120:信念
「あれ、シュウくんどこ行くの?」
控室は陣営ごとに全員一緒の大部屋だ。隅っこの椅子に座ってぼうっとしていた愁だが、トイレに行っていたクレと廊下で鉢合わせになる。
「あ、いや……本番までやることないし、他の試合でも見とこうかなって思って」
「なんか開会式前よりそわそわしてるね。今さら緊張してきた?」
この男はなぜこういうところで鋭いのか。変態だから鋭いのか。
先ほどの開会式で、都知事と教祖とばっちり目が合った阿部愁。
控室に戻ったあと、ふと。かつてないほどのプレッシャーに襲われることになった。
今さらながら思い至ったわけだ。この勝負、ここまで来たらなにがなんでも絶対に勝たなくてはいけない、それ以外のルートは存在しないということに。
大見栄ぶっこいて分不相応なトンデモ要求を突きつけ、ギルドや市議会や方々を巻き込み、トップ2の承諾を引きずり出した。ここまでやっておいてあっさり負けようものなら、関係者だけでなく建国の英雄ご両名の顔にまで泥を塗ることになる。都知事「えーなにそれー、快諾した俺ら馬鹿みたいじゃーん」、教祖「あはは、処す」。
そうなったとき、果たしてこの国にそんな国辱級ルーキーの居場所は残っているだろうか。傷心の身体を引きずってオオツカメトロに落ち延びてユニおと再会して「会いたかったよ、今度はずっと一緒に暮らそうね」と抱きついて蹴り飛ばされるまでが思い浮かぶ。
(つっても、今さら吐いた唾呑む気もねえし)
不退転の覚悟に変わりはない。愁には負けられない理由がある。
ノアを救うために、二人の〝糸繰士〟から直接魔人の情報を聞き出す。あるいはその足がかりをつくる、自分の〝糸繰士〟バレも秤にかけて。
タミコを傷つけたあの黒ギャルエルフに吠え面をかかせる。ぎゃふんと言わせる。鼻血噴かせて地面に頭をめりこませてやる。
(ちくしょう! 要は勝ちゃいいんだ勝ちゃあ!)
(あるいは結果的に力及ばずにしても、誰の目にもお前はがんばった精いっぱいやったもういいアベシューのライフはゼロよというくらい必死こいた上で負けないと!)
「シュウくん、なんか情けないこと考えてない?」
「んなわけねえだろ。どうやって全国六位を引きずり下ろしてやろうかって考えてたんだよ」
じっとしているのもアレなので、参考までに他の試合を見ておこうと思う。入場口付近に陣取ってこっそり観察する。
『――それでは! ただ今より第一試合を始めます!』
『西より入場! アカバネ所属、カトウ・サクラ!』
『続いて東より入場! スガモ所属、イシイ・ナオト!』
大歓声に迎えられて土俵に入った両者。塵手水やら塩撒きやらのような儀礼はなく、半袖の和装っぽい格好をした行司が両者にルールを確認している。握手を促し、二人に距離をとらせる。
「はっきよーい……残ったっ!!」
軍配が勢いよく振り下ろされるのと同時に、「カーンッ!」とゴングが打ち鳴らされる。対峙した両者が地面を蹴る。
スガモ選抜vsシン・トーキョー選抜の対抗戦。いよいよその幕が切って落とされた。
***
愁もここへ来るまでに対人戦やそのトレーニングはそれなりに積んできたが、こうして他人の戦いをまじまじ見学する機会は今までなかった。改めて観察してみると、なかなか勉強になるものだ。
第一試合は〝闘士〟対〝騎士〟。いずれも近接戦闘がメインの菌職だ。
得意な間合いは若干違う。【伸腕】――文字どおり瞬間的に腕が伸びる菌能で中距離から殴り合いを仕掛けるアカバネ娘と、【戦鎚】を振るうために距離を詰めたいおむすび屋の息子。
菌能は一つか二つずつ、技量差もほとんどない。互いに決め手を欠いた削り合いが続くが、苦しまぎれに放ったおむすびジュニアの振り上げがアカバネ女子の【伸腕】に命中、彼女が利き腕を痛めたところから試合が動いていく。
おむすびジュニアは大振りせずに冷静に追いつめ、ついには女子に膝をつかせる。追い打ちの前蹴りが彼女の顔面にヒットし、仰向けに倒れたところで行司が軍配を手に割って入る。カンカンカンッ! と勝負ありのゴングが打ち鳴らされる。
『勝者っ! イシイ・ナオトォーーッ!』
実況者の絶叫が響く。割れんばかりの歓声に、腕を突き上げて応えるおむすびジュニア。アカバネ女子はスタッフに支えられて退場していく。顔を腫らし、全身砂まみれになった彼女にも温かい拍手がかけられる。
「……あのさ、クレ」
「なんだい?」
「当たり前だけど、結構激しいつーか、女子でも容赦なしなのね」
思いきり顔面を蹴り上げていたし、観客もそれを非難したりしなかった。
「そりゃそうさ。狩人同士の真剣勝負だからね」
