113:ノアの闇堕ち
12/27:「■菌職と菌能に関する解説と各職菌能リスト」の公開に伴い、修正を行ないました。
包丁を研ぎ終わったノアが、それを握りしめたままふらふらとウツキとクレのほうに近づいていく。
「ちょちょ、ノア! そいつら晩ごはんの食材じゃないよね!?」
「ヘンタイもババアもまずそうりす! たべたらおなかこわすりす!」
慌てて止めに入る愁とタミコだが、ノアはめんどくさそうな顔で一瞬振り返っただけで、すぐに二人のほうに向き直る。むぐーむぐーとうめくウツキ、ノアの手が彼女のほうに伸びて――その後ろに転がっていた紙袋を掴む。
「……こっちの女性、ほんとにお二人のお知り合いですか?」
「あ、そっか」
久々に我が家に帰ったら見知らぬ偽ロリが我が物顔でゴロゴロしていたので、不法侵入者かなにかと勘違いして拘束したということか。クレのほうまで縛られている理由はミステリーのままだが。
「えっと、ちょっと説明すると長いんだけど……ウツキ・ソウっていうコマゴメの狩人で。いろいろあってしばらく一緒に行動することになって」
「……そうですか」
ノアはそれ以上なにも言わず、キッチンに戻って調理を再開する。紙袋に入っていた野菜を刻むまな板と包丁の音がトントンと小気味よいリズムを奏でる。
愁とタミコはほっと息をつき、ひとまず二人の拘束を解くことにする。【白紐】のぎゅうぎゅうの結び目はかたく、しかたないのでタミコの硬化前歯でかじってもらう。
「ぷはっ! ちょっとー、口までふさぐ必要ないじゃない! 獣じゃないんだから!」
「ノアにちゃんと説明しなかったんですか?」
「したもん! いきなり【短刀】抜かれたから、あたしとシュウくんがいかに親密な関係か熱弁してやったのに! 昨日だって二人でとろけるような夜をすごしたし――」
「親密じゃねえよ。また酔っ払って盛大に吐き散らかしてただけじゃねえか」
「ゲロリりす」
「その人が嘘ついてる可能性もあったんで、一応拘束させてもらいました」
ノアが振り返らずに言う。この偽ロリの前科や人間性を鑑みるに、その判断は間違いではなかったと愁も納得。
「んで、なんでクレまで縛られてんの?」
よく見れば亀甲縛りというかチャーシューを巻くような網目の縛りかただ。ノアがアブノーマルな技術を習得していたわけではないと知ってほっとする。
「ああ、僕は前々からこういうのに興味があったから。せっかくなんでついでにね」
「アホかよ」
「確かにこれは新しい景色だね。肉や肌や大事な部分にめりこむ縄の感触といい、ボロ犬のように尊厳を踏みにじられるカタルシスといい、これはこれでアリと言わざるを得ない。だが……違うんだ、やっぱりイカリさんじゃダメなんだ。結ぶという行為は絆が必要なもの……その相手はシュウくん、君でなければいけない。君の手でそうしてもらえなければ、純然たる愛の悦びに昇華されないんだよ!」
「タミコ、ほどかなくていいよ。明日燃えるゴミの日だから」
「このイケメンさん……【魅了】が効かないと思ったらやっぱそっちなのね。あたし的にはもったいないけど、まあそういう絵面も酒の肴には悪くないかな?」
「これ以上ややこしくしないでもらえます?」
ダンッ! とキッチンから大きな音が響く。一同がびくっとして振り向く。ノアがブロック肉をまな板に叩きつけた音のようだ。
「……うーんと……」
「……ノア、ごきげんナナメりす……」
ここまでヘソを曲げたノアは初めてだ。偽ロリの出迎えとクレの無茶振りがそんなに癪に障ったのだろうか。
「ひそひそ(クレ、ノアになんかあったの? つーか移籍の件は?)」
「ひそひそ(イケブクロでの手続きは終わってるし、あとはスガモのほうに書類を出すだけだよ。まあ……いろいろ大変だったんだけどね)」
「え?」
なにか問題でもあったのだろうか。それでちょっと帰りが遅くなったのだろうか。あるいはそれが不機嫌の理由なのか。
「ひそひそ(そんなことより……止めるなら今だよ)」
「へ?」
クレの額につうっと汗が伝う。その表情は、恐怖の色だ。
「本当の地獄は……ここからだ……!」
愁ははっとして振り返る。
ノアががさごそと紙袋の底からとり出したのは――片手では持ちきれないほどの大量のにんにくだ。鬼女のごとくにやりと口の端を歪ませる彼女の横顔に、愁は心の底から戦慄する。
