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アグリスはいい加減我慢が出来なくなったのか、声を張り上げながら馬の間から登場した。
相当に間抜けな光景ではあるが、ベリスは目を丸くして驚いており、そんなベリスにしがみ付いていたエリスは、汚物を見るような目でアグリスを見ていた。
その一風変わったエリスの様子を今日何度も見たロディマスは、家族相手だからこそ遠慮がないのかもしれないと思った。
そして普段はこのような様子を一切見せないエリスが、実は今までかなり遠慮をしていたのだとロディマスは初めて気が付いた。
エリスとはまるで男友達のような関係なので、己はさほど気を使っていなかったし、向こうもさほど気にしていないと思っていた。アリシアが冗談で言っていた「エリスが裸で走っている」も、「ふーん、そうなの?」程度だった。
しかし、こうと分かれば話は別である。彼女は大事なパン工房の主戦力であり、一方的な思いではあるが、大切な友人である。
今後は彼女がストレスを溜め込まないように、扱いには少し注意しなければならないなとロディマスは頭の片隅で考えた。もし彼女が裸で走り回っていたら、無理にでも気分転換させなければならないだろう。
一方で、そんな刺々しいエリスの反応にもめげずに、アグリスは再度吠えた。
「なんであのジジイに残りモンなんて渡して、金まで取っテンダ?」
気になったのはそこなの?と言う素の疑問を飲み込み、ロディマスは質問の真意を考えた。
しかし、分からなかった。
分かったのは、この男が興奮すると口調がヤンキー調になる、と言う事だけだった。
「何が言いたい?」
「アンな捨てるモンで金取るってンが気に食わねーっつってンダヨ!!いっちょ前にガキが商人ヅラしてヨォ!?」
「なるほど」
どうにも先ほどのやり取りが気に食わなかったと言うひどく単純な話であったようである。深読みしすぎて逆にわからなかったと、ロディマスは反省した。
そして、アグリスはロディマスの言葉を勘違いをしているようであった。
それに気付いたので、ロディマスはことさら平静に対処が出来た。
「あれは前日に無理をしてエリスとベリスが焼いたもので、十分に売り物になるものだ。実際に今日、公爵家に卸した残りだから、間違いなく売り物だったのだ。だが、それは別にして、ああ言わねば、あのジジイはあのように素直には受け取れなかっただろう」
「公爵家ッ!?ってェ、受け取れなかったタァ、どういう意味ダァ?アアン?」
「ジジイがやったことは、アボート商会に楯突く行為だ。父上の耳に入れば、その孫とやらも当然なにがしかの処分を受けかねない。奴隷落ちした上で鉱山送り濃厚だ。大げさかもしれんが、あのジジイが想像したのはその辺で間違ってはいまい」
「なんだとォ!?ンなのが許されっかヨ!!」
「俺たちは、それが許される立場にいる」
バンディエゴ村やバンディナエ村で封建社会の権力に対する深い闇を垣間見たロディマスは、ここの領地の伯爵家と繋がっているアボート家をそう評価している。
いざとなればアボート家の勢力圏外である国外への逃亡さえ出来る身軽なバンディエゴ村の彼らが、今でもそれをしないのは、何よりも国外にまで影響力がある伯爵家が怖いという理由があったからだったのである。
そしてそれに加えて、父バッカスが持つ商人としての実力を加味すれば、当然そのような結論に達するものであった。
「だが、処分品を売ったのであれば、それは利益を出したことに他ならない。しかも宣伝にもなれば、こちらは儲けしかない。つまりは、そう言うことだ」
「つまり、テメーはなんだ?あのジジイを守るためにああやって嘘言ったッテカァ!?」
さすがに腐っても現役の傭兵。利害に関してはよく頭が回るようで、アグリスはロディマスの意図を正確に見抜いていた。
そもそもアグリスはこういうデキる人物で、偶々シスコンをこじらせて妙な対応をしていただけなのかもしれない。未来の記憶の中の彼は、少なくともデキる男だった。
だから、むしろそうであってくれと、ロディマスは願った。
