16
厨房での一件の、その翌日。ロディマスはライルを引き連れて以前訪れた鍛冶屋へと向かった。
ちなみに今もなおミーシャは謹慎中である。
今はメイド長に教育的指導、本当に普通の意味での指導を受けている最中だ。
何でも貴族の前に出しても恥ずかしくないレベルにまで鍛えあげるらしいと、ロディマスはミーシャの迷走っぷりに困惑しつつも見守る事にした。
つまり、放置である。
あまり関わっていてもいい事がないと学習した結果でもある。
そして今回も前回から学習した結果、ライルを引き連れることとなった。前回のバイバラの舐めっぷりが気に触ったとか、そう言う理由ではない、とは言い切れなかった。
最もライルはそれだけでなく、今回の大仕事についての仲介役も兼ねているので同行させている。
ロディマスはそう状況を頭の中で整理した後、目の前の工房の扉を開いた。
○○○
「おい、揃っているか?」
相変わらず入るなりすぐに声をかける不躾なロディマスに、鍛冶屋の主らしき老人が答えた。
「なんじゃー坊主、キサンが呼んでおいて遅れるたーの」
「何を言うか。こちらは時間通りだ」
前世日本人の感性からか、ロディマスはその傲慢で不遜な態度とは裏腹に、時間にとても正確だった。
よって今回も正確な時間、それよりも10分も前に入店したのだが、店主はそうは思っていないようだった。
それを不審に思えば、店主の顔がロディマスから逸れていた。
その視線は、後ろのライルに向いており、自然と皆の視線もライルに集まっていく。
半眼になりながら、ロディマスもライルを見つめてこう問いかけた。
「ライル、何か言う事はないか?」
「はい。ロディマス様をお待たせするなど言語道断です。よって、彼らは朝から集合させております」
ロディマスは思わず片手で目を覆い、悪びれないライルにため息を吐きながら訊ねた。
「はぁ。ライル・・・、今、昼過ぎだな?」
「承知しております」
「承知しております、じゃないっすよ。こちとら朝から待ちぼうけっすよー。お昼ごはんも食べ損ねたっすよー」
本気で悪いと思っていないライルに対して文句を言うのは、鍛冶屋に呼んでいた木工職人のバイバラである。
憤まんやるかたなし、と言った調子でプリプリと怒るバイバラに、これはもしかしてライルなりの意趣返しなのかと考えた。以前自分がバイバラにそっけない態度を取られたことを知っているライルが、まさか鍛冶屋の店主まで巻き込んでの仕返し。
だが、まさか、と思ったのはほんの一瞬であった。
ライルなら、やりかねない。
主ラブが強すぎて善悪の価値観が少しばかりずれているライルなら、やりかねない。
ロディマスはその執事の悪癖に少しばかり頭痛がしたのだった。
しかし、それだけがライルの狙いではなかったのだと、ロディマスは直後に気が付いた。
駆け引きの強さで言えば、ライルは父バッカスに次いで厄介な相手だと、この老人から学ぶべきことが多いと感心さえした。
ライルが手に提げていた二つの網カゴを皆の前の出した。
「これは、なんじゃ?執事の」
店主の老人、よく見れば背が低く毛むくじゃらで、明らかにドワーフなその男は怪訝な顔を向けた。
そうしてまたもライルに注目が集まる中、網カゴに掛かっていた布を取れば、皆の顔つきが代わった。
「これは、白い・・・、バターと小麦の臭い。これってパンっすか?え、でもこれって、ええ!?何すか!?」
「また異なものを出してきよったの、白いパンとは」
日本の記憶を持つロディマスからすればごくごく普通のロールパンサンドイッチである。
だが少なくともこの国においては、フワフワなパン自体が希少である。当然のようにサンドイッチと言う文化もない。
ただ、露店でクレープ生地の庶民パンに具材を巻いて食べるものはあるのでそこまで珍しいものでもないはず。
ロディマスはそんな軽い気持ちで作らせたものだが、どうにも職人二人の感想は違うようだった。
「これ、これは、何すか!?何なんすか!!ライルさん何すか!!」