***
名産というほどでもないが、イケブクロ界隈ではにんにく料理がわりと盛んだという。ノアのくっさいもの好きが故郷の味だと判明したが、クレ曰く「それでもイカリさんは異常」らしい。
食卓に並ぶ、お土産のイケブクロにんにくをふんだんに使った心尽くしのにんにく料理。すりおろしにんにくたっぷりの味噌鍋をメインに据え、餃子、揚げにんにく、串焼き、姿焼き、ガーリックピラフ、にんにくの芽とバラ肉の炒めもの。居間に漂う禍々しいまでのにんにく臭が目に刺さって痛いほどだ。タミコはすでにちゃぶ台から避難している。
「えー、イカリ・ノア、遅ればせながら帰還いたしました」
憮然とした表情のまま、ノアが誰にともなくそう言う。
「積もる話もありますが、とりあえず食べてからということで」
「……はい……」
「では、いただきましょう。いただきます」
「「「「いただきます(りす)」」」」
とは言うものの、率先して手を出そうとしないチキン三人。ノアがそれぞれのお椀を強奪し、味噌鍋をたんまりよそって突き返す。
「はふはふっ! ひさびさのノアメシ! もんくなしにうま! たに! えんっ!」
タミコが絶賛しながらかきこんでいるのは、薄味が好きな彼女のためにノアが別皿で用意した料理だ。ノアらしいその気遣いをもう少し人間側にも分けてくれたらよかったのに。
意を決して口に運ぶ。味は――憎らしいほどうまい。どれもこれも絶品だ。
「うめえ! けど、んごっ!」
だがやはりパンチがすごい、ガツンとくるジャンキーさが留まることを知らない。においが鼻を通り越して脳に突き刺さる。もはや味覚が痛いほどだ。
クレですら汗だくで苦悶の表情を浮かべ、ウツキなどは頬張った餃子のにんにく含有量にのたうち回っている。
愁はやけくそで一気にかきこむ。口に広がる暴力的な混沌に悶絶しながら、
「――え」
この手が次の料理に伸びようとしているのに気づく。
おかしい。なぜ自分から迎えに行こうとしているのか。
きつい、つらい。舌は痺れ、灼かれた食道と胃は悲鳴をあげている。
なのに、なぜか止まらない。ノアからの催促もないのに、なぜか箸を持つ手が止まらない。この口は声なき文句をつぶやきながら甘んじて受け入れ、この身体は濡れ雑巾のようになりながらもなぜか喜んでいる。
「これは……食べれば食べるほど……クセになる……!」
クレが熱に浮かされるかのようにつぶやく。息を荒らげ、びっしりと汗をかき、瞳孔を全開にしてガツガツと貪っている。
「もうやだぁ……なんでやめられないのぉ……!」
しょんぼり泣きながらそれでも口に運び続けるウツキの姿に、もはやなんか怪しいクスリでも入っているんじゃなかろうかと疑いたくなる。
シメの麺までしっかり平らげた一同、お腹パンパンになってぐったりと横たわる。胃からこみあげるにんにく臭と背徳感で胸もいっぱいになっている。げっぷしたら蚊が落ちそうだ。
「オマエらにんにくくっちゃいりす! いきすんじゃねえりす!」
一匹だけ魔の手から逃れたうらぎリスの猛抗議。そう言われてもどうしようもない。あとでミントキノコでもかじろう。
「あーあ……明日久々に街でナンパでもしようと思ってたのにぃ……これじゃ無理だよぉ……」
「悪評立ちそうなんでやめてもらっていいっすか」
愁も明日はギルドに行くのは自重しておこうと思う。口くさルーキーとかモ○ボルとかあだ名をつけられたらへこむどころではない。
後片づけを終えたノアが戻ってくる。ちゃぶ台にお茶を並べ、ようやく本題に入れるタイミングだ。
「えっと……こっちもいろいろあったんだけど、話すと長いからさ……先にノアたちの件を聞きたいんだけど」
またしても魔人の片鱗と遭遇し、しかも獣王とお近づきになった。内容が濃すぎるし理解にも時間がかかるだろうし、後回しにしたほうがいいだろう。
「とりあえずイケブクロ支部から移籍できるってことだよね? なんかトラブルとかあったの?」
まずは闇堕ちの理由をはっきりさせたい。でなければ心身に負ったダメージが浮かばれない。
と、ノアとクレが神妙な顔つきになる。
ノアがリュックからとり出したものをちゃぶ台に並べる。名刺サイズの円形の模様がついた紙――愁とタミコがギルド登録時に使った試し紙だ。レベルチェック用と菌職チェック用、両方ともある。
しゅるしゅると生み出した【短刀】を、自分の指先に当てる。血のにじんだ指をレベルのほうの試し紙にぺたっと当てる。
血が、糸を引くようにまっすぐじわじわと伸びていく。目盛りに沿って進んだ赤い線は、ちょうど30のところで停止する。
