62
翌朝、ロディマスは頬に当たる何かの感触で眠りから覚めた。
そして一瞬、美女の口付けかと前世の夢を再燃しかけて、すぐに冷静になった。
今、隣にいるのは恐らくミーシャだろう。
そのミーシャが、そんなおませな事をするはずがなかった。
しかもこの微妙に硬い感触は、恐らくは指だろう。
なんで人の頬をツンツンしているのかは知らないが、さすがに頭も冴えてきたので起きたくなってきた。
そこでロディマスはパチリと目を開き、指の主を確認した。
指の主は、アリシアだった。
「何故貴様がここにいる・・・」
「あら?やっと目が覚めたの?もうすぐお昼よ。怠惰は体に毒だから、起きていらっしゃい」
「ぬう」
そう言って上半身を起こせば、全く悪びれないアリシアの後ろにはオロオロとしているミーシャの姿があった。
昨夜の様子からしてあまり心配はしていなかったが、どうやら彼女は無事に立ち直ったようである。
その事に安堵しつつ、ミーシャに声をかけた。
「おはようミーシャ。休めたか?」
「はい、大丈夫です。おはようございます」
ミーシャの返す言葉に動揺は一切なかった。
いくら8歳とは言え一緒の布団で寝たのである。もうちょっとこう何かリアクションがあってもいいのではないかと思ったロディマスだが、その考えをすぐに捨てた。
先ほどのアリシアの言葉が気になったからである。
「もう昼だと?む、むう・・・」
「ええ、そろそろお昼ご飯よ。今日はエリスの所で食べるのだから、あなたもすぐに準備なさい!!」
「何故貴様が俺のスケジュールを管理しているのだ・・・」
「何故何故ってうるさいわねぇ。本当に大丈夫かしら。いえ、私が教育すれば立派な・・・って。オホホホ・・・」
「何を言っているのだ、貴様は。しかもオホホなど、らしくもない」
「ええと、その。・・・、すぐに分かるわ!!」
「はぁ?」
ミーシャの割と普段通りの反応からすると、十分に違和感のあるアリシアのリアクションを眺めながら、ロディマスはそれよりも下腹部の訴えを優先して、ウンチングするためにトイレへ向かった。
〇〇〇
「今日もよい、ソフティさだった・・・」
恍惚の表情で廊下を歩くロディマスに、すれ違うメイドたちは会釈で返す。
そんなメイドたちに挨拶をするが、睨まれるばかりだった。
「己の感情も御しきれない連中が多いな。雇い主の息子に挨拶も返せんとはな」
そうやってすれ違った後で聞こえるように嫌味を言っておく。
元々は父バッカスが無理やりに引き込んだ者が多いとはいえ、それと仕事は別問題だろう。ミーシャのように溜め込めとは言わないが、最低限挨拶を返すくらいはすべきだとロディマスは考えていた。
己の事は棚に上げて。
「遅いじゃない!!いきなり出て行ったかと思ったら、何やってたのよ!!」
「俺の行動にいちいちケチを付けるな。どこのトイレに入ろうとも俺の勝手だ」
「と、トイレ!?」
「トイレだ。悪いのか?」
「わ、悪くはないわ。その、ごめんなさい」
「ん?まぁいいが。着替えて準備をしてから出る。だからそれまで客室で待っていろ」
「わ、分かったわ。行きましょう、ミーシャ」
「えっと、ロディマス様、いかがいたしましょうか」
「好きにすると良い。どの道パン工房は様子を見に行く予定だったからな。ああ、そうだ。ライルをここに連れてこい」
「はい。それではアリシア様。ご案内をさせて頂きます」
そう言って二人はロディマスの部屋を出て行った。
その様子を確認した後でロディマスは着替え、そして資料の確認を行なった。
三日ほど留守にしていたのでその間に溜まった仕事を軽く整理しようと思ったのだが、いつの間にやったのかライルが全てを分かりやすいように綺麗にまとめていた。
「年寄りが、無理をしおって・・・」
ただ単に旅行メンバーの中で自分だけが寝坊したという可能性もあるが、それでも三日分の資料の量はそれなりにある。専門的な人間が取りまとめていないので雑多となっており、目を通すだけでも時間がかかる。
まだ成人前なので正式にではないものの、ロディマスも仮とは言え商会長となった以上、実家とは別に税金を納めなければならないので帳簿は細かくチェックしているが、ライルと己だけがそうしているのではいずれ破たんしてしまうだろう。
一応の手は打ったが、果たして獲物がかかるかは分からなかいと、ない物ねだりをせずに手短な物から片づけようと一つ一つ目を通し始めた。
そして粗方目を通したタイミングで部屋をノックされ、ライルですと名乗られた。
