110:十二人の〝糸繰士〟
愁とタミコはスガモ市立図書館にいる。
「ドンドンドン、ドングリー。ドングリー、りっすー」
「タミコ、図書館は静かにね」
「りっす!」
「返事がでけえわ。お約束か」
タミコはテーブルの上に寝そべり、〝ビバ森の恵み! 食べられる木の実大図鑑〟をぺらぺらめくっている。ちなみにご機嫌で口ずさんでいるメロディーが先史文明の某ディスカウントストアのテーマソングと酷似しているが偶然だろうか。
「にしても……書いてある内容はだいたい同じだな……」
愁が読んでいるのはシン・トーキョーの歴史解説書だ。同じ題材の本がテーブルに三冊ほど並んでいる。
スガモに戻り、アオモトらにリクギメトロでのクエストの報告をした翌日。ノアが帰ってくるまでの間を勉強に使おうと決め、こうして図書館にやってきた。
スガモでもオウジでも、この世界で必要な知識を勉強する機会は設けてきた。それでもここへ来て魔人、五大獣王、そして新世界の秘密など、立て続けにキャパオーバーの難題が降臨。この際だからもっと本腰を入れて学んでみようと思ったのだ。
(ここ最近、成り行き感っていうか)
(流されてる感があったからなあ)
思い出されるのは、リクギメトロでの絶体絶命の窮地。
奇襲を受けて、菌能を封じられ、大勢に囲まれて。
それでもどうにか乗り越えられたが、運に味方された部分も大きかった。
そうしてあの旅鮫から提示されたのは、この世界にまつわる真相への道。
(……もっと強くなんなきゃな)
どんな苦境でも凌げるように。
(の前に、もっと知識もつけないと)
自分で自分の道を選べるように。
レベル上げの旅はノアが帰ってきてから検討するとして、それまでにやれることをやっておこう。というわけで、お勉強タイムだ。
「アベシュー、これおいしそうりす。たべたいりす」
「ドクロマークついてるやつは食べちゃダメって教えたでしょ」
「だいじょぶりす。アベシューの【げどく】があるりす」
「ドングリに命賭けんな」
タミコは文字が読めないので、ときおり解説をせがまれる。人間社会に生きるなら読み書きは重要だ、時間をかけてじっくり仕込もう。主にノア先生に頼る形で。
勉強に戻ろう。これまで目を通してきたどの歴史書も内容が似通っているのは、国自体の歴史が浅いのと、どの本もメトロ教団による監修が入っているためだ。多少は情報操作や歴史修正のバイアスがかかっているものと見たほうがいいだろう。
(つっても、おおよそはノア先生に聞いたとおりだけど)
百七年前の〝東京審判〟による滅亡。地上に蔓延した〝超菌類〟から逃れた生存人類はメトロにこもって生き延びた。地上を覆い尽くしていた〝超菌類〟の胞子が消えたのはそれから十年後、当時の生存者の数は三十万から五十万程度というのが定説のようだ。
それから五年ほどかけて、各地域のメトロを拠点に地上に集落が完成していく。その頃には人類はレベルや菌能といった力を(呼び名の統一性はなかったが)ある程度使いこなしており、中でも別格の菌糸能力を持った〝糸繰士〟が必然的にその中心となっていった。それがトライブの源流だ。
「十二人の〝糸繰士〟率いる十二のトライブ……」
シンジュク ネムロガワ・チュウタ
センジュ オヤマ・マスオ
ゴタンダ タブチ・カケフ
ネリマ アカメ・アサギ
シナガワ リュウザキ・スカイ
カメイド ショーモン
シブヤ タテガミ・ピピン
アカバネ アヤメ・メイ
スギナミ キワミ・カイ
イケブクロ ツルハシ・ミナト
アカサカ イヌヅカ・テッペー
セタガヤ ウリタ・ホウセイ
他にも類似の独裁的支配地域はあったが、一般的にトライブと呼ばれるのはこの十二の集団のみだ。
地上での人類文明の再建が進むにつれ、各地域各集落での争いが多発していくことになった。昔の日本人からすれば、武力による闘争など最も忌避するものだろう。だが、当時の人々は状況が違う、環境が違う、生きるための条件が違う。
穴蔵生活からようやく脱した人々は、豊かさへの強い渇望と妄執を抱いていた。彼らには自らの手で戦う力が備わっていた。そうしてリソースの奪い合いや隣人との小競り合いは容易に頻発し、集団同士の紛争へと発達していった。
必然的にというか、他の中小規模の集落よりも各トライブのほうが軍事力にも求心力にも勝っていた。紛争を繰り返すうちに各トライブは、望むと望まざるとに関わらず、それらの集落を併呑して勢力と規模を拡大していくこととなる。
そうなれば次のステージはさらなる泥沼だ。転がりはじめた陣取りゲームは、やがて最も恐れられていた事態――トライブ同士での戦争に発展していった。
