127_ベルナント公爵について その1
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トーマス=フォン=ベルナント。
第十九代ベルナント家当主。
アリシアの父であるこの男には、二人の妻がいる。いや、いたと言う方が正しいだろう。
一人は第一夫人のカリン=フォン=ベルナント。トーマスの従妹であり、王家の血が遠縁ながら入っている良家の出身である。
政略結婚に近い形ではあったものの、不遇だった獣人族の為に奔走する従兄のトーマスに幼い頃から惚れていた。
もう一人は元第一婦人のラウラ=フォン=ベルナント。
とある男爵家から侍従として王都にあるベルナント家当主館にて雇われていた女性であり、故人である。
トーマスが中央で役人をしていた際に彼を側で支えた人物であり、問題の人でもあった。ただその問題は彼女自身よりも、トーマスにあった問題ではあったが・・・。
それと言うのもこのトーマス。中央にいる際にカリンと結婚する前にこのラウラと子供を設けてしまったのである。
男男と女女の双子が二組に、末の弟一人の計五人である。
トーマス自身、自分に王位継承権がないのを知ってはいたが、それでも国王の親戚と言う事で若い頃に随分とヤンチャをしていた。王都で浮名を馳せるほどの遊びぶりで、彼の父である先代公爵も手を焼いていた。それを諫め、時に励まし、道を示したのがラウラだと言われている。
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「トーマス様。僭越ながらこれ以上の夜遊びは危険にございます」
場所は王都にあるベルナント公爵の王都館。その一室にあるトーマスの私室である。公爵家に相応しい豪奢な内装に、広い部屋。そこである男女が言い合いをしていた。
「何を言うのだラウラ!危険ではない夜遊びなど退屈だろう!」
そう言って胸を張る遊び人、次期公爵家当主トーマスのそんな態度に、侍女のラウラは頭を抱えた。
ラウラは年のころ二十二歳。この世界で言えばやや行き遅れた感のある女性である。
最もその理由は、彼女自身にはない。
彼女は青いロングのストレートヘアにキリっとした一重まぶた、スっと通った鼻筋に、ふっくらとした唇を持つ絶世の美人である。平民にも手が届く男爵家出身と言う事もあり、若い頃は大量に婚姻を求められていた。それほどの女性である。
しかし彼女の家は裕福ではなかった。貧乏男爵家の三女だった彼女は、公爵家に奉公に来ていた。その家が、当時最大派閥と言われていたベルナント派の本家、ベルナント家だったのである。
そして彼女が仕えたのが、問題児トーマスだったのである。
「トーマス様。もう少し次期公爵様としての自覚をお持ち下さい。夜遊びで女性を誑かすなど、これ以上はおやめ下さい」
彼女の主トーマスは、無類の女好きだったのである。その為にラウラもすでに次期公爵のお手付きであると周囲に勘違いされて、彼女の縁談の話はその噂を機にぱったりと来なくなった。
「ふん!ラウラには関係ない話だろう!」
そうすげなく返すトーマスに、ラウラは怒りがこみ上げていた。
女遊びをして、相手を抱き、妊娠させて捨てる悪逆非道な男。
これが噂にあがっているトーマスのイメージ像だった。
トーマスはそんな噂通りの人物ではない。相手を抱くことはあっても仮にも公爵家の次期当主、避妊はきちんと行なっている。とは言え、女性を泣かす女の敵と言う認識はあながち間違ってはいないとラウラは知っている。
だが、そんな彼のお手付きだと噂され、自分の縁談も婚期も逃したラウラは、この遊び人の主に憤慨していた。手を出してくれるなら他の娘たちと同様に慰謝料を請求しつつ、実家に戻ることも出来たのだが、何故かこのトーマスと言う少年は、ラウラには一切手を出さなかったのである。
なお、この世界における性交渉は、当人同士の同意の他に、教会や神からの祝福がなければ行なえない。この世界に強姦は存在しない。つまりこの次期公爵は、当人同士が納得した上で行為に及び、その上で相手を振っているのである。
