表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

118/195

幕間:「世界一無謀な挑戦!」


御前試合編、スタートです。


 がたごとと馬車は一定のリズムで揺れながら進む。


(あっつー……)


 彼はじめっとした熱気のこもる荷台から顔を出し、わずかな風を受けて汗を乾かそうとする。


「――うちもなあ、ほんとは輪入道車に買い替えたいんだよ。最近じゃあ同業者も結構そっちに乗り換えちゃってるしな」


 御者台で馬を繰る小太りの男――商人のカワハラが振り返って話しかける。彼の見立てでは五十台半ば、外見はややくたびれているがまだまだ働き盛りといった風だ。半分禿げ上がった頭が梅雨明けの陽射しを反射している。


「まあ、いざ買うってなりゃ馬車の倍はするんだけどな。でも輪入道車のほうが小回りが利くし、意外と管理も楽なんだよ。エサだって卵の殻だろうがバナナの皮だろうがなんだって食うし、結構雑な扱いしてもへっちゃらだし。元はれっきとしたメトロ獣だからな」

「へえ」

「けどなあ……うちのカカアが許してくれんのよ。『あんなバケモンを納屋に棲ますなんて気味悪いったらない』ってさ。気持ちはわかるけどさ、慣れりゃあ人面ヒトデだって可愛く見えてくるってもんだぜ。コンノのやつなんて――うちの商売敵なんだがな――あの車輪もどき一匹一匹に名前つけてんだぜ。『よしよし、チャッピーは今日も元気だなあ。ハチはご機嫌斜めか? ほれ、煮干しでも食うかい』つってな」

「馬車でも輪入道車でもいいんで、あんま揺れない車が流行るといいっすねえ」


 彼はあまり乗り物に慣れていない。熱気のせいもあって案の定酔ってきている。


「ははっ、すまねえなあ。もう一時間もすりゃあスガモに着くから、もうしばらく辛抱してくれや」


 そのうちにメインの街道に合流すると、前にも後ろにも他の馬車が見かけられるようになる。道端に停車して馬に水をやっている人もいる。


 スガモ生誕祭まであと数日。ここに並んでいるのは観光客やそれを相手にする商売人だ。森の中を走るこの街道にはすでに縁日のような賑わいがある。


「おっと、前言撤回だな。市内に入るまではもうちょいかかりそうだ。検問もあるしな」

「しゃーないっすねえ」

「兄ちゃん一人なら、降りて歩いてもらったほうが先に着くかもしれんが……」

「いえ……急ぎの旅でもないっすしね。せっかくだからご一緒させていただきますよ」

「そうかい。こっちとしても命の恩人にたらふくうまいもん食ってもらうまでが今日の仕事だからな。ここまで来て『どうぞご勝手に』なんてほっぽり出すような真似しちゃ、カカアにドヤされちまうってもんだ」

「はは、ありがたいっすね」


 数時間前、カワハラの馬車は野盗の集団に遭遇した。


 数カ月前にはスガモ付近でも野盗の出没が確認されたものの、シン・トーキョー中央部は治安がいいとされる地域だ。そこへ来て白昼堂々の襲撃などまさに寝耳に水の事態だった。


 ダチョウを駆る野盗に囲まれ、もはや逃げ場なしと悟ったカワハラは早々に馬を停め、「命ばかりは」と懇願することしかできなかった。そこへ通りかかったのが彼だった。


「恨みっこなし、なあ」


 そう言って彼ははじかれるように駆けだし、ナイフと体術だけで頭領らしき男を含む半数を殺害した。蜘蛛の子を散らしたように逃げ惑う残り半数も、菌糸の弾丸で背中を撃ち抜いた。十数名からなる無法者集団をものの一分とかからず全滅させてみせた。


 全身返り血を浴びた彼が「だいじょぶっすかあ?」と人懐っこい笑みとともに振り返ると、ほんのちょっぴりズボンを濡らしたカワハラは引きつった笑みを返すばかりだった。


「さっき話した商売敵のコンノって野郎だがな、そいつもこないだ野盗に襲われたんだ。そんときも兄ちゃんと同じ、通りすがりの狩人に助けてもらったってな」

「へえ、運のいい人っすねえ」

「まさかワシも同じ目に遭って、同じように救われるたあな。日頃の行ないがよかったおかげか、それとも〝糸繰りの神〟とやらの御加護ってやつか? 今度の祭りにゃ教祖様も来るって話だしな」

「あはは、そうかもっすねえ」


 適当に相槌を打ち、笑みを返しながら、


(へえ、珍しい)

(俺にしちゃあついてたかもなあ)


