第2話「現れたのは……」
「え? な、な、何だ?」
若い冒険者は吃驚した。
彼の認識では、強靭なオーガがこのような情けない悲鳴をあげるなど、ありえない。
絶対に、とんでもない強者が現れたのだ。
奴等の敵であり、怖ろしい脅威となる相手が。
耳を澄ませていると、オーガ共は次々と咆哮し、突然現れたらしい敵をどうにかして威嚇しようとしている。
冒険者は驚くと同時に、首を傾げる。
そもそもこの迷宮で、オーガは最強の魔物のひとつに数えられていた。
彼等を凌ぐ強さを誇るのは小型の竜か、もしくは正体不明の存在としか考えられない。
小型とはいえ、まず身体が10m以上にもなる大きい竜は、現れた気配がなかった。
冒険者は竜に遭遇した事はない。
だが上級ランカーと呼ばれる下層を探索した冒険者から、話を聞いた事はある。
竜が現れる時は、必ず迷宮の石畳を踏み鳴らす足音や、唸り声が聞こえる筈なのだ。
もうひとつの正体不明の存在……誰も見た者は居ないらしいが……
冒険者達の間では、正体は怖ろしい悪魔だと噂されていた。
悪魔と言っても、そこいらの下手な召喚術師が呼ぶ、何の力もない中小の雑魚悪魔ではない。
とてつもなく強大な力を誇る、高位悪魔であると。
元々悪魔とは天に住まう創世神の使徒達が、地の底へ堕ちた存在だと言われていた。
……それが何のきまぐれか、ときたまこの迷宮に現れると言うのだ。
もしこの場に現れたのが、高位悪魔だとしたら……
オーガの群れ同様、冒険者にとってはどちらにしても歓迎すべき状況にはならない。
ひた……
常人よりは聴覚の鋭い冒険者の耳には、闇の奥から一瞬だけ、微かな足音が聞こえた……
何かが、来る。
もしや!
悪魔がやって……来るのか……
冒険者がぎゅっと身を固くし、膝を抱えた瞬間。
ぶっちゃうううっ!
「ぐぎゃあああああっ」
いきなり肉が破砕される音が響き、断末魔ともいえるオーガの凄まじい悲鳴が同時にあがる。
冒険者の鼻の奥を「つん」と深く突きさす独特な甘い臭い。
先ほどまで辺りには、冒険者が倒したオーガの血の臭いが漂ってはいたが……
……これは新たな血の臭いだ。
現れたらしい敵に対して、オーガの群れが怯え、動揺する気配が伝わって来る。
床を「どんどん」と不器用に踏み鳴らし、走り出す足音と振動……
そして間を置かず、気配が散って行く……
オーガ達はあっさりと抗戦する事を諦め、一斉に逃げ出し始めたらしい。
「お、おい、一体!? な、何が? 起こって……いるんだ? ま、まさかっ」
冒険者の、声が震える……
嫌な予感がする。
あれだけ居たオーガの群れがあっさりやられ、怯えて逃げ出すのだ。
もし現れたのが噂の高位悪魔だとしたら……自分など絶対に助からない……
冒険者は真っ暗な闇に向かい、必死に目を凝らし、耳を澄ました。
現れた者の正体を、何とか見極めようとしたのだ。
相手が万が一人間なら、自分は助かるかもしれない……
という、一縷の望みをかけて……
すると運が冒険者に味方したのであろうか?
……何と!
いきなり人間の会話が、聞こえて来たのだ。
まずは、落ち着いた良く通る渋い男の声、
「ふうむ……やはり駄目か。こんなクズのような、オーガ如き雑魚では、手応えが無さ過ぎる……」
そして、すかさず続いたのは……
若い女の声にしては少し低い、こちらは少女のようである。
「もう、バルバったらぁ……確かにオーガなんて雑魚だけどさ」
「何だ? 何が言いたい、ツェツィリア」
「だぁって! そもそも貴方にとって、そんな剣、意味ないわよ」
少女? が呆れた声で同意を求めると、男の落ち着いた声が一変する。
意外にも、子供のようにムキになっているという雰囲気だ。
「おいおいっ、ツェツィリア。そんな剣とは何だ、そんなとは」
「だって、貴方は弓が一番得意だし」
「まあ、確かにな。弓は一番好きな武器だが……」
「でしょ! それに魔法でも素手でも強い。だったら剣なんて不要でしょ?」
「剣が要らないだと? 何言ってる、これは滅多にない素晴らしい魔剣だ。俺の大事なコレクションなんだぞ」
余りにも、このような場に似合わないふたりの平和的な会話。
冒険者は呆気に取られて、闇を見つめている。
ぽっ!
いきなり闇の中に、魔法らしい青白い灯りが点った。
灯りはあっという間に、迷宮全体へと広がって行く……
明かりに照らされた人物は、やはり男女ふたりだ。
どうやら冒険者の存在は認識されていたようである。
ひとりは冒険者が見た事もない、独特且つ複雑な紋章が入った、漆黒の法衣を纏った男。
腰からは、何か大きな剣を提げている。
そしてもうひとりは、何も武器を持っていない。
身を護る鎧や、法衣さえも着てはいない。
何と!
独特なデザインのメイド服を着た少女なのである。
ふたりは、興味深そうに冒険者を見ている。
「ほう、やっぱり冒険者か、一体どうした?」
「あらぁ、結構酷い怪我ね……うふ」
安堵感と不安が交錯し、冒険者は腑抜けになったように男と少女を見る。
「あ、あああ……」
対して、正体不明なふたりの男女は、呆然とする冒険者を面白そうに見つめていたのであった。
いつもお読み頂きありがとうございます。