目次
というわけで、なめぇも星花女子プロジェクト第五弾開始です。よろしくお願いいたします。
星花女子学園に入学して三ヶ月も経つと、学校のことについて否が応でも理解することができます。同時にそれは私にとって、歯がゆさのあらわれでもあったのです。
私は築島晶と言います。実家は海谷市に敷地を構える名家、後豊子家のメイド用居室。だが今はそこを離れてお隣の空の宮市で暮らしています。星花女子学園の桜花寮に。私の成績であれば優秀者のみが入れる菊花寮にも行けたそうですが、同年代の子と同じ空間にいられる機会は滅多にない、という理由で桜花の入寮をすすめられました。なにぶん菊花は桜花と違って、個人寮だそうですので。
私の母は後豊子家のメイド長で、私にメイドとしての仕事を叩き込んでくださった恩師でもあります。お母様や先輩メイドの皆様のおかげで、私の家事処理能力は十三歳の新人でありながら大したものであると自覚しています。ただ、桜花寮に来てからというもの、その才覚が発揮される機会は限りなくゼロに近いと言えるでしょう。
汚れが気になって、いっそのこと寮全体を綺麗に清掃しようと思ったら、寮監様に業者がやるからいいと止められ、寮内にある小さな厨房で料理の手腕を振るおうとすれば、いつの間にかたくさんの寮生の皆様方がお集まりになって、誰が食べるか食べないかと大騒ぎ。あまりお金に自由の利かない私としては、皆様の期待に応えられるほどの分け前をよそおうには限界がありました。食材の買い出しを理由に仕送りを増やしてもらうわけにはいきませんので、ついに私は桜花で料理を作るのも断念してしまいました。今の私のメイドらしいおつとめといえば、寮部屋の清掃と、ルームメイトである渡海雫ちゃんのお世話くらいのものでしょう。
(はあ……このままでは私は、メイド服を着ただけのおかしな寮生さんになってしまうではないですか……)
私は現在、無愛想に見える用務員の方にお願いして雑木林の清掃を手伝わせてもらっています。夏用のクラシカルなメイド服とつばの広い麦藁帽子の格好で。校外に出るときはともかく、女の子中心の敷地内の寮生活においてはメイド服を譲るつもりはありませんでした。もっとも、星花女子学園は名家のお嬢様が少なくないそうですので、意外なほど奇異な目で見られることはありませんでした。
今は七月の半ばで、放課後を過ぎても日が暮れる兆しもうかがえません。つたった汗を手の甲でぬぐいながら、私は黙々と落ちているゴミを突っ込んでいきます。といっても、ゴミはほとんど落ちていないのですけどね。喜ばしいことのはずなのですが、残念と思ってしまうのが私の悪いクセなのかもしれません。
と、足音が近づいてきました。やってきたのは用務員の方ではありませんでした。
「晶、ちょっと話してもいい?」
私は帽子のつばを直してうやうやしく一礼しました。現れたのは私もよく知っている先輩の方でした。
「これは、雫ちゃんのお姉様。……一体いかがされましたか?」
お姉様、渡海笑里様はなんともぎこちない笑顔で答えました。
「まずさ、もう少しくだけた話し方にできない? それが晶の家のしきたりなのはわかるけど、あんたは今、メイドさんじゃなくて生徒さんなんでしょ?」
「は、はい。お姉さんがそう仰るのであれば……」
まだ堅い、と言いつつも笑里様はこれ以上改めるようなことは仰いませんでした。私がメイド長であるお母様に憧れていることは笑里様もご存知で、その私の姿を同じく母親に憧れている妹と重ねていらしたのでしょう。何だかんだで妹を溺愛しておられる笑里様にとって、私のことも放っておけない存在なのかもしれません。
「それで、本日は一体どのようなご用事で?」
「用っていうか、ちょっと苦情めいたことを晶に言いたくてね」
「苦情、ですか……」
表情が崩れそうになりました。あまり聞きたくない言葉ではあります。
「私に何らかの粗相があったでしょうか」
「あるわけないでしょ。むしろその逆。あんまり世話焼かしすぎると雫がべったりしてしまう」
なるほど。正直なところ、その点に関しては私も薄々気づいていたところです。
雫ちゃんは無邪気とあざとさの両方を混ぜ合わさった女の子であり、甘え上手というかメイドの使命感をくすぐるのがとてもうまいというか……。それを天然でおこなっているのであれば、小悪魔も目じゃないほどの世渡り上手といえるでしょう。
「……ようするに、あまり世話をかけすぎないほうがよろしいと?」
「甘やかしすぎると妹は何もしなくなるからね。おねーちゃんとしてはちょーっとかなり将来が心配になってくるんだよねー」
確かに、このままいけば、憧れのお母様にはほど遠い大人になってしまうことでしょう。相手の自律をうながすのもメイドに求められる裁量の一つなのかもしれません。
「わかりました。雫ちゃんに言って、少しは自分で自分のことをするよううながして参ります」
「それだけで素直に従ってくれたら苦労はないんだけどねえ」
なんだか笑里様の目つきが「晶の言葉遣いが今ドキの子っぽく改まるのと同じくらいにね」と言いたげに見えましたが、どう言い返せばわからぬうちに、彼女はこの場から去ってしまいました。
☆
お手伝いを終え、用務員様とお別れした後、私は桜花寮の自分の寮部屋に戻りました。友だちと一緒に外に出かけていたルームメイトさんはすでに帰ってきていました。
「雫ちゃん。ただいま戻りました」
