111:スガモプライド
目の前で【戦刀】を手に息を荒らげている男はカラサワ・ユシ。
レベル55を誇るいぶし銀の〝騎士〟、スガモでも屈指の実力を持つ古株の大ベテラン狩人だ。
「がぁああっ!」
剥き出しの闘志とは裏腹に、彼の振るう刃は巧みだ。余分な動作はギリギリまで削られ、緩急をつけて意図を隠し、意を決して本命の一撃を放つ。小さく鋭く的確、峰打ちでなければ急所へと至る軌道だ。
二撃、三撃……矢継ぎ早に繰り出される「届く攻撃」をかいくぐりながら、愁は一瞬たりとも相手の動きから目を離さない。腕の振り、体捌き、足運び、呼吸のタイミング。長い年月をかけて磨き上げてきた技量を肌で感じることができる。
「はあっ! がぁああっ!」
互いに【戦刀】のみを用いたシンプルな模擬戦だが、レベル差はそのまま身体能力の差に直結している。カラサワはすでに全力疾走直後ほどに息が上がっているが、愁は多少汗をにじませる程度だ。
(でもたぶん、レベル差だけじゃないな)
(地味に黒胞子嚢のステータスアップが効いてる気がする)
一方的に手を出させているが、しかし一太刀もかすらせてはいない。愁はひたすら回避と防御に専念している。かわし、いなし、打ち払い、ステップして突き放す。
自分が格上と確信できた余裕から、ではない。狩人の大先輩が培ってきた技量を余すことなく最前席で観察しているのだ。
(そこでそういう動きすんのか)
(勉強になるわあ)
二人を取り巻く狩人たちの視線を、愁は肌に刺さるほどに感じている。最初は「いけ!」「やれ!」などとカラサワを慕う後輩たちの声援が飛んでいたが、今は固唾を呑んで立ち合いを見守っている。
「ぐっ!」
打ち込みをはじかれた瞬間、カラサワの身体が横によろめく。
反射的にその隙をつこうと柄を握りしめた愁は――寸前でフェイントだと気づく。つい手を出したくなるような甘い呼び水で誘い込み、カウンターにつなげようとしている。
「ちっ!」
舌打ちとともにぎゅるんっと身体をひねり、カウンター用だったはずの巻き打ちを放つ。踏み込みを止めていた愁は半歩でそれをかわすことができる。
「らぁああっ!」
カラサワの地面を砕かんばかりの踏み込み、からの渾身の振り下ろし。それを愁は【戦刀】で受け止め、いなしつつ手首を回して相手の刀をはじき飛ばす。
「うおっ!」
そのまま石突で胸を殴りつけて昏倒させ――るにじゅうぶんなはずの一撃を、カラサワは寸前で左手を胸に貼りつけるようにしてガードしている。
白髪交じりのヒゲに覆われた口がにやりとする。
「ふっ!」
軽く跳んだカラサワが足を開き、愁の背中に巻きつける。愁の右腕を両手でがっちり掴み、三角絞めの体勢から地面へと引き込み――。
「……んぎぎ……!」
倒れない。愁は足の裏で地面を鷲掴みにし、体幹で引き込みを堪える。
「そういうのは……どこぞの変態を思い出すので……」
勘弁してください、と心の中で付け足しながら左の拳を相手の脇腹に突き刺す。かは、とカラサワが息を詰まらせる。愁は拘束が緩んだ瞬間に腕を引き抜き、鉄槌を胸に打ちつけて地面に押さえつける。
「……ま、いった……!」
刀の腹を首元に置くと、降参の宣言とともにカラサワの身体から力が抜ける。それを確認してから愁も立ち上がり、袖で額の汗を拭う。
「ありがとうございました」
『おおーっ!』と歓声があがり、拍手が重なる。「すっげー!」「全然動き見えなかったわ」「やっぱ本物か」「あれでルーキーかよ」などのセリフが聞こえてくる。もっと褒めて。
「……ったく、とんでもねえルーキーだな。ここまで歯が立たねえとは……俺の奥の手まで余裕で対応しやがって……」
カラサワは悔しそうに頭を掻いている。愁としては大先輩を完封してしまって遺恨が残らないかと多少懸念していたが、彼は嫌味のない笑顔で握手してくれる。
「似たような技使うやつが近くにいたもんで……でもびっくりしました、スガモにもそういうの使う人がいるんだって」
「俺やお嬢くらいのもんだけどな。メトロじゃほとんど使い道ねえし」
クレほどの技術がなければメトロ獣相手には通用しないかもしれない。というか普通に菌糸武器で殴ったほうが断然早い。クレのような変なポリシーがなければそれを磨く必要性は薄いだろう。ちなみにお嬢とはアオモトのことだ。一部の先輩狩人たちは彼女のことを親愛をこめてそんな風に呼んだりする。
「――精が出るな、アベ氏」
後ろからの声に振り返ると、そのアオモトが立っている。
