115:チョーシこけアベシュー
南北にやや細長いスガモの街は、十字に走る大通りによって四つに分けられている。スガモ市庁舎や市議会議事堂のある市中心部の中央区、北門の外の工業区、西門の外の農業区を含めて七区だ(市内というと一般的には塀の内側を指すことが多いが、外の二区もれっきとした市の領地であり、そこに居住する人もたくさんいる)。
愁たちの家は北西区、西門寄りの大通りにほど近い場所にある。馬車が二・三台同時に通れそうな大通り沿いは整然とした街並みが続いている(毎月何日と何日とかになると昼間に露店が並んだりして歩行者天国のごとく賑わうこともある)。
今は日も暮れて往来もだいぶ落ち着いてきているが、そこから外れて繁華街のほうの路地に一歩踏み込むと、たちまち昼間以上の熱気が返ってくる。
普段から活気のある北西区の繁華街だが、ここ最近は生誕祭を先どりするかのように日に日に賑やかさを増してきている。二週間後に迫った祭りに向けて、観光客や商売人が集まってきているのだろう。
一昔前のアジアの繁華街というか、エキゾチックな風情だ。軒先からこぼれる提灯やランプの光、行き交う人々のガヤガヤとした喧騒、いくつもの露店から漂い入り混じる鉄板焼や揚げ物や酒のにおい――。
「すごい、いっぱい人がいる」
つないだ手を引くようにして、ノアの身体を借りたキラキラが前を歩いている。愁は散歩中に興奮した犬をコントロールするようにその手を引き止めるのに必死だ。彼女の手の柔らかさや自分の手汗を気にしている余裕はない。
ノアを通して見てきたのだろうが、それでも自身の意思でその目に映す光景に、キラキラは好奇心を隠そうともしない。忙しなくあたりを見回し、肩をはずませている。
「いいにおいしてる……ねえ、なにか食べていい?」
「さっきメシ食ったばっかやん」
「いいじゃん、食べたのわたしじゃないし。ベツバラ? ってやつよ」
「胃袋は共同やん」
「ほら、あそこのショーロンポー? あれ絶対おいしいやつじゃん。いいでしょ?」
無邪気にはしゃぐキラキラの笑顔がまぶしい。忠告を無視して小籠包を一口で頬張って案の定悶絶するその姿に、得体の知れない寄生生物の面影はかけらもない。
傍から見れば、仲のいい兄妹のように見えるだろうか。それとも恋人同士のデートのように……あばば。
「よお嬢ちゃん、ご機嫌じゃねえか! こっち来て酒注いでくれよ!」
「一杯奢ってやっからよ、そっちの彼氏も一緒にさ!」
屋台でジョッキを手にした酔っ払いに声をかけられ、彼女の笑みが一瞬消える。愁は内心ひやっとするが、キラキラは酒くさいおっさんには大して興味もないようで、そっぽを向いてすぐにまた歩きだす。
毒気を抜かれている場合ではない。愁は気を引き締め直す。
確かに、今のキラキラは頭領の身体で暴れたときとは違う。魔人アラトとの戦いでの手助けも(あばば)、先ほど言葉を交わした感触からしても、今すぐ駆除すべきとまでは思えないのが本音だ。
それに、彼女自身も「絶対に危ないことはしない」「誰かに迷惑をかけたりしない」とかたく誓った。だからクレやウツキとも相談の上、「絶対にそばを離れないこと」「気が済んだら質問にすべて答えること」を条件に、少しだけ外出を許可したのだ。
とはいえ……その誓いをどこまで信用していいものか。いつ暴走するかわからない生物兵器を抱えて繁華街を練り歩いていることに変わりはない。
狩人という立場からすれば、あるいは〝糸繰りの国〟に暮らす民としては、れっきとした背信行為なのかもしれない。人類の裏切り者……ギルドにバレたらクビでは済まなそうだ。
(こいつが変な気を起こそうとしたら)
万が一。こんな大勢の人々が行き交う中で、あのときのような化け物に変身したら。
暴走状態にあったとはいえ、あのときこいつは野盗を数人食い殺しているのだ。
