキョドるしかない愁は、忌々しげに唇を噛む都知事の横顔に一瞬戦慄する。
『えー、今夜俺がなにをしたかったのか、みんなには最後に話しとこう。そもそもヒキフネ村はなぜ、政府や教団によって弾圧されなければならなかったのか? 壁への不干渉を誓う禁忌とはなぜ結ばれたのか? そこには、我々国民の健康と生命を守るというお題目以外に、もう一つ大きな理由が隠されていたんだよ』
自称ツルハシ・ミナトは少し溜めをつくってから、右腕を大きく広げる。
『――壁の外の世界は、人類は、滅んじゃいない。そして壁は、〝超菌類〟やメトロ獣ごと我々〝糸繰りの民〟をこの地に封印するために、今もえらっそーにそびえ立っているのであります!』
心臓を鷲掴みにされるかのような衝撃を受けて、愁は頭の中が真っ白になる。
(壁の外は)
(人類は)
(まだ、生きてる?)
『俺たちは籠の中の鳥じゃない……俺の本当の目的は、あの忌々しい壁をぶっ壊し、偽りの平和をだらだらと垂れ流す箱庭から我々〝糸繰りの民〟を解放することにあります。そのために俺、〝糸繰士〟ツルハシ・ミナトはここに、新生〝越境旅団〟の結成を宣言します!』
ばっと右手を挙げる自称ツルハシ。隣で拍手する〝スプーキー〟。トロコは表情からして状況を理解できていなさそうだ。
『――「糸は呪縛、壁は縛牢」……俺たちの自由を奪うあの壁を、偽りの法理で縛りつける政府と教団を、俺は決して許さない。〝越境旅団〟はこれらと戦い、必ず勝利してみせる! 目覚めよ民よ、我に続け!』
しんと静まり返る場内。誰もが呆気にとられ、口をあんぐりしたまま、なにも発せない。
『……あれ? あんまり響かない?』
「いきなりいろいろ言われても混乱するだけだピョン」
『そっか、まあ啓蒙活動ってのは時間がかかるもんさ。つーわけで本日はこれにて閉幕、閉会式を終わります! バーイ、センキュ!』
都知事の身体がふわりと地面を離れ、弾丸のように自称ツルハシめがけて飛んでいく。糸で身体を持ち上げているのだ。
「あ、ちなみにこれ、今日使う予定だったやつです。試供品どーぞ」
自称ツルハシが懐から青っぽい球体をとり出し、地面にばらまく。
それらがぼすっと砂に埋れたかと思うと、まるで植物の生長を早回ししたかのようにびゅるびゅると枝を伸ばし――青黒い体表を持つ獣へと変わる。会場に悲鳴が響き、闘技場に下りていた狩人が一斉に身構える。
とたとたと身体を駆け上ってくるものがある。しゅたっと肩に乗ったリスが、愁の耳元で言う。
「アベシュー、きをつけるりす。あいつら、みんなレベル60いじょうあるりす」
「タミコ! え、マジ? やばくね?」
「俺の〝眷属〟の胞子嚢をベースにした【宿木】さ。これ以上ドンパチ続けてえなら、街中に配備した部下があれをばらまくぜ。どうするよ、チュウタくん?」
空中で自称ツルハシと対峙したまま、都知事は歯噛みするように身体を縮め、さけぶ。
「すみやかにそいつらを片づけろ! 他の者は街へ戻ってメトロ獣の出現を警戒! 行け、狩人!」
ひゃはは、と自称ツルハシは愉快そうに笑う。
「またな、チュウタ。それと――アベくん。今度会ったら、あの頃の話でもしようや」
そう言い残し、〝越境旅団〟を名乗る三人は闘技場の屋根を越え、三日月の浮かぶ夜空へと消える。
今にも襲いかかってきそうな青い獣を警戒しながら、愁は空中にぽつんととり残された都知事を見上げる。彼の苛立たしげな怒声が夜空に響く。
***
青い獣はタミコの見立てどおり、すさまじいほどに強かった。あのボスメットといい勝負しそうなほどだった。
会場も我先にと逃げ出す一部の観客で大混乱になった。それでもギランや本部の狩人らと連携してどうにか退けたあと、ぷりぷり怒った都知事にドヤされる形で街に駆り出され、夜通しの警戒任務に当たることになった。せめて試合参加者は免除してほしかったが、不機嫌な社長に逆らわないのは社会人の延命術として初歩中の初歩だ。
シモヤナギたちが捕らえたカワタローら〝越境旅団〟のメンバーは、〝スプーキー〟によって逃がされた。街への警備に向かう途中で合流したシモヤナギは頭に包帯を巻き、もはや話しかけたら蜂の巣にしてやると言わんばかりに殺気立っていた。
前夜祭で街中が人であふれていたが、酔っ払いの小競り合いやゴロツキの金銭トラブル程度のもので、テロリストらしきやつらはどこにも見当たらなかった。当然、メトロ獣の出現もなかった(一匹でも現れていたら大惨事だ)。
ただ――すべてなにごともなく、というわけでもなかった。ススヤマ本人と、イケブクロ族長の警護をしていた一人の遺体が発見された。自称ツルハシは会場で彼らを殺したあと、【擬態】で彼らになりすましていたわけだ。
また、御前試合の間に市長の邸宅が賊に侵入されていた。現金やら家財やら、あるいは娘のために集めていた薬などなど、金目のものをごっそり奪われたという。警備が手薄なタイミングを狙った計画的な犯行だろう、とアオモトが言っていた。
だが市長はそれほど気にした風もなく、「誰も怪我がなくてよかった」と一言目に言ってのけるあたりもはや聖人すぎたのでこっそり拝んでおいた。