***
狩人ギルド営業所の裏手にある、屋外訓練場。バスケットコート一つ分くらいの広さの空間だ。
「組合員の稽古に付き合ってくれていたのか。君のような手練にそうしてもらえると、代表としてもありがたい」
せっかくの労いの言葉だが、彼女の目はてとてとと駆け寄ってきたタミコのほうにしっかり奪われている。
図書館からの帰り道、ふらっと立ち寄ったら声をかけられ、ビールを奢ってもらう約束で承諾した。実は先ほどのカラサワで三戦目だったりする。
「彼らも刺激を受けたみたいだな……いいことだ」
いつの間にか当初より増えていたギャラリーは、そのまま我も我もと組み手を始めている。さっそく物騒な怒声が飛び交いはじめ、通りすがりの人たちが訝しげな視線を送っている。
「俺もいい勉強になりました。さっきのカラサワさんなんか、テクニックなら俺より上ですし」
獣相手に独学で磨き上げてきた愁のそれは、他の狩人とくらべてかなり荒削りだ。いい加減自覚している。
五年間の地獄で積み上げてきたものが、相手が人に変わったからといってまったく通用しないとは思っていない。とはいえ、先ほどのカラサワのような大ベテランや、クレやトロコといった対人戦の達人が相手となると、どうしても粗が目立ってしまうのも事実だ。
「もっと動きの無駄をなくしたりとか、相手の行動を予測できるようにならないとっすね……いつまでもレベルと菌能のゴリ押しじゃみっともないし」
「スウェーバックのときに足がそろってたのが気になった。膝を柔らかくするように意識したほうがいいかも……なんて格下の私が偉そうに言ってもアレかな」
「いや、勉強になります。剣術も本格的に習ってみようかな」
「……ふふ、今でもそれだけ強いのに、驕らずに上をめざすか。その姿勢、私も見習わなければな」
タミコを肩に乗せ、アオモトとともにその一角の休憩スペースに向かう。木組みのベンチとテーブルがあり、アオモトはその上にどかっとリュックを載せる。ノアが背負っているような大型のリュックで、中身がぱんぱんに詰まっている
「あ、お出かけですか?」
「りりりのりっす?」
リュックから暗褐色の外套がはみ出ている。真夏にそんなものを持っていくような場所は一つしか思い当たらない。
「ああ、久々にメトロに潜ってくる。ここ最近ずっとデスクワークばかりだったからな、獣たちと切磋琢磨して、身体にしみついた錆を落としてくるつもりだ」
「でも、今月末まで仕事だったんじゃないんですか? 祭り関係とかで」
そんな追いつめられた彼女をモフモフで煽ったせいで愁はペナルティーを受け、リクギメトロに飛ばされたのだ。
「そうだったんだが……今朝方、ようやく私の対戦相手から承諾の返事が来てね。そうとなれば支部の代表としてみっともない姿を見せるわけにはいかないだろう? 当日までに少しでも己を磨いておかないとな。というわけで、他の組合員や職員とも相談して、快く送り出してもらえることになった。私は同僚に恵まれているな」
「ちなみに、その相手って誰ですか? 強いんですか?」
「ああ……六試合目、つまりセミファイナルにふさわしい大物だ。君もよく知っている人物だよ」
「え、まさか」
「そう……〝王殺しの銀狼〟、ギラン・タイチ氏さ」
「マジっすか」
「マジりすか」
あの鬼つよエロ狼か。なんてことだ。
【炎刃】を始め数々の菌能を操る達人級の〝聖騎士〟。国家的有名人にして見た目も派手なイケメン。確かにイベントを盛り上げるにふさわしいゲストファイターではある。
「あ、でも……アオモトさんって確かレベル……」
「ん? ああ、私は52だ」
ギランは確か72だ。二周りも違うとなると――言いにくいが、かなりミスマッチな気がする。
「そうだな……相手にとって不足なし、どころかはっきり言って、私が勝てる見込みはゼロだろうな。だが、ギラン氏とのマッチメイクは私自身が希望したことだ」
「どうして?」
「前にも話したかもしれないが、スガモ支部は他と比較して実績も浅く、組合員の平均的な実力も乏しい。私のような若輩が代表を務めるくらいだからな。とはいえ、弱さを認めることと弱さに甘んじることとはまったく別だ」
滔々と語るアオモトの表情は、熱に浮かされているようにも自虐に酔っているようにも見えない。
