132:閉会式②
「事前にいろいろにおわせちまったからなあ、ドタキャンされたらどうしようって心配だったよ。さすがは地上最強の統治者御両人、逃げずに出てきてくれて感謝だね」
「僕らの在否にかかわらず、あなたは行動を起こしたはずだ。あなたが僕の思ったとおりの人物だったとしたら」
「いやー、俺たちドッキドキの初対面じゃね? 初めましてじゃね?」
「だから、あなたが出てくるまでは中止にさせなかったんですよ。ニッポリ市の二の舞だけは避けたかったんでね。今思えばあのときも、あなたが関与していたはずだ」
「はて、なんのことでしょう? そんな昔の話は知らないなあ」
ススヤマ(仮)と都知事の、噛み合いの悪い不穏な会話。それを一歩引いて無言で眺める教祖。
そんな異様な光景をよそに、会場のざわめきは本日のピークを迎えている。
闘技場の地下から突然現れた謎の闖入者(一部の市民はスガモ市長の秘書だと知っているだろうが)。その男からの閉会式の開始宣言。
すぐ目の前にいる愁でさえ、もはや理解の追いつかないような事態だ。それを目の当たりにした観客が、言葉を失い、狼狽し、怯えるのも当然だろう。
――と思いきや。
「てめえ誰だコラー!」
「ススヤマー! なにふざけてやがんだハゲー!」
「勝手に仕切ってんじゃねー!」
「引っ込めボケー!」
そこかしこから飛んでくる野次。さすがはダンジョンとモンスターが実在する世界の住人、勇ましい。
ススヤマは客席を見回し、うんざりした風に肩をすくめてみせる。
『まあまあ、俺だってお呼びじゃないのはわかってるって。ちょっとだけお話しさせてくださいな、賢明なるスガモ市民の皆々様』
愁はというと、その隣に立つトロコを注視している。運営スタッフと同じジャージを着ているが、もしかして変装のつもりだろうか。まぎれこみかたがベタな気もするが、意外と有効だったということか。
ハグミを狙い、ノアたちを襲撃したススヤマ(仮)。イベントの裏で暗躍していた謎の男とこの娘がつながっているということは、やはりリクギメトロでの一件も今日という日につながっていると見るべきか。
人為的なバフォメットコロニーの発生。〝眷属化〟された成長個体の創出。裏で糸を引いていたのがこの男だとしたら――そう考えて、背中を冷たい汗が伝う。
(もしかして)
(まさか)
(――魔人?)
『あ、そうだ。自己紹介がまだだっt――』
ギィンッ! ギュィンッ!
ススヤマの頭部付近で白い火花が散る。【障壁】ではじかれたもの――菌糸弾がぼとぼとと砂の上に落ちる。
『……おいおい、人がまだしゃべってる途中でしょうがー! 豆鉄砲しか撃てねえチンカスどもは引っ込んでろや! なあ、都知事閣下?』
すっと都知事が手を挙げる。客席にいる〝狙撃士〟への合図だろう。
『合図するまで手出し無用と言ったはずだよ。人質に当たったらどうする』
(人質?)
愁もすぐにその存在に気づく。【感知胞子】がこの目に映らない輪郭を捉えている。
にやりとしたススヤマが、拡声器を持った左腕をふわっと振るった瞬間、ざわめきが一斉に息を呑む音に変わる。
ススヤマの右手が、キャリーバッグでも引きずるように、ぐったりとうなだれた男の襟首を掴んでいる。小柄でやや小太り、身なりのいい青年だ。
その隣のトロコも、腕に小さな少女を抱え、ナイフを首元に突きつけている。「ハグミっ!」とどこからか悲痛にさけぶ市長の声が聞こえてくる。
あくまで視覚的には、なにもないところから突然現れたように見えた。おそらく【透明】の菌能だ、文字どおり胞子をまとわせて透明化させる能力(実際に見るのは初めてだが)。
『いやいや、こっちの希望はあくまで対話だからね。さっきみたいにチクチク邪魔されないように、やんごとなき御二方にご同伴いただいたわけですわ。イケブクロトライブの族長マルガメ・ドンタ氏と、スガモ市長のご息女ハグミお嬢様です。ああ、二人ともぐっすり眠ってるだけだから安心してね。今のところは』
このために人質としてあの子を狙ったのか。わざわざ【透明】で隠していたところにも下劣さを覚えずにはいられない。
『さて、自己紹介の途中だったね。俺は〝越境旅団〟という組織で団長をやっとります、「団長」って呼んでね。ちなみに、わけあって今はスガモ市長秘書のススヤマさんの顔を借りてるけど、俺はススヤマさん本人じゃないからね。本人は今頃どっかで寝てんじゃない?』