ロディマスの部屋のドアは普段であれば開けっ放しだが、先ほど着替えた為に閉めたままなのを思い出して、ロディマスは少し声を大きくして答えた。
「ライルよ、入ってこい」
「失礼致します、お坊ちゃま。おや、目の色が元に戻っておいでですね」
「む。すっかり忘れていたな」
「それはようございました。して、ご用件は、ミーシャの件でございますな」
「ああ、報告を頼む」
そう言ってロディマスが促せば、結果は10年の様子見と言う事だった。
それも即断だったようで、同行したライルも面食らったと言う。
「どういう事だ?良く分からん事態だな」
「それが、どうやら大旦那様とキース殿が以前より根回しを行なっていたようです。今回狙われたのはミーシャでしたが、結果的にロディマス様の命が危険に晒されたとあって、教会側も迅速に対応を決めたようです」
「それにしても早すぎる。一体どうなっているのだ」
「どうやらもう何日も前からキース殿が本格的に動いていたようです。警告として以前、お坊ちゃまの周辺をうろつくなと連中には告げていたと、そう仰っていましたから」
「何?そうなのか・・・」
「ええ、だからこそお出かけになる際には毎回『暁の旋風』ナンバーツーのアンダーソン殿が我々に同行していたそうです。今回は偶々折り合いが付かなかったようですが、本来ならば付いてくる予定だったそうです」
「ナンバーツー・・・、あいつがか。納得が行くような、行かんような」
しかし、言われてみれば同じ団員がずっと付いてきていたのは少しばかり不思議だったが、そう言う事情だったのかと納得した。
そして何もない平野部でも騎士のように振る舞っていたのも、教会の連中に対するけん制だったのだろう。今回にしても、突発的にロディマスが行動していなければ、何かしらの理由を付けて同行したと思われる。
「色々な連中に気を使わせて、しかも世話になりっぱなしだな」
「そうでございますね。でも皆さま、進んで協力しているのです。これもロディマス様のご人望があればこでございます」
「人望、なぁ」
さすがにその点は同意しかねるとため息を吐いたが、ライルの答えはこんなものだった。
「あのパンを毎日腹いっぱい食べられるとあって、今やロディマス様は傭兵の間では神が如き扱いですよ」
「何!?いや、それは結局食い物で釣ったのであって、人望ではないだろうが・・・」
ロディマスは頭が痛くなり右手を額に添えたが、ライルは黙って笑うばかりだった。
そんな従者の姿に呆れつつ、ロディマスは他に聞かなければならない事はないかと考えた。
「他に、報告はあるか?」
「あるにはありますが、これはお昼ご飯の後でも構わないと思います。むしろ、あちらに行く方が分かりやすいと思います。なんでも、傘下に加わりたい商人が来ているそうです」
「そうか。む、まさかそいつは」
「はい、そうです。ロディマス様の目論見通りのものが、釣れました」
「よし、良くやった。では早速向かうぞ」
そう宣言し、ロディマスは急ぎ支度を済ませてアリシアを拾い、馬でパン工房を目指すこととなった。
「しかし、また俺の後ろなのか、貴様は・・・」
「いいじゃない。意外と楽なのよ、ここ。フフフフフッ」
「楽しそうで何よりだ、はぁ」
いつもよりも密着度の上がっているアリシアにロディマスも思うところがないではないが、とにかく今は商会の件に集中したいので無視することにした。
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「パン工房は相変わらずだな」
「ええ、そうでございますね。オープンからもう2週間も経っているのにこの賑わいとは、さすがお坊ちゃまでございます」
「すごいのはこれを毎日こなしているエリスたちだろう」
毎度何かあれば自分を持ち上げてくるライルに呆れつつ、ロディマスはいつも通り裏口へと向かった。
以前を思えば列のはけが良くなっている所からも、上手く人を捌けているのが分かり一安心した。
「俺の打った手ではあるが、順調に回っているようで何よりだ」
そう呟きつつ店内を見渡せば、初日で見たような混乱もなく、一定のペースで仕事が行われているのが見て取れた。
ベリスとエリスでパンをこねて形成し、孤児の二人が焼き担当。接客には孤児一人とバンディエゴ村の村人三人。男女女でそれぞれそれなりの容姿で愛想を振りまいていた。
「様になってきたな。この調子なら工房を拡張してもいいだろうが、ひとまずは暇を見つけて挨拶をするか」
「そうですね。では一旦食堂へ向かいましょうか」
