第3話「密接距離」
「ふわっ」と、ツェツィリアの甘い息がシャルルにかかる。
今迄は全く眠れなかったのに、何故かすっと意識が遠くなる。
凄まじい睡魔が、シャルルへ襲って来ているのだ。
気をしっかり持たなければ、永久に眠ってしまいそうな不思議な感覚であった。
『うふふ、こういうのって密接距離って言うんでしょ?』
『み、密接距離だと?』
若い女子と、ここまで顔を突き合わせたことなどない。
緊張するシャルルの顔のすぐ真上には、にっこり笑ったツェツィリアの顔がある。
ちょうど、真っ逆さまに落ちて行くのが、途中でぴたりと止まった形である。
……よく頭に血が上らないものだと、シャルルは思ってしまう。
そして、シャルルの目の前にあるのは……
鼻筋がぴっと通った端麗な顔立ち、陶器のような白い肌。
改めて見れば、ツェツィリアは人間離れした美しさであった。
綺麗なルビー色の瞳に、強張るシャルルの顔が鮮明に映っている。
『お、おい! み、密接距離とは何だ?』
『ええ、一番と言って良い親しい人にだけ許される空間よ。嫌いな人が傍に居るのは嫌……いいえ、絶対に耐えられないでしょう?』
『ま、まあ……そうだな……一理ある』
シャルルは、少しだけ納得した。
確かに人間とは、生理的に嫌いな人に傍へなど来て欲しくない。
多分、そういう事だろう。
だが、シャルルは完全に納得などはしない。
『だがな! 一番親しいって、それは間違っているぞ……お前と私は初対面だろう?』
『あら、今日昼間会ったじゃない。もう初対面じゃないわ』
ツェツィリアの反論。
しかしと、シャルルは思う。
あのパレードで、視線が合っただけで、果たして会ったと言えるのか?
それに、凄い目付きで睨んでいたし……
だから、ついシャルルも反論したくなる。
『い、いや、そ、それは……』
だが、シャルルの言葉を強引に遮り、ツェツィリアは言う。
『シャルル王子! 男の子は細かい事を気にしない。それより、このままじゃ動けないわね。束縛の魔法を解きましょうか?』
『え? 魔法を解くだと』
シャルルはハッとした。
先ほどから、身体が全く動かない不可解な金縛り……これはツェツィリアの魔法が原因だったのだ。
『魔法が解ければ、この近さなら……私をきゅっと抱き締めようと思えば出来るじゃない?』
『はぁ!? だ、抱き締めるって!』
『うふ、健康な男の子なら、目の前の女の子をそうしたいでしょ? どうする?』
『ど、どうするって……』
まるで挑発するようなツェツィリアの物言いに、シャルルはどきどきする。
目の前にある、ツェツィリアの真っ赤な唇はしっとり濡れたように艶めかしい。
しかしツェツィリアは、シャルルにためらいがあるのを見抜いている。
『な~んて、無理ね、シャルル。貴方には婚約者が居る……お隣の国でも才媛と評判の、とっても可愛い王女様なんですってね』
『…………』
何故?
まだ秘している筈の婚約者の事を、ツェツィリアは知っているのだろう?
王子シャルルと隣国ロドネアの王女との婚約の儀は、昨日の夜、極秘のうちに決まったばかり。
一般の国民には、まだ全然報せてはいない。
シャルルの『婚約決定』を知っているのは、父ジェロームと、実際に動いてくれた『じいや』と呼ぶ宰相ふたりだけの筈だ。
父とじいやのふたりとも、特別な『記念日』に公式発表する事が出来なくて、凄く残念がっていたが……
再び驚き、大きく目を見開くシャルル。
そんなシャルルに、ツェツィリアは続けて言う。
相変わらず、笑みを絶やさない。
『貴方は誠実だし、敵に対してはとても勇敢だけど……女の子にしては勇気がなくて超奥手な男の子……だからこそ気に入ったんだけどね』
『…………』
シャルルは、言葉を返さない。
いや返せないのだ。
何故なら、ツェツィリアの指摘が全て図星だから。
『改めて名乗るわ、私は夢魔ツェツィリア。時と次元の狭間で生きているの』
『む、夢魔だと! おいおい、お前、ま、魔族じゃないかっ』
『うふ、そうよ、私ツェツィリアは夢魔』
『う、ううう……』
『これからはお前じゃなく、私を名前で呼んで、シャルル』
凛とした声で、きっぱりと言い放つツェツィリア。
加えてツェツィリアの……表情が変わっていた。
真剣な、厳しい顔付きになっていた。
ツェツィリアの目の中で、ルビー色の瞳がきらりと輝く。
まるで彼女には、選ばれたような気高い王族の気品がある。
自分がれっきとした王族なのに、シャルルは気圧されたように、了解してしまう。
『わ、分かった! ツェツィリア……』
『よし、合格!』
一転、笑顔を見せたツェツィリアは、逆さになった状態から、くるりと身体を回転させた。
そして、シャルルが寝ているベッドに座ったのである。
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