そうして――長い夜が明け、空が白み。
こき使われまくって疲労困憊な狩人たちは、ギルドの玄関前にぐったりと座り込み、ようやく往来の絶えた静かな通りを眺めている。こうして律儀に解散の号令待ちしているあたり、脈々と受け継がれる日本人の遺伝子を感じざるを得ない。
タミコは肩に垂れるようにヘソ天し、ノアも愁に寄りかかって舟を漕いでいる。クレは膝枕を狙ってきたので石畳に頭を押しつけておく。
とんとん、と肩を叩かれる。振り返るが、後ろには誰もいない。
もう一度叩かれる。目に見えないもの正体を察し、愁はタミコをノアの膝に乗せ、そっとその場を離れる。
「――……ご苦労様でした」
目の前に立っているのは、七五三帰りのような風体の少年。都知事だ。
「積もる話はたくさんありますが――あなたは、僕と同じ時代の人間ですね?」
まっすぐにそう問われ、もうごまかしようがない、と愁は腹をくくる。うなずく。
「……はい。平成生まれのバリバリのゆとり世代です」
ふふ、と都知事は小さく笑う。
「覚悟はしていたけど、今日はいろいろありすぎた……この国に新たな敵が生まれ、不穏な真実が国民の前で暴かれた。民は少なからず惑い、国は大きな変局のときを迎えるでしょう」
愁としても同じだ。試合には見事勝利したものの、最後はみすみす悪党を逃してしまった。残ったのは後味の悪さと謎ばかりだ。
そしてついに身バレしてしまった。平穏な日々はもう終わってしまったのかもしれない。今までもなかったかもしれないが。
「あの、一つ訊いていいっすか?」
「はい?」
「あのとき、あのツルハシってやつが空飛んで演説してたとき、どうして止めなかったんですか?」
あの演説が終わるまで、仕掛けるのを待っていたのではないか。そもそもトロコの件にしても、あえて正面から受け止めたような気もする。
「……さあ、どうでしょうね」
曖昧に首をすくめる大人びた仕草は、背伸びした演技のようには見えない。やはり遥か歳上なのだ。
「問題は山積みですが……新たな希望もまた、生まれた。十三人目の〝糸繰士〟が」
小さな手が差し出される。まだ指の伸びきらない、柔らかそうな手が。
「ようこそ、糸繰りの国へ」
顔が熱くなるのを自覚しつつ、愁はそれを握る。
「……はい、よろしくお願いします」
「ただ……やはりちゃんと確認しておくべきでしょうね。あなたが大法螺吹きのペテン師じゃないとも限らない。一日に何度も騙されたくはないですから」
「へ?」
都知事が数歩離れ、その手に糸を生じさせる。刀の形、【戦刀】だ。さらに【光刃】をまとわせる。
「え、ちょ?」
「本当にあの時代の人かどうか、これではっきりします。さあ、アベさんも」
言われるままに【戦刀】と【光刃】を出すが、正直動揺しまくっている。
(確認ってなに?)
(戦って腕前を証明しろ的な?)
(それとも斬られて【不滅】見せろ的な?)
この期に及んでガチンコの模擬戦などやれる体力は残っていない。これ以上痛い思いもしたくない。
「あ、危ないんで峰打ちで」
「え? え?」
言われるままに刃を後ろにする。と、都知事が【戦刀】を振りかぶり、愁めがけて振り下ろしてくる――非常にゆっくりと。
「ぶおん」
それは空を切る音ではなく、都知事の口から発せられた擬音だ。
ゆっくりなので横にかわすと、またゆっくり横薙ぎが来る。そして「ぶおん」。
頭をのけぞらせてかわしながら、愁は、ようやく察する。すべてを理解する。
自分も八相の構え――柄を顔の横に持ち上げ、振り下ろす。ゆっくりと。
「ぶおん」
都知事が刀を横にして受ける。峰がぶつかり合う瞬間、二人同時に「「ばちゅーん」」と言う。そしてにやりと笑い合う。
「ぶおん」
「ぶおん」
「「ばちゅーん」」
蝿の止まりそうな速度で展開されるスペースチャンバラ。無駄にくるくるバック転したり横回転したりして、身体を駆けめぐるフォースを感じる。
「こーほー」と愁。
「お前なんか父さんじゃない!」と都知事。
「ぶおん」
「ぶおん」
「「ばちゅーん」」
「ぶおん」
「「ばちゅーん」」
「「ばちゅーん」」
「はっ!」
都知事がてのひらをかざす。まともに受けた愁は「こほーっ!」と後ろにふっとぶ。楽しい、あと一時間やれる。
ふと振り返ると、物陰からタミコとノアが白けた目で覗いている。
「御前試合編」、お付き合いいただきありがとうございました。
ここまでの感想、評価などをいただけると幸いです。
次章開始の前に、しばらくは番外編をお届けする予定です。オオツカメトロの追加エピソードとか、ギランとかクレとか。
そして次章、物語は「ナカノ編」へ。
激闘を終えたアベシューたちが次に向かうはカーバンクル族の住む「ナカノの森」。毛玉たちの楽園で待ち受けるものとは? タミコはトーチャンと会えるのか? アオモトは理性を保てるのか?(無理)
次章、乞うご期待。
あと、前書きでも触れましたが、活動報告にて書籍版の新情報を公開いたしました。
カバーイラスト、書き下ろしエピソードについてなどなど。ぜひご覧ください。




