128:カビパンマンとメッキンマン
「ふいー、すっきりしたりす。リャクしてすっきりす」
ノアが個室を出るのと同時に、隣のタミコもかちゃっと鍵を開け、ドアからでなく上を伝ってノアの肩にしゅたっと着地する。
「お疲れ、姐さん。着地の衝撃で残尿漏れはやめてね」
「へっ、なにをいうりすか。すべてをだしきったいま、あたいはムテキりすよ!」
しゅしゅしゅっと小気味よく空を叩くリスジャブ。これがシュウの肩なら「あっ」となって無言左肩移動だろうに、そこは実家のような安心感のなせる業なのかな、などとちょっぴり羨ましいような羨ましくないような。
洗面台のところでウツキとハグミが手を洗ったり髪を整えたりしている。きゃっきゃうふふとなにやら楽しげだ。ウツキのほうが若干背が高く、こうして並んでいると普通に友だち同士のようだ(実年齢四十歳差)。
「ハグミちゃん、楽しそうだね」
鏡に映るニコニコ顔に尋ねると、彼女は頬を赤くしてはにかむ。
「いえ、その……こういうの、初めてだから……」
「こういうの?」
「みんなといっしょにおトイレ行くのとか……おトイレでおしゃべりしたりとか……」
「あー……ハグミっち、学校とか行ったことないんだもんね」
それどころか年の近い友だちさえいないのだ。自由民だったノアも学校に通うことはできなかったが、集落には幼馴染が何人かいたので特に寂しい思いをすることはなかった。
「だけど……もうすぐへーかいしきだから……今日はもうおしまいだから……」
ちょっとさびしい、という口の中のつぶやきをノアは聞き逃さない。
ハグミは三人に向き直り、ぺこりと頭を下げる。
「今日は……とっても楽しかったです。おねえちゃんのみなさま、ありがとうございました」
すかさずぷいっと顔を背けて鼻を鳴らすウツキ。「歳を重ねると涙腺が緩くなる」は本当らしい。
ノアはハグミの目線に合わせて屈み、彼女の肩にそっと触れる。
「うん、こっちこそありがとね。ハグミちゃんと友だちになれて、楽しかったよ」
「……友だち?」
「うん。一緒に遊んで焼きそばも食べて、ボクたちもう友だちでしょ? だから、また遊ぼうね」
「……また?」
タミコがぴょんっとハグミのてのひらに飛び乗る。
「こんどはおいかけっこするってヤクソクしたりす。はやくゲンキになるりす、あたいのふたりめのイモートブンよ」
「……うん! 約束よ、おねえさま!」
ハグミの顔に眩しいほどの笑顔が戻る。タミコを胸に抱きしめながら尻尾をニギニギする。「ああっ……なんてやさしいゆびづかいっ……!」。
***
第七試合が終わり、結びの一番への準備時間。
多くの観客が席を立ち、スタンド裏の通路は人混みでごった返している。その楽しげな賑わいは祭りそのものだ。
トイレや売店に並ぶ列。飲食スペースで紙コップを掲げ合ったり、試合の感想を大声でわめき合ったり。焼きそばやたこ焼きの香ばしいにおい、ぷんと鼻につく酒のにおい、喫煙スペースから漂うタバコのにおい。
「さあさあ! 結びの一番、いよいよ締切だよ! アベ・シュウに賭ける猛者はおらんかい!?」
最終戦の勝敗予想の締切を知らせる声が聞こえてきて、壁際にもたれていたカワタローは少しだけそちらに気を惹かれる。
(オッズは……1.2と5.3かあ)
(ずいぶんと差ぁつけられたもんだなあ)
当然ながら、ハクオウ・マリアに張る者のほうが圧倒的に多いようだ。ここがアベ・シュウのホームでなければもっと差がついたかもしれない。
(俺なら、そうだなあ)
(あの兄ちゃんに賭けるけどねえ)
実力と実績なら間違いなくハクオウのほうが上だ。誰もがそれを理解しているし、カワタローもそう思う。
だが、あのアベという青年の本性は――。団長の推測が事実なら、あの得体の知れない底力となにをしでかすかわからない爆発力もうなずける。レベルや経験の差など吹き飛ばすほどの潜在能力だ。
とはいえ、カワタローは自身のツキのなさを自覚している。賭けごとなど金をドブに捨てるようなものだし、彼をそれに巻き込んでしまうのも忍びない。まあ、逆に嫌がらせしてやるのも悪くないかもしれないが、あいにくそんな暇はない。
『――ハローハロー! ブンブン! 団長通信の時間でーす。チェケラー!』
ふと、耳の中で声がする。
『聞こえてたら、お留守番中のムジラミくんの物真似でもしようか。はい、悪い顔して「けひひ」ってね』