(――俺が)
だから今、この手は決して離さない。彼女の一挙手一投足から目を離さない。【感知胞子】をばらまき、不測の事態への警戒も怠らない。
「アベシュー、あたいもチョコバナナたべたいりす」
「呑気か」
肩の上にはタミコが、少し後ろにはクレとウツキがスタンバイしている。二人ともまだ詳しい事情を把握しているわけではないが、それでもおおよそは察しがついているのだろう、もしものときのために険しい表情で見張ってくれている。
――いや違う。ウツキは通りすがる男たちを厳しい目で吟味し、クレは愁とノアのつないだ手を恨めしげに睨みつけている。呑気か。
そんな愁の緊張をよそに、キラキラは至極上機嫌な様子だ。目に映るものすべてをまぶしそうに眺め、漂ってくるにおいを胸いっぱいに吸い込み、愁の手を引いてよどみなく人混みをすり抜けていく。
「うん……楽しい」
大はしゃぎとはいかずとも、確かに楽しそうに見える。
「夜の街ってこんなに綺麗なのね。連れてきてくれてありがとう、シュウ」
満面の笑みとはいかずとも、確かに嬉しそうに見える。
(だけど――)
愁は彼女から目を離さない。だからそれを見逃さない。
――たまに見せる、その儚げな横顔はなんだ?
***
さんざん歩き回り、飲み食いし。
彼女に手を引かれてたどり着いたのは、中央区にある時計塔だ。
この煉瓦造りの建物はスガモで最も高く、スガモ市が生まれたのとほぼ同時期に建てられたという。つまりもうすぐ築三十年、市民にとってはこの街の歴史をすべて見守ってきた象徴的な存在でもある。
午後八時までは一般開放されており、一人百円を払って入場する(タミコの分も払っておく)。クレとウツキもきちんとついてくる。エレベーターはないので階段で五階の展望室まで上る。街中をぶらぶらしたあとに展望台で夜景とか、女の子の喜ぶデートのテンプレは百年後でも変わっていないようだ。
蒸し暑い上に歩き回ったのでそれなりに汗をかいているが、北側のテラスに出ると幾分風が涼しい。
「……うん、綺麗」
キラキラが手すりから身を乗り出すようにして街並みを眺める。愁はその一歩後ろから同じ景色に目を向ける。
薄曇りのせいか月も星も出ていないが、湿度の高い空気ににじむ赤やオレンジや黄色の明かりが数えきれないほど散らばっている。北門付近やその向こうの工業区では、この時間でも煙突から白っぽい煙がぼんやり立っている。まだ稼働している工場もあるのだろう。
「……すごいね」
「え?」
「これ一つ一つ、人間がつくったんだよね。すごい……どうやったんだろう?」
「まあ、それこそ三十年かけてコツコツじゃね?」
当初はここまで大きな街ではなかったし、人口も少なかったという。人を増やし、建物を増やし、インフラを整え、モノを売って金を集め、さらに街を拡大し……そうやって順調に成長してこれたのも、先任・現任の市長親子の尽力があったからこそなのだろう。
愁たちの家やパン屋は角度的にちょっと見えないが、先ほど通ってきた繁華街や広場はばっちり見える。光量が多いので行き交う人の流れさえ追えるほどだ。北東にずんと居座るのっぺりとした大きな影は、御前試合の会場となるスガモ武道館だ。収容人数は五千人ほどらしい。
キラキラは手すりに肘をつき、しばらく無言のままそれらを眺めている。
「……満足した?」
その背中に、愁は声をかける。
「うん。ありがと、シュウ。よくわかった」
キラキラは振り返らずにそう答える。
「わかった?」
「綺麗、だと思う。そう思える……だけど、そのときが来たら……わたしもこれを壊したいと思うのかもしれない」
「……え?」
キラキラの短い髪が風にふわりと揺れ、街の明かりが彼女の輪郭を曖昧な色に浮かび上がらせる。