その事実に頭痛を覚えながらも、ラウラはトーマスに幾度めかも数えるのが億劫なほど繰り返している苦言を呈した。
「関係あります。先日も慰謝料を求められ金貨百枚を失いました。教会からも違約金を請求されました。額面は未定ですが、これも相当な額となるでしょう。このままでは公爵家の存亡すら危ぶまれます」
「うちはその程度では潰れはせん!それに、細かいことを言いやがって!お前の金じゃないだろ!」
「はい、使われているのはベルナント家の資産です。まかり間違っても、トーマス様のお金ではありません」
ラウラはそう言ってジロリとトーマスを睨めば、トーマスは半歩下がって怯んだ。
「い、いや、次期公爵なんだし使ってもいいだろう?」
そんな愚かな、だがいつも通りのトーマスの言い訳に、ラウラは大げさにため息を吐いてから答えた。
「そのお金は領民の血税によるものです。決してあなた様が不幸にした女性の補填の為に使われるべきお金でも、教会との契約を破った罰則で使われるべきお金はございません」
「ならばその女が不幸になっても良いのか!?お前がそんな女だったとは知らなかったぞ!恥を知れ!」
などと見当違いな事を言うこの愚か者に、ラウラは心底飽き飽きしていた。
現当主のベルナント公爵はどうしてこの愚か者を野放しにしているのか。
ラウラは右手で額を抑えつつ、トーマスを睨んだ。涼し気な美人である彼女がそのようにすれば、その迫力はかなりのもので、トーマスはその眼光に腰が引けていた。
そんな情けなく愚かな様子のトーマスに、しかし先ほど侮辱されたラウラは躊躇なく冷たく言い放つ。
「不幸にした張本人が言うべきお言葉ではありませんね。恥を知らぬはどなた様なのか」
「お、俺は次期公爵だじ!」
「だじ?どうやら言葉も上手く話せないようですね、嘆かわしい」
「何を言う!もういい!お前のような生意気な女なんぞ知らん!」
「そろそろ自重して下さいませ。私はともかく、婚約者のカリン様がお可哀そうです」
幼いカリンの名前を出され、トーマスは黙った。
なお、ラウラはカリンとは大層仲が良かった。トーマスが王都の館を不在にすることが多いので、彼付きの侍女であるラウラがカリンの相手をする機会が多いからである。
ラウラは、カリンを自分の妹のようにかわいがっていた。だからこそ余計に、この尻軽男が許せなかったのである。
それを知ってか知らずか、トーマスは挑発するようにラウラに吐き捨てる。
「俺はカリンとは婚約を破棄するんだ!だからもう、関係ない!」
「ご冗談を、ハッ」
誰の目から見てもカリンはトーマスに惚れ込んでいる。そんな彼女がトーマスとの婚約を破棄するとは思えない。それにその婚約は現当主である辣腕のベルナント公爵の計らいでもあるので、次期公爵たるトーマスが身勝手な理由で婚約を解消出来るはずがなかった。
それを鼻で笑ったラウラに、トーマスは真っ赤な顔で反論をした。
「うるさいうるさい!誰も彼もが俺に押し付けて!俺はもうイヤだ!自由に生きるんだ!」
「また子供のような駄々をこねて。そもそもこの世界でトーマス様の言う自由に生きている者などいやしませんよ?」
「そんなはずあるか!お前だって自由だろう!」
そう言ってトーマスはラウラに食って掛かり、詰め寄った。
そこに、ラウラのビンタが見舞われた。
顔面に、剣士の力を用いて最大威力で放たれたソレは、見事にトーマスの頬を捉えた。それを食らったトーマスは部屋の端から端へと吹き飛んだ。
壁に激突し、衝撃を受けたにも関わらず、トーマスは頬を押さえながら立ち上がる。そして泣きながらラウラに訴えかけた。
「なぜ殴る!?」
そう聞かれたラウラは、トーマスを冷たく見下ろしながら我慢の限界だと言わんばかりに拳を握りしめていた。
「トーマス様は、私が自由だと思っていらっしゃるのですか?」
「え・・・?」
「トーマス様は、私が自由だと!?」
愚か者ではあるが、決してバカではないと思っていたトーマスの何気ない一言に、ラウラの精神は限界に達した。握りしめた拳からは血が出ており、床に滴り落ちる赤いしずくがその怒りの強さを物語る。
「ラウラ、お前、血が・・・」
