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9:三年後

 レイスショックから二年半。

 愁が目覚めて三年が経つ。

 タミコカレンダーによると今は五月。季節感はまったくないが、ここオオツカメトロ地下五十階で迎える四度目の春だ。


「アベシュー、ユニおさんがきたりす」

「うん、わかってる」


 愁とタミコがオアシスで歯磨き(歯ブラシは灌木の枝の房楊枝だ)をしていると、一頭のユニコーンが奥の通路から音もなく近づいてくる。

 二人にとってはお馴染みの存在になっている、角の先端がちょっぴり折れた個体、通称「ユニおさん」。相変わらず足音がしない。ユニコーンたちが持つ菌能の効果だ。


「おはよう、ユニおさん」


 愁が声をかけても、ユニおは意に介さずに水辺に近づき、がぶがぶと水を飲む。愁たちとの距離は三メートルほどだ。彼(立派なアレを持つオスだ)がここまで近づくようになるまでに一年を要している。

 とはいえまだ、愁たちに心を許してくれているわけではない。それ以上近づくと角を振り回して威嚇されるし、お裾分けした草やキノコも一切口にしない。


 このユニおは遭遇率が一番高い個体だ。むしろ愁たちがいるときを狙って来ているような気もしている。それでいて近づかせないのだからとんだツンデレ馬野郎だ。


「ユニコーンって清らかな乙女にしか懐かないってファンタジー小説で読んだけど」

「あたいはオトメりすよ」

「うん? うん」

「アベシューはドーテーりすか?」

「カーチャンそんな無駄な言葉教えんなよ」

「どうりすか?」

「いいから早く済ませるぞ……なんだそのジト目は?」


 温厚で争いの嫌いなユニコーンだが、このフロアでは最強クラスの戦闘能力を持つ。だから彼らがここにいてくれると、必然的に他のメトロ獣も近寄ってきづらくなる。多少はこの水浴びタイムもリラックスできる。もちろん最低限の警戒は怠らないが。


 と、愁の感知能力の一番端に、大きな気配が生まれる。その図体からしてゴーストウルフだ。タミコも音で気づいたのか、耳をぴんとしているが、お腹の白い毛をわしゃわしゃこする手は止めない。


「ゴーストウルフ見てもさ、いるなーくらいにしか思わなくなってきたな。油断ってわけでもないけど」

「りすね」


 愁は今ではレベル54、習得した菌能は十三個に及ぶ。覚醒当初は強力なライバルだったゴーストウルフやゴブリンも、正面からやり合えばもはや相手にならない。


「かるりすか?」

「向こうから来ないならほっとこう。戻って準備して、今日も狩りに行くか」

「りっす!」

 

    *** 

 

 隠れ家からメイン通りを右に進み、突き当たりで枝分かれする道へ。ゴブリンの領域を抜けて一時間ほど進むと、端から端まで一・二キロほどもある広大な草原エリアに出る。愁がレベル50を超えたあたりからの主戦場の一つだ。


 ここには緑や紫の草花、巨大なツクシやゼンマイや猫じゃらしみたいな謎植物が生い茂り、虫や小動物の楽園になっている。いつ来ても霧が立ち込めていて空気が湿っぽい。

 コンクリートの太い柱が大木のように立ち並んでいて、その上にオーガが枯れ草で巣をつくっている。彼らがここの主であり、オルトロスやらオニムカデやらと年中生存競争を繰り広げている。


 オーガ――黒い体毛を持つ二足歩行のゴリラ――はこのオオツカメトロ五十階でも指折りの殺傷能力を誇るメトロ獣だ。タフネスならオルトロスやレイスよりも優っているし、ゴリラ的なだけあって知能も案外高い。


 オーガの草原に入ってすぐ、愁は全身から胞子を飛ばす。

 第十の菌能、感知胞子。


 原理はわからないが、自分の身体から目に見えない超微小な粒子(胞子だと推測)を飛ばし、それが付着したものの立体的な輪郭を感知することができる。習得当初は半径三十メートル程度が精いっぱいだったが、今では半径五十メートルまで到達するようになっている。腕を振って指向性を持たせるように撒けば、局所的に距離を伸ばすことも可能だ。


 感知した情報はとても直感的だ。説明が難しいが、視覚や聴覚などとはまったく別の、もう一つの感覚だ。背後のものも岩陰にあるものも、モーションキャプチャー的な世界として脳に直接感じられる。目を閉じていても耳をふさいでいても感じられる。そうとしか言いようがない。


 なぜ付着した胞子の情報が自分の脳にフィードバックされるのかも、まったくもって見当もつかない。ぶっちゃけオーバーテクノロジーすぎる。


 これを習得したのが八カ月前だが、能力を使いこなせるようになるまで二週間以上かかった。以降はタミコの聴覚網にもかからない敵の接近にも対応できるようになったため、二人の狩りの安定感が増すことになった。愁がこれまで習得した十三個の菌能の中では、再生菌糸と並ぶチート級の便利能力だ。


