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「ライルめ。今に見ていろ」
そうぼやきつつ、ロディマスは昨日の執事ライルと父バッカスの暴走の末を思い出して苦悶した。
あの無駄を極端に嫌う二人が、無駄の塊とも言える一室・・・一室?を建てたのである。
その一室とは、工場に併設されたもはや小屋、いや、小屋ですらなく家屋とも呼べるほどの、二階建てのアレである。
ロディマスは、あの二人は一体何を考えているのかと何度も何度も想像して、もしかすると自分をこの館から追い出そうとしているのかと悪い予想に行き着いてしまった。
そしてその何の根拠もない予想が、幾度と無くロディマスの精神に襲い掛かってきたのである。
ロディマスは元々、未来の記憶に精神を追い詰められ、被害妄想気味であった。
今回はそんな所に図らずも追い討ちをかけられた形となり、心が衰弱し、弱りきっていた。
「ご主人様、こちらがライル様よりお預かりしておりましたベルナント領の資料にございます」
「そうか。あのような不義理なヤツでも仕事はこなすか。実に、忌々しい。代わりがいればすぐに代えるものを」
「ごしゅ・・・、ロディマス様?」
突然、不穏な事を言い出したロディマス。
そんな主を怪訝な顔で心配するミーシャをよそに、ロディマスは心底追い詰められていた。目の下には隈が出来ており、時々左手の親指の爪を噛む姿は、誰が見ても病的であった。
ミーシャに『ロディマス様』と言い直され、そうやって名を呼ばれた事にも気が付かずに、ロディマスの心は本人の意思とは無関係に荒れ狂う。
ロディマスも自分の心が悪い方向へと向かっているのは自覚しているものの、それを止める術がなかった。
気晴らしをしようにも、そんな場所も知らず、そんな時間もないと無意識に切って捨てている。
そしてそう考える事でさえ、自分で自分を追い詰めているような感覚に陥っている。
追い詰めてくるその全てが、忌まわしいものに見えてくる。
憎い。
全てが、世界が、憎い。
俺は、俺たちは何も悪くないのに。
ロディマスの意識が一瞬だけ闇に染まったその時、フワリと誰かに抱きつかれてロディマスは辛うじて意識を取り戻した。
助かった、とロディマスは本気で思った。
それはもう、盛大に思った。
あれは恐らく【魔王の卵】の影響だろうと、ロディマスは今感じたものを、確かにそう認識した。
認識する事が、出来た。
そして、それほどまでに己の精神に急接近してきた【魔王の卵】に、恐れ、戦いた。
あれは危険なものだ。
今の俺では瞬く間に食い荒らされてしまう。それほどまでの危険を感じた。
そして、あれに対抗すべく自らを生贄にした前世の欠片は、どれほどの精神力を持っていたのだろうか。
ロディマスは、考え始めた。
真の意味で【魔王の卵】と接触した今、あの脅威を前に自分のちっぽけな精神力を過信する気などまるで湧かなかった。
そして同時に、前世の自分を、うだつが上がらないダメなサラリーマンだったなどと無意識に貶していた事を恥じた。
あの男は、出来る男だった。我慢強いという方向でなら、恐らく今世の自分であっても敵わないだろう。
そこまで考えて、それはやはり違うと、ロディマスは何故かそんな確信があり、己のそんな思考に違和感を持った。
その違和感の意味、その正体を考えて、前世との邂逅の時を思い出し、納得した。
そう、あの前世と自分は同一、あるいは同格の存在である。それを、思い出した。
ならばそう、今は自らに備わっていなくとも、いずれ、彼のような忍耐力を手に入れられる。
ロディマスは、まるで誰かに教えられたかのように、己の知らぬ己を確かに感じた。
俺が、俺こそが【****】なのである、と。
弱くて、弱い。
そんな自分ではあるが、今がそうであるとしても、未来もそうとは限らない。
弱いままの未来を変える為に己は行動していたのだと。誰かに後押しされるかのような感覚と共にやっと思い出せた。
しかし、今はまだ、弱い。
ロディマスはそれを胸にしっかりと刻み込んだ。
負けない為に。
己の弱さに、負けない為に。
遠い遠い未来だけを見ず、今目の前にあるものを、大切にする為に。
そしてまた一つ、ロディマスは自分の思い違いに気が付いた。