「そんなもの、どうだっていいです!私が、私が自由!?なんですかそれは!!」
怒りのあまりトーマスに詰め寄って襟首を掴むラウラに、トーマスは困惑した。
「ま、待て。いや本当に待ってくれ。そもそもなぜ、自由じゃないんだ?」
本当に分からないと言うトーマスに、ラウラは叫んだ。
「家が貧乏じゃなかったら、あなたみたいな不誠実な人には仕えていません!!カリン様も、おかわいそうです!!本当に婚約解消できるなら、今すぐしてください!!私の、かわいいお嫁さんになる夢も返して下さい!!この、甲斐性なし!!」
言ってから、ラウラはトーマスを突き飛ばした。壁に再び激突したトーマスは、その次にはくずおれるラウラを見て己の失言を後悔した。
「お嫁さんがゆ、夢!?良く分からんが、す、すまない。な、なぁ?本当に悪かった」
「悪いと思うのであれば夜遊びなどもうやめて下さい・・・」
地面にへたり込みながらも気丈にそう訴えかけてくるラウラに、トーマスは口をつぐんだ。
トーマス自身も、己が破滅に向かっており、多くの人間を不幸にしているのは分かっているのである。
だが、目的の為には必要な行為でもあったので、どうするか悩んだ。
そして次の瞬間、ある妙案が浮かんだ。
年上で、己よりも学があり、剣の才能もあった。そしていつも口うるさく己に小言を言うラウラにこう尋ねてみた。
「ならばお前が、俺の相手をしてくれるのか?」
そう言ってトーマスが手を差し伸べると、その手をラウラは振り払った。
「ふざけないで下さい!あなたは、カリン様をなんだと思っているんですか!!」
先ほどまで身の不幸、行き遅れた事を嘆いていたが、追いつめられていたからこそラウラの本質が良く分かると、トーマスは理解した。ラウラは追いつめられていてなお、トーマスの手をはねのけた。カリンに優しさと誠実さ。それを知ったトーマスは、再びラウラに話しかけた。
「お前であれば信用できるかもしれん」
「私はあなた様を信用しておりません!」
そうだろうな、と頭をかきながら、トーマスはそれでも目を逸らさずに見つめ返してくるラウラに正直に全てを話すことにした。
「俺には野望があるんだ」
そう言ってラウラに話した内容は、ラウラの全く知らない、もう一人のトーマスの話だと言ってもいいほど突拍子のないものだった。
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「と、言う話なの。ママに聞いた話だけどね」
「はぁ。唐突に語り始めたと思ったら、なんだそれは」
翌朝、アリシア達がトーマス公爵に不信感を抱いている理由を尋ねた結果、早朝に長々とこのような回想話を語られたロディマスはため息を漏らした。
しかし、若い頃に女遊びが過ぎたと言うのは、子供が親を毛嫌いする納得のいく理由だったのでロディマスは肩を竦めた。
「なるほどな。しかし、俺が想像していた人物とは大きく異なるな」
「あら、そうなの?」
「ロディマス様はあの父をどのような人物だと想像していたのですか?」
ロディマスの反応に首をかしげるアリシアと、ならどんな人物像だったのかを尋ねてきたラフィエラに、ロディマスは腕を組み、少し考えてから率直なイメージを伝えた。
「政治的な駆け引きが出来ない愚物で、腹芸が出来ないバカだと思っていた」
その返答に、ベルナント兄妹は頷いてた。
「確かにそうね。パパ、理想は高いけど、あまり優秀じゃないし」
「愚物でバカ、ですか。それほどぴったりな言葉もないですね」
「そ、そうか。言っておいて何だが、辛辣だな。ふう」
ベルナント兄妹の厳しい意見に呆れつつ、ロディマスは一つ伸びをした。
時間は既に朝7時。5時過ぎに起きて着替え、アリシアの様子を見に来たついでに何気なく話を振っただけだたが、案外に時間を食った事に気が付いたロディマスは、部屋にかけてある壁時計を指差しながら朝食の提案をした。
「今日もやるべきことが山積みだ。ひとまず腹ごしらえをしよう」
トーマス公爵の話の続きは気になるものの、それよりも優先すべきことがあるロディマスは己の興味心にフタをして、座っていた椅子から立ち上がった。