〝越境旅団〟――以前シモヤナギが口にした名前だ。
『〝越境旅団〟ってみなさん、噂くらいは聞いたことあるんじゃないかな? いわゆる都市伝説の一つさ、ちょっぴりマイナーだけどね。この国を覆う壁の向こう側に行きたくて、三大禁忌を唱える政府や教団に対してこっそり破壊活動したりするっていうテロリスト集団……まあ実態はちょびっと違うんだけど、そこはあとで説明させてもらうから』
ざわめきがくぐもったどよめきへと変わっていく。
『組織の起源は八年前。創設メンバーはアサクサ市の元狩人の男と、彼を慕うとある自由民の集落の子ども九人だった。俺の隣にいるトロコちゃんも、なにを隠そうその一人だ。ああ、元狩人の男は俺じゃないけどね』
紹介されたトロコは、団長のほうを振り返るでもなく、周りを囲む観衆の目を気にするでもなく、ただじっと都知事を、あるいはその後ろにいる教祖を睨め上げている。
『実は彼ら、最初はその集団に名前なんてつけてなかった。〝越境旅団〟を名乗るようになったのはおよそ三年前、「実録シン・トーキョーの闇」とかいうトンデモ本が出版されてからだ』
なんの話だ、と野次が飛ぶ。だがそれに続く者はいない。団長は咳払いをして続ける。
『そこに書いてあったのが、さっき話した〝越境旅団〟という組織の都市伝説。それはまるっきり眉唾ではあったものの、人知れず粛清されたというエピソードは、実際に起こったある事件を基にしていた。そう、つまり創設メンバーの彼らこそがその事件の当事者であり、〝越境旅団〟という幻のテロリスト集団のモデルになったのさ』
会場の空気が変わりつつあるのを感じてか、周囲を見渡して満足げにほくそ笑むススヤマ改め団長。
『事件の舞台となったのは、シン・トーキョーの東端にあった自由民の集落、ヒキフネ村。彼らの故郷であり――八年前の凄惨極まる公権力の粛清により、誰にも知られることなくこの国から姿を消した悲劇の村。ここにいる彼女は、彼らは、その生き残りだ』
鈍く押し殺されていたどよめきが、再びざわざわとした喧騒に変わる。
『俺は一年ほど前に彼らに協力を要請されて加わった、いわば雇われ団長みたいな感じでね。彼女らの境遇を不憫に思って協力を買って出たのさ。家族を、同胞をむごたらしく殺戮し、あまつさえその事実を隠蔽したやつらに一矢報いるために。その首謀者が今、この会場にいる。俺たちの目の前にいる』
団長が隣のトロコの口に拡声器を近づける。トロコは少し間を置いたあと――手にしたナイフを前に向け、切っ先で指し示す。
『……あなたの指示なんでしょ? 私たちの村を襲ったのは』
***
壁はシン・トーキョーの全周を囲っている。
高さや厚さは箇所によりまちまちではあるが、最低でも高さ五百メートル以上、厚さ百メートル以上はあると言われている。
コンクリートに似た質感の、無骨な灰褐色の構造体。それは人の手による建造物ではない。百年前の〝東京審判〟の際、〝メトロの氾濫〟や大規模な陸地の変動と同様、人智を超えたナニカによってもたらされたものの一つだ。
大異変から百年後の現在も、メトロの構造変化や新規メトロの誕生などが起こっているのと同じように、壁もまたじりじりと人知れず変動と拡張を続けているという。
国の中枢を担う都庁政府とメトロ教団の両巨頭は、「壁への接触と干渉」を全国民の侵すべからざる禁忌と定めた。具体的には壁の周囲五百メートル以内への立ち入りと居住の禁止、そして壁への直接的な接触――調査、損壊、登壁など。
禁忌と謳ってはいるが、実際にはそれを監視する人員は全体でも数えるほどしかいないし、最も重罪となる直接的接触においても処刑までには至らない。
にもかかわらず、それらを犯そうという者はごく少数だ(どのような動機であってもだ)。
その理由はたった一つ――〝糸繰りの民〟は、あるいは体内に胞子嚢を持つあらゆる動物は、壁のそばには近づけないようにできているからだ。
個人差(個体差、種族差)はあるが、おおよそ五百メートル圏内に入ったとたん、明確な体調不良――吐き気や悪寒、倦怠感や全身痛などが発生する。その症状は壁までの距離が縮まるにつれて急速に悪化していき、場合によっては死に至ることもある。