「おー、レベル30。……30? 28じゃなかったっけ?」
スガモの旅館で最初に計ったときは24だった。それからオウジで4つ上がった。数え間違いでなければ28のはずだ。
「……はい、ボクの計算でも28のはずでした。でも……見てのとおりです」
頭に? を浮かべて首をかしげる愁とタミコ。続けてノアは菌職のほうにもぺたっと指でスタンプする。
六つの菌職を示した六角形。赤い線は「右下の〝細工士〟」へと伸びて――角にまで到達する。
「……え?」
確か、前回やったときは三分の二程度で止まったはずだ。途中で止まるのが基本菌職の〝細工士〟、角まで到達するのが上位の〝絡繰士〟。
それに、上の〝騎士〟系統と左上の〝幻術士〟系統にもちょろっと伸びているのは前回と同じだが、左下の〝療術士〟系統にもちょろっと伸びている。これも前回にはなかった。
「……前と変わってる?」
この結果がバグでない限り、ノアは〝絡繰士〟になり、〝療術士〟系統も習得できるようになったということだ。
「……はい。今のボクは、〝細工士〟の上位菌職、〝絡繰士〟になったみたいです」
「うおー! クラスチェンジやん! ……ってありえるんだっけ?」
前にちらっと聞いた気がする、言っていたのはオブチだっただろうか。確か、基本的には菌職は先天的なもので生涯変わることはないが、ごくまれに上位菌職に変わったりすることもあると。
案の定というか、愁とタミコ以外の三人は微妙な顔をしている。
「少なくとも僕は、イカリさんの件で初めて見たよ」とクレ。
「確かに、噂では聞いたことはあるけど」とウツキ。「大抵は最初の登録時の記載ミスとか、試し紙が不良品だったとかいうケースみたいだし。でもイカリさん? がそうならあたしも初めてだねー」
なぜそんなレアな現象が、ここへきて突然ノアの身に――。
そう考えて、思い当たることは一つしかない。愁はぐっと奥歯を噛みしめる。
タミコがきょろきょろと一同を見回している。
「ノア、つよくなったりすか? うれしくないりすか?」
「……そうですね……」
そっと目を伏せるノア。その横顔は先ほどまでのような怒りや苛立ちではなく、戸惑いや怯えのような感情を湛えている。
***
五日前。愁たちがクエストを受けてリクギ村に到着した頃、ノアとクレもワニバスでイケブクロまで到着していた。
その日のうちに支部の営業所に向かい、スガモへの移籍を申請した。予約もしておらず職員の手も空いていなかったので、審査と手続きは翌日にということになった。
空いた時間でノアは領内を見て回ったり、領外の元集落にある実家に足を伸ばしたりした。半年ぶりなので故郷を懐かしむというほどでもなかったようだ。
「さがしものとかしてました、実家で」
「なんか大事なもんとか?」
「……まあ、そんな感じです」
クレもノアにつきっきりというわけではなく、初めてのイケブクロ観光をそれなりに満喫できたらしい。剣術や武術を教える道場に腕試しに行ったり、都会のイケメンをチェックしてみたり。そのへんの話は秒で流しておく。
翌日、約束どおり審査が行なわれた。問題がなければ最短翌日には手続きが完了する、ということだったが――その問題が起こってしまった。
スガモ側へ提出する書類に添付する形で、改めて申請者の使用した試し紙が必要になる。ということで言われるままにノアが使ってみたところ、「レベル30」「菌職:〝絡繰士〟」。レベルも菌職も、本人の申告とは異なる結果になったのだ。
一番驚いていたのはノア本人だったが、レベルはともかく菌職が狩人登録時と異なるというのが問題だった。三年前当時の試し紙が書類と一緒に保管されていたことで(通常なら使用済みの試し紙は破棄されることが多いが、当時の職員が真面目に保管しておいたらしい)、「登録時に虚偽の菌職を報告した」という嫌疑こそかけられなかったが、ひとまず支部側で審議が行なわれることになった。
歴史あるイケブクロ支部でも前例のない上位菌職への変化。ノア自身に心当たりなどなかったが、これまでの活動内容の詳細な聴取や(もちろん話せる範囲で話した形だ)、ノアの身体検査や菌能の確認なども行なわれた。そこでまたしても新事実が発覚。身につけた憶えのない菌能を習得していたのだ。
「うおっ、マジで? どういう能力?」
と尋ねた愁だが、思い当たる節に背筋がひやりとする。
(まさか――あのときの【霊珠】?)
