114:キラキラの告白
口くさ魔人(仮)は逃げだした。
しかしアベシューに引き止められてしまった。
というわけで、魔人(仮)キラキラは訝しげな顔のまま、大量のミントキノコをスナック菓子のようにガリガリとかじっている。
不可思議な効能により、ごく一部においては先史科学文明をも凌駕するシン・トーキョーのキノコ文明。ミントキノコは一見してチョコ菓子のような豆サイズの乾燥キノコで、文字どおり「噛んで呑み込むとスースーして息がいいにおいに」という便利グッズだ。それがアベ・シュウ宅に大量に備蓄されている理由については推して知るべし。
「ひそひそ(シュウくん、これって……)」
「ひそひそ(アベっち、どうなってんのこれ? ノアっちどうしちゃったの?)」
クレとウツキが耳打ちで尋ねてくる。キラキラの存在を知っているのは愁とタミコとギランだけだ。
「えっと……事情はあとで話すから」
表情からして薄々なにかを察していたクレはともかく、ウツキの前でキラキラと引っ張り出してしまったのは悪手だったかもしれない。
彼女にバレるということは、その師匠である獣王サトウにも秘密が漏れるということだ。どういう事情かは知らないが、あの鮫は魔人を嫌悪し、強く憎んでいる。
できればこのことを打ち明けずに情報を引き出したかったが、知られてしまったとき、万が一彼が敵に回るようなことがあれば――。
いや、と愁は首を振る。そのへんのことはあとで考えよう。今は目の前の相手が先だ。
「とりあえず、俺らもこれ食べとこう。密集してると大気汚染だわこれ」
異論はないようで、三人もミントキノコをかじる。スースーが鼻を抜けて冷たい。唯一にんにく被害を免れたタミコはあえて手をつけない。必要ないからというより、お子様の口にはミント系はまだ早いようだ。あとでチョコミントから教育してやろう。
キラキラとしてもひとまずここに留まろうという程度には回復したようだ。あれだけのにんにく臭なのですぐに全解消とはいかないが、入念に呼気チェックし、どうにか納得したようにほっと肩の力を抜く。
「……シュウは、わたしのことをキラキラって呼ぶんだね」
気をとり直してという風に、キラキラがミステリアスな笑みを浮かべて言う。不気味さや恐怖感というものはにんにくショックでどこかにぶっとんでしまっているが触れないでおく。もちろんいきなり暴れだすようなこともあるかもしれないので、向かいに座りながら最大限の警戒は怠らない。
(つーか……全然違うよな)
ノアの顔、ノアの声。それでもこうして向き合ってみると、やはり彼女とはまるで別人だとはっきりわかる。
付き合いは短い、それでも命がけの濃密な時間をともにすごしてきた。生身の人間として互いに触れ合ってきた。
だからこそ、見ただけでもじゅうぶん察せられる。目の前で薄く笑うのは彼女の中に潜む別のナニカなのだと。
「……まあね、最初に戦ったときからキラキラがどうの言ってたし」
あの盗賊の頭領の中にいたのがこいつだという前提だが。
「でも……キラキラなのはわたしじゃなくて、シュウのほうなんだけどね」
やはりというか、否定はしないのか。
「それってどういう意味なの? 俺のなにがキラキラなの?」
キラキラはちゃぶ台に乗るタミコの額をつんつんし、ふっと笑う。