「なるほど……ちなみに、人死にが出てもそんなもんなの? 客とかドン引きじゃないの?」
「そりゃまあ、あんまり残虐ファイトだったり凄惨な試合になったらアレだけど……基本は勝ち負け関係なく選手には敬意を払うし。不幸にも命を落とすようなこともごくまれにあるけど、選手も観客もみんな承知の上だしね」
あの平和な時代なら炎上どころではない大事件だが……本物の真剣勝負だからこそ神聖で、この過酷な世界だからこその死生観ということか。
「ともあれ、これでスガモの一勝だね。ハクオウ・マリアのおかげで、シュウくん以外も気合入ってるんじゃない?」
それはある。元々「対抗戦」だったとはいえ、向こう側は個々の支部の寄せ集めであり、スガモ側としてもそこまで勝ち越しにこだわっていたわけではなかったはずだ。
そこへ、事前説明会でハクオウがアオモトを侮辱したことで、スガモ陣営はだいぶ一枚岩になった。開会式の前にはアオモトの号令で円陣が組まれたし、以前は「勝ち負けよりも挑む姿勢を」と言っていたアオモトも「なんとしても勝ち越して市民に夢と感動を」と意気込んでいた。
その甲斐もあってか、まずは一勝。
だが、相手は各支部の選りすぐり。対戦者同士のレベル帯をそろえたとはいえ、このあとも厳しい戦いが続きそうだ。
第二試合。
シナガワ所属ハム・ゲンタ 対 スガモ所属シマ・ダイケ。
スイーツ男子の〝療術士〟と元ヤン〝闘士〟の一戦。後衛回復役と前衛アタッカー、普通に考えたら結果は火を見るより明らか――だが、そう一筋縄にはいかないのが狩人同士の決闘だ。
フィジカルに劣るはずの〝療術士〟は菌糸玉をパクッと咥えてガンギマり、がむしゃらに突進する〝闘士〟を真っ向から迎え撃つ。元ヤンはバットもとい【棍棒】を振り回し、スイーツ男子は持ち込んだゴツい盾で受け止める。ヒーラーなのにタンクばりの防御力を発揮する。
しびれを切らした元ヤン、力任せの猛攻で強引に土俵際まで追い込む。ガードの上からガンガン叩きつけ、盾をぶち割り、乾坤一擲とばかりに飛びかかる。
「死ねやコラァあああっ!」
渾身の振り下ろしがスイーツ男子の頭をエクレアのごとく叩き割る――寸前、スイーツ男子がその懐に飛び込む。がしっと抱きついたかと思うと、「おおおおおおっ!」と荒々しいおたけびとともに元ヤンの身体を持ち上げ、身をよじってうっちゃり。
丸めた小麦粉生地のごとく「ぐえっ!」と叩きつけられた元ヤンがすぐに起き上がって反撃を――としたところで鳴り響くゴング。元ヤンが落ちた場所は土俵外、行司が軍配でそれをびしっと指し示している。場外で勝負あり、だ。
がっくりと意気消沈の元ヤンに「アホンダラダイケー!」「調子乗りすぎじゃボケー!」と不良仲間らしきやつらから野次が浴びせられる。選手への敬意とはなんだろう。
ともあれ、これで一勝一敗。
第三試合。
イチガヤ所属キリシマ・ヤメオ 対 スガモ所属チャタニ・アミ。
リクギ村出身の女性狩人チャタニが登場すると、客席の一角がわっと盛り上がる。リクギ村の老人たちがそこを占めていて、応援団の最前列には村長のカヤ・ノゾミの姿もある。来ていたのか。
「アミ姉ー! がんばっぺごすーっ!」
相変わらずの謎訛りが会場に響く。ぐっと拳を突き上げてそれに応じるチャタニ。意気に感じてか、試合は気持ちのこもった白熱したものとなる。
キリシマは上位菌職〝絡繰士〟らしく、レベル35ながら【糸毬】【尖針】【衝撃球】など多彩な菌能でチャタニを翻弄する。対する〝闘士〟チャタニは多少削られるのも厭わず、【俊足】でかいくぐって必死にくらいついていく。
【跳躍】とは異なる短時間持続的な脚力強化だが、ダチョウ育ちのおかげもあってか、その速さとキレは第一戦のアカバネ女子を遥かに上回るものだ。息もつかせぬ激しい攻防、観客は固唾を呑んで見守るのみ。
押し出しを狙ったチャタニの渾身のタックルにより、両者もつれ合う形で土俵外へ。行司を含めた審判団の協議により、軍配はチャタニに上がる。「村のみんなーっ! うち勝ったべごんなーっ!」と勝鬨まで訛っているのもご愛嬌。
白熱した三試合とは打って変わり、第四試合はわりとあっさり決着がつく。
セタガヤ所属オオキ・ジュンヤ 対 スガモ所属ヒノ・エノン。
イクメン〝獣戦士〟とイケメン〝幻術士〟の、戦士対魔法使いのタイマン勝負。両者の望む距離は真逆で、巨体をフル活用してゴリ押し気味に突進するイクメンと遠巻きから菌糸玉や胞子をばらまくイケメンというわかりやすい構図に。
けたたましく地面が爆ぜ、砂が撒き散らされる。まるで特撮ドラマのような戦いだ。