「これはロディマスお坊ちゃま発案の、サンドイッチと言うものです」
「サンドイッチ!?サン!?ドイッチ!!!」
「木材の、少しうるさいの」
「あんたはこのすごさが分からないっすか!?」
「何がじゃー、露店に行けば具巻きなどいくらでも見れるだろうに。ほんに木材のは臭いしうるさいし、たまらんのお。それにパンが白くても、口に入れば一緒じゃしの」
まるで興味がなさそうな小柄でマッチョなドワーフ体型の鍛冶職人の親方だが、その目はロールパンサンドイッチに釘付けである。
その様子を見て、何がそこまで彼らを搔き立てているのかと考えて、前世でその名前の由来になったサンドイッチ伯爵の話を思い出して納得した。
『夜な夜な博打をする為に、時間を惜しんだ食事として作られたもの。それがサンドイッチ伯爵の名を冠するサンドイッチである。』
当然これは当時多忙を極めた伯爵位では不可能な、ただの物語の一節にあるだけの作り話なのだが、それでも誰もが納得してしまうほど説得力と破壊力のある理由だった。
つまり、作業しながら食べる食事法としては最適で、それゆえに職人受けがいい。
しかしこの逸話を知らないライルが自然にその発想に結びつけ、しかもそれを利用して彼らを釣る餌にしてしまう辺り、さすがアボート家の執事だとその抜け目のなさに再び感心した。
そもそもパンに具材を挟んで食べるサンドイッチは、名前は色々あれど携行用の食事方法として前世の世界では世界中で広くあったもので、誰でも思いつくレベルの食事法である。
ただしそもそもパン自体が高価で気軽に携行出来ないこの世界では、野外でパンを食べる文化も、作業中に食べると言う食事法も発展しなかったのだろう。
それに聞いた話によれば、騎士団の野外食はオートミール、乾燥したオーツ麦を煮た粥を食べているらしい。
それ以外の商人たちは穀物類を取らず、単価が安くて保存が利く干し肉や干し野菜を食べる。
そんな話を思い出して、確かに魔物がはびこるこの世界では気軽に旅も出来ないし、魔法で発酵させる謎工程もあり色々とその手の文化が発展しなかったのかと、改めてこの世界の文化と前世との差異を感じて、そこにロディマスは商機を見た。
そして心の中のメモ帖に記載した後で、ロディマスは職人二人にこう告げた。
「貴様らに作らせたいものがある。だから食事を終えたら作戦会議を行なうぞ」
「え、食べていいっすか?」
「無論だ」
「坊主、キサンは中々男前よの。これほどのパンをタダでとはの」
「やったっすー!これなら待った甲斐があるっす!!」
そう言っている間に、いつの間にか鍛冶屋の厨房を借りていたライルが戻ってきて、全員分のお茶を用意していた。
さすがスーパー執事だと、明らかに不法侵入して勝手に厨房を使ったライルの一連の流れを見なかった事にして、今はとりあえず食事をしようとロディマスは提案した。
「そうだ。タダだ。ただし、タダで食べさせる代わりに、食べたら感想を述べろ。注意すべき点や要望があれば言え」
「分かったっすー、もぐもぐ。うまいっす!!白いくせに香ばしくて、超うまいっす!!」
「ほっほう。こちらはピリっとして旨いの。酒が欲しいのぅ」
既に好き勝手食べ始めていた職人たちに呆れつつ、ロディマスもサンドイッチにかぶりつき、『飴と鞭』で見事に職人たちの心を掴んだライルの手腕に舌を巻くのだった。
○○○
食事を終えて、それぞれが今更ながら自己紹介を行なった。
それによれば、鍛冶屋の老人はやはりドワーフで、名をドミンゴと言う。
かなり有名な存在らしいが、人間族至上主義のこの国ではかなり肩身の狭い思いをしていたらしい。
そしてそれを拾ってこうやって職場を与えたのが父だと聞かされ、ロディマスはバッカスの影響力の強さと非常識さを改めて知った。
そんな状態から始まった作戦会議は、意外にも順調に進み、そしてロディマスが行き詰った場所で、それをあっさりとドミンゴが解決してしまった。