彼には見えていないはずだが、カワタローの隣にいるイサキは生真面目に下衆な表情をつくっている。
【囁】。相手の鼓膜に菌糸を貼りつけ、離れた場所でも声を届ける能力――らしいが、聞くのも見るのも初めての代物だ。菌能なら大抵は一・二時間程度で効力を失うものだが、開場前につけられたこれがまだ有効なのは、そういう能力だからか使い手があの男だからか。
『はい、つーわけでお得な情報満載の団長通信、お届けしてくわけですけども。決行の瞬間が近づいてきてドキドキそわそわしてるみんなに朗報でっす。俺とトロコちゃんでターゲット〝子豚くん〟を確保した。プランAで行こう』
おおっ、と驚いた顔をするイサキ。カワタローもかすかに口元を緩ませる。
(どうにか)
(Aのほうでいけそうかあ)
プランAは元々確度の低い計画だった。
会場の中で人目につかずに「それぞれの担当する人質候補」を確保し、閉会式を迎える。言うは易しだが、どう言い繕っても「行き当たりばったり」だ。
これだけの人数がひしめく会場の中で、どう動くかもわからないターゲットを捕まえる。それも、失踪の発覚の可能性を抑えるために、動けるのは催しの終盤ギリギリの限られた時間のみだ。
それでもあくまで「A」として最優先にしてきたのは、ひとえにそれが「最も犠牲が少なく済むプラン」だからだ。
(BとCをやっちゃうと)
(どんだけ被害が出るかわかんないもんねえ)
『〝子豚〟くんはターゲットの中じゃ一番のビッグネームだけど、絵面的にインパクトよえーんだよなあ……ってわけで、俺は引き続き〝奇跡のお嬢様〟を狙ってみるわ。君らもターゲットをゲットできたら一応連れてきてね。無駄になるかもだけど、使える駒は多いほうがいい』
カワタローとイサキのコンビはまだゲットできていない。結局あの男頼みだったのは癪ではあるが、これで無理を通す必要はなくなったのでひと安心だ。
『集合時間は……閉会式の五分前ね。いつもどおりなら最終試合後に二・三十分はインターバルあると思うから。……あ、それと言い忘れてたわ――エンガワくんとコハダくん、警備に捕まったっぽい』
二人は同時に息を呑み、顔をこわばらせる。
『遠目にしか見えなかったけど、たぶん間違いないね。なんでとかどういう罪状かとかは全然知らんけど、少なくとも祭りが終わるまで釈放はされないだろうね。……おっと、そこの副団長くん。救出に行こうとかやめとけよ? いやいや、そんな怖い顔しなさんなって、すぐに殺されたりはしねえよ』
そばにいるわけではないだろうに、全部当たっている。ぎり、とカワタローは奥歯を軋ませる。
『エンガワくんたちもこう思ってるはずだぜ、「俺の屍を越えていけ!」ってさ。祭りは普通に続行してるし、お偉いさんがこそこそ避難するようなそぶりもない。ってことは、エンガワくんたちもまだ口を割ってないってことだろ? 君らの悲願が叶う瞬間を、草葉の陰から見守ってくれてるって』
「死んでねえだろうよ」
ここが人混みでなければ声を荒らげていたかもしれない。団長のあくまで愉快そうな口調になおのこと癪に障る。
『つーわけで、約束の時間に集まれたメンツだけで決行します。もしも俺一人だったらちょっとばかし脱線しちゃうかもだけど、そんときは許してね? 以上、団長通信でしたー。次回、「〝越境旅団〟、いよいよ復讐の瞬間」。デュエル、スタンバイ!』
意味のわからない締め括りで声は途絶える。
「……カワさん、エンガワとコハダは……」
イサキは顔面蒼白だ。コハダとは同い年の親友同士、今すぐ駆けつけたい心境だろう。
「……今はなにもできない」
どこにいるのかもわからない。戦力的にも助けようがない。
元より、これは後先を見据えた戦いではない。二人のことを考えるなら、むしろ拘束されたままのほうが――。
「……俺たちはおとなしくしとこうかね。〝子豚くん〟を確保できたなら、こっちは無理せずに――」
そのとき、カワタローの背筋が凍る。
目が合っている――数メートル先にいる、人混みの中で佇む、その男と。
カワタローより年上の、銀色の派手なジャージを身にまとう長身の男。
日に焼けた無精ヒゲの精悍な顔立ち。白い長髪を後ろに流し、額にはサングラスをかけている。
初めて見る顔だが、その特徴はよく聞いている。この街で最も有名な狩人。
――見つけたぜ。
声は聞こえない。だが、へらっと笑うその口が、確かにそんな言葉を発する。