「わたしは、魔人――になるんだと思う。たぶん、いつの日か」
愁は息を呑む。そういえば喉が渇いている。
「……魔人になる? って、どういう意味?」
キラキラが言葉をさがすように少し間を置く。
「最初はなにもなかった……本能のままに漠然と生きて、意識とか自我とか呼べるものもなかった。宿主がもう少し高度な脳みそのある獣とかになって、初めて感情らしきものが芽生えた。宿主の知性や知識とか、そういうのを吸収してわたしは成長していった。わたしはそういう生き物なの」
半分だけ振り向き、目を細める。
「人間に――あの男に宿って、ようやく言語や論理で思考できるようになった。目に映る景色やモノや生き物に記号が与えられた。だけど、そう時間も経たずにシュウにやられちゃって、そのままノアに移って。それからは……一つの宿主の中にこんなに長く留まるのは初めてだった。この娘のおかげで、わたしの世界は一気に広がっていった――わたしはなんなんだろうって、ずっとそればっかり考えるようになった」
自分のてのひらに視線を落とす。
「この娘を通して見る世界には、わたしと同じものはどこにもいない。この娘の知識の中には、それに該当する生き物は存在しない。〝魔人病〟っていうキーワードはあっても、それがどう結びつくのかもわからない。シュウが『お前はなんだ?』って言ったけど、ほんとはわたしが一番知りたかったんだよ」
オウジでギランから聞くまでは、魔人病が実際に魔人と関連するものなのか、愁たちは知らなかった。そういう意味で、魔人と自身とを紐づける情報はなかったわけだ。
無人島で一人生まれ育った子どもみたいなものか。世界を認識する知性はあっても、自分と同じものがいない、自分を定義する言葉がない。
普通の人間なら、まず無縁なシチュエーションだ。心境を想像しても「孤独」とか「不安」とか陳腐なフレーズしか思い浮かばないが、実際にはそれすらこちら側の解釈でしかない。
「だけど……オウジメトロでアレと、魔人と出会ったとき……あの〝覚醒体〟の姿をひと目見た瞬間、すぐにわかった。アレはわたしと同じものだって――わたしがシュウの前で見せた未熟な姿と同じ性質のものだって。わたしも魔人と呼ばれるものと同じだったんだって、そのときようやくわかった。だから、一つ目の答え……わたしは、魔人。間違いなくね」
改めてノアの口を借りてそう言われると、愁の中できゅうっと締めつけるものがある。
「わたしはアレと同じ存在……それは間違いない。だけど……話に聞いた魔人の本質と今のわたし、どうしてもそれが結びつかないの」
「どういうこと?」
「魔人は〝糸繰りの民〟の滅びそのもの。人を殺し、人の世に混沌をもたらすことを喜びとする……要は人類にとっての悪の親玉みたいなもので、あのアラトって魔人もまんまそんな感じだったし、他の魔人もそうだったんだろうし。だけど……わたしにはどうしてもぴんとこない。そういう強い憎しみや破壊衝動みたいなものは、今のわたしの中にはないから」
「じゃあさ、やっぱ魔人じゃないんじゃね? 似たような生き物だけど全然別のやつだったり。青ゴブリンと赤ゴブリンみたいな」
「そのたとえは嫌」
「サーセン」
レディーに当てはめていいたとえではなかったようだ。
「まあ、だからって人間の味方って気もないけどね。この景色は綺麗で好きだし、食べ物はおいしかったけど、酔っ払いはうざくてちょっとぶっ殺したかったし」
「気持ちはわかるけどやめてね」
どちらかと言えば愁も向こう側の人間だ。汚い大人で申し訳ない。
「……あのね、最近になって気づいたことがあるの。わたしは、外から吸収した知識や自我だけで成り立ってるわけじゃない。わたしにはわたしであるための核みたいなものが含まれてる。そしてその中には、今もかたく封印されたナニカが眠ってる。きっとそれが……わたしの本当の正体を示す答えなんだと思う」
