50
「お兄ちゃん、ロディ君を離して!!離してよぅ!!なんでこんな酷いことするの!!」
「なんでって・・・、お前・・・。このガキに泣かされたんじゃネェのかっ!!」
誰かがロディマスの胸倉を掴んで持ち上げた際、それがアグリスなのを確認したロディマスは急ぎミーシャへと目配せした。
しかしそれは己を助けて欲しいがための懇願の目ではなく、介入を拒む強い意志を込めた否定の目であった。
「ご主人様、どうして!?」
「や、め、ろ。ミーシャ、手を出す、な。エ、リスも、だ、まれ」
「テメェ!?呼び捨てダァトゥ!?」
「それ、が。どうした?き、さまはエリスをた、すけた俺を、締め上げ、どうす、る気だ!!」
「な・・?!?」
「ゴホッ。ぬうぅ!?」
「ご主人様!!」
「ロディ君!!」
かろうじてエリスの件を伝えれば、アグリスは意表を突かれた様子で手を放した。
その結果、お尻から石畳へとダイブしたロディマスは、強かにぶつけたそこを擦りつつ、アグリスを見上げた。
「ツゥ・・。アグリスよ。話はベリスから聞いているのだろう?俺が、そこのエリスを治したのだ」
「誰かが治すって聞いて飛んで帰ってきたが、テメェみてぇなガキが、治しただとぉ!?」
「ふう。まさか貴様ほどの男が見た目で判断するとはな。それだけこいつが大事なのだろうが、少しは状況を見ろ」
「状況・・・、エリスが泣いている。以上だ!!!死ね!!!」
「違うよバカぁ!!お兄ちゃんなんてキライ!!ダイッキライ!!」
「エ、エリス!?そんな!!お兄ちゃんはお前の為を思って・・・なぁ、こっち向いてくれよ!?」
「どうしてこうなった。そしてミーシャよ。俺を担ぎ上げて何をする気だ?」
返事をすることなくロディマスを肩に担ぎ上げたミーシャは、無言で歩き始めた。
アグリスにローキックをかましたエリスがそこに駆け寄り、何故かエリスもそのまま無言で歩き始めた。
ローキックを喰らった実の兄は呆然としているが、エリスは全く振り返ることがなかった。
どうやらそのまま放置するようであった。
「いや、待て。貴様が泣いていたのはあの兄を想ってだろう?それがいきなり、なんだ?」
「私に兄はいません」
「エリスぅぅぅぅ!!」
「貴様の兄、四つん這いの状態から手をこちらに向けて追いすがるような姿勢を見せているが?」
「私に!兄は!!いません!!いないの!!」
「そうか・・・」
どうやらエリスはアグリスの先の失態を見逃す気は全くないようである。
確かに妹の為だからと、唐突に人を宙に持ち上げるなど非常識極まりなかった。
しかもあの話の後である。
「色々な意味で、台無しだ」
そう呟いたロディマスは、なすがままにされ、自宅へと搬送されたのだった。
□□□
ロディマスの自宅、アボート商会の館を入ってすぐ右側にある大広間に一同は集まっていた。
先ほど帰ってきていたライルにアンダーソンを加えて、道をふらつきながら歩いていたアグリスを捕まえ、迎え入れる。
ふらつく足で部屋へと入ったアグリスは、近くの椅子に座りうな垂れていた。
「それで、アグリスよ。事情はどの程度理解しているのだ?」
「うう、エリス。エリスぅぅぅ」
「そうか、貴様はエリスと仲違いしたままでいいと言うのか。なら話は終わりだ」
「ま、待てよ!!」
とてつもなく面倒くさい男、シスコンアグリスをうんざりとした態度で見返しながら、ロディマスは気だるげに告げる。
「話を聞くどころか、詫びの一つすら言わんうんこちゃんには付き合いきれん」
「詫び・・・詫びだとォォ!!」
「これ以上近づけば、処分します」
「ジジイ!!死にたくなきゃ黙ってろ!!」
