最終話
会場は異様な盛り上がりを見せていた。予選の時なんかとは比べ物にならないほど、歓声が怒号のように響いていたからだ。控室にいても気が休まらない。
しかし、気が休まらないのは歓声のせいだけではなかった。
「フレイア、俺がもしも負けたら――」
「わかってるから、その先は言わなくても」
昨日、寝る前にフレイアと話をした。俺が負けたらその場で殺すようにと頼んだ。遠距離攻撃でもなんでも構わない。確実に殺して欲しいと言った。
その際、双葉も一緒に巻き込むことができるかというのも聞いてみた。壊すだけなら十分可能であり、俺と双葉を一緒に殺すこともできるらしい。
問題だったのは双葉をここまで運ぶことだった。そのへんはメリルを騙して、なんとか三人で持ち込むことができた。警備員の目を盗むのは大変だったが……。
双葉は今、メリルと共に観客席にいる。そして、俺が会場に向かうと、フレイアがメリルの元に行く。そういう話になった。
「ごめんな」
立ち上がり、フレイアの頭をひと撫でした。そしてそのまま控室の外に出た。
まだ呼ばれていないが、広場の入口までやってきた。
深呼吸を一つ、二つ。やれることはやった。結局右目は治らなかったけど、やすやすとやられるようなことはないだろう。
「ここにいましたか。もうすぐ試合ですが、大丈夫ですか?」
係員の女性に話しかけられた。
「はい、大丈夫です」
「それでは会場へどうぞ。ご武運を」
「ありがとう」
歩みを進めて広場に向かう。心臓は強く脈打って、動悸かと思うほどに、鼓動の音に恐怖を感じる。
それでも前に進まなければ、打開することなんて不可能だから。
ときに、一番辛い選択肢が、一番近道だったりするんだから。
広場は別の空間のようだった。熱く、歓声によって体が圧迫されそうになった。
その中を一歩ずつ進んでいく。向こうからはルイが歩いてきていた。ルイは口端を釣り上げ、楽しそうに、嬉しそうに笑っていた。
ああ、こいつのヤバさになんで気がつけなかったんだろう。こんなにも常軌を逸した男を、俺は見抜けなかったのだ。
目測五メートルの位置で立ち止まった。それはヤツも同じ。
「ちゃんと勝ち上がってきたんだね。嬉しいよ。まあ、そうでないと妹ちゃんは大変なことになっちゃうしね」
「その汚い口を閉じろよ。すぐに後悔させてやるから」
「ああ、楽しめそうだよ」
『それではこれで最後です! 決勝戦! 始め!』
緊張が体を駆け巡る。
一瞬だけ遅れたが、重心を下げて構えをとった。
一瞬だけ。そのつもりだった。
「遅いね」
顔面に衝撃。殴られたと気づくのに時間はいらなかった。
今ガードを上げるのは意味がない。顔面を攻撃されたってことは、相手の重心は上方に傾いているということ。それなら取る選択肢は防御でなく攻撃だ。
前傾姿勢に戻るのと同時に右でのローキック。しかしルイはそこにいなかった。
わかってはいたが、俺の攻撃じゃコイツを捉えきれない。
ヒットアンドアウェイが基本だけどインファイトも問題なくこなす。細身からは想像できないほどのフィジカルの強さ。どれをとっても勝ち目がない。
だからと言って諦めるのはまだ早い。いや、諦めるという選択肢がそもそも存在しないのだ。
ルイは付かず離れずの距離を保ちながらジャブを繰り返してきた。ジャブくらいならば何発かもらっても大丈夫なはずだ。牽制と様子見を繰り返す今が、コイツの速度に慣れるチャンスとも言える。
防御と回避を繰り返し、少しずつ動きに慣れていく。戦闘という行為に慣れてきたのか、相手のどこを見るとか、次にどういう行動をとってくるだろうとか、そういうのがなんとなくわかってきた。
「様子見のチャンス、ちゃんと活かせてるかな?」
耳元で声が聞こえた。
すぐさま振り向くが姿はない。
「わざとやってるってのかよ!」