「何も嘘など吐いてはいない。少しばかり真実を伝えなかっただけだ。・・・、アグリスよ。貴様は腕力があり、俺をその力でねじ伏せようとしたな?」
「グッ。それは・・・今関係ねーダロ!!」
「それと同様に、俺にも力がある。貴様のように直接的な腕力ではなく間接的なものだが、その力の強さも、影響力も、そしてその振るい方も心得ている。今のようにな」
そうやってさり気なくアグリスをディスったロディマスは少し気分が良かった。
首を絞められて地面とケツキッスをする羽目になった礼が出来たので、普段ならここで満足している所である。
しかし、肉体のみならず精神的にも屈強なこの男には、二度三度の追撃は必須。ここでさらにダメ押しをしておかなければならないとロディマスの本能が、未来の記憶が告げていた。
そう感じた通りに、追い打ちをかける。
「それに、俺は商人だ。タダより高い物はない、と言うのはよく理解している。故に、あのジジイにアボート商会への借りをこれ以上作らせる訳にはいかなかった」
「な、なんでだい?ロデ坊ちゃん」
「簡単な話だ。孫が来たからと言って今日、このタイミングでわざわざパンを買いに来るのだぞ?ならその孫は今後どうなるのか、ある程度想像は付くだろう」
「そ、そうか。どういう事情であれ、命の危険があるってことか!!」
察しのいいベリスの答えに、ロディマスは頷いた。
恐らく先ほどの老人の孫とやらは、病にかかって重篤なのか、あるいはこれから前線へと赴くのか。いずれにせよその孫の先は暗いものなのだろう。
そんな孫に、最後に何かしてやりたいと思っての行動だとすれば、それをタダで提供したとなったらあの老人は命を差し出しかねない。
そうなれば、己の悪評がまた広まるだけだ。
結局ロディマスは身の保身のためにそう判断したが、周囲の反応は思っていたのとは違っていた。
「アタイら傭兵にとっちゃ、命がけなんざ日常茶飯事だったからね。そこまで深く考えてなかったよ」
「俺は騎士団に入るって決まった時に両親がご馳走を用意してくれたんで、気持ちが分かりますね。領主様御用達の商人様がタダで商品を分けてくれたなんて聞いたら、当時なら間違いなく卒倒しちゃってましたよぅ」
「アンダーソン!アンタ、元騎士かい!?」
「あれ?言ってませんでしたっけ?」
「俺は知っていたぞ」
「おいちょっと待てよ。俺は今ので納得できねぇよ!!」
そして、せっかくいい雰囲気だったのにぶち壊すアグリスは、皆に半眼で睨まれながらも怯むことなく自分が言いたいことを言った。
「なんでタダでやんねーンダヨ!!あんな貧乏ちいカッコしたジジイから、金むしり取って!!しかもそこまで読めてて・・・、てめぇは何も感じねーノカ!!」
「兄貴!!いくら兄貴でもそんな、って、ロデ坊ちゃん?」
「構うな。俺がケリをつける。なぁ?そうだろう?アグリスよ」
「おう!!納得のいく答え、聞かせてもらおうか!!」
そう強く言い放つアグリスだったが、しかしロディマスは肌で感じ取っていた。
先ほどまでヒリつくような熱さを感じていたアグリスの敵愾心が無くなっていたことを。
今はまるで、新たな主を探すかのように、試すように挑んできていることを。
狂犬を飼いならす。
いつかはと夢見ていた話ではあったが、案外に近い未来の話だったのだなとロディマスは感慨深く思った。
そして、己が思っていた通りにアグリスはデキる男だった。切り替えが早く、判断力もある。今後、己がこの地を離れるに際して、己の手駒となりエリスらを守る男としては、やはり最高の人材だった。
そんなアグリスに、ロディマスはこう告げた。
「あのパンは、ここにいるエリスとベリス。警護についている傭兵共。小麦を挽いて粉にしている工場の連中に、近くの村から応援に駆け付けている連中。更には孤児院の連中に、それ以外の裏方も多数いる。そんな大勢が作った物だ。それを、見知らぬジジイにタダで譲り渡すほど、俺は愚かではない」
「つまり、金を取ったのはテメーの為じゃなくて、あのジジイの為であり、働いているヤツらの為だってか?」