「ふぉおお、おかえりなさーい、しょーちゃん」
雫ちゃんはベッドで仰向けになりながら雑誌を読んでおりました。なかなかに裾の際どいミニワンピに縞々のニーソックスという格好で、小さなお身体に反して女優の素質をうかがえそうな綺麗な脚を膝だけ浮かせておりました。ああ、せっかくアイロンがけしたものをここまでしわくちゃに……。
癖の強い黒い長髪を三つ編みにしているのも雫ちゃんのチャームポイントです。している、と言っても、ここ最近はもっぱら私が髪を結わえているのですが……。それをベッドの上に投げ出しながら、可愛らしい顔だけをこちらに向けています。
「雫ちゃん、お話してもよろしいでしょうか」
「いーよー、どしたのー? あらたまってー」
余談ですが、私が人様に対して『ちゃん』付けで呼んでいるのは今のところ雫ちゃんだけです。ルームメイトとして一緒に暮らしていた当初は雫様と呼んでいたのですが、当の彼女がそれを相当嫌がったので今のかたちに落ち着きました。雫ちゃん……正直、今でも慣れない響きです。
私は、先ほど笑里様にお会いしたことを打ち明けました。私が雫ちゃんのことを甘やかしすぎてではないかと言われたことも。お姉様からのことづてに対して、雫さ、雫ちゃんは仰向けのまま首をかしげています。
「えー。しずく、しょーちゃんに甘えてなんかないよお。それにい、しずくが自分のこと全部やっちゃったら、しょーちゃんは退屈で困るでしょー?」
私は言葉を詰まらせました。確かにやりたいことをさまざまな理由でできずにいた私にとって、雫ちゃんのお世話は大きな慰めとなっていたのです。ですが、お姉様の言葉もありますし、ここは否定したほうがよいかもしれません。
「そんなことはないと思いますが……」
「そんなことあるのッ」
決めつけられました。私の勇気はいったい何だったのでしょうか。
「それにしずくはねー、しょーちゃんに『きせきせ』されたり『くしくし』されるのが気持ちよくてだいすきなの! しかも自分でやるよりずーっときれいになるから、しょーちゃんはしずくのお手伝いをやめちゃだーめーなーのーっ!」
さすが女優志望さん、声量が素晴らしいです。私は思わず耳を塞いでしまいました。
ちなみに『きせきせ』というのは、私が雫ちゃんの服を着せることで、『くしくし』は雫ちゃんの髪をクシで梳かすことを示しているようです。癖の強い雫ちゃんの黒髪は私としてもすごく挑みがいのあるもので、綺麗になった達成感ときたら、そんじょそこらのものでは決して味わえません。
私はとりあえず、一礼することにいたしました。
「かしこまりました。ですがお姉様の言うとおり、少しは自分でもしなくては駄目だと思いますよ。お姉様に心配かけるのはあまりいいことではありませんし、そもそもあなたの憧れのお母様は、果たして自分のことを他人に任せきりにしませんでしょう?」
「ううう~~~っ」
可愛らしくうなりながら、雫ちゃんが全力で頭を振っております。前髪がまくれておでこさんが丸出しになりました。やはり憧れのお母様を出すと、甘えたがりの雫ちゃんも自分の立ち振る舞いについて真剣に思い悩んでくださるそうです。
雫ちゃんの気持ちは、私も痛いほどわかります。メイド長であるお母様を尊敬しているからこそ、私もあらゆる誘惑に打ち勝ってメイドの仕事を極めることができたのですから。願わくば、雫ちゃんもお母様と共演するという、自分の夢を実現していただきたいものです。
その雫ちゃんは雑誌を放り投げ、身体を起こして私に力説し出しました。
「でもでもッ。しずくがこの部屋で自分のことをちゃんとしてもさ、お姉ちゃんにはそれが見えないわけでしょ? しずくが言っても『どーせ嘘なんでしょ』って信じてくれないよー」
どうやら私生活についてお姉様からよほど信頼されていないようです。おそらくお姉様の目の前でいい子を振る舞っても「さすが女優の子ねえ」と思われるのが関の山でしょう(笑里様もお母様が一緒ですが)。もっとも、お姉様の疑念に関して、私には一つアイデアが思い浮かんでおりました。
「しょーちゃん、何さがしてるの~?」
雫ちゃんが机の引き出しをあさっている私に呼びかけています。私は未使用のノートを取り出し、雫ちゃんに示しました。
「これから、雫ちゃんが頑張ったことをこのノートに書いていきます。お姉様は、私のことを信じてくださってますので、これをお見せすれば雫ちゃんが私に甘えてばかりではないと証明することが可能です」
「おおう、ぐっどあいであ! これでお姉ちゃんをぎゃふんと言わしてやれるね!」
いや、そういう用途で使うものではないのですが……。
私は一つ咳払いをします。
「雫ちゃん、喜んでばかりもいられませんよ。私はお姉様に対して嘘を報告する気はありませんから、甘えたら甘える分だけ憧れのお母様への道が遠のく一方です。お母様を尊敬するものどうし、これから頑張りましょうね」
「うん、がんばろうね。しょーちゃん!」
雫ちゃんがいきなり私に飛びかかります。頬にやわらかく、あたたかい感触を押しつけて。それが雫ちゃんの喜びと感謝と愛情の表現であることは今までの経験からわかっていました。笑里様から以前「あまり放置しすぎるとオオカミになっちゃうよ」と忠告を受けたことがありますが、そのことに対して雫ちゃんにだんまりを決めちゃうあたり、私もメイドとしてまだまだ未熟なのかもしれません……。