ノアが無言で立ち上がる。てのひらを広げ、手の甲を愁たちに見せ、胸の前で軽く手を振るう。
と、リビングのランプの明かりにキラキラと反射するものが見える、細かな胞子の粉塵をばらまいたようだ。
「うおっ、まさか――」
胞子散布型の能力だ。まさかノアまで【魅了】を――と愁は慌てて口をふさぐ。偽ロリでさえこっそりドギマギさせられたのだ、ノアにやられたら堕ちる自信しかない。そうしたらものすごく恥ずかしい。
「アベっち、これ【魅了】じゃないよ」とウツキ。「たぶんだけど……【活塵】かな? 〝療術士〟系統の」
「はい、そうみたいです」
【魅了】ではないという言葉を信じて口から手を離す。
「んで、かつじんって?」
「吸い込むと体内が活性化されて、一時的に元気になったり持久力がアップするの」
「あー、バフ系の能力か」
無味無臭でわかりづらいが、言われてみると確かに少し疲れがとれたような感覚がある(プラシーボ効果かもしれないが)。ふすーっと大きく吸い込んだタミコが「み・な・ぎ・っ・て・き・た・り・す!」とシャドーボクシングを始める。しゅしゅしゅっと鋭く空を切る連続リスパンチ。
「へー、ノアっちやるじゃん。〝療術士〟の塵術でも当たり能力だよ? 【剛塵】とかにくらべると地味って言われるけど、メトロに長く潜ったりするならチームに一人持ってると重宝するし」
いつの間にかあだ名呼びになっていてノアも顔をしかめるが、なにも言わずに腰を下ろす。
「僕の【剛力】と違って――」とクレ。「対象者が自分自身に限定されない分、効力は若干弱めだけど、チームプレイならこっちのほうが便利だよね」
「なるほど」
とにかく、【霊珠】でなくてよかったと言うべきか。ものすごく体力を消耗するようだし、変な思い出が頭をよぎるし。あばば。
「んで、ノアは習得した憶えがないの? オウジで背中アツアツになったの気づかなかったとかじゃなくて?」
「……そうだったら気づくと思いますけど、心当たりはないです……」
「……そっか……」
――ということで、本人に憶えのない菌能まで身についていたりと、ノアの諸々の発言の信憑性まで問われはじめ、このまま移籍許可を出していいものかとイケブクロ支部は揺れた。
スガモ支部とは近所付き合いもあるし、トラブルの種をみすみす譲り渡すような真似をしたら、相互間ひいては支部としての信用に関わってしまう。ギルド本部への情報提供や対応相談にまで発展しかけたという。
だが、結果的には大事にならずに済んだ。それは支部の重鎮の鶴の一声によるものだった――そう、あのギラン・タイチだ。
彼がノアの人となりや仕事ぶりについて弁明し、「オウジ深層での過酷な体験が彼女の潜在能力を引き出したのかもしれない」といういかにもな推測を披露した。さらには移籍についても快く後押ししてくれ、今日ようやくすべて手続きが完了したということだ。
「ギランさんはああ言ってくれたけど、自分じゃ全然見当もつかなくて……普通じゃ絶対ありえないのに、なんでボクなんかにこんなことが起こったのか……なんていうか、もう、自分がなんなのかよくわかんなくなって……」
愁はちゃぶ台に肘をつき、頭を抱える。
「それでうちに帰ってきたら、見知らぬ人がゴロゴロしてて……シュウさんの愛人だとかなんとかわけわかんないこと言うから、もうなんか頭の中がごちゃごちゃになって……」
愁は一重まぶたをぎゅっとすぼめてウツキを睨みつける。ウツキは首をすくめて居心地が悪そうにする。
「さっきの料理だって、ほんとは普通に故郷の味を振る舞いたかったのに……なんか八つ当たりみたいになっちゃって、せっかく帰ってきたのに感じ悪くしちゃって……すいませんでした……」