考えてもみれば弱い弱いと思っていた未来の自分は、あの狂戦士ミーシャの猛攻を何度も喰らい、それでも生き延びているのである。今にして思えば、相当にタフであった。
今の自分が今のミーシャに同等の攻撃をもらったら、確実に死ぬ。比喩や半殺しと言うレベルではなく、命はない。それほどまでの力量差をミーシャとの間に確かに感じるし、それだけの本気度で未来のミーシャは未来の己を殺しにかかってきていた。
それなのに、未来の自分は耐えた。耐え切った。
何も知らず、ただ運命に弄ばれていただけの未来の己は、しかし最後まで諦める事無く突き進み、その耐久力を手に入れている。
それなのに己は一体何をしているのか。
己の過去を見下し、未来を見下し、自信ありげに威張り散らす。これでは本来ロディマスだった者と大差がない。
何が生まれ変わっただと、その時の感情を吐き捨てたい気持ちになったが、未だに抱きついてくるその温もりのお陰で、その思考に待ったをかけることが出来た。
そうだ、俺は違う。
過去や未来の記憶があるからではない。
精神が、魂が、腐っていた頃の自分とは違うのだ。
ロディマスは、そう己に言い聞かせ、冷静になってきた頭を働かせる。
【魔王の卵】の影響力が強い。
ならばそう、早々に対策を練らねばならない。
俺は、弱い。
弱い。
だからこそ、人にも、道具にも、頼らなければ事を成せない。
間違えるな。俺は・・・、弱いのだから。
そう何度も繰り返し、ロディマスは己の弱さと向き合った。
そうしているうちにロディマスは、「おバカちゃんだなー。いつも通り人を頼ればいいじゃないか」、と言う声が心の内から届いたような気がした。
紛れも無く、自分の声。しかし、自分ではない、自分の為の声。
「そうだ、そうだな。俺は、バカだ」
分かっていたはずなのに。
そう小さく呟いて、やっと現実に戻ってきたロディマスは、抱きついてきた人物が誰かをようやく理解した。
一瞬、あの執事が飛んできたのかとも思ったが、さすがにそんな事はなかった。
抱きついていたのは、最もロディマスに近い位置にいる人物、ミーシャである。
あの、ロディマスを毛嫌いしていたはずのミーシャが、ロディマスに後ろから抱きついていた。
まるで、ロディマスを守るように。
その柔らな感触と共に感じた匂い、お前ちょっと汗臭くね?と言うありのままの感想を飲み込み、震えながら回されている腕にそっと手を置いた。
「助かったぞ。ミーシャよ」
「いえ・・・、その。従者であれば、当然かと」
「・・・、そうか」
「はい、そうです。きっと、そうです」
そう言いながら、ゆっくりと気遣うように離れていく気配に、ロディマスはミーシャの心を垣間見たような気がした。
ミーシャは光属性の勇者候補である。
そのミーシャが、闇属性の塊である【魔王の卵】の暴走にいち早く気付き、己を止めた。
決して偶然ではないと察して、ロディマスは、何故かそのミーシャの行動を危険視した。
あの震えは、うっかり俺を殺しそうなのを我慢してのことかと、謎の理論を展開したロディマスは、【魔王の卵】とは違う方向での身の危険にも備えるべく、頭を巡らせた。先ほどの反省はどこへ行ったのやら、とロディマスの前世の意識があれば呆れたであろう。
しかしロディマスは火急の件である【魔王の卵】の一時的な抑止の為に何かないかと全ての記憶を探っていた為に、そこにまで気を回す余裕はなかった。
そして必死になって調べた結果、以前見た未来の記憶、いくつか候補に並べていた目指すべき未来の自分を思い出して、ある道具に着目した。
「邪気眼布。忘れていたが、今のソフティアンな俺にはお似合いの道具だな」
最初に目覚めた頃の威勢はどこへ行ったのか、弱弱しく自嘲するその姿は、アラフォーの仕事に疲れたおっさんのようであった。
そういった弱気な心が『ソフティアン』と言う謎言語を呼び戻したが、いつもなら憤慨するその誤変換にも今は妙な懐かしさを覚え、ロディマスは苦笑したのだった。
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工場も無事に稼動し、工員も馴染み始めた。
ロディマスはその連絡を受けてから自室を出て、いつものように中庭で鍛錬を行なう事にした。