(〝撃ち柳〟)
(シモヤナギ・ヘイヤ)
「イサキっ! 逃――」
振り返ったときにはイサキが床に組み伏せられている。別の狩人だ。
とっさに【白弾】を生み出し、親指ではじく形に握り直し――と同時に、気づけばシモヤナギが眼前に迫っている。タバコくさい息が顔にかかるくらいに。
「ダメだろう、こんなとこでハジキ抜いちゃ」
親指を捕まれ、捻り上げられる。痛みに顔をしかめながら左手に【白弾】を生み出そうとするが、それより早く膝で股間を蹴り上げられ、悶絶する間に床に叩きつけられる。
「が……あ……」
激痛と衝撃でうめき声しか出ない。ざわざわと野次馬の視線が集まるのを感じるが、「どもども、お騒がせしてすいませんねえ」などとシモヤナギがにこやかに応じる。
「この人たち、ちょっとほろ酔いでオイタしちゃったみたいで。みんなも麦酒はほどほどになー?」
彼を見知った市民たちは呑気に笑い、「シモさん、お疲れさん!」「あんただってしょっちゅう酔って暴れてんじゃねえか!」などと囃し立てながら解散していく。
「さてと……つーわけで、お前らは一緒に来てもらおうかね。カツ丼出すぜ?」
カワタローはうつ伏せで腕を捻られ、両手の親指は拘束用の特殊な指輪でがっちりつながれている。さすがはベテラン狩人、〝狙撃士〟の拘束のしかたを熟知している。レベルがかけ離れているせいか、上から抑え込まれただけで身じろぎもできない。
「あの……俺らなんにも……なんかの、間違いじゃ……?」
「ああん? 素面でとぼけんのはマナー違反だぜ。えっと――」
突然視界が暗くなる。彼のサングラスが、カワタローの目にかけられている。
「ははっ、似合ってるぜ。手配書そっくりじゃねえか。なあ、カワタローくんよ」
(なんで、どうやって?)
「隣にいんのは……(ガサゴソ)……これかな、イサキくん。あのロリババア、年食ってるわりにいい記憶力してるぜ。他のガキどもも人相書きとそのまんまだったからな」
(他のガキども?)
(偶然か、それとも――?)
「なあに、不思議なこたあねえよ。てめえらがここに来るってのは確信してたからな、人と時間をかけて地道にさがして回った、そんだけだよ」
(こんだけでかい箱で?)
(これだけわんさか人がいて?)
「……なんつってな。さすがにこんだけ人がいちゃあ、老眼一歩手前の中年男にゃあ無茶な話さ。だけどあいにく、黒山の中から悪だくみするアホを見つけんのにうってつけの人材がいてな」
カワタローの目の前にピンク色の運動靴が現れる。見上げると、ふわりとした髪の女性が立っている。
「シモヤナギさん、間違いありません。名前を告げられた瞬間、動揺と恐怖の色が膨れ上がりました。この人が手配書の人物です」
(読心術ってやつか)
そういう菌能だか菌性があると聞いたことがある。団長も似たような能力を持っている。
「入場時のチェックには引っかからなかったみてえだが、いよいよ祭りも終盤で悪だくみ本番ってとこだったか? 本性がだだ漏れになってたみてえだぜ。なあ、カイケちゃん」
「ですね、はっきり見えました……悪意に手を染めようとする黒ずんだ決意と葛藤の色が……」
「他にも何人か、都庁と教団から類似能力者が派遣されてんだ。俺らが巡回してるときにちょうど邪念全開たあ、てめえもツメが甘いっつーかツキがねえっつーか。同情するぜ」
カワタローは歯噛みする。そんなことは元より百も承知だが、他人に指摘されるのは不愉快でしかない。
「こちとら『絶対に祭りは中止にさせるな』って上からのお達しでな。怪しいやつは片っ端から捕まえてきたおかげで、リクギメトロのお仲間連中もほとんどお縄だぜ。今頃詰め所でカツ丼食ってらあな。カツ丼はいいぜ、あれは正義と平等の象徴だからな」
「……カワさん……」
イサキが泣きそうな目を向けてくる。カワタローは小さく首を振ってみせる、くらいのことしかできない。
「……なあ、あいつらはなにか吐いたかい?」
「さて、どうだかね。てめえらで答え合わせする予定だぜ」
やはり。手塩にかけて育てた彼らが、カツ丼ごときで落ちるはずがない。
狩人ギルドや行政府は基本、拷問などの手荒な手段を用いない。コスパが悪いのを理解しているからだ(教団は未だによくやるとの噂だが)。
とはいえ、やつらはやつらなりに被疑者を自白させる術をいくつか持っている。このまま連行されて尋問に遭えば、閉会式まで口を噤んでいられるかどうか。