ホームとアウェーが逆転したかのように、声援の多くはひたむきに前へ出るイクメンへと向けられ、逆に叱咤や罵声はイケメンへと送られる。
確かに遠距離攻撃系は興行的に血湧き肉躍る感が足りないのかもしれないが、それだけでなく単にキャラと人徳の差のようだ。その証拠に一部の女性から「金返せーっ!」「○ね二股野郎ーっ!」と過激な声が飛んでいる。
全身焦げだらけになったイクメンがついにイケメンを捕まえ、拳と蹴りのフルコンボで地面に沈ませて勝負あり。ボロボロになりなりながらも「みんなーっ! パパやったぞーっ!」と客席の六人の子どもたちへ勝利を捧げる姿に会場は拍手喝采。一方で敗者はすごすごと退散するも、愁のいる入場口付近で数人の女の子に介抱されるのでイケメン爆発しろ。
四試合を終え、二勝二敗。スガモ勢としては善戦と言っていいだろう。
長めの休憩タイムを挟み、午後六時前。
夏の空はまだ明るさを残しているが、確実に夜へと近づいている。
それでも会場を包む熱気は一戦ごとに増していくばかりだ。そして次の第五試合――本日の目玉カードと言っても過言ではない。
「じゃあ、行ってくるよ」
「ああ、骨は拾ってやるよ」
マスクをかぶったクレが自分の頬を指さす。来いよとでもいう風に顎をくいっと上げる。
意図を察した愁は、そこそこ力をこめてビンタする。それで気合が入ったのか、クレは「キキーッ!」と高らかにさけびながら土俵に向かう。
西側にはすでにカン・ヨシツネがスタンバイしている。腰に帯びた木刀に手を添え、涼やかな表情をして佇んでいる。
***
「――始める前に、少しだけいいですか?」
ルール説明と握手を終えたあと、カン・ヨシツネが話しかけてくる。クレは位置につこうとした足を止める。
「昨日あのあと、カジタさんが教えてくれたんですけど」
昨日、クレやカジタや関係者らにより対戦相手変更の協議が行なわれ、最終的にヨシツネの判断に委ねられることになった。彼は尋常な立ち合いの勝敗によるものと改めて確認し、快諾。むしろ嬉しそうなほどだった。
「レベルや経験で勝るカジタさんを、あなたは真っ向からねじ伏せた。カジタさんが言うには、あなたの流派……えっと……」
「クレ式活殺術。投・締・極に特化した体術だよ」
「そう、あなたは体術において突きや蹴りを一切使わなかったと聞きました。なぜですか?」
「なぜって……それが僕の信念であり流儀だからさ」
当然のように答えるクレに、ヨシツネは首をかしげる。
「使えないわけじゃないんですよね?」
「……まあね」
「カジタさんにはそれを使うまでもなかったというわけですか?」
「いや、彼は強かったよ。なにが言いたいんだい?」
「いえ……気に障ったなら謝ります。すみません」
マスクの奥の苛立ちを察してか、ヨシツネが小さく頭を下げる。
「ただ……己の力をあえて封印したまま戦うことは、狩人として目の前の相手へ尽くすべき礼儀に欠けるんじゃないかと」
「問答するつもりはない。今僕らが考えるべきは、目の前の相手を叩きのめすことと、お客さんを喜ばせることだけだ」
「……僕にもやっぱり使わないつもりですか?」
「剣戟最強を謳われる君の実力は聞き及んでいる。だからこそ、このクレ式活殺術でそれをへし折ってみせるつもりさ」
今度はヨシツネの顔から笑みが消える。
「わざわざ挑んできてくれたのは光栄だけど……縛りプレイでじゅうぶんと見くびられるのは、ちょっとだけ不愉快です」
「そういうクレームを吐くやつは今までもたくさんいたよ。大抵はそのあと、それが僕のベターだったと病院のベッドで省みることになるけどね」
ヨシツネは木刀を抜き、ひゅんっと軽く振ってみせる。力感なく滑らかに走った切っ先は綺麗な半円を描く。
「……わかりました。どちらを選んでいただいても結構です」
「どちら?」
「持てるすべてを引きずり出された上で膝を折るか、その前に無様に叩き伏せられるか。せめて悔いのない試合をしましょう」
「自分が四肢を折られて転がる未来は想像できないみたいだねえ……いいよ、僕の技をもって、君の思い描く未来を否定してやる」
会話を切り上げさせるタイミングを計っていた行司は、二人の間の空気がぐにゃりと歪むのを感じる。じわりとにじむ汗が止まらない。
問答を終え、観客のざわめきを背に、二人は位置につく。
数秒の硬直と沈黙。対峙した二人からほとばしる殺気に、観客は身じろぎすら忘れる。
「はっきよい……残ったっ!!」
行司がさけび、ゴングが響く。
ゴングの音と同時に地面を蹴った二人の姿は、観客の目から一瞬消え――。
ベキィッ! と乾いた音がヨシツネの鼓膜に突き刺さる。
みなさま、よいお年をノシ