胸に手を当て、目を細めるキラキラ。
「いつかその鍵が開いたとき……わたしは本当のわたしになるのかもしれない。あのアラトみたいに、わたしも本当の魔人になるのかもしれない。魔人としての自我が芽生えて、魔人としての本能や使命に目覚めて……この景色も、ここに暮らす人たちも、全部壊したいと思うのかもしれない」
「……仮にそうなったら、ノアは……?」
「あの人は教団の人じゃなくて、完全にアラトになってたよね。だから……そういうことかもしれない」
愁はぎゅっと手を握りしめる。てのひらが破けて血がにじむほど。
「……そうなる前に、ノアを解放する方法は?」
ギランの話によれば、魔人の本体は菌石だ。それが宿主の頭の中に入り込み、宿主の身体を乗っ取り、魔人となる。
「お前らの本体って、石みたいなやつだろ? それを外にとり出すとか、お前自身が出ていく方法とか、なんかないの?」
外科的な治療法があるなら一気に解決だが、この世界の医学で脳という繊細な器官にどこまで触れられるものなのか。そもそも摘出不可能な部位に食い込んでいるようならお手上げだ。となると、やはりキラキラ自身の意思で退場してもらうほかない。
キラキラは申し訳なさそうに肩を落とし、小さく首を振る。
「ごめん。宿主が死ぬ以外に外に出る方法があるのかどうか、自分でもわからない。本体にしても、自分でどうにかできるのかどうか……あるいはわたしがもっと成長したら、なにかわかるのかもだけど……そのときにわたしが本当の魔人になってたら……」
「……時間って、あとどれくらい?」
「それも……わからない。だけど、すぐってわけじゃないと思う。まだまだ全然、わたしにはアラトみたいな力はないから」
今すぐではない、かもしれない。その予感を信じたい。
だが、そのときはいずれやってくる。一年後、二年後、あるいは一カ月後かもしれない。
(――俺に)
愁は前髪を握りしめる。かたく目を閉じて、身体の震えを押し殺す。
「アベシュー……」
首筋にタミコの手が触れる。温かい手だ。
(俺に、できることはないのか)
「……今だよ」
「え?」
「わたしを殺すなら、今」
愁が顔を上げたとき、ノア――いやキラキラはすぐ目の前に迫っている。手を伸ばせばその頬に触れられる距離だ。
「ほんとはね……オウジであの菌能を使ってから、まだ力が戻ってないの。というか、本体が死にかけとかじゃなければ、あの姿を出すこともできないし。だから今のわたしには、シュウと戦う力はない」
「……で?」
「だから――わたしを危険だと思うなら、今しかない。ノアには悪いけど……」
自らを差し出すように両手を広げるキラキラ。
「……なめんなよ……」
あたりに他の利用者はいないが、街中で【戦刀】を出すわけにもいかない。愁は右手を握りしめ、【鉄拳】で硬質化させる。
「シュウくん!」
「ちょっと、アベっち!」
剣呑な空気を察してか、少し離れた場所にいたクレとウツキが駆け寄ってくる。
キラキラは自分の頭を指さす。
「ちゃんと……わたしを壊さないと、今度は別の誰かになっちゃうからね。そうなったらたぶん、今みたいなわたしじゃなくなっちゃうから」
「……お前、それでいいのかよ」
「シュウに殺されるなら、別にいいかなって気がしてる」
狩人の立場からすれば、そしてこの国の人間とすれば、それは義務だ。使命と言い換えてもいい。
真っ先にとるべき選択肢であり、それ以外に考慮する余地はない。
ここ最近、魔人絡みで何度も死にかけてきた。その妙な因縁を断ち切れるかもしれない。
なによりノアが――ノアが?
彼女なら、なにを望む?
すべてを知ったあとで、なにを願う?
(……そんなもん……)
(訊かずにわかるわけねえだろ!)