「私はこの支部が好きだ、この街が好きだ。私たちはもっと成長できる、もっと強くなれると信じている。そのためには晴れ舞台だからといえ、安牌を選んで虚飾された勝利に喜ぶような真似はできない。たとえ負けてでも、完膚なきまでにへし折られようとも、己よりも遥かに強い者へ立ち向かう背中を、私自身が見せなければならないんだ」
「ほえー……」
「りすー……」
その瞳には、内に秘めた決意や覚悟というものが静かに灯っているように感じられる。思わずぐっときて、そして身につまされる。
「まあ……かといって、まったく見せ場もなく惨敗する姿を衆目に晒して喜べるような性癖は持ち合わせていないからな。残り二週間、たった一歩でも差を詰められるようにせいぜいあがいてみるさ」
「ちなみに、どこのメトロに行くつもりなんですか?」
「それは……えっと……私としても厳しい環境に身を置く必要があるからな。これまで通い慣れた場所だと甘えが生じるかもしれないし。君たちの報告を聞く限り、下層のゴーレムや新フロアのメトロ獣なら私のレベリングにもちょうどいいと思ってだな」
「ああ、オウジ行くんすね」
「おおそうだ、オウジだ。ええ、悪いか? べべ別にその、アレだ。そこにいる魔獣族がどうのというのはない。その、ショロなんとか? ふん、知ったことか。そんな獣どもに会いに行くわけじゃないモフ……ああ違う、あくまで私は修行に……ふう、ふう……おっと、お土産のジャーキーを入れ忘れてないか確認を……ふひ、ふひひ……」
「全部台無しかよ」
ショロトル族たちがこのモフへの欲望あふれるお姉さんに懐くかどうかはわからないが、互いに有意義な交流になることを望むしかない。などと思っているうちにアオモトはなにごともなかったかのように鼻血を拭う。
「私の話はともかく、アベ氏はどうするつもりだ?」
「え?」
「一晩考えて、決心はついたか? さっきのやる気を見るに、引き受ける気になってくれたのかな?」
「いや、その……」
彼女が言っているのは、〝コマゴメの魔女〟――全国六位のレジェンド狩人、ハクオウ・マリアとの結びの一番の件だ。
昨日それを打診された際、そのような重大事を安易に引き受けてしまうことは社会人として軽率のそしりを免れないと思い、というかビビり、返答を保留させてもらった。
「まだ考え中でして……もうちょい時間をいただけると……」
カイケの懇願や、先ほどのアオモトの熱意などを聞かされると、おいそれと断るのも気が引ける。
だがしかし、やはりもう少しシンキングタイムがほしい。ノアに相談してどうのという話でもないが、とりあえず彼女に励ましてもらいたい。最近ノア成分が足りなくてつらみ。
「そうか……私は今日このまま街を発つが、返事はカイケにしてやってくれ。こちらとしても無茶な頼みだというのは重々承知している。たとえ断ったとしても、誰にも君を責めさせはしないことは約束するよ」
「はい、すんません……」
「まあ、カイケはちょっぴりしょんぼりするかもだけどな」
「うぐ」
にたりとするアオモト。ちくしょう。
「さて、私はそろそろ行くとするか。久々のワニバスでの旅を楽しむとしよう」
「あ、その前にちょっとだけいいっすか?」
愁は肩のタミコをつまんでそっとテーブルに載せる。アオモトは荷物をどかっと払いのけ、ポケットからとり出したドングリをテーブルに転がす。図鑑のせいですっかりドングリの口になっていたタミコは無心でかじりつく。それを頬杖をついて幸せそうに眺めるアオモト。時間は大丈夫なようだ。
「昨日あれから〝聖銀傀儡〟についていろいろ聞いたんですけど……武勇伝とか戦闘スタイルとか」
「ウツキ氏か。同郷ともなれば詳しいだろうな」
それだけではないらしいが、彼女らの関係はあまり知られていないようだ。
「そんで、参考までにというか……他のランカーの特徴とか能力とか、そういうの知ってたら教えてもらってもいいですか?」
「なるほど、それも勉強の一環というわけか。私もほとんどは噂や又聞きというレベルだが、できる限りレクチャーしよう」
アオモトが近くにいた見習いらしき男の子に二言三言告げると、彼は一目散に営業所のほうに駆けていく。一分もしないうちに薄い冊子を手に戻ってきて、それを手渡す代わりにアオモトから「ありがとう」の言葉を受けとる。顔が茹だったように赤いのは走ってきたせいなのかどうか。
「これが全国狩人ランキングのトップ15のリストだ。毎年三月発表だから、これは去年の番付だな」
ぺらぺらとめくり、そのページを折って愁たちの前に差し出す。順位、所属、二つ名などが列記されている。
明日に続きます。