 そんなことを彼は思う。


 数時間後、ようやくスガモの北門が見えてくる。濠の上にかかった橋の前で、憲兵が通行人や馬車を呼び止めて身分の確認や荷物の改めを行なっている。


「どうも、カワハラさん」

「おう、忙しそうだね」


 当然、憲兵たちとは顔見知りのようだ。ほとんど雑談のようになっている。


「そうそう、ワシもついにやられたよ。野盗が出てきてな、イタバシの南東の街道」

「え!? だいじょぶだったんですか!?」

「とうとう年貢の納め時かと思ったが……すんでのところをそっちの狩人さんに救ってもらってな。スガモに用があるってんで、護衛がてら一緒に来てもらったんだよ」


 憲兵たちの目が彼に向けられる。


「失礼ですが、狩人の方で?」

「あ、はい」

「認識票をお持ちですか?」


 彼は懐からそれをとり出す。


「……スギナミトライブの、タカギさん……?」

「はい」


 憲兵たちの目が彼と認識票を行ったり来たりする。


「ああ、すいません。スガモみたいに顔写真つきじゃないんですよね」

「いえ、他の都市でも顔写真つきはまだ珍しいですからね。でも……」

「失礼ながら、お顔がちょっと似ていたもので」

「へ?」

「どうかしたのかね?」


 カワハラが尋ねると、憲兵たちが目を合わせて苦笑いする。かさかさと懐から紙をとり出す。


「少し前に、この付近で悪さしたっていう要注意人物の手配書が出回ってましてね。私らのとこにも詳細は伝わってないんですが……この人相書きの特徴と、そちらのタカギさんが少し似ているような気がしたもので……」


 手配書には三十代か四十代くらいの、黒メガネをかけた男の顔が書かれている。カワタロー、と名前が付け加えられている。


「あー……」彼もつられて苦笑する。「確かに雰囲気ちょっと似てるかもですね。髪型とかちょっと違うけど」

「そうか?」カワハラは首をひねっている。「どこにでもいそうな顔だし、第一そんなヤクザなメガネもかけとらんだろう。この人はワシの命の恩人だ、こうして認識票も持っとるし、そんな危険人物のはずがない」


 念のためと彼の荷物も確かめられるが、それらしいものはなに一つ入っていない。「お待たせしました、ようこそスガモへ」と門のほうへ通される。

 

 

    ***

 

 

 門をくぐって市内に入ったところで、彼はカワハラに気づかれずに馬車を降りる。


 街中はすでに祭りが始まっているかのような賑わいだ。屋台の準備にと大荷物を担いで走る商売人、街灯や街路樹に飾りつけをする職人、串焼きやわたあめを手にぱたぱた駆け回る子どもたち。誰もが慌ただしく、楽しげで、幸せそうだ。彼の姿など目にも入っていない。


 魚の群れの隙間を縫うように、彼は気配を消してするすると進む。街の中心区画にほど近い公園に入る。ところ狭しと並ぶ建造物から切り離された、ぽっかりと空いたエアポケットのような場所だ。


 球蹴りをして遊んでいる子どもを眺めながら、適当なベンチに腰を下ろす。人混みから解放され、馬車酔いも覚めてきて、ようやくほっと一息つける。


 広場の隅に遊具がある。シーソーとブランコと。それに、キノコのように盛り上がった足場が飛び飛びに並んでいる。あれの上をぴょんぴょんと跳ねて渡るのだ。


(あれ、名前なんつーんだっけなあ)


 子ども時代には、同年代の子たちが遊ぶのを遠巻きに眺めていた。故郷を離れたあとは――そうだ、あの村にも似たようなものがあった。


 五歳くらいの女の子が挑戦している。途中までは順調だが、途中で足を伸ばしても届かない距離になり、意を決して跳ぶも着地に失敗してすっ転ぶ。半べそをかいた子に、母親らしき女性が苦笑しつつ駆け寄る。


 自分も小さく微笑んでいることに、彼は気づく。

 気づいてから改めて自嘲気味に笑う。


「――よお。遅かったな、副団長」


 どかっと隣に座ったのは、彼が――仮初のものとはいえ――団長の地位を譲り渡した男だった。


「よしてくださいや、団長。ここじゃあスギナミのタカギってことになってるんで」

「タカギ? ああ、お前の偽の身分だっけか」


 彼――カワタローは、数年前にどこぞのメトロで死体から拝借した認識票を手渡す。さっと目を通した団長が「くくっ」と低く笑う。


「なにがおかしいんで?」

「……いや、なに。タカギ・トラスケかってさ」


 意味がわからず、カワタローは首をかしげてみせる。


「合羽橋の河太郎っていや、浅草にあった金ピカの河童像さ。古くは江戸時代の隅田川に棲んでた河童で、命を救ってくれた人間に報いるために隅田川の工事を手伝ったとかなんとか。あっちのほうじゃイタズラ好きの妖怪ってより、見かけたらラッキーみたいなマスコット的扱いだったみたいだな」

「はあ」

「一方で高木虎之助って言や、日向国――九州の宮崎のほうで妖怪退治の逸話を持つ武芸者でさ。水に潜って河童をとっ捕まえる絵とか描かれてたりして。そんな感じでお前が一人妖怪絵巻みたいになってんのがちょっとおかしかったのさ」

「はあ」

「まあ、全部ウィキプリオの受け売りだけどな。我ながらよく憶えてるわ、こんなムダ知識」


 なにがなにやら、カワタローには皆目わからない。この男はたびたびこんな話を持ち出す。カワタローが生まれる遥か以前の、それこそ現在の国が誕生するより前の、この国が日本と名乗っていた頃の話だ。