 両手を広げ、念じる。無数の見えない胞子が噴射され、あたりの情報が脳に流れ込んでくる。右奥にある柱の上にオーガの存在を確認する。他に周りにはいないようだ。


「よし、あいつを狩ろう」

「アベシュー、ゆだんきんもつりす」


 タミコを肩から下ろし、なるべく音をたてないように近づいていく。あと十メートルほどまで迫ると、柱の上に巨大な影がぬうっと立ち上がる。そして軽くジャンプして飛び降り、ドスンッ! と重々しく着地する。

 レイスよりもさらに大きい、二メートル半くらいはありそうな巨躯。無駄に盛り上がった胸板、丸太のように太い腕、ごわごわした黒い体毛、ぎらついた目と鋭い牙、額にはユニコーンよりも短くて太い角。


「……なんかイケメンだよな……」


 その顔つきはキリッとしているように見える。戦闘に突入すると一気に化け物じみた表情に変わるが。


「ウホッ! ウホッ!」


 胸板をパーで叩くゴリラもといオーガ。愁たちを威嚇している。


「だいじょぶりす。アベシューならかてるレベルりす」


 愁は左手に菌糸盾、そして右手にハンマーを出す。

 第六の菌能、菌糸ハンマー。

 一メートル近い柄の部分は菌糸刀のように硬質な骨状だが、頭部はぎゅっと凝縮されたかのようにずっしりと重くかたい。体毛の防御力で刃の通りづらいオーガには、菌糸刀よりこちらのほうが有効だ。


「ホウッ!」


 逃げるなら他の個体を狙うつもりだったが、こいつはやる気らしい。

 愁はごくりと喉を鳴らす。

 今までに何度もやり合ってきているとはいえ、油断できる相手ではない。


「恨みっこなしな」


 盾を前に、ハンマーを肩に担ぐように構え、飛びかかる。

 

 

 

 タミコの第三の菌能、リスカウターこと「相手の強さをざっくり測る能力」によれば、オーガはおおよそレベル50前後らしい(タミコ母の推定どおりだ)。なので、現時点で愁のレベルはオーガの平均レベルをわずかに上回っている。


 ただしレベルは、あくまで身体に根づく菌糸の強度の指標にすぎない。実際的な能力は、種族によってその評価が異なる。向こうにはレベル差をくつがえすパワーとタフネスがある。


「ウホゥッ!」


 オーガが腕を振り回す。空を切る音がえぐい、伴う風圧だけで身体が押される。

 愁は受け止めずに回避に専念する。単純な力くらべではまだまだ敵わない。


「ふっ!」


 隙をついて一撃、脇腹にハンマーを叩き込む。てのひらが痺れるほどの手応えがあるが、ぶ厚いゴムのような筋肉に衝撃を吸収されているのがわかる。


 ハンマーのおかげでリーチの差はほとんど埋められている。愁は相手の攻撃をかいくぐり、コツコツと小さく当てていく。膝を打てれば勝負は早いだろうが、腕が長く前傾姿勢のために足を狙いづらい。次善策でのレバーブローだ。


 オーガはそれを意に介さずに一発KO狙いの大振りを繰り返すが、愁の七発目で一瞬動きが止まる。ひたすら同じ箇所に打ち込んだ楔が、ようやく相手の鉄壁にひびを入れたようだ。


「グゥウッ!」


 八発目を受け、身体をくの字に曲げてあとずさるオーガ。愁もいったん距離をとり、呼吸を整える。

 再生菌糸の能力があっても、相手は超怪力ゴリラ、一撃でももらえば形勢はひっくり返されかねない。それをかいくぐり続けた愁の背中は汗でぐっしょりと濡れている。


「アベシュー! ほかのやつらがくるかもりす! はやくやっつけるりす!」

「ああ、任しとけ」


 基本的にオーガは群れず、家族でもなければ同種でも仲間意識は持たない。それでも暴力と血のにおいにつられて他の個体がやってくる可能性はある。早めにケリをつけなければ。


 と、オーガの指先にしゅるしゅると菌糸が生じ、球体をなす。


「そいつ、きんのうもちりす!」


 紫色の毒々しい菌糸玉を、自分の口に運ぶ。二・三噛んで呑み込む。


「ホォオオオオッ!」


 興奮し、胸を反らせて吠える。目が血走り、よだれがだらだらと垂れている。


「やばいやつじゃね?」

「ドーピングりす! きをつけるりす!」


 ゲームでいうバフ系の能力か。精神的にもキマっているようだ。圧力が増している気がする。

 オーガが飛びかかってくる。ドガッ! と殴りつけた地面がえぐれる。寸前で飛び退いた愁がハンマーを頭に叩きつける。角の先が折れて欠けるが、オーガは怯まずさらに腕を振り回す。


