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131:閉会式①

「…………きて! 起きてください! 先輩!」


 首がもげそうなほど揺さぶられている。「……んが……なんだ……」とギランはむにゃむにゃと悪態をつく。せっかくキヨミを「もう少しで今日の下着の色が判明するところ」まで追いつめたところなのだ。こちらはこちらで肉球野球拳は絶望的に弱く、あと一度負ければもう毛皮でも脱ぐしかないという状況だが。


「…………違う!」


 がばっと起き上がってぶぶるっと頭を振る。よだれが周囲に飛び散るが気にする余裕はない。


(眠っていた?)

(いつの間に?)


「おのれ、キヨミ……」

「先輩?」

「いや、なんでもない……」


 夢に興じている場合ではなかった。今は御前試合の真っ最中で、しかも隣には護衛すべき王が――。


「…………どこだ」


 一瞬にして身体中の血が凍りつく。


「へ?」

「王はどこだ!」


 ギランを起こそうとしていた護衛の後輩――タノウエ・トマトに食ってかかる。大柄でぬぼっとした風体の彼は、糸目をこれでもかと見開いて首を振る。


「俺が起きたときには、もう……」

「……なんだと……」


 がらんとした控室が静まり返る。先ほどまでそこに腰かけていたはずの王・ドンタの姿はない。


「俺は、どれくらい眠っていた!?」


 意識を失う前の記憶が曖昧だ。アオモト・リンとの試合後、ここで王や後輩らと歓談していた。最終試合までには席に戻らないと、などと話していた……思い出せるのはそこまでだ。


「わかりません。俺もさっき起きたばっかで、彼に起こしてもらって……」


 トマトの視線の先には、運営スタッフらしき青年がおどおどとした表情で立ち尽くしている。先ほどのギランの怒声でビビってしまったようだ。


「あの……もうすぐ閉会式なんですけど、イケブクロトライブの方々が戻ってきてないって、だから僕が迎えに……そしたらお二人が眠ってて……」

「トマト、さがしに行くぞ!」


 と立ち上がった拍子に、テーブルに足をぶつける。テーブルの上の焼きそばと焼きもろこしの紙皿が突き上げられてガタンと揺れる。すでに冷めているようだ。


 それを目にしたとたん、朧げだった記憶が甦ってくる。


「……スイカ、スイカだ!」


 もう一人の護衛、ミズタニ・スイカだ。

 焼きそばと焼きもろこしを買って戻ってきて、ギランがそれを受けとった。

 ドンタの前に並べようとスイカに背を向けた、その直後。

 後ろからてのひらで口と鼻をふさがれた。

 そして、振りほどくより先に、意識が――。


(なんらかの菌能だ)

(それで眠らされた)


「そうだ……」トマトも青ざめている。「俺もやられました、あいつに……」


(俺たちを眠らせたあと)

(王をどこかへと連れ去ったのか)


「……なんたる失態……!」


 牙を噛みしめる歯茎に血がにじむ。自身への憤りで全身の毛が天を衝きそうだ。


(【毒耐性】持ちの俺を)

(一瞬で昏倒させたか)


 しかも夢を見るほど深く(その内容もひどくアレだった)。強い幻惑効果を含んだ催眠能力だ。

 おそらく単なる塵術の【催眠】とは違う、それよりもっと強力な菌能だ。〝騎士〟のスイカがそんな能力を持っていたとは信じがたい。


 仮にこれまでずっとひた隠しにしてきたのだとして――スイカが王を拉致する目的はなんだ。

 個人的怨恨、他勢力への加担、あるいは旧政権の復讐……。


(……今はそれを考えている場合ではないか)


 スイカがそのような後ろ暗い謀略に加担するような人間とはどうしても信じがたいが、王自身には誘拐されるに足る理由がありすぎる。どのみち二人をさがし出せばはっきりすることだ。


「追うぞ、トマト」

「は、はいっ!」


 戸惑うスタッフをよそに、二人はドアを蹴破るようにして部屋を出る。


 伊達に何十年も狼男をやっていない。それなしでも鼻に馴染んだ王のにおいを追うことはそう難しくないし、嗅覚強化の【嗅鼻】も持っている。地の果てまでも追いかけてやる。


 そう意気込んで走りだした、ギランのその足が、十数メートルも進まないうちにぴたりと止まる。


「……先輩?」

「……トマト、あいつが――スイカが言っていたこと、憶えているか?」


 走りだしたのと同時に、ふと脳裏をよぎった一つの疑問――どうしてやつは、自分たちを殺さなかったのか?