これは体内の菌糸や胞子嚢が機能不全に陥ることが原因とされている。だが、「なぜ壁に近づくとそういった症状が現れるのか」については未だに解明されていない。「なんらかの特殊な電磁波が発せられている」「肉体に影響を及ぼすほど本能レベルで植えつけられた心理的暗示」などさまざまな説が唱えられているが、いずれも確証に至ってはいない。
また、これは上空でも作用する。つまり鳥や昆虫は飛んで壁を越えることができないのだ(国内の飛翔動物は壁外への渡りを行なわずに季節の移り変わりをすごすことになる)。人間にしても同様で、〝魔人戦争〟以前には気球などの飛行手段で無理に越えようとする者も何人かいたのだが――少なくとも、壁内に戻ってきた者や無事を知らせた者はいなかった。
ともあれ、国家権力が警告を与えずとも、壁はこの国の生き物にとって最初から触れることのできない禁忌だったのだ。
しかし――例外も存在する。
ごく一部、壁の付近でも大きな影響を受けずに生息している生物がいたのだ。
そのほとんどが国中に広く分布しているありふれた種であり、他の地域で生まれた個体には同様の性質は見られなかった。壁付近の地域で生まれた個体群のみが、遺伝的素養や生まれ育った環境への適応力などを要因に「壁への耐性」を獲得していたのだ。
耐性持ちは繁殖と成長のサイクルの早い昆虫や小動物の類がほとんどだったが、中・大型の獣のケースもわずかながら確認された。そして――人間にも。
立入禁止区域の境界付近に慎ましい住居を並べる集落、ヒキフネ村。
そこにひっそりと暮らす自由民は、全員が壁の近くでも活動可能な耐性持ちの集団だった。
都庁政府とメトロ教団が彼らの存在を確認したのは、トーキョー暦91年のことだった。
もっと以前から壁付近全域の調査自体は行なわれていたが、そこは深い樹海の奥に潜む隠れ里のようになっていたために発見が遅れたのだ。
両組織は彼らの存在を世間に秘匿したまま、極秘のうちに調査と監視を行なうことにした。
村人たちは、監視者が長時間留まることのできない場所でも平然と生活し、変わりなく狩猟や採集を行なっていた。それまでの常識では考えられない事象だった。
直接的なコンタクトをとってみたが、彼らは外の人間と関わることを疎み、モノや金で釣ることもできなかった。周囲の土地やほど近い場所にあるメトロの恵みを頼りにささやかな生活を送り、それ以上のものは望まなかった。そこは完全に閉ざされた世界であり、彼らのみで完結した世界だった。
監視を始めて五年ほど経った頃、集落内で世代が進むにつれて、壁への耐性が若干強くなっている傾向が判明した。子どもたちは競うように壁に近づき、その距離の縮まりを大人たちに見せびらかそうとさえしていた。
この報告を受けた両組織は、ほぼ同時期にそれぞれ行動を開始した。
都庁政府は、より内地への移住を提案した。より豊かな生活の保証もつけて。
メトロ教団は、彼らに教義を説き、「メトロの祝福を受けた者」として手厚く迎え入れようとした。
当然、村人たちはどちらの提案も拒絶した。先祖代々生まれ育ったこの地を離れることはできない、頼むから放っておいてほしいと。
そもそも壁への接近を禁忌とするトーキョー法は、戸籍を持たない彼らからすれば「遠いところで勝手に決められたルール」だった。あるいはそのルールや思想が「国民の安全と生命の保護」のためにあるのだとしても、他の誰よりも壁の影響を受けにくい彼らにとっては無用な心配にすぎなかった。
それでもそれを、頑ななまでに押しつけられることに、彼らは不快に思う以上に訝しんだ。
これ以上壁に近づくということが、果たして御上にとってどのような不都合をもたらすのかと。
協議は平行線のまま続いていき、どちらも譲ることはなかった。
両組織とも強硬な手段で立ち退きを実行することをほのめかしたりもしたが、それでも村人たちは折れなかった。強気でいられたのは地の利、ある意味「壁に守られている」という自負もあればこそだった。
そして、迎えたトーキョー暦99年、十二月。
その日、音もなくするりと村に入り込んできたその集団は、雪のように真っ白な装束をまとっていた。
サーセン!!!
次回こそ、次回こそ「御前試合編」完結!!!