「おい、誰かキースを呼べ。狂犬が暴れそうだ。こいつは頭が悪すぎるぞ」
未来の記憶ではこんなオカシな男ではなかったはずである。
しかし、これが本来の姿なのであれば、二つ名の所以は、もしかすると戦場の働き故にではなく、ただ単に手が付けられないチンピラだから『狂犬』と名付けられたのではないだろうか。
そんな新発見は要らなかったと泣きそうになりつつも、ロディマスはキースを呼ぶ判断を下した。
この国でほぼ最強の傭兵には、こちらも最強の傭兵をぶつけるしかない。
ロディマスが上げたその声に、同じくその場にいたアンダーソンが反応して、静かに首を横に振った。
「団長は、王都です」
まじかー、と最悪の展開になりつつある現状にロディマスはげんなりとした。
ライルでさえ振り切って己を食い殺す危険性がある狂犬の制御に、ポートマン姉妹を抱き込んでいたのが仇となっていた。
妹の事で完全に我を忘れている狂犬をどうしたものかとロディマスは悩み、どう言葉を投げるか考えた。
そしていい案など出ず、冗談でも誇張でもなく、実物は言葉の通じない狂犬だったとロディマスは途方に暮れた。
しかし、そんなロディマスの前にある人物が現れた。
先ほどまで泣いていたので顔を洗っていた、アグリスと同じ茶色の髪を持つ救いの天使だった。
そう思ったが、アグリス暴走の原因であった一番の元凶だとロディマスは気が付いた。
そんな元凶たるエリスが、アグリスから少し距離を置いて語りかけた。
「おにい・・・鬼」
やっぱり天使じゃなかった。
ロディマスは、まるで閻魔大王のような謎の気迫を纏い、冷たく見下ろし実の兄を鬼呼ばわりしたエリスを見て、本当に本物のエリスかと疑ってしまった。
「ハァァアァァァ!?エ、エリス、今なんて・・・!?」
「そこの鬼の人。私のロディ君を傷つけないで。もう二度と近寄らないで。むしろもういない方がいいです。私に兄はいないし、お姉ちゃんにも兄はいません。これが事実です」
エリス閻魔様のご沙汰は、地獄行き直行コースだったようである。さすがの狂犬にも効果はてき面で、アグリスは顔を青くして震えていた。
己を痛めつけた相手が怯え苦しむさまは痛快ではあるが、しかしこの展開は己の望むところではないと、ロディマスはこの兄妹ゲンカに割って入ることにした。
「そ、そんなぁ!?エリス!?ほら、お兄ちゃんだヨ!?」
「・・・おい、エリス。貴様は余計な口を挟むな。と言うか、辛辣すぎて引く。あと俺は貴様の所有物ではない」
「だ、だって」
「だっても何もない。こじれる前に、被害者である俺に任せろ」
「私のロディ君がそういうのなら・・・」
「『私の』を何度も強調するな。余計に話がややこしくなる・・・」
渋々引き下がったエリスの様子に肩をすくめつつ、先ほどあった感動を返せと言いたくなった。
そして、久しぶりにそのまま吐露した。
「貴様の妹が、兄や姉に迷惑をかけていたと泣いていた」
「ナァ!?お、俺の為だったってのか・・・!?」
「ベリスも含めてだ。近しいものの自由を奪ってしまったとな。それを、このミーシャが慰めていただけだ」
「そ、そうだったンか・・・」
「それがまるきり、台無しだ。少しは空気を読め、ダメンめ」
「ダメン!?俺ンコトかよ!?意味分かんねーンダヨ!!」
ロディマス以上に、そしてアリシア以上に短気なアグリスは、顔色からして自分が悪いと思っているはずなのにロディマスに噛みついてくる。まるでアリシアの上位互換だとうんざりしつつ、ロディマスは頭の中で対応策を検討し始めた。
アグリスのシスコンっぷりに辟易としたが、しかし同時に、アグリスの制御方法を閃いた。