 くだらない夢に耽るほど深く眠らされていたのだ。それは造作もないことだったはずだ。それなのに。


 ――お前らは生かしといてやるよ。


 ギランが意識を失う寸前、スイカの声は耳元でこうささやいた。


 ――()()()()()()()()()()()()()()()


(あいつは)

(誰だ?)

 

 

    ***

 

 

 閉会式の直前だというのに、会場はざわざわというかどよどよというか、なんとも言いようのない雰囲気に包まれている。


 先ほどノアたちが襲われた一件は一般客には公表されていない。それでも、予定の時間をすぎても閉会式が始まらないことや、裏側で慌ただしく走り回る運営スタッフや警備係の姿もあって、会場のあちこちから「なにかが起こっているのでは」という不穏な空気がじわりとにじみだし、霧のように立ち込めているのだ。


 その中心で、司会の男と並んで手持ち無沙汰に突っ立っている愁としては、若干というか非常にいたたまれない。


「あの……すいません、アベ選手。もうしばらくお待ちを……」

「あ、はい……」


 司会者のほうも気まずそうだ。三十代後半くらいの天然パーマのおっさんだが、言葉どおり申し訳なさそうに平身低頭している。


 愁は「本日の出場選手の代表」として閉会式に参加し、都知事閣下から目録と猊下から「ありがたいお言葉」を頂戴することになっている。夜も更けてきてもうすぐ午後十時、時間も押しているということで一足先に(特にアナウンスなどもなくぬるっと)入場させられた愁だが、こんなことなら舞台袖でスタンバイさせてもらえばよかった。


(つーか)

(こんなことしてる場合なんかね)


 ぜひにとスタッフらに連れてこられた愁だが、本当ならタミコたちのところについていてやりたい。もしくはハグミやススヤマ(仮)? (偽)? の捜索に加わりたい。


 あの男が、当初警戒していたリクギメトロのやつらとつながっているのかどうかは不明だ。とはいえ――ほんの少し交戦しただけだが、あの男が普通の狩人ではないことくらいは愁にもわかっている。


 そんな得体の知れない悪漢が行方も知れないまま、今もどこかでなにかを企てている、のかもしれない。


 絶対に中止にさせない――そう御上からのお達しだとアオモトは言っていた。

 だが、実際に事件は起こり、死人まで出ているのだ。このまま呑気にこのイベントを続けることに、果たしてどこまで意味があるのだろうか。


(お偉いさんのメンツとか?)

(まあ、国家と国教のトップ二人だしなあ)


 ここは以前の平和な日本とは違う。国民にとっての揺るぎない拠りどころとして、多少のリスクを背負ってでも毅然とした態度を選ぶべきときもあるのかもしれない。


 だが、状況はすでに、かなり異様なところまで進んでいる気がする。

 あるいはもはや、引き返せないところまで――。


(だとしたら)


 それを見越した上で、続行という判断なのだとしたら?


 と、会場のざわめきが大きくなる。


「んほっ!」


 司会者の素っ頓狂な声につられて、愁も見上げる。


「……マジかよ……」


 ――都知事と教祖が、空中を歩いている。


 まるで散歩でもするような足どりで、東側上段の貴賓席から客席をまたぐように。


 頭上を仰ぐ観客は口をあんぐりと開け、貴賓席側にとり残された護衛らしき黒服や僧服の人たちはオタオタしている。


『あっ、はいっ! 都知事閣下並びに深皇猊下のご入場です! 皆様、拍手でお出迎えを! あっ、閉会式を今から行いますはいっ!』


 段取りと違ったようで慌てふためく司会者。戸惑っていた観客からゆっくりと拍手が起こる。


 月明かりか、あるいは照明の明かりか、都知事の歩く道がキラリと光を反射するのが見える。


(……糸だ)