 先ほどの浅草というのも、カワタローの故郷であるアサクサとは別物だろう。あの街を追われたあとに自ら選んだ「カワタロー」という名前も、河童だの昔話だのとはまったく無関係。吉兆のマスコットとは真逆すぎて皮肉の利いた偶然だ。


「んで、ここまですんなり入れたか?」

「まあ……検問の件も事前に聞いてたんでねえ。そのへんのゴロツキ焚きつけて商人に恩着せて、そのおっちゃんがいい人だったんでどうにかねえ。人相書きが結構似ててちょっとビビりましたわ」


 大方、リクギメトロでとり逃がしたあいつらの仕業だろう。メトロ内でもトレードマークのサングラスを外さずにいたのが功を奏した。


「ひゃはは、ぶっちゃけ俺は笑っちまったけどな」

「何年か前のあのときでもなかったっすけどねえ、あんなん描かれたの」

「まあ、写真どころかモンタージュですらないしな。これだけ人の出入りがあるってのに、あんな似顔絵一丁で個人の特定なんかできっこないだろ。監視カメラも顔認証システムもないような時代じゃ、イベント会場にテロリスト混入ってスパイ映画あるあるだわな」


 やはりなにを言っているのか全然わからない。団長も理解を求めているわけでもないので、曖昧に笑っておけばいい。


「ともあれ、警戒はされてるってことっすよねえ」

「当然されてるわな。大事な大事なお祭りのご近所であんだけ不穏な動き見せたんだから。つっても、俺たちの思惑にしろ手段にしろなんもわかんないうちにできることなんざ、せいぜい下手くそな似顔絵配る程度だろ」


 夜闇にまぎれて壁をよじ登って侵入、というリスクを冒さずに済んだ。これだけ重要な催しともなれば、昼夜問わず厳重な警戒態勢が敷かれているだろうから。


「つーか、お前に運び屋頼まなかったのは正解だったな。こんな見るからに怪しいブツ、お前が抱えてたら余計怪しまれただろうし」


 そう言って、団長がカバンを漁る。とり出したのは――青黒くごわごわとした、てのひらサイズの球体だ。

 それがなんであるか、カワタローは知っている。だからだろうか、それをしげしげと眺める団長の手の中で、どくんどくんと脈打っているかのように見えるのは。


 くく、と団長が笑う。その三日月のような目は公園を走り回る子どもたちに向けられ、その口の端は頬を真っ赤に切り裂くように持ち上がっている。


「……これを今、ここで解放したら……さぞかし愉快なことになりそうだなあ……」


 気がつくと身体の芯が震えている。

 カワタローは必死にそれを悟られまいとしながら、つくりものの軽薄な笑みを貼りつけ、すっと団長の手を押さえる。


「……まだでしょう、団長。花火は上がってない、スペシャルゲストはまだお着きでない」


 破裂寸前の風船が萎んでいくように、団長の狂気の色が収まっていく。あるいは収まったかのように見せているだけかもしれないが。


「そうそう、もう一つ見せたいもんがあってさ」


 球体をカバンに戻し、代わりにしわくちゃになった紙を引っ張り出す。

 受けとったカワタローは、しわを伸ばしながらそこに目を落とす。


 白黒プリントで記されているのは、三日後に迫った都知事御前試合、その全七組に及ぶ対戦カードだ。大仰な二つ名や煽り文句が並んでいる。


「……くくっ」


 その結びの一番、メインマッチとなる最終戦の組み合わせ。言わずと知れた〝聖銀傀儡〟の相手は、スガモの若い狩人だ。〝スガモのゴールデンルーキー、世界一無謀な挑戦!〟というポップな吹き出しの下には、彼の本名と写真がでかでかと載せられている。拳を握ってファイティングポーズをとる彼の表情は、レジェンドに挑む意気込みよりも投げやり感がにじみ出ていて興味深い。


「……画質の粗い写真だと、うっすい顔が余計うっすく見えるねえ……〝スライム殺し〟」

「な? 面白くなってきたろ?」


 団長もうきうきとしている。ベンチから立ち上がり、大きく伸びをする。


「もー、いーくつ寝ーるーとー、生誕祭ー。()()()()の顔見るのも何年ぶりか……楽しみだなあ」


 テンポの狂った調子でうたいながら、出口のほうへと向かっていく。ご機嫌に揺れるその背中のあとを、カワタローはついていく。


「……いよいよ、かあ」


 公園を出て、スガモ市の中心区画に改めて目を向ける。アサクサでも目にしたことのない、瀟洒な建築物が並んでいる。


 スガモ市庁舎、市議会議事堂、市長邸宅、それと並立する迎賓館。

 射すくめるようにそれらを眺め、胸の内で指をはじく。白い弾丸が放たれる瞬間は、もう間もなくだ。


「……楽しみ、だよなあ……?」


 自分に言い聞かせるようにそうつぶやき、踵を返す。


トリッス・オア・トリース。言いたかっただけ。


幕間は時系列的にちょっと先のお話です。本編は少々巻き戻って愁たちのお話からスタートします。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