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私に受け止められた雫ちゃんは、驚いたようすで私の顔を見上げました。
「うそッ、しょーちゃん、ほんもの……?」
「本物です」
「ほんとにほんと? お化けだったりしないよね……?」
「ちがいますッ」
ついムキになって応じてしまいました。悪気がないとはわかっていても、私がお化けだなんて、何を身の毛のよだつようなことを……。
雫ちゃんはまじまじと私を見つめ、不思議そうなようすで首を傾げました。
「でも、しょーちゃんはよその家でメイドさんとして働いてたんでしょ? あ、わかった! その家がイヤにだったからしずくに会いに来たんでしょ!」
「その方の別荘が近くにあるのです。散歩がてら、りんりん学校のようすを見に行こうと思いまして……」
それから私は五行姫奏様を紹介しましたが、雫ちゃんはあまり元会長様に興味がないご様子。ああ、姫奏様、お許しください……。
姫奏様の紹介を終えると、私は改まって雫ちゃんに尋ねました。
「ところで雫ちゃんはどうしてそんなに泣いているのです? ま、まさか、このあたりにおぞましい物の怪のたぐいでも……」
思わず辺りを見回した私ですが、雫ちゃんの回答は私の想像を超えてました。
「しょーちゃん……あたし、もう寮に帰りたいのッ!」
「えっ」
「あんなところいたくない! みんなと合わせて過ごさなくちゃならないなんてもうやーーーっ!!」
雫ちゃん、私にしがみついて新たな涙を流してしまいました。正直、メイド服が濡れたとか言っている場合ではなく、私は途方に暮れました。
視界の隅で、智良先輩がポリポリと頬をかいておられます。
「やれやれ……ま、一人はいるよなー。大人数の共同生活になじめず帰りたいと泣きわめくのが」
「そうね、私もかつてそのような子を相手したことがあるわ」
姫奏様が親しげに智良先輩に応じています。私も思わず耳をそばだててしまいました。
「へえ、そんなことが。その時はどうやってあやしてやったんです?」
「別に大したことはしてないわ。おむねに顔をうずめさせてぽふぽふしたら、みんな大人しくなったものよ」
「……あたしにゃ到底できそうもないな」
切ない表情で胸元に手をやる智良先輩。わたしは……果たしてどうなのでしょう。
「ええと、それで雫……だったっけ? これからどうするつもりさ? まさか歩いて寮に帰るとか言い出すわけ?」
智良先輩の問いに、雫ちゃんは目をキラキラさせて私の方を見つめています。
「しょーちゃん、近くにいるんでしょ? しずくもそっち行く!!」
「駄目よ」
姫奏様がきっぱりと拒否なさいました。
「りんりん学校では定期的に点呼があるの。もし一人脱走したとなれば、清歌も責任をとらされることになるわ」
「御津会長が……」
私は思わず息を呑みましたが、雫ちゃんは納得のいかないご様子。地面を踏み鳴らして駄々をこねています。
「そんなの知らないもん! しょーちゃんのところがダメっていうならずっとここにいる!」
「あらあら、困ったわねえ」
あでやかに姫奏様は微笑みましたが、その笑みが怖いと感じたのは私だけでしょうか……いや智良先輩も一歩引いているようです。
咄嗟に私は頭を下げていました。
「も、申し訳ございません。姫奏様……」
「なぜ晶が謝るの?」
「そ、それは……」
問われて私は言葉に詰まりました。自然に身体が動いてしまった結果なのですが、それでは姫奏様も納得なさらないでしょう。おそらく、雫ちゃんのルームメイトだからというのが理由なのでしょうが、なんだか私自身もその回答にしっくりきません。
姫奏様は話題を変えました。
「ああ、そうだわ。だったらこれはどうかしら? 先生に許可をもらって、晶もりんりん学校の施設で一泊するの。あくまで一晩ね。明日になったら晶にはまた私のもとで働いてもらうから」
「一人増えるのは問題ないのかよ……」
智良先輩が呆れたように仰います。私も呆れるつもりはありませんが同じ心境です。
私たちの視線に姫奏様が魅力的な笑みをたたえました。
「これは私の推測だけど、おそらく雫の担任は彼女のことを相当持て余していると思うのだわ。もし晶が来ることで場が大人しくなるのなら、規則を曲げるのもやぶさかではないかしらね。……ちょっと智良、今から雫の担任のところに行ってかけ合ってきてもらえるかしら。あと、清歌にも一応報告入れといてね」
「人使い荒ッ! ……まあ、いいけどさあ」
なんだかんだで優しい先輩です。智良先輩はミニスカートをふんわりと浮かせるようにして駆け出していきました。スカートの中身が見えちゃうのではないかとひやひやしましたが、そこに雫ちゃんが声を弾ませて私に近づいてきました。
「しょーちゃんこっちに来てくれるの? やったあ! うれしい!」
「何が『やったあ』ですか。私、こう見えても怒っているんですよ」
雫ちゃんに注意したことは多々ありましたが、ここまで本気の苛立ちをぶつけたのは初めてのことでした。私の怒りを受けて、雫ちゃんはショックで凍り付いてしまったようです。
それに構わず、私はさらに言い放ちました。
「りんりん学校に同行できなかったのは申し訳なく思っていますが、私がいなくなったとたん、この傍若無人さはなんです? お母様やお姉様に申し訳ないと思わないのですか。それに、もし私たちがいなければどうしてました? 勝手にグループから抜け出して、御津会長を困らせるつもりだったのですか?」
「…………」
「はいはい晶、ここまでにしておくの」
姫奏様が熱くなってしまった私をなだめます。見れば、雫ちゃんは私に腹を立てるわけでもなく、すっかり落ち込んでしまった様子。ちょっと怒り過ぎたかしら……。
「あの、重ね重ね申し訳ございません、姫奏様……」
「また謝ってる。謝罪するのなら、それを形にしないと」
「か、かたち……ですか」
「あなたは雫の友達? ルームメイト? それともメイドさんか保護者のどれか? まあ、どれを演じるにせよ、信用が失われてしまったら絆も何もあったものじゃないわ。あなたはすでにメイドとしての技量は大したものだけど、対人関係においてはこれからだものね」
私は、沈黙してしまいました。正直、姫奏様の問いにどう向き合えばいいのかわからなかったのです。私は雫ちゃんとどのように接すればいいのでしょう。私にとって雫ちゃんの何であれば最適なのでしょうか……。
悩んでいるうちに、智良先輩が戻ってきました。
「ただいま……っと」
「おかえり智良、首尾はどう?」
「先輩の読み通りだった。手に負えないから、そっちのメイドさんに是非来てもらいたいって」
智良先輩の声は驚いたというより呆れている様子でした。
姫奏様が私と雫ちゃんを見ました。
「では決まりね。じゃあ晶、また明日ね」
「は、はい。姫奏様……」
いろいろと緊張はありますが、今の主人の仰せとあらば、とるべき道は一つしかありません。
姫奏様が一人でその場を去り、智良先輩も移動し始めました。私は雫ちゃんに呼びかけます。
「雫ちゃん、私たちも参りましょう」
「……………………うん」
うっ、完全に落ち込んでしまってます。私はこれからどうすればいいのでしょう……。