(考えろ、なにか方法を)
(せめてイサキだけでも逃がす方法を――)
と、ばたばたと駆け寄ってくる足音。警備スタッフのようだ。シモヤナギに背後から拘束されたまま立たされると、七・八人に囲まれている。さすがにこの状況を覆す手は、今のカワタローにはない。
「カワタローよお」とシモヤナギ。「〝カビパンマン〟読んだことあるか?」
子ども向け絵本の大人気シリーズだ。特に好きではないが、一通り読んだことくらいはある。
「ガキん頃からずっと疑問に思ってたんだよ。どうしてカビパンマンは、メッキンマンがキノコ枯らすより先に動かねえんだって。毎度のごとく住民や森に被害が出てからのこのこ現れてカビパンチ一発、めでたしめでたしだ。二度と悪さできねえようにとっちめりゃいいんだよ、そうすりゃ世の中平和んなるんだから」
たまに宿敵同士でタッグを組んで巨悪と戦うシリーズもあったと思うが、確かにメッキンマンの仕事は九割がた社会への嫌がらせなのは事実だ。
「世界ってのはな、てめえら悪党を中心に回ってねえ。てめえらが日陰でこそこそやってんのと同じように、俺らも地べた這いずり回ってこの街守ってんだ。てめえらがなにを企んでるにせよ、悪いが全力でつぶさせてもらうぜ、〝越境旅団〟」
カワタローの顔から表情が消える。
くくっ、と喉の奥から低い声がこみ上げる。そのまま身体を揺すって静かに笑う。
「……どうした、なにがおかしい?」
「……俺も思ってたことがあるんだよ。どうしてカビパンマンは、なんの疑いもなく自分を正義だって思い込めるんだろうねえ? もしかしたらさあ、メッキンマンの悪事は、もっと大局的に見たら『この国の未来のため』とか『この星の環境のため』とかかもしんないじゃん?」
「わりと楽しそうに悪さしてるじゃねえか」
「まあねえ、だから『もしも』だよ」
メッキンマンは迷惑な悪者である、物語上ではシンプルにそうキャラクターづけされている。
「イロハニホヘトー!」と意味不明な決めゼリフをさけびながら、「この世のすべてをメッキンして世界征服」しようとあの手この手で暗躍する。
具体的になにを思って世界征服をめざすのか。それを掘り下げた描写は、少なくともカワタローの記憶にはない。
「明確な動機が語られたわけじゃないし、あるいは読者すら騙してんのかもしれない。いや、俺が言いたいのはさあ、大事なのは話し合うってことなんじゃないかって。どうしてそんなことすんのか、原因を突き止めて、解決策をすり合わせて、落としどころをさぐるんだ。毎回事情も聞かずにカビパンチでぶっとばしてちゃあ、ますます憎悪の悪循環が加速するだけなんじゃないかねえ?」
「いかにも悪党らしい言い訳だな。そもそも悪党が悪事を働かなきゃいいだけだろうに」
ふっ、とカワタローは吐き捨てる。ぶんぶんと、何度も首を振る。
「そうじゃない、そうじゃないんだよ……じゃあ、正義が働いた悪事は、誰が裁いてくれるんだろうねえ?」
みし、と親指の拘束を引きちぎらんばかりに力をこめる。リングが皮膚と肉に食い込み、血が滴るのも構わずに。
「――〝越境旅団〟なんてなあ……はなから存在しねえんだよ……!」
***
ノアたちがトイレから出ると、護衛の二人が廊下で待っている。
いや、もう一人。小柄で痩せ型、やや頭髪の薄い四十代の男性。見知った顔だ。
スガモ市長の秘書、ススヤマ。ユニおの角の譲渡の際に居合わせた人だ。
「ああ、お嬢様。こんなところにお出ででしたか」
「ごめんなさい……その、おトイレ行きたくて……」
ここは武道館の三階、南西の関係者専用区域だ。
八角形の武道館はおおまかに八区画に分けられる。斜線部分は運営や警備のスタッフなどが使用する関係者用のエリアになっていて、一般客が入ることはできない。ちなみに三階は全面立入禁止で、東側は丸ごと都知事と教祖が、西側・南側・北側は来賓者たち専用のVIPエリアになっている。
今いる南西の区域も、通常であればノアたちが入れる場所ではない。だがそこは市長のご息女パワー、ということで一緒に通してもらえた。今は閉会式が近いせいもあってか、ノアたち以外には誰もいないようで、晴れて「トイレの貸し切り」という贅沢が叶うに至ったわけだ。
「見つかってよかった。お父上がさがしておいででしたよ」
(さがしてた?)