「くそがぁああっ!」
「アベシュー!」
ゴッ! と鈍い音が響く。
銀色の拳が打ちつけたのは――愁自身の額だ。だらりと垂れた血がにじむ目に、キラキラの呆然とへたりこむ姿が見える。想定以上の痛みに涙を堪えながら、愁は口元に笑みを浮かべてみせる。
「つーか……するわけねえじゃん」
できるわけがない。
そこにはまだ、ノアがいるのだから。ノアが生きているのだから。
愁はふうっと息をつき、手の甲で額を拭う。ぴきぴきとかすかな音とともに傷口が勝手にふさがっていくのを感じる。【不滅】は便利だが、こういうときに痛みにひたらせてくれてくれない。
「……あのさ、まだ質問が残ってるんだけど」
「え……?」
「あのとき……なんで俺を助けたんだよ? 自分が魔人だって気づいたのに、俺はお前のお仲間と戦ってたのに」
キラキラは座り込んだままぽりぽりと頭を掻き、小さく首をかしげる。
「それは……だって……あなたたちは別だから。シュウと、タミコは」
「へ?」
「りす?」
その先を口にするのを躊躇うように、キラキラはいったん間を置く。
「……この娘の、ノアの影響なのかもしれない。もしかしたらそうじゃないのかも……でもどっちでもいい。今のキラキラは、あなたたちが好き」
ふと見せた笑みは、それまでのどれとも違う、ノアよりも幼くあどけないものだ。
「そう思える自分も、そう思わせてくれるノアも……嫌いじゃないの。わたしは人類の敵でも味方でもない、他の魔人だってどうでもいい。だけど……シュウとタミコだけは……あなたたちだけは助けたいと思った。あなたたちの味方でありたいと思った。だから……」
愁はどすんと腰を下ろし、がしがしと頭を掻く。あたりが暗くて助かった、顔色がバレずに済むから。
「できれば人類の味方になってもらいたいんだけどね」
「……ムカついても殺さないようにする、なるべく……」
「やっぱこいつやべーりす」
「誰にでも尖ってる時期はあるんだよ」
ノア自身、愁たちには優しくて献身的だが、決して博愛精神にあふれる聖女ではない。むしろ野盗の殺処分を強く推したり、仲間でない人間にはわりと塩対応だったりする。果たしてノアの影響とやらがどこまで反映されるものなのか。
ともあれ――キラキラが人類に仇なすものでない限り、まだ猶予はある。
まだ――そうだ。
(――ある、まだ)
やれることはある。
と、キラキラの頭がふらっと揺らぐ。床に手をついて身体を支える。
「……ごめんね、ちょっと疲れて、眠くて……」
愁がとっさに彼女の肩を掴む。確かに力を感じられない。
「……次は、しばらく出てこれないと思う。でも、そのほうがいいんだよね……」
弱々しく、頼りない笑み。
「……シュウには、嫌いになってほしくないから……」
愁はぐっとうつむき、数秒で必死に言葉を組み立て、意を決して顔を上げる。
「……キラキラ、はっきり言っとく。俺が一番大事なのは、ノアだ」
とくん、とキラキラの鼓動が愁の腕に伝わる。
「ノアを救うためなら、俺はなんだってする。お前をそこから追い出す方法があるなら、俺は絶対にそれをする。だからそれまでは……たとえお前が国の敵だろうと超危険生物だろうと、俺がお前ごと責任持って面倒見てやる。こんな俺でよけりゃ、いくらでも身体を張るよ」
言葉はまとまる前に口を衝いて出ていく。これ以上ないほどに顔が熱い。
それでも愁は言葉を続ける、キラキラの目をまっすぐ覗き込みながら。
「だけど……お前がノアを解放するために協力してくれるなら、そのときまでノアを守ってくれるなら……俺もお前を守るよ、キラキラ。ノアのためだけじゃなくて、お前自身のために」
都合のいいことを言っているな、と愁は内心自嘲する。
それでも――偽りのない本心だ。
彼女の目がこぼれそうなほどに見開かれている。色の薄い唇が震えている。
「……いいの、ほんとに……?」
「まあぶっちゃけ、初対面の印象は最悪だったけどさ。でもそれ以外は別に……むしろ命の恩人だし」
「……でも、わたしは……」
「そりゃまあ、社会人としちゃよくないのかもだけど……でもその程度なら今さらだし」