「それならベルトを使えばいいんじゃないかの」
「ベルトだと?」
「なめしたロックバイソンの皮か、キングスコルの筋を繋いだモンが主流だの」
「主流って、つまりなんすか。それってどっかで使われてるってこっすか?」
「そりゃキサンよ、そっちの坊主が言ってた風車に使われてるんだの」
ごく当たり前のようにドワーフの翁、鍛冶職人の親方であるドミンゴはそう言ってのけた。
しかし当たり前だったのはドミンゴだけだったようで、木工職人のバイバラも、万能執事たるライルもよくは知らなかったようだった。
それに気付いたドミンゴが、さすがに説明不足だと気付いて解説を始めた。
「水車と違って風車ってのは安定した力がないかんの。木製の巨大な歯車を何個も作ってちゃ重くて回んないんだの。後は、歯車の間をくりぬく方法や格子状の歯車を作る手もあるだの。ただ最も早く作れるのは、ベルト式だの。他と比べて素材の所為で耐久力はちと劣るじゃろが、現地での設置の手間がさほどかからんから、坊主の目的にはこれがおうとるだの」
マジかよ、と言うぼやきを辛うじて飲み込み、ロディマスは己の知識の無さを少しだけ恥じた。
この世界に歯車があるのは知っていたが、ベルト式どころかそこまで様々にあるとは思いも寄らなかったからだ。
特にベルトは、前世ではバイクでよく慣れ親しんでいたチェーンと同一のパーツだっただけに、それを思い出せなかった自分の発想力のなさを嘆いた。
そしてその時点である事実を発見した。
つまりこの世界では、確実にテコの原理が解明されており、ここまで実用化されていたという事だった。
その思っていたよりも高い文明力に戦きつつ、ロディマスは前世の知識が案外大したアドバンテージになっていないのだと知り、更にその記憶を持つ主である自分の能力の低さに少しばかり落ち込んだ。
実はてこの原理は、前世では中世どころか紀元前に科学者アルキメデスにより解明されていたほど古い技術だったのだが、ロディマスにはそこまでは覚えていなかった。
それが故の失敗であり、同時に、前世日本に劣る文明だった異世界を少しばかり舐めていた結果でもあった。
しかしそれにさえ気付く事無く、ロディマスは落ち込み、謎の軌道修正としてこの世界は思ったよりも文明力があり、前世日本と同等のものもあるかもしれないと無駄に警戒する事となった。
そして、先ほどまでのサンドイッチの大成功など見る影も無く惨敗であったロディマスは、開き直った。
今の今まで手押しによる石臼挽きの改良版を模索して、歯車までやっとこぎつけたのに、それがこの一瞬で自分の案を上回るものを出されてしまったのである。
さすが職人と唸るべきか、小さなプライドでもって憤るべきか、ロディマスは苦悶したが、考えないようにした。
餅は餅屋。
やはり素直に職人を頼るべきだったと、今までの時間のロスを思い少しだけ歯噛みをした。
「ベルトならある程度大きさの自由が利くからの。職人の入る余地を減らすって意味じゃワシは歓迎できんが、これも技術よの。使えるものは全て使うのが、貪欲な人間族らしいもんじゃの」
「そうっすね。でもこれなら新しい小麦挽き機は作れるっすね。良かったっすね」
「貴様、何を他人事のように言っているのだ?作るのは貴様だろう?」
苦悶しつつも職人たちの討議を元に設計図を描いていたロディマスが、まるで自分は関係ないと言った調子のバイバラに疑問を吐いた。
しかしバイバラは意外だと、何故そんな事を言うのかと、訴えかけてくるかのような目をロディマスに向けていた。
それに対して、何でそんな態度なのか分からないロディマスは言った。
「木工職人の貴様が作らないで、誰が作るのだ?」
「え、えええ!?自分ひとりでこの巨大な装置を作るっすか!?」
「そうだ」
「そうだ、って。そんな微妙に分かりづらいほど極わずかにしっぶい顔で言われても、困るっすよ」
そんな顔をしていないだろ、と思わず自分の頬を撫でて、表情が全く動いていないことに気付いたロディマスは別の意味で焦った。