 てっきり空中に浮いているのかと思いきや、細い糸の上を歩いているようだ。先頭を歩く都知事の能力だろうか。


 【感知胞子】で確認すると、糸の橋は虹のように緩やかに弧を描いて闘技場に到達している。その道をたどり、都知事と教祖が闘技場に降り立つ。


 すっ、と都知事が手を挙げると、いっそう大きくなっていた拍手と歓声がぴたりと止む。


「……ありがとう、もういいよ」

「へ?」


 そう司会者に声をかけたのは都知事だ。


「あとは僕たちで進めるから、下がってくれないか? ああ、その拡声器は僕に貸してくれ」

「え、あ? その……」

「下がりたまえ」


 続けて教祖にもそう命じられ、司会者は真っ白な顔で拡声キノコのついたメガホンを手渡す。そのまま振り返ることなくドタドタと入場口のほうへ退場していく。


 がらんとした闘技場の中心に残ったのは、都知事と教祖、そして愁だ。


「……はい?」

 

 

    ***

 

 

 シン・トーキョーの礎を築いた二人の英雄。旧文明から百年を生きる伝説の〝糸繰士〟。

 都知事ネムロガワ・チュウタと、メトロ教団教祖ショーモン。


 思いがけずこんな形で実現した、同じ世界を生きた人々との再会。


 だが――気まずい。

 見知らぬ司会者のおっさんと二人ぼっちより百倍くらい気まずい。


 進行役もいなくなってしまって、ここから閉会式はどう進んでいくのか。混乱と緊張で、愁はその場でもじもじと足踏みするほかない。


「どうも、アベ選手。初めまして」


 都知事がにこやかに話しかけてくる。愁は思わずびくっとする。


「えっ? あ、はい、どうも……」


 もっとかしこまった「ご機嫌麗しゅう」みたいな挨拶ができればよかったが、そんなものは平成の義務教育でも社員研修でも習わなかった。


「そんな緊張することありませんよ。シン・トーキョー都知事、ネムロガワ・チュウタです。お見知り置きを」


 握手を求められ、すぐに応じる。子どもらしい、というか子どもそのものの小さな手だ。柔らかくてちょっぴり体温が高い。


「あ、はい……スガモのアベ・シュウです、光栄です……」


 というか、相手が蝶ネクタイつき七五三ルックの少年というのも戸惑いの一因だったりする。見た目十歳児にしてフォーマルで落ち着いた口調なので、ウツキとはまた別種のアンバランス感だ。どこぞの名探偵とでも思って接すればいいのだろうか。せやかて工藤。

「先ほどの試合、お見事でした。いくらなんでもルーキーがあのおてんば娘を破るなんて、想像もしていませんでしたよ」

「きょ、恐縮っす……」


 これはなんの時間なのだろう。雑談タイムというやつだろうか。観衆の目が一点に注がれている真っ最中なのに。


 教祖はというと、一歩引いたところに佇んだまま、険しい目つきで愁をじっと見つめている。フレンドリーさはかけらもない、まるで出店の商品を値踏みするような目だ。開会式のときもそんな雰囲気だった気がする。


 都知事とは対照的に、こうして近づいてみるとかなり背が高い。おそらく百九十センチはありそうだ。長髪のヒゲ面、細身で背筋はぴんと伸び、身にまとうのは白いローブ。首にかかっているネックレスは教団のシンボルマーク――目玉の上にM字のような二つの山が重なった若干見憶えのある感じのマークだ――をかたどっている。


「……閣下、いかがなさいますか?」


 初めて教祖が口を開いたと思ったら、かなりかしこまった口調だ。


「……ああ、うん。そうだね」


 都知事のほうはそっけない返事。両者ははほぼ対等の権力を持つと聞いていたが、実際の関係は異なるのだろうか。


「というわけで、アベさん。そろそろ始めようと思いますが、一緒に立ち会ってもらえますか?」

「へ?」


 奇妙な言い回しだ。立ち会う?