ノアは内心首をかしげる。ここのトイレに向かうことはノマグチ医師に伝えてある、その彼が市長に報告に戻ったのに。単に入れ違いになっただけかもしれないが。
――と、ススヤマと目が合った瞬間。
(……え……)
(……なに……)
自分でもよくわからない。わからないが――なにか、胸を締めつけられるような感覚がある。
彼の瞳の奥にあるものが――たとえようもなく、心をざわつかせる。そこに吸い込まれるかのように、目を逸らせない。
「……さあ。もうすぐ閉会式ですので、お父上のところへお連れいたします」
「あ、はい……行きます……」
ノアが首だけ振り向く。
後ろにいるハグミが、ノアの上着の裾をぎゅっと握りしめている。
「どうしたの?」
顔を近づけて小声で尋ねる。
「……なんかね、今日のススヤマさん、ちょっとヘンなの」
ハグミがほとんど消え入りそうな声で答える。
「変?」
「わかんないけど……パパもママも気づいてないけど……なんか、ちょっとこわいの……」
ノアが顔を上げると、ススヤマはあくまで柔らかく微笑んでいるだけだ。ユニおの角を渡したときに泣いて喜んでいた彼の印象からさほど変わった感じはない。
あるいはそれほど親密な関係だからこそ、そして大人の雰囲気や態度に敏感な子どもだからこそ、感じとれるなにかがあるのだろうか――。
「――みえないりす」
肩の上でタミコがつぶやく。
「姐さん、なんて?」
タミコは警戒するように毛を逆立てている。
「あのオッサン……みえないりす、レベルが」
「え――」
ススヤマの顔から笑みが消える。呆けるように、きょとんと目を丸くしている。そして、うなだれるように何度かうなずき、身体を揺するようにして低く笑う。
「あー、そっかー……カーバンクル族の【看破】ね。完全に油断してたわ。せっかく完璧な演技だったのに」
口調ががらりと変わる。佇まいががらりと変わる。まるで別人かのように。
「つーかまだ使い手がいたのね。今じゃほとんど外に出てこねえし、珍しいとは思ってたんだけどな。あー、下手こいたー!」
「ススヤマさん? ――」
「なにを――」
話しかけた護衛二人の首を、ススヤマの手が鷲掴みにする。
息を詰まらせた二人がその手を引き剥がそうと掴みかかった瞬間、ごぎゃっ、と鈍い音が響く。
「あーあ、殺っちゃった。本番まではって自重してたのに。お前らのせいだよ」
力なく崩れ落ちる二人の身体を、足蹴にして脇に追いやる。
その間にノアたちは距離をとり、ハグミを後ろに庇うようにして身構える。
「でもまあ、いっか。もうすぐ本番だし。つーわけで、気をとり直していこう!」
ノアは【短刀】を抜く。
タミコは「シャーッ!」と前歯を剥く。
ウツキは指先に赤い菌糸玉を宿らせる。
ススヤマ――の姿を模したその男は、
「いざ征かん、ターゲット〝奇跡のお嬢様〟誘拐大作戦!」
大きく腕を広げ、口の端を耳まで吊り上げる。
「それ以外のやつらは――え、死にたい? よっしゃ! イロハニホヘトー!」
カビパンマン「僕の顔は食べられないからこのおまんじゅうをお食べ」