焼けた村、積み上がっていく死体、屍肉を漁りに徘徊するメトロ獣。文明の再建と平和の再構築という最重要課題はいつしか片隅に追いやられ、まるでメトロ時代に戻ったかのような殺伐とした空気が蔓延していった。
(この頃に目覚めなくてよかったな……)
オオツカメトロとどちらがいいかと問われると微妙なところだ。
そんな戦乱じみた世に歯止めをかけたのが、シンジュクトライブの初代族長だった。
彼は各トライブを単身で周り、声をかけ、族長を一堂に集結させた。のちに〝イチガヤ会談〟と呼ばれる三日に及ぶ大議論の中で、彼は東京全土にまたがる統治機構の樹立を提案。最終的に十二人の過半数以上の同意を得て、彼自身がシンジュクの族長を退いた上でその統治機構をまとめることになった。
そうして会談の翌年、トーキョー暦二十年。壁に封鎖された一帯を〝シン・トーキョー〟という国家として改め、都庁政府が誕生。その男――ネムロガワ・チュウタが初代都知事として就任することとなった。
その後、これに強く反発したアカサカトライブが武力蜂起。一カ月に及ぶ激戦の末、トライブの壊滅と族長の死亡という形で決着。アカサカ族長イヌヅカ・テッペーは十二人の〝糸繰士〟の中で最初の死者となった。
トーキョー暦二十五年。都庁政府直轄の組織として狩人ギルドが発足。その初代総帥は都知事の盟友であり元シブヤ族長のタテガミ・ピピンが就任した。その名前と「金髪碧眼」という表記からして外国にルーツを持つ人だったらしい。
トーキョー暦三十年代。それを皮切りに、各トライブの〝糸繰士〟が族長の座から相次いで退任していった。重責から退いた解放感から各地を放浪する者、より強さを求めてメトロにこもる者、影から権力を使う快感にとりつかれた者――。新たな混乱を心配する声をよそに、シン・トーキョーは着実に平和と安定を築いていった。
トーキョー暦四十年代。平和な時間は続きつつも、国は二人の偉大な〝糸繰士〟を喪った。ゴタンダのタブチ・カケフはライバルであるシナガワのリュウザキ・スカイとの決闘により、セタガヤのウリタ・ホウセイは愛人宅での謎の不審死により。後者については今となっても昼のワイドショーかというドロドロした流言飛語が交わされているが、真相は藪の中だ。
そして、〝東京審判〟から半世紀。トーキョー暦五十年を迎えたその年、この国を揺るがす大事件が起こる。全領民を挙げて科学文明の復活へと励んでいた最先端最強のトライブ、シンジュクが一夜にして滅亡したのだ。
(……魔人)
のちに魔人と呼称されるその六体の悪魔により、シブヤ、ゴタンダ、シナガワなどの都市がシンジュクのあとを追うこととなった。シナガワのリュウザキ・スカイもそこで命を落としたという。
残った〝糸繰士〟たちは総力を挙げて悪魔の正体を突き止め、包囲し、廃墟となったシンジュクを舞台に全面戦争へと発展。トーキョー暦五十二年、〝魔人戦争〟だ。
菌職の有無を問わず集められた十万の兵、対するは魔人六人とそれらに操られた無数のメトロ獣。
一年に及ぶ凄惨な戦いで、五万を超える兵と五人の〝糸繰士〟が命を落とした。イケブクロのツルハシ・ミナト、ショロトル族の恩人でもあるセンジュのオヤマ・マスオ、そして狩人ギルド初代総帥タテガミ・ピピン……。彼らはただ散ったのではなく、魔人と刺し違えたのだと解説されている。多大な犠牲を払いながらも魔人を倒し、戦争は終結した。
その後、戦地となったシンジュクは五大獣王の一角〝万象地象ワタナベ〟が不当に占拠。その実効支配は五十年経った今も続いている。
また、カメイドのショーモンがアキハバラを拠点にメトロ教団を発足させ、先の不幸を繰り返さないためにと「科学文明の発展」などの三大禁忌を提唱。シン・トーキョー初の宗教団体は急速に影響力を増していき、今や都庁政府と並ぶ中枢組織となっている。
その後も紛争や自然災害など諸々忙しなかったものの、国を揺るがすような大きな災禍に見舞われることなく今に至る、と。もう少し新しい本なら、八年前のイケブクロのクーデターも載っていたのかもしれない。
「……ふー……」
愁は椅子の背もたれに身体を預け、眉間を揉みほぐす。静かになったと思ったら、タミコは図鑑に突っ伏してよだれの海に沈んでいる。ページがよれよれすぎてもはや買取案件かもしれない。
タミコを起こさないようにそっと立ち上がり、他の本をさがしに行く。ややカビくさい書棚の間を縫い、立ち並ぶ背表紙に目を滑らせていく。
(生き残りの〝糸繰士〟は三人)
現都知事のネムロガワ・チュウタ、メトロ教団教祖のショーモン、そしてネリマの現族長アカメ・アサギ。彼女だけは一度も族長の座を譲らず、しかも独身を貫いているらしい。まさに地上最強の独女だ。
(つーか、なんでショーモンだけ名字なんだろ? いや、名前?)