うっすら涙を浮かべて頭を垂れるノア。
「……いや、ノアは悪くないよ、全然」
不安すぎてにんにく料理責めに走るというのがJK世代の女の子の正常なマインドなのかどうかは置いておいて。
ようやくノアの気持ちを理解できた。
どこからやってきたのかもわからない、得体の知れない力がその身に宿り。まるで自分が自分でなくなっていくかのような恐怖や焦りがあったのだろう。
不安でたまらなくて、仲間の待つ家へと急いで帰ってみれば、見知らぬ偽ロリのお出迎え。自分の不在をいいことに女を連れ込んで、人の気も知らないで――そんな風に自棄になるのも無理はない。
(やっぱ無理やりにでも連れてけばよかったな)
悔やまれる判断ミスだ。やはり彼女から目を離すべきではなかった。結果的にこちらはこちらで死ぬほど大変だったわけだが。
さらに悔しいのが、あのエロオオカミにいいところを持っていかれたことだ。あの男のおかげだと感謝の思いもあるし、政治家みたいな忖度しやがってという身勝手な反発心もある。というか嫉妬だ、ちくしょうめ。
「……ごめん、ノア」
「……なんでシュウさんが謝るんですか……?」
その謝罪には、あの件を彼女に内緒にしていたことも含まれている。
そう、愁にはすでに見当がついている。彼女の身に起こった異変の原因がなんなのか。
彼女の中に潜む、魔人らしき影――それがオウジで姿を現したこと。それ以外に考えられない。
そしてきっとノア自身も、無意識のうちにその気配を感じている。だからこそこんなにも不安なのではないか。
愁はノアの前にどかっと腰を下ろし、彼女の顔を両手でむにっと掴む。
「えっ?」
戸惑う彼女をよそに、その顔をぐいっと自分の顔に近づける。
「ちょ、シュウさん!? なにを!?」
真正面から覗き込むと、彼女は照れて顔を赤くする。
「あの、ボクっ! すっごいにんにくのにおいがっ!」
「それはお互い様」
後ろでは三者三様でやかましい。タミコ「ドーテーのくせにセクハラりす! キーキー!」、クレ「イカリさんだけずるい! 僕も、僕もぉおおっ!」、ウツキ「あー、あたしベッドメイキングしてきますわー」。とりあえずひと睨みして黙らせておく。
「ごめん、ちょっと真面目な話だから。今から変なこと言うけど、ノアは黙って聞いててくれる?」
「え? あ、はい……」
すうっと愁は息を吸い、もう一度正面からノアの目を覗き込む。
「――キラキラ」
「……え?」
「キラキラ、いるなら出てこい」
一瞬、部屋中が静まり返る。
「あの、シュウさん――」
「キラキラ、聞こえてるんだろ? そこにいるんだろ?」
ノアがきょとんとした目で見つめ返してくる。なにを言っているんだろう、という風に。
「なにを――」
「出てこいよ。俺はここにいる、お前と話がしたいんだ、キラキラ」
困惑するノアが、ふと、目を閉じる。
そのまま身体の力が抜け、ぴくりとも動かなくなる。
愁はそっと手を離し、他の三人とともに固唾を呑んで見守る。
「…………シュウ」
ノアの口から発せられた、ノアと同じ声音。
「わたしを……呼んだ?」
しかしそれは、普段のノアとはまったく異質な響きかたをする。
「……キラキラ」
目を開けたノア――いや、キラキラは薄く笑う。ノアの顔を借りた、ミステリアスな魅力を湛えた笑みだ。
「わたしを――……っ!?」
そこで言葉を止め、キラキラは唖然とする。
口に手を当て、はーっと息を吐き出すと、みるみるうちにその顔が絶望に歪む。
「……口臭がえげつない……無理……出直してくる……」
「待って待って待って」