笑おうとする。
しかし、触れている顔の皮に変化がない。
口の端を吊り上げて笑って見ようとした。
動かなかった。
顔面の手触り、ツルリ。ツルツルである。寄せていた眉の間にシワがない。いや、辛うじてあるのかと少しばかりテコポコしている眉間を触る。
マジかい、と思ったが、直後に何故あれほどまでにミーシャが気持ち悪いと言っていたのか気付いた。気付いてしまった。
能面のような無表情な俺が側にいたら気味が悪いと思ってしまうのも仕方が無いのかと、ロディマスは心底ヘコんだ。
ヘコんだが、ヘコたれている場合ではなかったと己を奮い立たせ、そしてバイバラを見た。
バイバラは華奢だ。
そんなバイバラ一人に巨大な歯車の装置を作らせる。
無謀だった。
誰がどう考えても、確かに無謀だったとロディマスはバイバラの視線の正体に気が付いた。
しかし今はバイバラ以外にツテがないロディマスは、他に良い手も浮かばずに心の中で途方にくれた。
そこに救いの手を差し伸べたのは、何故か鍛冶屋のドミンゴだった。
「ならウチの若いのを使うがいいかの」
「鍛冶屋が何を言い出すのだ?アンポンタンなのか貴様は」
「アンポンタン!?いや、そうじゃないがの。ウチだって木材は扱ってるんだの。・・・キサン、口が悪いだのお」
「ほう?」
「あ、ああ!!そう言えば剣柄とか鞘は木製が多いっすね。飾り彫りなんかはウチに頼んでくるけど、大味なものは自分たちでやってたっすね。ならいっそ全部そっちに任せればいいんじゃないっすかね」
「さすがに接合部の加工はワシらでは上手くいかんの。それに長期に渡っての運用に耐えられる強度の高い木材の選定となると、キサンの目もツテも必要だの。だからキサンも諦めて協力するだの。やる気出すだの」
「えええええー。そんなのガラじゃないっすよ・・・」
「相変わらずキサンはやる気がないの。こっちは今日からでも取り掛かれるだの。やるだの」
鍛冶屋にも関わらず木製の巨大構造物に対して意欲満点なドワーフの翁に対して、本来は自分の専売特許たる木工を鍛冶屋に譲り渡そうとするヒョロ男バイバラ。
何がどうしてこのような形になったのかロディマスは分からぬまま、事の成り行きを見守る事にした。
すると、これを見かねた鶴が一声を上げた。
ライルである。
「お二人とも、こちらはアボート家からの正式な依頼となっております。書類も旦那様よりお預かりしており、拒否権はありません」
そう告げられ、バイバラは苦虫を噛み潰したような顔をして、それでも諾々と頷いた。
「それならば、仕方が無いっすね。納期とか依頼料とか、そこんとこ詰めるっすよ」
「そうじゃの。これだけの大仕事ならしっかりと予定を立てねばならんの」
そう言うや、またも騒がしく話し始めた二人に辟易としたロディマスは、力なくライルに告げる。
「後は任せるぞ・・・」
「はい、ここから先はお任せいただければ、必ずやご要望に沿ったものをご用意させます」
サンドイッチで懐柔した上でもこんなにこじれるのかと、一筋縄ではいかない職人たちとの交渉に疲れを見せたロディマスは、己がまだまだ未熟であったと恥じ入るばかりであった。
そして二人とは兼ねてからの知り合いだと言っていたライルであれば任せても大丈夫だろうと、ロディマスはまたもライルに丸投げして鍛冶屋を後にしたのだった。
□□□
「あ、坊ちゃん!!違った、ロディマス様!!『アブミ』、出来てますよ、ほら、ほらあ」
「ああ、そうだな」
家に帰ればアンダーソンが馬と共に待ち構えていた。
先日の鐙の件をどうにかすべく、ロディマスが家を出てから用意をしていたのだろう。
そんな素直で実直そうな感じの彼に、今日は妙に優しくしたくなったロディマスだった。
「分かった、今からやろう、アンダーバー」
「惜しい!!惜しいですよ、アンダーまで来てます!!」
「そうか」
そう言ってロディマスは馬に跨り、鐙の長さを調整したのだった。