ショーモンとしか載っていない。本名なのかニックネーム的なものなのかさえわからない。
(つーか……わかってたけど)
まだまだ多くの疑問や興味が尽きないこの国の歴史――よりも、愁個人に響いたのは。
【不滅】により圧倒的な寿命と生命力を誇る〝糸繰士〟でも死ぬという事実だ。
もちろん知ってはいたが、【不滅】は本当の【不滅】ではないと再認識させられると「いのちだいじに」を改めて胸に刻まずにはいられない。調子こきモードは慎重に。
(やっぱ、頭を切り落とすとか?)
(それとも再生できないくらいバラバラに?)
(消し炭になるまで焼き尽くすとか?)
あるいは先日の呪いでも殺せる可能性は高そうだ。そんな風につらつらと想像して怖くなる。実地で試すわけにもいかないし、この件は別の本で学ぶとしよう。そんなものがあればだが。
(魔人についてもっと知りたいんだけどな)
オウジでもそうだったが、ここにも魔人や魔人病に関する専門書の類は一冊もない。ついでにサトウの語った〝幽宮〟というキーワードについてもそれっぽい本をピックアップしてぺらぺらめくってみるが、やはりどこにも書かれていない。
魔人に関する研究は教団が最も進んでいると聞いている。そちらにならなにか手がかりがあるかもしれないが、スガモ支部はそれほど大きくないので望み薄だろう。
(ノアのひいじいメモにもさすがにないだろうな)
(つーか魔人に関する記述も少ないって言ってたし)
ひいじいメモも完璧ではない。むしろネットのないこの世界でよくもあれだけの情報を集められたものだ。
(やっぱ……直接戦った人たちに聞くしかないんかな)
生誕祭に出席する都知事、そして教祖。
彼らと接触する、そう想像すると緊張する。
自分が同じ〝糸繰士〟であると隠したままでいられれば問題ない。
だが――サトウには結構あっさりバレてしまったし、ギランもそうだ。一日どころか百年の長を誇る大英雄たちの目を、果たして欺きとおせるだろうか。
「――よお、精が出るな」
席に戻ると、白髪オールバックのファンキーなイケオジが待っている。シモヤナギだ。
「そんだけの腕っぷし持ってて、今度は甲斐甲斐しくお勉強ってか? 向上心が眩しすぎて、俺みてえな不良には目も開けらんねえわ」
「どうも。なんか……珍しい? 感じっすね」
「あん、俺に図書館は似合わねえかい?」
「あ、いえ。そういう意味じゃなくて、すいません」
「いいってことよ。俺だって実際何十年ぶりさ。基本的に三行以上の活字見ると頭痛くなっからな」
向かいの席にどかっと腰を下ろし、眠っているタミコの頬をつつく。タミコがむにゃむにゃと目を覚ます。
「なにか調べものですか?」
「まあそうなんだが……お前とおチビの嬢ちゃんに訊きてえことがあってな」
「へ?」
「りす?」
「昨日の話、お前らが出くわしたやつらの件でな。リン――アオモト代表やカイケの前じゃあ、ちょっと訊きにくかったもんでな」
シモヤナギがぐっと顔を近づけてくる。タバコのにおいがする。
「――〝越境旅団〟って、聞いたことねえか? そいつらはそう名乗ってなかったか?」
えっきょうりょだん、と愁とタミコが同時につぶやく。顔を見合わせ、そろって首をかしげる。
「いや……聞いてないっすね」
「りすね」
「……そっか、ありがとよ」
がたっと椅子を引いて立ち上がるシモヤナギ。
「え、あの、それがあいつらの名前なんすか? なんか心当たりとかあるんすか?」
「……いや、そんな大層なもんじゃねえさ。俺にしても雲を掴むような話だからな」
やはり歯切れが悪い。なにか引っかかるものはあるが、まだ確証が持てていない。そんなところだろうか。
「俺が追ってんのは、くだらねえゴシップとか都市伝説とか、そんな類の話さ。自分から振っといてなんだが、お前らもよそで吹聴したりしねえでくれな」
「はあ」
「だがもしも……そんなのが実在するとしたら……そいつらは、お前の読んでるそういう本には載らねえ、この国の闇に葬られた亡霊みてえなもんだ」
「亡霊……」
「お前らも気をつけろよ、祭り囃子ってのはそういうわりいもんを引き寄せちまうっていうからな。あーめんどくせえ、街中に塩でも撒いとくかあ」
ぶつくさ言いながら去っていくシモヤナギの背中を見送りながら、愁は胸の内にざわっとしたものを覚えている。それがどのような種類のものか、自分でもうまく掴めない。
そのあとも少し勉強してから図書館を出る。タミコ汁でべとべとになった図鑑はやはり買取になり、「いえにかえったらよんでりす! まいばんよんでりすー!」と大はしゃぎのタミコをこしょって黙らせる。