気晴らしをするには動くのが一番だと、普段どおりロディマスが無心で素振りをしている。ミーシャはそれを眺めながら、ロディマスが教えたスクワットをしていた。
こういうのも長閑、と言うのだろうかと、ただ己の素振りする音とミーシャが上下に激しく動く音だけの、他には何も音がない中庭で、哲学的な事をロディマスは考え始めていた。
丁度いい感じに素振りも乗ってきたタイミングである。
するとロディマスは、突然なんとなく背後からの、なんとなく鋭い殺気を、なんとなく感じたような気がした。
「なんだ!?」
そしてそのあまりにも曖昧すぎる危険感知らしき反応に瞬時に合わせて振り向いた。
すると振り向き見たその視線の先には、こちらへと飛来する物体と、その物体の奥に少女の姿が見えた。
少女はどうやらいつもロディマスを覗き見しているアリシアで、彼女は隣の館の2階にある私室から、何かをこちらに向けて投げてきたようだった。
一体、何故。
そう思う暇もなく確実に、着実に己目掛けて飛んできていたその物体に、ロディマスは即座に対処しなければならないと直感し、ロディマスは咄嗟に迎撃の態勢を取った。
「このっ」
命の危機を感じてか、周囲がスローに思えるほど集中力を高めたロディマスは、見事に右手のショートソードでその物体を捉えた。
捉えたが、力負けをした。
「うんゴッ!?」
ロディマスは己の右手首が捻じ曲がる様をスローで見た上に、結局減速する事なく勢いそのままに飛んできた物体に腹部を打たれて地面へと転がった。
二度、三度と勢いを殺すべく転がり、そして予定外の12度目の回転の末、勢いが止まった。
その大惨事に、ロディマスは起き上がる気力も尽き、倒れ伏した。
地べたにうつぶせになったまましばらく手首と腹の痛みに耐え、そして己と同じく地面に横たわる飛来してきた例の物体をロディマスは見た。
物体は木製で、イメージ的にはイースター島のモアイ像のような大きな顔のみの奇妙な置物のようだった。
「俺は・・・ゲホッ・・・・・・、これに負けたのか」
あまりにもあんまりな現実に心が折れかけるロディマスだったが、さすがの扱いに怒りが噴出しそうになり、結果として心は折れなかった。
しかも同時に一つの案が浮かび上がり、怒りを堪えることに成功した。
「グッ、これを届けに行く。それを口実に、ヤツと接触するか」
不幸中の幸いと言うべきか。
アリシアと接触を図る為に様々に頭を巡らせ策を講じていたが、まさかこんな解決法が天から降って来るとは思いもよらなかった。
よらなかったが、ミーシャを戦線から引き離す為とは言え、こんな暴力女の治療をしなければならないのかとロディマスは思い、憂鬱となった。
2階の自室の窓からアッカンベーをして中へと引っ込んでいったアリシアを見て、どうしてそんな事をする気になったのかまったく理解が出来なかったロディマスであった。
ロディマスは、若い娘の考えることが分からないと、まるで大きくなった娘との接し方に悩む父親のように落ち込み、座り込んでため息を吐いた。
多分、ただの八つ当たりなのだろう。つい昨日も隣の館が騒がしかった事を思い出し、またあのお転婆は倒れたのかと、本当に己は間に合うのかと危惧して、あるいは心配していたのだ。
そう言う意味ではこれは渡りに船ではあったなと、己を強襲した物体Xを褒めてもいい気になってきた。
それに案外、痛みと言うものは気持ちイイのではないのだろうか。
最近特に女性からの暴力を受ける機会が増えたロディマスが、いずれの未来の己とは異なる、行ってはいけない方向の趣味を開花させつつあった。
前向きに生きようと考えた結果、ロディマスは斜め上へと向かいつつあった。
そんな危ない方向へと進みかけたロディマスが黙って己を見つめ直していた所、落ち着いたと判断したミーシャが寄って来た。
「あの、一応大丈夫ですか?」
「・・・、ああ。・・・、・・・?」
不意打ち気味に心配する声が聞こえ、ロディマスが反射的にそう返事を返したところ、ミーシャはあの物体を拾いに行った為にまた側を離れた。
ロディマスはそれを目で追いつつ、先ほどのミーシャの言葉を思い出す。
「一応?」
一応。
ミーシャがそう言った気がしたと、ロディマスは己の耳を疑った。
一応?
