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幕間:もう一つの目覚め

 ()()に自我らしきものが芽生えたのは、五度目の宿主の中でのことだった。


 最初は自分という存在すら認識できなかった。その寄生者は宿主の脳の記憶や能力をコピーし、蓄積することができる。初めの宿主はゴキブリだったから、高等な思考などは望むべくもなかった。


 ゴキブリの目から、触覚から、あらゆる感覚機能から、それを通して世界を認識していた。だが宿主の行動原理はほとんど本能のみに根ざしたものだったので、世界の事物の一つ一つの意味を知ることなどできなかった。その宿主の生が終わるまで、高速で通りすぎていく情報の波をただ無為に眺め続けるだけの存在だった。


 宿主を捕食した別の生き物や、宿主の死骸のそばにいる別の生き物へと、寄生者は乗り移ることができる。その能力は言うなれば本能的なモジュールであり、思考や論理などは必要なかった。すべては本能が自動でそう処理してくれた。


 五度目の宿主は狼だった。それまでとは比較にならない脳の大きさを持つ宿主を得て、寄生者の自我はようやく日の目を見ることになった。


 言語的な思考を得るまでには至らなくとも、自己存在の認識は、自分と世界を分ける境界を理解させ、狼の目を通して見る世界に点々としている事物の輪郭を捉えさせた。


 餌、水、天敵、同胞、子ども、巣や縄張り、植物、洞穴、暗闇、かたい地面。


 あるいは自身の感覚や感情――空腹、怒り、喜び、渇き、恐れ、苛立ち、痛み、音、におい、味――そういったものの意味を知ることもできた。


 寄生者にはまだ、宿主の行動や思考などを制御することはできなかった。それだけの力もなく、意図も意思もなかった。ただ宿主の生を追体験する影のようなものにすぎなかった。


 だが――ある日宿主が見かけたものが、寄生者の自我を爆発的に成長させるに至った。


 異種族の生き物だった。自分たちと同じ毛皮を着ているが、体毛はなく、猿に似て、二本の足で走っていた。宿主はそれを、息をひそめて観察していた。


 追いかける赤や青のほうは宿主の狼にとっての天敵であり、互いに殺し殺される間柄だった。毛なし猿は足を止め、それと対峙した。戦おうとしているようだった。


 やがて現れた白毛の巨大な猿に、その毛なし猿は打ちのめされ、つぶされようとしていた。この世界ではよくある光景だ、宿主は残った死骸にありつけるかどうかくらいにしか考えていなかった。


 毛なし猿の死は明白だった。

 力量の差は歴然で、逃げることさえ叶わないだろう。


 だが――毛なし猿は抗った。必死に、その命を削るようにして。

 頭をつぶされかけても、腕を吹き飛ばして突き放した。

 背中を貫かれても、相手の口に手を突っ込んで報復した。


 やがてそいつは逃げていった。ボロボロの身体を引きずるようにして。


 残された白毛は死に至るほどの傷ではなく、宿主にとってはその状態でも脅威に変わりなかった。そこに留まる理由がなくなり、足音を殺してその場を去った。


 寄生者の中に、明確な感情が一つ、灯っていた。


 ――美しい。


 まばゆい火花のように峻烈なその生き様を、美しいと思った。

 やがて、その宿主も死に、また別の宿主へと渡っても。


 寄生者の記憶の中に、死を前にあがくあの毛なし猿の姿は残り続けた。

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