130:激高
タミコのラフ絵公開!
(詳細は後書きにて)
「……くく、きひひ……」
右腕を落とされたススヤマは、痛みを顔に出すそぶりもなく、小刻みに震えるように笑っている。
対峙するカン・ヨシツネは【不壊刀】を構えたまま、相手の出方を窺うように動かない。
ノアはその足下で這いつくばり、ボロボロのタミコとウツキを引き寄せて廊下の隅に移動しようとする。巻き添えを食わないように。
「一足先に来ちゃいましたけど――」とヨシツネ。「すぐに応援が来ますよ。あなたがどこの誰かは知らないけど、もう終わりです」
「……瓢箪から駒、いや棚からぼた餅ってやつか? ゲームはこうでなきゃ面白くねえ」
(ダメだ)
(この人がいくら強くても)
ヨシツネの強さは、ノアも今日の試合で目の当たりにしている。レベル57とはいえ、そんじょそこらの達人級では束になっても敵わないほどの猛者だとわかっている。
それでも――相手が悪すぎる。
このススヤマの姿形をした男は、そんな次元の相手ではない。
あのオウジで出会った魔人と同じくらい禍々しい、その身に底知れない闇を湛えたナニカだ。
ススヤマが左手を横に伸ばし、しゅるしゅると【戦刀】を生み出す。
「試合見てたぜ。お前、トウゴウの弟子だろ?」
「ご明察です。このままおしゃべりするなら付き合いますけど」
「そうだな、あと何十秒かね……それまでに、ちょびっと味見させてくれや。当代一の剣技ってやつをよ」
「気を……つけて……」
絞り出したノアの声に、ヨシツネはなんの反応も見せない。
その背中は刃物のように研ぎ澄まされている。全身全霊を目の前の相手に注ぎ込んでいる。
「時間が惜しいのはこっちだしな、俺のほうから――」
ススヤマの言葉の途中でヨシツネの背中が消え、ノアが気づいたときには刀の間合いまで詰めている。まるで空間を飛び越えたかのように。
「――――!」
だがススヤマはかろうじて反応している。小さく振りかぶった【戦刀】を繰り出している。
ギャリリッ! とこすれ合うような衝突音が廊下の壁を震わせる。
その瞬間の打ち合いはノアの目には留まらない。ただ二人の周囲に白と黒の稲妻が迸ったように見えただけだ。
そして、退いたのは――ススヤマのほうだ。
はじかれたように大きく飛び退き、またしても足の裏で床を滑る。
「……ひひ、ひひひ……それがてめえの本気か……」
「はい、本気でやらせてもらいました」
ふうー、とヨシツネは重たげな息を吐き出し、【不壊刀】に付着した血をひゅんっと払う。
ススヤマが立っていた場所には血溜まりができている。そこに置き去りにされているものがある――【戦刀】を握ったままの左腕だ。
「ひひ……ひゃっひゃっひゃっ! こいつは傑作だなぁ!」
両腕の断面から容赦なく血がこぼれ落ちている。
「ザコレベルのくせしてどんだけデタラメだよ! 刀馬鹿のタテガミやリュウザキが生きてたら、さぞかし鳩が鉛玉だったろうぜ!」
それでもススヤマは笑っている。おかしくてしかたないといった風に、狂気に冒されたかのように。
「タテガミ、リュウザキ……まるで伝説の〝糸繰士〟を知っているみたいな口ぶりですね」
「認めてやらあ。てめえは当代一どころか、シン・トーキョー史上最強の剣術使いだ……あくまで剣術だけだけどな」
「晴れて〝腕落ち〟デビューしといて、どこにそんな余裕があるんですか?」
「余裕? そうだな――そこに落ちてんよ」
次の瞬間、ヨシツネの背中がびくっと震える。
「うぁあっ!」
苦悶のうめきとともに前のめりに崩れかかる。左手で腹のあたりを押さえるが、そこから大量の血がこぼれる。ノアの角度からではなにが起こっているのか見えない。
「くぁあっ!」
ぶんっと右手で【不壊刀】を振るう。それをかいくぐったススヤマの左手が、宙を舞って本体へと吸い寄せられていく。
二つの断面がぴたりと接着し、元通りになった腕をススヤマは掲げる。ぬらぬらと血で煌めくその指には、ほんの小さな肉片のようなものが摘まれている。
「――はい! 胞子嚢、とったどー!」
(胞子嚢を)
人体の場合、臍と性器のちょうど中間くらいに横幅十センチほどの間隔を空けて胞子嚢がある。
さっき切り離された左腕が、蛇のようにひとりでにヨシツネの下腹部に食らいつき、胞子嚢をえぐり出したのだ。