仕事は真面目にやっているつもりだが、実際は隠しごとだらけで脛が傷だらけだ。日頃の行ないがよくなければ、今頃とっくにカイケに通報されている。
「タミコはどう?」
「へっ! マジンだろうなんだろうが、あたいのシャテーになりたきゃドングリもちからはじめるりすわ!」
「要は頬袋のスペアってことね」
こちとらメンツはションベンリスとくっさいの好きなボクっ娘JK、予備メンバーにド変態マッチョとビッチな偽ロリババアだ。そしてそれをまとめるのは百三十歳超えの隠れ〝糸繰士〟だ(童貞ではない)。今さらヤンデレストーカーの魔人見習いが増えたところでどうだというのか。
「なあ、約束してくれ……ノアもお前も、俺やタミコも、みんなが報われるように力を合わせるって。できなきゃ、ノアにひたすらにんにく食わせて封印するくらいしか思いつかねえけど……できるなら、お前も今日からうちの子だ」
キラキラがくすっと笑みをこぼす。愁の胸にしがみつき、こくっとうなずく。
「……にんにくはもう、懲り懲りだからね……」
「よし、契約成立だな――っておい、キラキラ?」
と、彼女の身体から力が抜ける。愁が声をかけても返事はなく、ぐったりと腕にもたれかかったまま、ほとんど目を閉じようとしている。再びノアの中で眠りにつこうとしているようだ。
「ちょ、ちょっと待って! えっと、キラキラさん? 最後にあたしも!」
そこにウツキが割って入ってくる。
「最後に教えて……あなたが魔人なら、〝幽宮〟がどこにあるか、知ってるんじゃない? 〝伊邪那美〟と〝伊邪那岐〟はどこにいるの? あなたならわかるはずでしょ?」
彼女の目が薄く開く。ウツキを捉え、ごく小さく首を振る。そしてほとんど消え入りそうな声で答える――「……ごめん、知らない」と。
ふらふらと漂う視線が、ぐっと唇を噛むウツキから愁のほうに向き直る。そして唇がかすかに動く。
「――……またね、シュウ」
ふっと目が閉じられる。こてん、と首が後ろにもたれる。
そのまま十数秒、誰もなにも発しない時間が続く。テラスが静まり返ると、遠くのほうから繁華街の喧騒が聞こえてくる。もう少し夜が更けてくると、今度はそれが虫の声に変わるのだ。
「ウツキさん、さっきのは……?」
〝幽宮〟はサトウの口から聞いた憶えがあるが、〝伊邪那美〟と〝伊邪那岐〟は初出現のワードだ。日本神話に出てくる有名な神だというのはわかるが、それがどういう意味を持つのか。
まさかそのまま神様を指すわけでもあるまいし、そんな大それた名前を持つなにかがこの国とどう関わってくるのか。思わせぶりすぎて気になってしょうがない。
「……わたしも詳しくは知らない。だけど、この国と魔人の出生に関わる重要なキーワードだって、それだけは聞いてる。魔人なら知ってる可能性が高いって聞いてたけど、キラキラさんは空振りかあ……」
サトウのために確かめずにはいられなかったのか。意外とミッションに忠実な弟子だ。
「ってか、ごめんね? 一世一代の告白シーンを邪魔しちゃって」
「べべべ別にそんなんじゃねえし!」
リスと変態の視線がレーザービームのように熱いが無視しておく。
***
スタッフが閉館を知らせにやってくる。横たわったノアを見て「だいじょぶですか?」と声をかけてくれるが、「ちょっと酔っ払って寝ちゃっただけ」と伝えると、なにか物言いたげな顔をしながらも階下に戻っていく。
ノアの寝息は規則正しく、顔色も悪くない。特に異常はなさそうだ。「普通に眠ってるだけみたい」と介抱するウツキも言う。
愁はあぐらをかいたまま、しばらくぐったりとうつむている。なんというか、ボス戦以上に精神をガッツリ削られたような気がしている。
ノアについていたタミコが愁の膝に乗り、ジト目で見上げてくる。
「あたいはなんばんめりすか?」
「へ?」
「なんばんめにだいじりすか?」
意外とマジなテンションで訊かれている。愁は苦笑いしつつ、むきゅっと頭を撫でる。
「お前も一番大事……つーかもう、俺らは一心同体だしなあ。だろ、相棒?」
「だっ! だれがヨメりすかー! やだりすー!」
高速で肩までよじ登り、照れ隠しのリスビンタぺしぺし。
