プロローグ2
このアースガルドと言う世界は、ただ平々凡々と生きるには過酷な世界である。
それはひとえに、魔物や悪魔と言った人類に敵対的な種族が存在するからだ。
これがまず、人類の外にある脅威。
そして人類には人類で、内々に抱えた脅威がある。
それが魔力であり、魔法である。
魔法と言うと、一般的には大魔法以上を指す。
その威力は、個人が大砲を持つレベルだ。家一軒など平気で吹き飛ばすほどの火力を、個人の力のみで打ち出すのだから、危険でないはずがなかった。
魔法を悪用しないように取り締まる国の法もあるにはあるが、封建社会なので領地を治める貴族達の胸一つでもある。
だが、その魔法以上に、魔力の方が厄介だった。
魔力とは、魔法となる前段階の力で、全ての者が持ち合わせているものでもある。
その魔力を体内で自在に操り、近接能力に特化した者達を前衛、あるいは剣士などと呼ぶ。
そして二流程度の剣士でも、家一軒を軽く吹き飛ばす力を持つ。
人間が体当たりして、大砲と同レベルなのである。
しかも二流でさえそれであり、二流程度ならかなりの数がいる。
大きな街なら3割の人間は、二流以上の前衛だろう。
街を無闇に歩けば人間だと思っていたものが大砲だった。しかもぶち当たられて砕け散った。
街中でさえそれほどの危険度と考えれば、いかにこの世界が危ないのかよく分かろうものである。
人類自身もまた自らにとって危険な存在へと成っている。
最も、神の存在を誰もが信じているので、少なくとも今現在に限っては力を悪用する者達の数は少なめだ。
そして人々の多くが神を信じる都合上、自殺と言うものは大罪を伴うもので、誰もが忌諱しているものである。
それを、己が成したのだと、目の前の自称神は告げていた。
真実か否かはともかくとして、自殺を許容しない神と言う存在が、それを己に告げている。
まさにそれは、死の宣告とも言えるような言葉だった。
力ある存在に対して、以前の己は真っ向から歯向かった形となっているのだ。
矮小なロディマスと言う存在など、目の前の自称神にとっては塵あくたにも等しい存在なのかもしれないと、身震いした。
以前の己は一体何を考えていたのだろうかと、ロディマスは思考を巡らせ、しかし自殺する直前の記憶に辿り着かなかったので疑問に思った。
「そもそも何故、俺は自害したのだ?」
当然の疑問に、自称神は節目がちな雰囲気を醸しつつ答えた。
”彼が、己の運命を受け入れられなかったが為であり、また、私の見通しが甘かったからです”
そう言って自称神は少しばかり強めの光をロディマスに浴びせかけると、それを見ろとばかりに沈黙した。そして脳内には、ロディマスが見た最後の光景が浮かんだ。
人の頭の中を勝手に何度も弄繰り回して、全くふざけた存在だと、ロディマスは些か不機嫌になりつつもその光景に集中した。
それは未来の記憶であり、これから起こりえるであろう状況をいくつかの場面で切り貼りして見せられたものだった。
その記憶の中でも特に多く目に付いたのは、男一人に女三人のパーティとの対峙だった。
男は人ほどの大きさの巨大な剣を持ち、女たちはそれぞれ手甲、杖、ハンマーを用いて戦っていた。
女の一人は獣人で、銀と黒のまだら髪に三角の耳が頭の上に乗っている。
ただし片方の耳は欠けており、また、顔にも縦断した傷跡があり、その傷が首を通ってさらに続いているように見えた。
その獣人の女の目は吊りあがっており、まるで怨敵を見つめるかのような鬼の形相に、第三者視点で見ているはずのロディマスでさえ思わず顔を引きつらせた程だった。
目を背けるようにその女の顔から目を外す。
その女が見ている視線の先が気になったのだと心の中で言い訳しつつ、その先を目で追えば、そこには己が成長した姿が見えた。
若干シルエットが歪になってはいるが、確かに己だった。
正確には自分の父に似ていると言う感覚だったが、成長した自分自身に違いないとロディマスは直感した。