引き寄せられた左腕と、か細い糸でつながっていたように見えた。糸電話のように。あの糸で欠損した肉体を遠隔操作したのか。
(そんな菌能)
(聞いたことない)
だとしたらあの男は、わざと左腕を断たせたのか。その隙を生じさせるために。
ヨシツネは片膝をついている。【不壊刀】を床に突き刺し、かろうじて倒れ伏すのを耐えている。
「あーあーわかるぜ、死ぬほどいてえよなあ」
ススヤマは宝石でも眺めるように手の中でそれを弄ぶ。
「まあ、片っぽだけなら死にゃあしねえよ。片タマはむしろ戦う男の勲章だぜ? ひゃははっ!」
べろん、と舌を出し、それを載せる。舌を巻くようにして口に含み、ごくりと飲み下す。
「てめえのその棒っ切れ、わりいけどオンリーワンじゃなくなっちまったぜ! ひゃはは、ははははっ! これであいつに勝てる!」
ヨシツネはそれでも立とうとしている。血だけでなく大量の汗も床にぼたぼたと垂れ落ちている。
生きたまま胞子嚢を摘出されるのは地獄の苦しみだと、ノアも聞いたことがある。それが事実なら、もはや戦うどころではないだろう。それでもまだ屈さずの姿勢を貫いている精神力がすごい。
かたや、両腕を失っても謎の力でくっつけ、片腕を失ったままでも痛がるそぶりなくはしゃぐススヤマ。もはや人間とは思えない。
「おっ? まだやるかい? 時間もねえけど、いっそお前をぶっ殺して俺のオンリーワンにしちゃおうかな? きひひ、ひゃははっ!」
(このままじゃ)
ヨシツネが殺される。
ノアは腕に力をこめる。立ち上がろうとする。
だが、腕が上体を支えられない。足が言うことを聞かない。
(あの男の言うとおりだ)
仮に立てたとして、彼を救えるだろうか。あの悪魔のような男の手から。
そんな力は自分にない。藪蛇をして自分の命を危険に晒す意味があるだろうか。
子どもの頃から教わってきた。狩人たる者、なにより自身の命を最優先に守るべきであると。ひいてはそれが全体の利益につながるものなのだと。
(違う)
(あの人なら――)
それでもあの人なら、きっと立ち上がる。立ち向かう。
どんな苦境でも、どんな強敵でも。
自分のためだけでなく、誰かのために戦える。
それが本当の狩人の姿だと教えてくれた。
肘をつき、顔を上げた、そのとき――。
ノアの目からぶわっと涙があふれる。
「俺に新たな力をくれた恩人よ、せめてひと思いに――ん?」
ヨシツネに歩み寄る、その足が止まる。ススヤマが半身で振り返る。
「――シュウさんっ!」
そこにアベ・シュウが立っている。
***
「あっちゃー……このタイミングでお前かよ」
振り返ってそう言ったのは市長の秘書、イケオジのススヤマだ。右腕がなく、左手に【戦刀】を握っている。
その向かいで膝をついているのは、カン・ヨシツネ。腹のあたりを負傷しているようだ。
さらにその後ろで床に這いつくばっているのは、ボロボロ血まみれのノア。彼女のそばに倒れるタミコとウツキ。
愁がそれらを一つの視界に捉えた瞬間――血が沸騰する。目から火花が飛び散る。
借りもののジャージの背中がはじけ、四本の菌糸腕が伸びる。
「がぁあああああああっ!!」
怒り狂う獣のように、愁は床を蹴る。
ススヤマの顔面めがけて繰り出した菌糸腕の拳が、空中で見えない壁に激突する。【障壁】か。
「おいおいっ! まずは話し合いだろ人間同士――」
「うっせえクソハゲぇっ!! 死ねっ!!」
力任せに叩きつけた【鉄拳】が【障壁】を突き破り、ススヤマの頬をかすめる。
カウンターとばかりに【戦刀】の切っ先が斜め下から伸びてくる。硬化した右拳でかち上げるようにはじき、そのねじりを利用して右の菌糸腕のアッパー×2。ズドンッとススヤマの腹と胸を捉え、「げぇっ!」と壁際にふっとばす。
「ちっ! 不毛なだけなんだよっ! てめえとやり合ってもなあっ!」
切断された右腕の断面が、銃口のように愁へと向けられる。
ずりゅっ! と生み出された無数の白い触手が愁へと絡みつく。これも菌能か。
【鉄拳】を握り拳から手刀に変え、【光刃】をまとって薙ぎ払う。切断された触手から粘っこい液体が振りまかれ、愁の頬や腕に触れたとたん、ジュウッ! と焼かれるような激痛が走る。まるで酸だ。
「――アベ氏!」
「シュウくん!」
声はアオモトとクレのものだ。他にも【感知胞子】の範囲内へ駆け寄ってくる輪郭がある。
「――タイムアップだな」