「違うな。そういう連中も含めて俺の物だ。俺が、俺の物を評価し、俺が値を付ける。そして俺がそれを売った。それだけの話だ」
「そうかよ」
『俺の』『俺が』を何度も強調したその言葉を受け、アグリスは確認するかのように居並ぶ面々の顔を見ていた。ロディマスもそれに倣い、見回した。
全員がロディマスの一方的な物言いを聞いて、しかし気分を害している様子はなかった。
むしろ皆がそろってヤレヤレと首を横に振っていた。
解せぬ。
しかし、その様子を見ていたアグリスが、唐突に土下座をし始めた。
この世界にも土下座があったのかと内心で驚きつつアグリスを見ていたら、そのアグリスが声をかけてきた。
「すまねぇ、坊主!!今までの非礼、これでどうか許しちゃくれねーか!!アンタは確かに、何も間違っちゃいなかった!!筋が通った話だった!!ガキだから舐めてたってのもあるが、そこまで考えてたとは分からんかった!!」
そこまで、と言うのは先の言葉の外にある「責任は全て俺が取る」と言う意図を汲んだのだろう。
やはり、頭の回転が早い。ベリスもエリスもそうなので、彼ら兄妹は揃って相当に頭がいい。頼もしい限りである。
本当に、エリスと出会えたのは己にとって幸運だったとロディマスは思い、エリスを見て告げた。
「フン。それならエリスにも謝っておけ。ヤツが許すなら許そう」
「え、ええ!?ここで私に振るの!?えー、ちょっと関わりたくないよぅ」
「って、兄貴、またテメーなんかしたのか!!」
「すまねぇ!!すまねぇ!!エリスも、スフィアも、ホントすまねぇ!!」
地面に頭を何度も叩き付ける荒行までこなして、ようやく刑の執行猶予が付いたアグリスは、正式にロディマスに雇われる事となった。
「俺は、金なんていらん。こんな事しでかしておいて虫のいい話かもしんねーが、妹たちの近くにいられるならそれでいいんだ!!頼む、雇ってくれ!!」
未だに土下座したままベリスに蹴られ、エリスからは石を投げつけられていても動じないアグリスのその訴えに、こいつらほんと身内には容赦がないなとポートマン姉妹の様子に慄きながらロディマスは答えた。
「貴様は月に銀貨1枚で雇う。貴様の経歴であれば格安だが、文句は言わせん」
「なっ!?金なんて受け取れるかヨ!!」
「フン。文句は言わせんと言った。貴様は黙って従え」
「あり得ねーだろ!!いや、確かに安すぎっけどヨォ!!」
そう言って噛みついてくる事も想定内だったので、ロディマスは自分と土下座中のアグリスの間に割り込んできたミーシャの肩を叩いて大丈夫だと意思表示をして、それでも動く気配のないミーシャに呆れつつも、アグリスを冷たく見下ろしながら告げた。
「タダより高い物はない。俺は確かにそう言ったはずだ。貴様をタダで雇うなど、狂気の沙汰だ。狂犬は黙って鎖に縛られていろ」
「なっ!?て、テメェ・・・いい根性してんじゃネーカ」
「いいか?貴様に借りを作るのを、俺は良しとしない。それは貴様を信用していないからだ。例え貴様がそこの二人の兄だったとしてもな」
「オブゥッ!?ス、スフィア、それは痛い、痛すぎンゾ!?」
「うるせぇバカ兄貴!!あの温厚なロデ坊ちゃんにここまで言わせて、何やってんだ!!死ねよ!!オラァ!!」
「オブッ!!オブゥ!!!ケツが、ケツが割れるッ!?もう勘弁してクレ!!」
人が真面目な話をしているのに何故か話があらぬ方向へと向かっていくと、ロディマスは頭を抱えた。
そしてアグリスのお尻の穴目掛けてトゥーキックをし始めたベリスを見ながら先ほどの発言に対する疑問を口に出したロディマスだが、周囲の反応はベリスに同意するものばかりだった。
「俺が温厚だと!?・・・、ベリスの目は腐っているのではないのか?」
「温厚って言うか、口は悪いけどロディ君は優しいよねー」
「いやいや、坊ちゃんは甘いんですよねぇ。その甘さには裏もあるんで、商人らしいんですがねぇ。でも絶対にこっちが損しない話ばっかりなんですよね、不思議と。あとで何要求されるか分からない怖さと、この人なら大丈夫って気持ちがない交ぜな感じかなぁ」
集まっていた傭兵たちも、その複雑な気持ちを吐露したアンダーソンに対してウンウンと頷いて同意している。