そしてどうやらそのパーティと成長した己は戦っているようだった。
飛び交う魔法、いや、成長した自分から一方的にそのパーティへと放たれる魔法と、その魔法をあろう事か空中で斬り払い、斬り捨て、殴り消して、消滅させていくパーティの面々。
爆風に晒され、氷に穿たれながらも前へ前へと進んでいくパーティは勇猛果敢で猛々しく、まるでアニメやゲームで見た勇者パーティのようだった。
片や自分はとよく見たら、魔法は未来の己の取り巻きから発せられていた。
そして未来の自分は全く何もせずただ喚いていただけだと気付き、我が事ながらロディマスは呆れてしまった。
その構図はまるで勇者対悪党だった。
ロディマスが俯瞰視点から見てそう思っていたら展開が続いて、気が付けば取り巻きたちが無力化されていた。
これで終わりかとロディマスが油断した所、未来の己が叫びもだえながら異形の姿へと変わっていくのを目の当たりにして、今度は何事かと事態を凝視した。
すると未来の己は全身を真っ黒に染めた異形のバケモノと化していた。
勇者が『魔王』と言う単語を口走っているように見えたのは、きっと気のせいではないだろうと、ロディマスはコメカミを押さえた。
どうやら未来の己は最後、魔王に体を乗っ取られてしまうようだった。
もしかしたら、いやまさか。
そんな言葉が思わず浮かび上がるほどの、お約束な展開だった。
思わずゲームかよと叫びそうになった口をすんでで抑えて、事の成り行きを見守れば、確定路線であったかのようにあっさりと未来の己だった魔王が討伐されていた。
40手前の【阿部和也】でさえも頭を抱えたくなるほどの悲惨な末路だった。
この未来を見て将来を悲観し自殺したのかと【阿部和也】は納得しかけたが、己の奥底に眠るロディマスの残滓が否定をしているように思った。
だからロディマスはもう少し頑張って考えてみた。
そして、ある点に気が付いた。
勇者たちと対峙するロディマスの視線が、チラチラと獣人の娘に向いていた事を。
未来の自分が時折後悔の念をにじませた苦渋の表情を作っていた事を。
幾多の未来の記憶の中を探り、それぞれその獣人の娘が関わっている案件をピックアップしていけば、 幾度と無くこの獣人の娘を影から支えようと健気な努力をしている自分の姿があった。
最も、それが功を奏した事などただの一度も無く、全てが裏目に出ていたのは笑うに笑えない事態だった。
「まさか、あの娘に惚れていたとは」
自分の事とは言え、心底驚いた。
しかもこの獣人の娘は、つい数時間前に地下牢へと閉じ込めた奴隷の未来の姿に違いない。
奴隷の名はミーシャ。
かつてレバノン商会と呼ばれた中堅商会の一人娘だ。
レバノン商会は堅実な商売をモットーとしており、地域密着型のまじめな商いで地域民に大変人気な商会だった。
だが、レバノン商会はアボート大商会の逆鱗に触れた。
レバノン商会は娘が生まれて以降、堅実な商売を捨てて危ない橋を何度も渡るようになり、とうとうアボート大商会の販売ルートの一部を横取りしてしまったのだ。
それに激怒、したかは己の知る父の姿では想像も付かないが、アボート大商会はレバノン商会を商敵と認定したと、ロディマスは当時のおぼろげな記憶を思い出す。
その結果は見る間でもなくレバノン商会の惨敗。
あわれレバノン会長とその婦人は販売ルートを全て潰されて倒産し、借金返済の為に鉱山へと送られたのが2年前。
しかもその鉱山で魔物が大量発生した為に今年、死亡している。そしてその愛娘であるミーシャは奴隷となり6歳から8歳になる今まで下働きとしてこの館で働いていた。
そんな彼女が何故牢屋へと押し込まれているのかと言えば、原因は自分だったとロディマスは嘆息した。
どうやらこの男、ロディマスは未来では完全にミーシャにホレてしまっていたようだったし、かつてのロディマスもそうだったらしい。
確かに見た目は愛らしく、大きな愛くるしい青い瞳と綺麗な銀髪、チョンと乗った三角の耳に心奪われるのも無理はない。
