第9話「視察開始」
シャルルは呆然としていた。
彼の目の前を何人もの人々が通り過ぎて行く。
そう、予想とは反して、何も大騒ぎにはなっていないのだ。
最初は、おずおずと……
次は、少しずつ……
そして、最後は大胆に踏み込んで、シャルルは強引に人ごみを突っ切った。
ど真ん中から!
しかし、ツェツィリアの言う通りであった。
人々にぶつかって口汚く罵倒されるどころか、何事も起こらず、シャルルの身体はすり抜けてしまったのだ。
何とも、不思議な感覚だった。
『今の私は魂だけ? ……これはもしかして亡霊って奴か?』
シャルルは自分の身体を見直した。
相変わらず腕を触れば、確かな質感が伝わってくるのに……
『うふふ、似ているけど違うわ。亡霊とは魂の残滓に過ぎない。残滓とはすなわちほんの一部って事。本来の魂ではないから、物事を理知的に考えられず、本能で行動する。だから真っ当な人に憑りついたりするのよ』
『そうか! 亡霊とはそうやって罪もない人々を害した行いから、正義と平和を愛する創世神教の司祭に解呪され、天に召されるのだな』
『うふふ、シャルルったら、それは英雄を描いた冒険譚小説の読み過ぎ。本当は違うのよ。真実がどうなのか、話せば長くなるから今は言わないけれど』
『そうなのか……先ほどからツェツィリアに教えられてばかりだな……やはり私は何も知らない愚か者なのだ……』
シャルルはがっくりと俯いてしまった。
情けない……
自分の身体全体に、劣等感が満ちて来る。
と、その時。
ツェツィリアは、シャルルを叱咤激励する。
『シャルル! 大丈夫よ、顔を上げ、前を向きなさい。貴方は王宮という籠の中に押し込められた鳥。そんな王子様なら世間を知らなくて当然なの。だけど自分の無知を潔く受け入れ反省し、堂々と穏やかに学んで行けば問題など全くないわ』
ツェツィリアの言葉は不思議だ。
まるで鞭のように、シャルルの心に食い込んで来る。
普通に聞いたら絶対に反発しそうな言葉もある。
だが悪意を感じない……
あからさまな嘘もないから、素直に聞く事が出来る。
そして自分が到らないと正直な気持ちになれるのだ。
『さあ、未来の王として、街の視察に行きましょう』
『ああ、楽しみだ』
普段は王宮の窓から眺める王都。
パレードなどで外に出ても、周囲が御付きの騎士による厳重な警戒の中、馬上から手を振るくらいの国民。
果たして、真の王都の姿は?
庶民の暮らしは?
シャルルはわくわくして、ツェツィリアと共に出発したのである。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
『まずは、ここね』
『ここは……』
ツェツィリアとシャルルはこの王都の中央広場へとやって来た。
先程のカフェ近くの通りから、あっという間の移動であった。
自分の足で街を歩いてみて、シャルルには新たな発見と収穫が数え切れないほどあった。
街の勝手は勿論、人々の暮らしぶりを直接見る事が出来たのである。
シャルルがふと気が付けば、まだ辺りは薄暗い。
真昼間の筈が、いつの間に、夜になったのだろうか?
しかし、徐々に周囲は明るくなっていた。
……様子が、変だ。
シャルルが見やれば、御多分に漏れず、広場には『市』が立っている。
市場は、既にオープンしていた。
人々の声が飛び交っている。
簡単な造りの木の台がたくさんあった。
台の上には、様々な商品が並んでいる。
食材、衣服、そして雑貨がそれぞれ区画ごとに……
いわゆる、屋台であった。
何も並べず、職人らしき人間が立っている屋台もあった。
『ここは市場よ。市が立たない時はただの広場。つまり何もない空間……でもそんな事はなく、ほぼ毎日、市が立っているけどね』
『市場?』
市場って、一体何だろうか?
シャルルは、穏やかに笑いかける。
『申し訳ない、ツェツィリア。市場とは何なのか、教えて貰えないか?』
『了解! 教えてあげるわ、シャルル。市場とは人々が集い、商う場所よ』
『商う…………』
『うふ、商売をするって事。さっきお金の話をしたでしょ?』
『お金? ああ、確かに聞いた』
シャルルは先ほど、ツェツィリアから聞いた話を思い出した。
紅茶もケーキも、そしてシャルルが飲んで食べるまで、全てに労働が発生していると。
『そう……物事には全てにおいて因果関係がある』
『因果関係?』
『そうよ、シャルル、因果関係。今の話の流れでいえば……人は働く、って何故だか分かる?』
『…………』
『うふ、あまり哲学的に考えなくても良いわ。具体的に考えて……いろいろな理由を持ち、人は働いている。だけど突き詰めれば……生きて行く為なのよ』
『人が……生きて行く為に……働く』
『そうよ! さっき話したわね。労働の対価としてお金を介在させる。それは手段だけど……例外的なごく一部の人を除いて、人は生きる、すなわち生活する為に働いているの』
『生活…………』
『そして、この市場には食べる、着る、住むという、人が生活する為に必要なものが、ほぼ揃っているわ』
『…………』
シャルルは再び、屋台を見た。
確かにツェツィリアの言う通りだ。
生活、すなわち暮らして行く為に必要なモノが、屋台の上には並んでいた。
それから、ツェツィリアとシャルルは、市場を見て回る。
分からない事に関して、疑問が出た場合、シャルルはもう臆さずに聞く。
貧弱な知識しかないが、自分でもいろいろ考えて、ツェツィリアへ質問もする。
論より証拠……
短い時間ではあるが、ある程度市場に関して学ぶ事が出来た。
正直、王宮での『勉強』より数倍楽しい。
やがて……朝陽が昇って来た。
シャルルは吃驚してしまう。
『え? さっきはお昼過ぎだったのに? どどど、どうしてっ!?』
『うふふ、私がここへ来る途中で時間軸を少し変えておいたわ。今はもう翌朝、市場が一番にぎわう時間なの』
『え? で、でも……』
シャルルは周囲を見る。
最初から感じていたが……
市場は……閑散としていた。
客はまばらである。
所々で、大きな声があがっているが、殆どが店の人間が呼び込みをする声ばかりだ。
『うふふ、み~んな暇そうね』
『…………』
『どうしてなのか、いずれ分かるわ。……さあ、次の場所へ行きましょう』
ツェツィリアはそう言うと、悪戯っぽく笑ったのである。
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