「少なくとも、妹との不仲よりも自身の気分を優先しているのだ。ダメンではないのか?」
切り口を変え、あくまでエリス中心に、あるいはエリスの影をちらつかせる形で会話を試みた。
そしてそれは、見事に的中した。
「そ、そうだな。確かにいきなりってのはヨクネェ。エリスが泣いてるのを見て、ついカッとなっちまたんだ」
「そうだな。大事なのは貴様の身勝手な気持ちではなく、エリスの気持ちだ」
「そうだぜ!!なんで俺ってヤツァそんな大事なモンを忘れてたんだか」
「今まで戦場にいたからだろう。だが安心しろ。今後は近くにいられるぞ」
そう言って、このまま丸め込まれてくれないかなとロディマスは考えたが、甘かったようである。
少しだけ気さくな兄チャンみたいな雰囲気だったアグリスが、鋭い気配を漂わせ始めた。
「アァ、そりゃ聞いてんぞ。だがなんだテメェ?エリスを治す代わりに、俺を雇いたいダァ?」
殺気とも怒気とも違う、威圧感。
その迫力に、しかしロディマスは平然としていた。
アリシアやミーシャの方が、まだ迫力があるな。
口には出していないが、今のアグリス以上のプレッシャーを感じたことがあるのでまだ大丈夫だと判断した。
「アグリスよ。勘違いするな?俺が、雇ってやると言うだけだ。だが」
そこで一度言葉を切る。
さすがは歴戦の傭兵であるアグリスは、一筋縄ではいかなかった。他の者たちであればこの時点でごり押し出来ただろう。
しかしこの展開までは想定内である。だからこそ、今まで準備を怠らずに、迎え撃つ覚悟もできていた。
いきなりの出現に戸惑ったが、今日と言う日、そしてあのタイミングと言うのは絶好だった。
ロディマスは久しぶりに、口を半月状に釣り上げて、悪魔のような笑みを浮かべた。
「ここではなんだ。エリスを送りがてら然るべき場所へと移動しようではないか」
□□□
「どうした?」
アグリスを連れて一同はパン工房脇にあるエリス達の家へと向かった。例のロディマス小屋である。
しかしそこには一人の老人と、対応に困った様子の傭兵とベリスがいた。
「坊ちゃん!!このご老人が、パンが欲しいと言ってるんですがね。今日は休みだってのに引いてくんなくて」
「孫が王都から遊びに来ているのです。どうか、どうかお分けいただけないでしょうか」
みすぼらしい恰好をしたご老人が、銅貨を両手で握っている。
いきなりの展開であるが、しかしロディマスは先ほどのアグリスの相手をするよりは遥かに楽だと思い、すぐに対処する事にした。
「ベリス、アレを持ってこい」
そう言って指を二本立てていれば、ベリスはそれで察したのか頷いて店の中へと入っていった。
アグリスの姿を見ていなかったようで、ベリスは何の反応も示さなかったが、話がこじれる前でいいかとロディマスは放置した。
ちなみにアグリスは徒歩でここまで来ている。
馬に乗った人間と同等以上の速度で走れるからと一緒についてきていたのだが、その為に周囲を馬に囲まれて見えなくなっていたようである。
馬から降りながらそんな事を考えているうちに、ベリスは薄い木の包みでくるんだパンらしき物体を運んできた。
「あいよ、ロデ坊ちゃん。これでいいんだね?」
「見せてみろ。うむ、これだ。ちゃんと見えないように包んできたな。よく覚えていた」
そう褒めれば、ヘヘッと鼻を掻くベリスに、馬から降りたエリスが抱き着いていた。
彼女にとってベリスが今一番の癒しなのだろうと、兄の奇行を忘れるべく行われたその行動に和めず、ロディマスはつい目を逸らして、老人に向き直った。
「これを売ってやろう。これは昨日焼いたものだ。乾燥していて少し硬い。スープと共に食べるがいい」
「よ、よろしいのですか?」