「くおっ!」


 気圧されて体勢が崩れる。そこへ毛むくじゃらの腕が振り下ろされる。直撃コースだ。


 第九の菌能、跳躍力強化。


 地面を蹴って斜め後ろに跳ぶ。草を蹴散らしながら滑り込むように着地。互いの距離が開き、オーガがいったん間を置く。血走った目はそのままに、荒く息をついている。体力を消耗しているらしい。


 持久戦に持ち込むほうが安全かもしれない。

 けれどタミコの言うとおり、時間をかければ他の獣がやってくる恐れもある。


「……出し惜しみなしでいこうか」


 愁は左手の菌糸盾を放り捨て、指先に灰色の菌糸玉を生じさせる。

 第十二の菌能、煙幕玉。


 スナップスローでそれを投げ放つ。オーガの手前、足下に。

 ボフッ! と灰色の煙が上がる。もうもうと垂れ込め、オーガの姿が見えなくなる。

 だが愁にはそれを感じられる。ウホウホと戸惑うその声のせいではなく、感知胞子の能力で。


 ハンマーを両手で握り、ぐぐっと膝を曲げる。

 腿やふくらはぎの筋肉にまとわりつく菌糸の力を感じる。跳躍力強化。

 一直線にオーガへ向けて跳躍。灰色の雲の中へと突っ込んでいく。


 オーガが愁の接近に気づくより一瞬早く、菌糸ハンマーがオーガの顔面に到達する。

 ダッシュの勢いと全体重をかけた一撃。さすがのオーガも上体を大きくのけぞらせる。


 愁は声を発さない。目くらましの意味がなくなるから。

 それでも胸の内でおたけびをあげる。

 おたけびとともにハンマーを叩きつける。

 でたらめに振り回される腕をかいくぐり、叩きつける。叩きつける。


 打撃を全身へと散らす。胴体や足へは細かく小さく打ち、頭を打つときは思いきり。

 やがて煙幕の雲が空気の中に融けていくと、顔中血まみれのオーガの姿が現れる。まだ二つの足で立ってはいるが、意識は朦朧としてふらふらと揺れている。


「……ごめんな。楽にしてやっから」


 愁は菌糸刀をとり出す。身体に柄尻を引きつけ、全力で突きを放つ。動きを止めたオーガの喉仏にそれが吸い込まれ――ようやく勝負は決する。

 

 

 

 オーガの肉は、正直まずい。かたくてくさみが強く、すっぱいにおいもする。煮ても焼いても食べられない。


 手早く胞子嚢だけを摘出して、このオーガの巣だった柱の上に登る。自分を殺した相手に家まで奪われたとなると不憫にも思えるが、そのうちここも別のオーガが巣をつくるだろう。


 タミコと背中合わせになり、周囲を見張りながら胞子嚢を頬張る。ゴーストウルフのそれよりも一回り大きいが、愁もタミコも一つをぺろりとたいらげる。もちろんうまくはない。


「タミコ、大きくなったよなあ」


 この三年で体長にして五センチ近くは伸びている。今では大きめの胞子嚢でも一つや二つきちんと残さず食べられる。体積的にはタミコの胃袋以上のはずではあるが、そのへんはツッコんでもしかたない。


「そだちざかりだったりすかね」

「タミコって八歳だっけ? どういう成長曲線なのかわからんけど」


 普通のリスの寿命はおよそ七年程度だが、タミコ母は少なくとも三十五歳まで現役だった。人間と同じくらいの寿命はあるのかもしれない。


「カーチャンはどのくらいだったの?」

「いまのあたいとおんなじくらいだとおもうりす。レベルはまだまだおいつかないけど」


 タミコは現在レベル28だ。

 成長スピードが愁よりも遅いのは、種族としての差なのか、それとも体格的に摂取できる胞子嚢の量の差なのか。おそらく両方だろうと愁は見ている。


 ちなみに菌能は四つ。

 お馴染み索敵の要、聴覚強化。

 亀の甲羅的鎧をまとう菌糸甲羅。

 目視した相手のレベルをざっくり推定するリスカウター。

 そして、彼女にとって悲願の攻撃的能力。愁の菌糸刀さえ削れる前歯の超硬質化能力だ。発動時には前歯が銀色に覆われるので、金属状の菌糸? でコーティングしているようだ。


「タミコ」

「りす?」

「ゴーストウルフ、青ゴブリン、赤ゴブリン、ランドサハギン、デステンタクル、ヤドカリクイーン、オニムカデ……少しずつターゲットを強くしていって、この階層トップクラスのオーガやオルトロスも狩れるようになってきたよね」

「りすね」

「俺もタミコもだいぶ強くなってきたし、このへんじゃあタイマンなら対等以上に渡り合えるようになってきたよね」

「りすね」

「だからさ。そろそろ一度、ボスに挑んでみようと思うんだけど」

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― 新着の感想 ―
[一言] なるほどー。推定レベルっていうのはカーバンクルとか人間とかの底辺基準でオーガは人間がレベル50の時と同じくらいの強さなだけでオーガとしてはレベル5とかかも知れないのか。
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