雇い主を心配するのが、一応?
仮にも命の恩人に対して、一応?
疑問に思いミーシャに目をやれば、振り向いて目が合った。すると、あちらから視線を逸らされた。
あからさまなそんな態度に、ロディマスは色々と現実を受け入れられなくなった。
謎の物体に押し負けた自分自身も、先ほどの自分を一時的にも支えてくれたミーシャとは真逆のそんな態度も。
心が、どうしようもなく弱くなってしまった。
そして、現実逃避をした。
逃避も大事だよー、頭皮もねっ、と言う何だか良く分からない心の声を受け流しつつ、ロディマスは全部の負の考えを、捨てた。思考停止であった。
「そんなはずはない」
きっと己の見間違い、聞き違い、思い違いだと、ロディマスは無理やり己を納得させた。
しかし果たしてそれは本当に思い違っていたのか。
乙女の心を読む事など出来ない野暮なロディマスは、少しばかり頬が赤くなったミーシャが今までとは違う理由で避けた事に、気付くことはなかった。
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いずれは行動しなければならないアリシアの件にしても、暴行を受けた今の今で接触するのには、さすがに効率優先のロディマスでも抵抗を覚えた。怒りが収まっていなかったが故でもあるが、とにかく気分が乗らなかったのである。
ロディマスは折角の機会だが見送るべきだと、気を紛らわすために本格的に稼動し始めた工場の資料を読み、それに対応した執務に取り掛かっていた所、アンダーソンが私室の前に走りこんできた。
ただしきちんと入室する直前で止まり、ノックをし、ロディマスの返事を待っていた。
ドアが開いているにも関わらず、である。
その姿が律儀で、あまりにも忠実な犬を連想させるアンダーソンに、ロディマスは本人としては優しげだと思っている声色で話しかけた。
「なんだ、アンメルツヨコヨコ。いいから入れ」
「え?それって俺のことですかね!?また『アン』だけになっちゃってますよ?しかも長くないですか!?」
「あー、なんだ。そうだ。アンデルセン、だったか?」
「それ、帝国での呼び方ですね。俺はこの国出身なんで、素直にアンダーソンって呼んで下さいよぅ。へへっ」
「ああ、それだな。アンダーソンだったな。ふむ、頭に馴染まん名前だ。どうでもいい」
「どうでもいい!?そんなぁ。しかも本気で忘れてます!?今まで冗談だと思ってましたよ・・・」
人の名前を敢えて間違うなど、そこまで悪趣味ではないと言い掛けて、ロディマスはこれ以上無駄に話を長くしたくなかったので口を閉ざした。
そうしてアンダーソンが落ち着くのを待ち、それから報告を促した。
「それで、何用だ?また鐙の件か?」
「『アブミ』は解決してますよねぇ。じゃなくて、そうだ!!!」
そう言ってアンダーソンは深呼吸をしてから、叫んだ。
「工場が、賊に襲撃されました!!!」