「今日は偶々俺がいるからだ。以後はないと思え」
「は、はい。なんとお礼を申し上げればよいか」
「構わん。言葉よりも金だ。銅貨10枚を出せ」
ロディマスの冷たい言葉を聞き、老人は慌てた様子で金を差し出す。
それを摘み上げ、一つ二つと数えていき、丁度10枚あるのを認めたロディマスはベリスからパンを受け取り、老人に渡した。
「あの?二つあるのですが?」
「昨日の物だ。それを同額で一本だけ売ったとあればアボートの名が廃る。二本、持っていけ」
「そ、そんな・・・良いのですか?」
「二言はない。早く帰れ」
「はい!まことに、まことにありがとうございました」
そう言って老人は深々と頭を下げ、そしてゆっくりと立ち去って行った。
あの年齢であれば、ここまで来るのも一苦労だったのだろう。
そう思えばこそのサービスでもあったたが、それと同時にそんな境遇の老人の後姿にため息も出た。
「ふぅ。あの生活水準の者たちにでも気軽に提供できるようになるといいのだが・・・」
「そうなのかい?アタイはてっきりロデ坊ちゃんの事だから、暴利を貪ってワッハッハって笑うのかと思ってたよ」
「どんなイメージだ、それは」
「俺はむしろタダであげちゃうのかと思ってましたよぅ」
「はぁ?タダでやる訳がなかろう。それにあれも、一種の宣伝になる」
「宣伝?」
やっとエリスの機嫌が治ってきたからか、彼女もロディマスの言葉に反応を示した。
アグリスは沈黙したまま、馬の間に埋もれている。
本人もちょっとは空気を読んでいるようなので、ロディマスはこのまま話を続けることにした。
「ヤツか、ヤツの孫は恐らく今回食べたパンを忘れられんだろう。そして、当然周りにも言いふらす。で、あれば、どうだ?」
「休みの日が、落ち着かなくなるねぇ」
「そこは傭兵共の腕の見せ所だ。それに上手くやればこれから先はあんな連中など一切近寄ってこなくなる。そして、以後は絶対に売らないようにすればいい。今のところは、だがな」
「今のところは?それって、ロディ君の中では、今後は休みの日でもパンを売る予定があるってことかな?」
ベリスの側にいるからか、エリスもいつもの調子が戻ってきて頭も回ってきたのだろう。
ロディマスの考えを見抜いたようで、そう推理してきた。
「そうだ。今のように休みの日は販売員だけを置く。当然、パンは前日までに焼いたものを出す。その為には量産化が必須だが・・・」
「そんなアテが、坊ちゃんにはあるって?」
「今最も手間がかかっているのは焼きだ。そこを改良する。ある程度の目途は立っているが、実現するのは第一段階でさえ一月後だ」
「一月後、なら余裕だな」
そう言って二の腕の力こぶを作ってパシンと叩くベリスの頼もしさに頷いて応え、ロディマスは続く案を伝えた。
「まず、燃料を変える。これは炭を使う予定だ。そして窯を多段構造にした上で、回転台を中に入れる。これで焼きムラを押さえつつ、焼き時間を短縮する。ついでに焼きが一定になれば、多少質は落ちるかもしれんが、孤児院の連中でも焼き番が可能になる」
「おおー、それはすごいねー。さすがロディ君」
「その工事は次の休みの日に行う。ドミンゴには伝えてあるので貴様らもそのつもりでいろ。そして工事する連中がいるのなら、ほかの客も寄り付きはしまい」
「なるほど、そこまで考えての事だったのか。さすがロデ坊ちゃん」
「当然だ」
「おい、ちょっと待て」
ロディマスの行動を見慣れた面々にとってはありきたりなこのいつも通りの展開にに待ったをかけたのが、今まで沈黙し、馬の中に紛れ込んでいたアグリスだった。
3/5 脱字修正しました。m(_ _)m