ただし、己はロリコンではないのでこんな年端も行かない子供に欲情はしないし、ケモミミ趣味もないので未来の姿を見た今でも【阿部和也】的にはなしだと、冷静に自分自身の感情を分析した。
それと、幼いロディマスは少々人とは感性が違っていたようだった。
しかも、恋と呼べるレベルかは分からないが、ミーシャはどうにも気になる存在だったのは確かであった。
しかし、その感情に無自覚だったのが災いした。大人である【阿部和也】からすれば一目瞭然であっても、当人は全く気が付かなかったようである。
どうにか己だけのものにしたく何度も嫌がらせを行ない、今回ミーシャがロディマスの服を破いてしまう失態を犯してしまった。
無論、服が破れたのは細工をしたが為なので、ここまでは計画通りだったようである。
ろくでもないが、悪知恵だけは働くようだと【阿部和也】は思い、それ以上は呆れ果てて何も言えなかった。
ただし牢屋送りは狙った訳ではない。
単に許す代わりに自分の側付きにしたかった。
その口実の為だけに罪を作りたかったのだが、その現場に両親がいたのがまずかったと、ロディマスは思い出す。
以前まで生きていた幼いロディマスの記憶では、こうだった。
偶然を装い、足場を不安定にした上で、ミーシャに高所で作業をさせた。
偶然・・・明らかにバレバレであったようにも思うが、それでもミーシャは断れず高い位置の窓を拭いていた。
それも階段近くであり、転げ落ちればタダでは済まない場所の話である。
完全にハラスメント行為だとロディマスは考えたが、現代日本ほど雇用形態や契約が整備されていないこの世界であれば、権力を持つ者は好き勝手出来るのだと無理やり己を納得させた。
そんなミーシャにとってこの上なく理不尽な状況で、さらに一工夫としてロディマスは自分の服の袖に切り込みを入れたのだった。
窓を拭くミーシャの、薄い貫頭衣の後姿と下から見える尻尾をスケベな顔で眺めつつロディマスは足場となっていたイスを蹴った。
躓いたように見せかけて。
実に稚拙な行為だが、誰もそれを咎められない。
そう言う立場が、ロディマスのいる立場だとイヤでも理解させられた一幕だった。
「反吐が出るほどのクソガキだなっ。なんなんだこいつは」
思わずそう悪態を吐いてしまうのも無理らしからぬほど酷い過去の己の行動に、目の前に自称神がいるにも関わらずロディマスは我慢できずに愚痴が口に出てしまった。
神は沈黙したまま引き続き己を見守っていると、ロディマスは些か哲学的な事を考えながら先ほどの事件の続きを思い出す。
その後は、空中に舞うミーシャに手を差し伸べ、無理に手を掴むロディマスと、階下には落ちなかったが掴んだ袖を見事に引きちぎったミーシャの二人が出来上がっていた。
そしてこのままなら、ロディマスの予定通りの展開となるはずであった。
だがそこに両親が現れた。
現れてしまった。
そしてレバノン商会に対して思う所があった両親が、その娘であるミーシャを許さなかった。
幼いロディマスが口を挟む間もなく、ミーシャの牢屋行きが即座に決定してしまった。
幼いロディマスは後悔した。
このままでは牢屋で食事も与えられず、ミーシャはいずれ餓死してしまうだろう。
さすがに10歳のロディマスでもそこに思い至った。
そもそもこの寒い真冬の時期に、暖房も何もない地下牢に閉じ込められているのだから、餓死以前に凍死してしまうかもしれない。
あるいは、死んだ両親の元へと送ってやろうと言う自分の父の優しさの現われなのだろうかとも考えた。
ミーシャを引き取った理由も分からないが、もしかするとその可能性もゼロではないのかもしれない。
父はつまり、ミーシャをここで殺してしまう気なのかもしれない。
そうなると、ミーシャは己の物にならない。
そう結論付け、己の予定通りに事が進まなかったことに幼いロディマスは大層腹を立てて、次の策を考え始めた。
「身勝手すぎるだろ、俺」
思わずロディマスがそうボヤいてしまったのも、仕方の無い展開であった。