ドォンッ! と格子で保護された窓が吹き飛ぶ。ぷすぷすと焼け焦げた穴の先は、武道館の外へとつながっている。
「待てっ!」
愁が制止すると、そこに足をかけたススヤマが一瞬振り返る。にたりと笑い、「またな、後輩くん」、そうつぶやいて飛び降りる。
「――またなって言ったじゃねえかっ! 空気読めやっ!」
追いかけて飛び降りた愁。細く剣呑な三日月が、夏の夜空に躍り出た二人を照らす。
「うっせえっ! 逃さねえっ!」
菌糸腕から放たれた【白弾】がススヤマの肩をかすめ、脇腹をえぐり、鎖骨の下にめりこむ。「ぐっ!」と息を詰まらせたススヤマが苛立たしげに顔をしかめる。
菌糸の触手が迫る。それをあえて菌糸腕に絡ませ、全背筋をフル稼働して引き寄せる。同時に右手で【戦刀】を抜く。
「あぁあああっ!」
切っ先が真っ直ぐに走る。
同時に、愁へと向けたススヤマの左腕が、ぐにゅっとバネを縮めるように圧縮される。
「ザコがっ! 消えろっ!」
腕がはじきだされた瞬間。
ドゥンッ! と衝撃が愁の胸を貫き、身体ごと高く吹き飛ばされる。
「ぐふっ!」
(なんだ)
(今のは)
背中まで突き抜けるような衝撃。空気の大砲? 衝撃波?
【感知胞子】が武道館の壁を捉え、激突する寸前で菌糸腕で貼りつく。
口からにじむ血を拭いながら見下ろす。下には武道館に沿うように屋台が立ち並び、多数の市民がひしめいている。あちこちから悲鳴のような声、なにごとかと愁のほうを見上げている人もいる。
やつの姿は、見当たらない。
愁は奥歯が砕けるほどに噛みしめ、「がぁあああああっ!」と煮えたぎった怒りをおたけびに変えて夜空に放出する。
***
ススヤマが空けた穴から場内に戻ると、現場は駆けつけた警備やスタッフたちが慌ただしく動き回っている。
クレを伴って医務室に戻ると、ここも看護師や治療系能力者たちが忙しなく出入りしている。
手前側のベッドにノアが、その隣に置かれた台にタミコが寝かせられている。
「……シュウさん……」
ノアは頭に包帯を巻き、あちこちに絆創膏を貼られている。見るからに弱りきってはいるが、意識ははっきりしているようだ。愁を見上げ、目を潤ませている。
「ノア、もうだいじょぶだから」
頭にぽんと触れると、その手を握られ、頬に触れさせられる。体温が少し低いように感じられる。
「ごめんなさい……姐さんと、ウツキさんが……」
「ノアが謝ることじゃないっしょ。こっちこそ遅れてごめんな」
「こちらのカーバンクル族の方は大丈夫ですよ」
白衣をまとった〝導士〟らしき男性がそう言う。
「重傷でしたが、内臓の損傷も手足の骨折も【聖癒】で処置できる範囲でした。無事に終わりましたので、じきに目が覚めると思いますよ」
身体中の血糊を洗われ、小さく切った包帯を巻かれ、ヘソ天しているタミコ。言葉のとおり、しっかりした呼吸で腹を膨らませたり縮こまらせたりしている。愁はようやく胸につかえていた鉛のような息を吐き出すことができる。
「ありがとうございます……あっちの二人は?」
向こう側のベッドにはウツキとヨシツネ。スタッフが大勢囲んでいるのを見るに、こちらの二人より重傷のようだ。
「〝耳長人〟の女性のほうは、全身の刺傷と火傷、頭蓋骨の骨折。出血もかなり多いです。〝導士〟と医師が連携して治療に当たっていますが……予断は許さない状況です」
ハクオウがウツキに寄り添っている。すがるように手を握り、「お姉様、お姉様」と涙声で呼びかけ続けている。
「カン選手のほうは、胞子嚢を片方えぐりとられてしまったようです。こちらもすぐには回復しないでしょう」
「胞子嚢? マジすか?」
あの男にやられたのだろうが、なぜわざわざそんなことを。同種の胞子嚢はレベルアップやスキル習得には使用できないという話なのに。
「えっと、胞子嚢ってとられるとどうなるんすか?」
人間の場合、胞子嚢は下腹部にあるらしいが、幸いにして今まで一度もそのへんを負傷したことはない。
「生きたまま両方を破壊もしくは摘出された場合、ほぼ確実に死に至ります。それ自体が致命傷でなかったとしても、重篤な免疫不全を起こしたり、体内の菌糸における機能不全などのさまざまな症状が表れ、一週間ともたないと言われています」
「……片方の場合は?」