「わたしはずっと見てたもん。あなたとタミコがあの場所に――オオツカメトロにいたときから」
「……は?」
愁のほうを振り返り、目を細める。愁の後ろに連なる遠い場所に思いを馳せるように。
「最初は……あの白毛猿だった。シュウがあいつと戦って、二人してズタボロになって、それでもあがいてもがいて、タミコと一緒に生き延びて」
背筋がぞわりとする。同時に記憶が甦る。
四年以上前――オオツカメトロ五十階。
サバイバル開始から半年ほど経って、まだレベル20にも満たなかった頃。全身真っ白の巨大な猿に遭遇した。レイス、推定レベル50以上。
当時は死神のように見えたそれに、愁は完膚なきまでに叩きのめされ、タミコも瀕死の重傷を負わされた。愁の決死の特攻でどうにか逃げきることはできたものの、あのときの恐怖体験は思い出すだけでチビりそうになる。
「お前……あそこにいたのか?」
記憶が正しければ、あのときのことは「弱かった頃にレイスにやられかけたことがある」くらいしかノアには話していないはずだ。タミコをちらっと伺うが、彼女もぷるぷると首を振る。
「あの頃はわたしも、こんな風に自由にしゃべったり考えたりできなかった。だけど、綺麗だって思った」
「綺麗?」
「相手は比較にならないほど強大で、当たり前みたいに死にかけて、それでも自分の手を吹き飛ばしてまで必死に生き抜くあなたの姿を……それがわたしの中に芽生えた最初の感情だった」
自分としてはチビりながら血まみれで泥くさくあがいていた苦い思い出だが、そんな評価をもらえるとは。
というのは別にして――間違いない。思い出話を小耳に挟んだ程度ではこんな風には語れない。
つまり、本当にあのときあの場にいて、その目で一部始終を見ていたのだ。
「あのときわたし、狼の中にいたんだっけ……それで遠くから見ていたの。すごく懐かしい。それからも何度も、あそこであなたたちを見かけた。あの場所で命は絶えずめぐっていく、わたしもたくさんの宿主の中で生きて死んでを繰り返していった」
宿主、という言葉をそのまま受けとるなら。
今こうしてノアの口を借りているナニカは、外部から侵入した寄生生物のようなものだということになる。ノア自身が生み出した別人格という線は完全に消えてしまう。
「ときにはあなたたちの獲物として、本気で命を奪い合ったりもした――ああ、わたしの意思じゃなくて、宿主の中で見てるだけだったけどね。片目になったあの白毛猿もそうだし、最後は巨大なスライムもね」
「あいつらの中にもいたのかよ!」
成長個体となって再び遭遇した、因縁のレイス。そして四十九階のボス、通称サタンスライム。
いずれも一度は愁を完膚なきまでに叩きのめしたトラウマ級の獣。やつらとのリベンジマッチは愁にとってオオツカメトロ時代でも屈指の凄絶な死闘だった。
「え、つーか、そんな簡単にころころ宿主を代えられるの?」
「簡単じゃないよ。基本は死なない限り身体から出られないし、あの頃は自分から宿主に入り込めるほど成長してなかったし」
愁が倒してきた数々の獣――そのいくらかの中にキラキラが潜んでいたということか。そう聞くとものすごく恨まれていてもおかしくないような気もするが、そういうことでもないらしい。
というか……そんなことより。
――死なない限り身体から出られない。
聞き捨てならないセリフだ。それが本当なら、ノアは――?