「シュウくん、僕は? 僕は何番目?」
「ノアを家まで運んでくれたら青ゴブリンの次くらいに格上げしてやる」
喜んでいいのかどうかわからないような顔のクレをよそに、愁はよいしょと立ち上がる。
「タミコ、ウツキさん。ノアのこと頼むわ」
「え、アベっちは?」
「どこいくりすか?」
「ちょっと野暮用っていうか。そんなに時間かかんないから、先に帰ってて」
ぽん、とノアの頭に軽く触れてから、愁は立ち上がり、一足先に時計塔をあとにする。
目的地までは歩いても数分だ。
夜気で身体の火照りが収まってくると、同時に頭も冷えてくる。
(えっと、なんつーか)
(すっげー恥ずかしいこと連呼してた気もする)
周りにほとんど人はいなかったが、仲間たちにはばっちり聞かれてしまった。今日眠る前に布団の中で悶えるやつだ。
(一番大事とか、なんだってするとか)
(チョーシこきシュー全開だったかも)
いろいろありすぎて、情報が多すぎて、もはやキャパも限界だ。本当ならこのまま一刻も早く家に帰って風呂入って寝たい。
だが――その前にやることがある。
そしてそれを宣言するには、先ほど以上のチョーシこきパワーが必要になる。今のこの勢いを維持しておかなければいけない。明日になればまた尻込みしてしまうかもしれないから。
(……それしかないよな)
迷いがないと言えば嘘になる。今まで必死に隠し通してきたのだから。
だが、思いついてしまったのだ。なんだってすると誓ったのだ。今さら吐いた唾は呑めない。
(俺の立場とか評価とか)
(そんなもん、もうどうでもいいし)
腹をくくるために、出入り口の手前でふうっと息をつく。ついでに呼気もチェック。ミントの香りの奥に若干にんにく臭が残っているので、至近距離での会話はやめておこう。
ドアを押し開けると、がやがやと歓談していた客たちの目が一斉に愁のほうに向けられる。
ギルド営業所の一階の飲食スペースは、夜になるとアルコール類も提供される。立呑テーブルを囲んでジョッキをあおっているのは、今日もひと仕事終えて一杯引っかけに来た狩人たちだ。
ここ数日は訓練場に顔を出していたので、愁の顔はだいぶ認知されている。漏れ聞こえてくる会話の中に「あいつ」「ルーキー」という言葉も混じっている。
そういえば思いきり部屋着のままだが、構わず愁はカウンターに向かう。この時間なら、と思ったとおり、カイケが奥のデスクで仕事をしている。声をかけるとすぐに席を立って窓口にやってくる。
「こんばんは、アベさん。こんな時間に珍しいですね、しかもお一人で」
「どうも。ちょっと相談つーか、例の件で」
「例の件って……御前試合の件ですか?」
愁はうなずく。なるべく顔を近づけないように背筋を伸ばしておく。
カイケの表情がにわかに明るくなる。【心眼】で察したのだろうか。
「……もしかして、お引き受けいただけるんですか?」
御前試合、結びの一番。つまり当日最終戦、メインマッチ。
狩人ランキング第六位、ハクオウ・マリアとの試合。
「その前に、一つだけ条件があるんですけど」
今、自分にしかできないことがあるのだ。ノアのためにできることが。
それならば、なりふり構っていられない――救いたいものがあるなら。
「確か、大会終了後の表彰式とは別に、参加者の祝賀パーティーがあるんですよね。都知事閣下とメトロ教団の教祖さんも来るって」
「あ、はい。それがなにか?」
いずれも滞在中のスケジュールは厳密に決められており、秘書やら付き人やら身辺警護やら、常に数十人単位で取り巻きがついて回るらしい。チャンスがあるとすれば、そのときだけだ。
「……出場、させてもらいます。その代わり、本部の偉い人でも市長でもいいんで、掛け合ってください」
小首をかしげるカイケに、構うものかと愁は身を乗り出す。
――漢を見せろ。チョーシこけ、アベシュー。
「都知事か教祖、どっちでもいいです。俺が六位に勝ったら――サシで謁見させてください」
「御前試合編」、いよいよ本番!
……の前に幕間があるかどうか。
ここまでの感想、ブクマ、評価などをいただけると幸いです。作者のハゲみになりす。