「ああ。む、先客がいるな」
「おや、・・・。ッ!?ロ、ロディマス様!!ようこそお越し下さいました!!ささ、どうぞお掛け下さい」
「なんだ、貴様は?」
「は、はい!!私は今休憩時間中でして」
「そうか、なら座っていろ。休憩は義務だ。貴様が不要と言っても基本的にはそれを曲げたりはせん」
「いやしかし、大恩人のロディマス様を前におもてなししない等、我が村の恥と謗られてしまいます!!」
そう告げて、ロディマスを座らせた初老の男は、テキパキと準備を済ませてお茶を出してくる。
かなり手慣れている様子から手出ししない方がいいと判断して、一同も席に着く。
「はい、お茶でございます。俺は、いや、私めはもうすぐ休憩が終わりますので、そうしたらエリスちゃんとタルちゃんと交代なのです。あ、もう一人も帰ってきました」
「ふー、えがったえがった。って、えええ!?ロロロ、ロディマス様!!ハ、ハハァ!!」
「いきなり土下座などしてどういうつもりだ?」
「ヘヘェ。ほ、本日はお日柄も良く・・・」
「こいつは何を言っているのだ?」
「いやぁ、憧れのロディマス様に出会えて緊張してるんですよ。ほら、ロディマス様がお困りだ!さっさと立つんだ」
そうして、先にいた男のお陰で大きな混乱を避けつつも、休憩時間はまだ10分少々残っているという事で、少しだけ話をすることにした。
すると新たに判明した二人の経歴に、ロディマスは思わず悪い笑みを浮かべていた。
「ほおう、つまり貴様らは元商人だったと?」
「商人なんていい物ではないですよ。丁稚だったんですが、体力がないって言われましてね。首になったんですよ」
「そうそう。金勘定は間違いなく俺らの方が上なのに、剣士だからって、そんだけでろくすっぽ計算も出来ない奴らが残って・・・、ありゃぁ、悔しかったなぁ・・・」
「その時に首になったのが20人ほどです。その中の10人は今やバンディエゴの者ですね。言ってしまえば同郷の仲間ですよ」
「生まれは違っても、バガランの街のコリッソル商会で修業した仲間だからな。腐れ縁とも言うが」
「バガラン、そんな遠くからここまで来ていたのか・・・」
バガラン領はここから王都まで東へ行き、そこから更に南へ下った領地である。そこから更にもう一つ下ると、製塩業が盛んなランク領となる。
当然、そんな所から歩くとなれば、ただの移動だけでも一か月以上もかかる。
「辛かったです。どこも私たちを受け入れてはくれませんでした。日雇いの仕事で食いつなぎながら、次へ次へと。気が付いたら旅を始めて5年以上経っていて、これ以上の旅は無駄だって事で、バンディエゴ村で受け入れてもらったんです。それもう10年近い前ですけどね」
「所帯を持った連中は、もっと早くに旅を諦めましたからね。連中はちゃんと生活できてるのか時々心配になりますよ」
「なるほどな。それがあの村で計算を出来る者が多かった理由か」
「中には身についてなかったり、すっかり忘れたヤツもいましたがね。今ここにいる5人と、今日は待機の5人はいつでも番台に立てるんじゃねぇでしょうか」
「ほーう・・・」
まさかの掘り出し物であった。
彼らを雇い入れれば、己の商会もきちんとした管理を行なえるようになるかもしれない。
しかし、だからと言っていきなり彼らを優遇する訳にもいかず、ロディマスは仕事が偏らないようにまず村全体を確認してから声をかけることにした。
「あ、そろそろ休憩が終わりですね。では俺たちは行って参ります」
「ああ、励めよ」
「はい!!」
その後、おいやったよ励ましのお言葉を頂戴したぞ等と、まるでロディマスを教祖と崇めそうな言葉にドン引きしつつも、エリス達が来るのを待った。
待つ間に、ミーシャとライルが昼食の準備を行なっており、それを眺めれば以前にライルが言っていた事の意味が理解できた。
「なるほどな。そう言う事か」
「何がなの?と言うか、さっきの人たち何なの?あなたをまるで神官様みたいに敬っちゃって」
「何と言われてもな。うちで雇っている従業員だが?」
「ふーん、そうなの。まぁいいわ。それで、何がそう言う事か、なの?」
なら聞くなよと言う言葉を相変わらず飲み込みつつ、ロディマスはミーシャに視線を戻してから答えた。
「昨日、ミーシャの技量について疑問を持ってな。それをライルに聞いたのだが、意識してその問題点を見れば、良く分かる話であったなと」
「何?ミーシャに不満があるの?ならうちで引き取るけど?」