キラキラはコップの中の水に指をひたし、その水滴をぽたりとちゃぶ台に落とす。
「あのときの、スライムの中で見たあなたとの戦い……わたしは手出しできなかったけど、宿主を通してわたしはすべてを見て、すべてを感じていた。すごい戦いだった……」
ふるふるとした水の球体を爪の先でつつくと、じわりと広がって木目にしみこんでいく。
「わたしの手で、あなたは削れていった。あなたもまた、光る刃を振るってわたしを削っていった……あのときのあなたは、ほんとに綺麗だった。その動きの一つ一つが、魂を燃やすみたいにキラキラ光ってて……」
「まあ、【光刃】使ってたし」
キラキラの由来は【光刃】だったのか。
「……最後にあなたの手で殺されたとき、わたしはあなたを追いかけようと思った。もう一度会いたかったから……今度は本当のわたしのまま……何度もいろんな生き物に移り変わりながら、あなたのにおいや気配を追ったの。言葉どおり必死にね」
それで地上まで追いかけてきたということか。ヤンデレの上に行動力まで抜群なストーカーだ。
「だけど……途中でわたしが休んでる隙に、コウモリだのモグラだのに宿主が変わって、そのまま気づいたら地上に出ちゃって。シュウたちのにおいを完全に見失っちゃって、あのときはすごい焦ったけど……そうしてわたしは……初めて〝ニンゲン〟に宿ったの。それが、あの腕のない男だった」
〝腕落ち〟の元狩人。ノアを捕らえ、愁とオブチを罠にはめた野盗の頭領――。
「まさか……あいつらが襲ってきたのって、お前がなんか操った的な……?」
「ううん、それは偶然。あの男が行く先にシュウを見つけたとき、一番びっくりしたのわたしだし。だけど、人間の言葉を借りるなら……ああいうのが〝運命〟ってやつなのかな? ふふ……」
ヤンデレに使わせてはいけないワード第三位「運命」。気のせいだよと優しく言ってあげたい。
「あいつも結構いい線行ってたけど、やっぱシュウには敵わなかったよね。あいつのおかげでわたしは、わたしの姿のままあなたと……」
「……お前の本当の姿、か……」
頭領を仕留めた直後に現れた、まるでホラー映画から飛び出してきたかのようなおぞましい化け物。
ギランの話と統合すれば、あれは魔人の〝覚醒体〟――その未熟ななりそこね、ということになる。
「まあ、初めてでちょっと暴走しちゃって、みっともないとこ晒しちゃったけど。でも……楽しかった。わたしとシュウが、二人でぶつかり合って、二人で命を削り合って、そのまま一つに融け合うみたいに……すっごい気持ちよかった……」
とろんとした恍惚の目で、ノアの口からそんな官能的な口調で言われて、愁としてはリアクションに困る。普段とのギャップとかそういうことを意識してはいけない。いけぬのだ。
「それで……あのあと、ノアに?」
「うん。細かい経緯はわたしも憶えてないけど、気づいたらこの子の中にいた。それからはずっと、そばでシュウのことを見てた。この子の目を通して、この子の気持ちを通して……ね」
愁は後ろに手をついて天井を仰ぎ、大きく息をつく。
地上に出てすぐのドタバタで、いきなり現れた感のあったキラキラ。それきりかと思いきやノアの中に潜み、しかも――オオツカメトロから自分たちを追いかけてきたとは。まさか穴ぐらの奥底で蛮族をやっていた頃から目をつけられていたとは。
「……もう、なんつーか……」
ひとまず、自分たちとの因縁――自分たちの前に現れた経緯についてはつながった。すぐに消化するのは難しいが、今はそれよりも重要なことがある。
「訊きたいこと山ほどありすぎてどうしようかって感じなんだけどさ。とりあえず、最優先で訊きたいことが三つある。お前が魔人なのかどうか。俺たちの敵なのか味方なのか。そして……お前からノアを解放するには、どうしたらいいか」
ノアの身体から出ていけ、というのと同義だが、キラキラは微笑を崩さない。当然とでもいう風に。
「キラキラマジンめ! ノアからでてけりす! シャーッ!」
タミコがキラキラの太ももに乗り、乳にぺしぺしと往復リスビンタ。ボクシングのスピードボールのごとくばるんばるん揺れる。
果敢に立ち向かった魔人祓いのエクソリストだが、むんずと掴まれ仰向けにされてこしょられる。「ああっ……このゆびづかい、ノアの……どうしてぇっ……!」と即堕ち。
「……ねえ、シュウ」
タミコの腹に指を這わせながら、キラキラは上目遣いに愁を見る。
「わたし、外に出たい」
「へ?」
「街を見て回りたいの、わたしの目で……シュウと一緒に」
続きは今週土日あたりに更新予定です。
それと、書籍化に向けてタイトルをちょこっと検討中です(詳細は活動報告にてご連絡いたします)。正式決定までちょこちょこ変わるかもしれませんが、何卒ご了承ください。