解せぬ。
今までの己の言動を振り返っても、そのような評価を得るような覚えはなかった。
実際にそう振る舞ってきた自覚もなく、己の目標である『破滅のルートを回避する』以外は優先度が極端に低かった。周りを鑑みる余裕などほとんどなかったのである。
そもそもの新生ロディマスが誕生した時点でマイナスの評価が当たり前で、マイナスがゼロになるくらいはあったとしても、好意的な話など聞けないと思っていた。
かろうじて、命を救ったエリスや、妹の恩人だと恩義を感じているベリスくらいは多少好意的ではあったが、それでもアリシアのような敵対したままの者もいる。だから、過度の期待どころか淡い期待すら抱いていなかった。
その為にロディマスは大いに戸惑い、そして、その疑問を、投げ捨てた。
周りの人間の気持ちが分からないものの、勘違いしてくれているのなら、それでいい。
今後も利用し、自身の破滅のルート回避のために利用させてもらおうと、ロディマスは割り切った。
「フン。利害が一致しているからそう感じるだけだ。エリスの思うソレは勘違いだ」
「そうでもないと、思うよー?」
冷たく突き放したつもりなのに全く動じていないエリスにどう対応していいのか分からず、ロディマスは腕を組んだ。
ロディマスとて、別に彼ら彼女らがどうでもいい存在ではない。だが、かと言って近すぎてもいけないと考えている。
いずれ来る悪魔との対峙や、魔王との対決に向けて人手は欲しいが、それも結局は己が成さねばならぬことであって、皆には直接の関係がない。
だからこそ、彼らは土壇場で裏切ったりもするだろう。彼らには、その場面で命を懸ける理由などないし、被害が出る前に食い止めるつもりの自分は、彼らからすれば相当不審に見えるだろう。
それもこちらは何一つ情報を明かせない状況だから、彼らが善なる感情のみでついてくるとは到底思えなかったからでもあった。
それに、未来の記憶で幾度となく見せつけられた、彼ら傭兵たちの裏切り。
アリシア関連の記憶、己の最後の記憶に次いで、ロディマスを苦しめている心的外傷。
両親を守らず、死に至らしめた『暁の旋風』。
裏稼業に身を落とした自分を執拗に追いかけ、殺そうとした彼ら。
何か事情があったのかもしれないが、未来の記憶を漁っても結局その原因が分からなかった彼らの行動に、ロディマスはそれとなく警戒していた。
今、その気持ちを揺さぶられたロディマスは、つい辛辣な言葉を彼らに向かって投げつけてしまった。
「貴様らは馴れ合い、助け合えばいい」
そう言って、それから一人一人の顔を見ていく。
そして一巡した所で、大仰に構えをつけて、ロディマスは言う。
「利益、効率、そして、金。それらを考えるのは、商人の領分だ。貴様らは余計な考えなど持つ必要はない。黙って、ついてこい」
そんなロディマスの言葉に、皆は笑顔でこう返した。
「お断りだね、ロデ坊ちゃん」
「断るよ、ロディ君。えへへ」
「そりゃ無理ってもんですよ」
「はい、それがご命令であれば、本心とは別に、従います」
「何故だ!?」
この展開はいくらなんでも酷すぎるとロディマスが叫び、次いで呆然としていたら、アグリスも呆然としていた。
そしてそんなロディマスに、一同は笑顔で告げた。
「だって、ロデ坊ちゃん一人に全部背負わせるなんて、出来ないさ」
「ロディ君、時々残念君になるからね。一緒にやっていこうよ?」
「坊ちゃん、すぐ無茶しますからねぇ。名前もよく間違うし」
「ダメなご主人様をサポートするのが私の役目ですから」
「き、貴様ら・・・」
思っていたのと真逆の答えを聞いて、思わず涙腺が崩壊しそうになったロディマスは、慌てて空を見上げた。
澄み渡る、青い空に、白い雲がたなびいていた。
「ああ、青が目に染みるな。今日はなんて日だ・・・」
首絞められたり色々あったが、今日はなんて悪くない日だと、ロディマスは土下座継続中のアグリスの事などすっかり忘れて、心の底からそう思った。
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