「バカを言うな。むしろ感心したと言う話だ。見てみろ。ライルの方が格段に作業は早いが、ミーシャは時間がかかっても丁寧だ。結果の質にはさほど大きな差は出ないだろう」
「ええ、そうね。見事だわ。でも、それが何?」
「つまり、基礎は身についているという訳だ。あとは続ければ自然と作業は効率化していき、いずれはライルに迫る。短期間では無理だろうが、5年も経てば店を構えるに十分な腕となっているだろう」
「ふーん、確かにそうね。でも、お料理ねぇ。ミーシャがすごいのは分かったけど、お料理って難しいイメージしかないわ。私には無理ね」
そうぼやくアリシアに、お嬢様ならまず間違いなく手ずから料理なんてしないだろうと、ロディマスもそこは納得した。
ただし、ロディマスは料理をする事自体は難しいとは思っていない。
普通の味でよければ、すぐにでも身に付くものである。
前世で、誰かが言っていた。
料理は科学であると。
その言葉の意味を知る者からすれば、料理が出来ないと言うのはただの愚痴でしかない。
まずミリ単位で正確に切る必要はない。形を似たよう感じで切り分け、指定の火加減で火を通し、指定の量の調味料を、指定のタイミングで使う。あとは指定の指示に従うのみ。
気温や湿度、素材の状況などの確認は、素人であれば行なう必要などない。ただ痛んでいたり、味が悪かったりと、使い物にならない物だけ弾ければいい。
ミーシャは恐らくまだこの初期の段階なのだろうと、ロディマスは察した。データは頭に入っていて、杓子定規になら料理を行なえる、そんな程度。
ライルのように、こちらの健康に気を使って疲れを取りやすい酸味のある素材を使用したり、今日は少し寒いから辛みを強めたりする領域にはまだ至っていない。
しかしだからと言ってミーシャの出す物が悪い訳ではない。おいしく食べる分には問題のない物が出てくるだろう。
「ミーシャは花嫁修業の一環としても頑張っていたようだ。だから、これからも精進し続けるだろう」
「はい!?」
昨晩に限らず、様々な年頃のミーシャをたくさん見てきたからロディマスは気付いた。
恐らくミーシャの夢は、「かわいいお嫁さん」なのだろう。
そうでなければいくら奴隷で従者と言う立場であれども、あれほど短期間で基礎を習得し、今も必死になって鍛錬に励む訳がなかったから。
「ま、お相手はさすがにまだいないようだがな。アレが望むなら何か手を打つのも吝かではない」
「そ、そうなの・・・。ねぇ、あなた!!」
「な、なんだ?」
「料理が出来ない女性とは、結婚しないの?」
「唐突だな。だが、出来ないよりは出来る方がいい。俺は商会長だからな。連れ合いが出来るのであれば旅先でも安心だ」
今回は偶々野宿する事もなかったが、今後は野宿も考えらえる。そうなった際に奥さんが料理を出来るとかなり助かるだろう。
普段にしても、商会の規模がこれ以上大きくならないようであれば、料理人を雇う事も出来ないかもしれない。
「俺は貴様と違い平民だからな。最低限は出来るようでなければ困る場面も多いだろう」
そう言うと、アリシアは眉を寄せて、ムムムと唸り出した。
そして唸った後で、さらに質問を投げかけてきた。
「あなたって、ミーシャのその、責任を取るつもりなの!?」
思わずの剣幕に身体を引きながら、ロディマスは今の言葉の意味を考えた。
ミーシャと違いこのおませな少女の事だから、恐らくはその責任と言う言葉は結婚に結びついているのだろう。
ならば自分の答えは明白だと、アリシアに伝えた。
「ミーシャの意思を優先する。俺を選ぶ事など、ないとは思うがな」
「え!?そ、あ、うん。そうなの・・・」
「そうだ」
「ふーん。一緒に旅行に行ったし、帰ってきたって聞いて朝見に行ったら仲良く寝てたし、でもそんな事を言うなんて、あなたってアレなのね・・・でもいいわ!!それで、私の事はどう思ってるの!?あなたにとって、私は何!?」
「はぁ?」
かなり情緒不安定なアリシアを怪訝な表情で眺めつつ、ロディマスは言葉を探した。
「そうだな・・・、貴様は、うーん。適切な言葉が浮かばんが、近いものは恐らくとぐお!?」
「ロディ君!!」
そうしてアリシアに何かを言おうとした所を、エリスのタックルにより阻まれた。
ロディマスはその衝撃の為に呼吸が出来ず、喘ぐように身もだえした。
すると、唐突に現れたエリスがロディマスに抱き着きながら、こう宣言した。
「私も、料理覚えるから!!」
事態が全く飲み込めないロディマスは、とにかく空気を求めて身体を揺らすのみだった。
3/13 方角が逆だったのを訂正しました。