「両方でも片方でもそうですが、胞子嚢の破壊は人体における他のどんな苦痛より勝ると言われています。これは【苦痛軽減】などのスキルも及ばない、地獄の苦しみだとか。それがしばらく……短くても一週間以上は続くことになります」
想像してぞっとする。男なら別のタマで連想できてしまう。思わずひゅっと縮み上がる。
「ですが、片方の場合、適切な治療さえ行なえば致命的にはなりません。狩人の能力も、スタミナや回復力が多少減衰する例もありますが、大きく影響しないケースのほうが多いです。【自己再生】などの能力を持っていない人でも、時間が経てば再び体内につくられるケースもあるようです」
「そっすか……よかった……」
彼と交流があるわけではないが、タミコたちを助けてくれた恩人だ。命に関わるほどでなかったことが今はなによりだ。隣のクレも多少表情が和らいでいる。
いつしかタミコの寝息がぴゅーぴゅーといびきに変わっている。指でそっと腹を撫でると、その小さな手でぎゅっとしがみついてくる。その力強さに愁はほっとさせられる。
「ノア……なにがあったの?」
改めて尋ねてみる。
「あいつは……ススヤマさんを騙った偽者です。【偽顔】……もしくは体型まで真似できる偽装系スキルだと思います」
【偽顔】は柔菌糸のスキルで、いわば菌糸による特殊メークだ。肌の質感を再現した菌糸で顔や皮膚を覆い、別の人間になりすますことができる。
「ハグミちゃんを誘拐しに来たって、護衛の人たちを殺して……ボクらはあの子を逃して、そしたら襲いかかってきて……ボクら三人じゃまるで歯が立たなくて……」
端切れが悪く言いよどみ、うつむくノア。まだ混乱しているのだろうか。
愁はというと、閉会式のスタンバイということでこの医務室を出て、入場口のほうに向かう途中だった。にわかに周囲が慌ただしくなって、なにがあったのかと訊いたら「三階に賊」「お嬢様の友だちが」などの断片的な情報が漏れ聞こえてきて、制止するスタッフを振り切って駆けつけたのだ。
(ちくしょう)
(あのクソ野郎)
ススヤマの顔に貼りついた歪な笑みを思い出すと、腸が煮えくり返って汗ばむほどだ。
得体の知れない能力ばかり使ってきた。冷静さを欠いていたとはいえ、愁の【真阿修羅】の猛攻を見切っていたようにさえ思える。いったい何者だったというのか。
――と。
医務室にスガモ市長が駆け込んでくる。息切れして、ややぽっちゃり気味の身体を上下に揺すっている。かたわらにはノマグチ医師もいる。
「あ、アベさん!」
愁とノアを見つけて駆け寄ってくる。
「あまり詳しくは聞けていないんですが、娘と私の秘書が……いったいなにが……?」
「いや、えっと……俺らもまだ混乱してて――」
「アベ氏」
続いてひょこっと現れたのはアオモトだ。
「ここは私たちに任せてくれ。君は閉会式に」
「は? やるんすか閉会式?」
耳を疑う。誘拐未遂事件が起きて、重傷者だけでなく死者まで出ている。なのに催しを続行とは、いくら肝っ玉シン・トーキョーといえども無神経すぎる。
「賊のほうは引き続き追跡中だ。伯父さ……シモヤナギ氏やカラサワ氏に任せればいい」
「でも……」
「『なにがあろうとも閉会式までは絶対に中断しない』……それが閣下と猊下のご意向だ」
「は?」
「私も詳しくはわからないが……事前にそう通告があったんだ。先ほどの件もすでに報告済みだが、まだ中止の要請は来ていない」
「マジすか……」
アオモトの怪訝そうな表情を見るに、愁と同じ懸念を抱いているのだろう。
『なにがあろうとも』。言葉どおりなら、まるでこうなることを予期していたかのようだ。
「あの、それで……」
市長がおずおずと口を挟んでくる。
「……ハグミは? ハグミは今どこに……?」
きょろきょろとあたりを見回す市長。つられて愁も部屋の中を見回すが、彼女の姿はない。
「……保護したスタッフが市長の元にお連れする、という話だったと思いますが……」
アオモトの返事に、市長は首を横に振る。
「……いや、私のところには来ていないんですが……」
「……え?」
医療チームやスタッフが慌ただしく行き交っている。
その中で、愁たちだけが時間が止まったように沈黙する。
活動報告にて、
「迷宮メトロ」絵師様とタミコのキャラ絵発表
を投稿いたしました。
書籍版のイラストを描いてくださる絵師様の情報や、タミコのラフイラストを掲載しております。
ぜひご覧ください。