「司会の彼はともかく、あなたにそこにいてもらえると心強いですから」

「はあ、はい……」


 なにが心強いのか、愁にはわからない。そして――なぜ自分にだけさんづけや丁寧語なのかも。

 都知事は一つ咳払いをして、拡声器を口に近づける。


『えー、さて……お待たせしました、それでは幕引きとしましょう』


 幕引き。また言葉のチョイスがアレだが、観客はニュアンスとしては閉会式の開始と捉えたらしく、もう一度拍手が起こる。


 と、都知事が軽く腕を広げ、薄く目を閉じる。その姿勢のままぴたりと静止する。


 観客が再びざわつきだすより先に、愁はその行為の意味に気づく。


(これも糸か)


 ごく近くでも肉眼では見えないほど細い糸が、都知事のてのひらから水流のようにあふれている。愁の【感知胞子】は、その糸が地面を這い伝わり、四方へさらさらと広がっていくのを捉えている。


(糸で感知? してんのか)


 それが愁の足に絡みつく。軽く足を上げただけで感触もなく切れるが、すぐに別の糸と絡み合うようにして再接続される。ちょっぴりホラーな感じだが、足首までしか上ってこないのが幸いか。


「ご名答」と都知事。「糸から伝わる触覚と振動で周辺を探知しています。あなたやネリマのモスラババアの感知系塵術のように戦闘に応用するにはスピードが足らないし、燃費も結構悪かったりするんですけど、その分広域を詳細に探知することが可能です」

「はあ……あれ、俺なにも言ってないですよね?」

「いえ、そんな風に思っているのかなと伝わってきたんで」


 ご名答の上に【感知胞子】の存在まで確信されている。そして「ネリマのモスラババア」なる未知のフレーズが飛び出してきたが、なんとなく反応したらまずい気がして今はスルーしておく。


 都知事の肩がぴくりと動く。目を開き、ふうっと息をつき、埃でも払うように軽く腕を振る。彼とつながっていた糸が途切れ、瞬く間に切れ切れの塵に還っていく。


「……メトロ、いや地下か。悪党はジメジメした場所に隠れるのが好きなんですかね」


 次の瞬間、愁の全身がぞわりと粟立つ。

 都知事の横顔は、先ほどまでの穏やかさを捨て、子どものそれとは思えない凶悪なまでの殺気を帯びている。


「――そこにいるのはわかってる。出てこい」


 リングの砂地に向けて、冷たい声音を投げつける。


 ずずん、と足下が小さく揺れたかと思うと、愁たちの十数メートル先に窪みが生じる。ずずず……と渦潮に巻き込まれるように砂が地面に沈んでいき――ボンッ! と砂が爆ぜ、まるでクジラの潮吹きのように跳ね上がる。


 ぱらぱらと雨のように降り落ちる砂から頭を庇いながら、愁は目を凝らす。


「――……くあーっ、ぺっ、ぺっ!」


 ぽっかりと空いた穴から悪態がこぼれてくる。砂を掴むようにして、そこからよじ登ってくる人影がある。


「あーちくしょう、せっかく激アツな登場演出考えてやったってのに! これだから空気読めねえチビっこはよぉ!」


 モグラのようにのそりと姿を現したのは、あのススヤマ(仮)と、見憶えのある小柄な少女――トロコだ。


 唖然とする愁や満員の観衆を見渡し、ススヤマはにやりと笑う。手にした拡声器を口に当てる。


『あー、テステス、本日は晴天なり……はい! つーわけで、閉会式を始めます! みなさん拍手、パチパチパチー!』


昨日、3/16で「迷宮メトロ」は一周年を迎えました。

皆様のご声援のおかげでここまで続けてこれ、また書籍化も達成できました。

改めて感謝申し上げます。


ほんとは昨日更新したかったけど、書籍化作業で一日遅れちゃいました。サーセン。


「御前試合編」、次で完結……の予定……。終わるかな?


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― 新着の感想 ―
[一言] そういや菌玉抜かれた回の感想欄に 「僕の玉は2つある!!」(スクライド漫画版より) って書くの忘れてたから今書きますね。
[気になる点] リス成分が足りない [一言] 割烹見て補充 1周年おめでとうございます^_^
[良い点] 都知事とメトロ教団深皇が出てくる閉会式が敵の選んだ大舞台。 既に拐われていると思しきイケブクロの王、都知事の娘。そして狙われたイケブクロ重要関係者ノア。 敵の狙いやいかに。 いつもの如く鉄…
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