でもここで挑発に乗るわけにはいかない。
見ろ。ちゃんとコイツの動きを見るんだ。
だが、俺の気持ちとは反対に、ルイが動きを止めてしまった。距離は十メートルはあるだろうか。
「ボクの動きには慣れてきたかな?」
「さあ、どうだろうな」
「じゃあもうちょっとギア上げてくね」
そりゃそうだよな。最初から全力出すようなヤツじゃない。
徐々に加速していく攻撃。なんとか目では追えるが、防御と回避を選別できるほどの余裕がなくなる。こんなんでどうやって攻撃しろってんだ。
「ほらほら、ちゃんとやらないと妹ちゃんが死んじゃうよ!」
「おめーにだけは言われたくねーんだよ!」
顔面への攻撃に合わせて俺も右腕を伸ばした。
「はい残念」
ヒットしたのはルイの攻撃だけ。俺の拳は空を切って、隙だらけになったところでさらに何発かもらった。
「ここだろ!」
三発目、脇腹への右フックを左手で掴んだ。
そのままルイの体を浮かせて、腹部へ強烈な一発を打ち込んでやった。
「くっ……!」
少しだが、ルイが苦しそうな顔を見せた。
「まだ終わらねーぞ!」
二発目、三発目も腹に打ち込む。攻撃を分散させるのはよくない。同じ場所を狙って拳を振り切る。
それでも俺はルイの右腕を離さない。
腹部への攻撃でダメージの蓄積は十分なはずだ。
ずっと思ってた。双葉を凍らされた瞬間から、コイツの顔面には一発くれてやらないと気がすまないって。
今だけは、この気持ちに素直になりたい。
「簡単にはやらせないよ」
視界がグラつく。その視界にあったのはルイの右足だった。
「こんな態勢で……!」
「あんまり舐めないで欲しいな」
体を宙に浮かせた状態から、俺の左腕を脚で巻き込んできた。このままでは腕をキメられて倒れてしまう。
思わずルイの右腕を離してしまった。おそらく、これは最悪の展開だ。なにがあっても離すべきではなかったと、この時強く後悔した。
リバーブローが突き刺さる。肝臓だけじゃなく、全身に痛みが駆けていった。普通の痛みじゃない。チクチクと、小さな針に刺されているような感じだ。
「あまり面白くなかったし、そろそろ終わりにしようか」
地面に背中を打ち付けた。が、体がまったく動かなかった。
「なに、しやがった」
「ボクの得意な魔法。氷だよ。チクッとするでしょ?」
寝そべっている俺を、ルイはいやらしい笑顔で見下ろしていた。
これがこの男の本質だ。人を見下し、誰かが藻掻き苦しむ姿を見て楽しむんだ。
「これでボクの勝ちかな。さすがに呆気なさすぎるけど、仕方ないよね」
右腕に魔力を貯める。一発でいい。なんとか一発打ち込めっば、この状況を打開できる。
「まだやる気って感じだね。でもこれで終わりだ。お疲れ様」
そう言って、ルイの足が地面から離れ、俺の顔面の上で止まった。
「終われるかよ」
右手を開き、魔力を一気に開放する。純粋な魔力の塊をルイの顔面に向かって放った。
「知ってる」
ルイの足は、俺の顔ではなく右腕を踏み抜いた。
「ああああああああああああ!」
こんなにも痛いのか。こんな力で、コイツは俺の顔面を踏みつけようとしてたのかよ。
「いい声だ。それに面白い。もっと楽しみたかったなー」
見えない速度で顔面を蹴られた。
意識が朦朧とする。瞼を開けているのも辛くなってきた。
「でもごめんね。これも命令だから。それじゃあ、お疲れさま」
キツく瞼を閉じ、大きく息を吸った。
「フレイアあああああああああ!」
ルイの攻撃が顔面にヒットする直前、鋭角で飛んできた衝撃によって宙を舞った。全身を電気が駆け抜けていった。
衝撃の原因は氷の塊、もとい双葉だった。まさかこんな方法を取るとは思わなかった。
皮膚がジリジリと焼けていくのがわかった。が、ルイの魔法のせいで感覚が麻痺してしまっていた。
ルイの魔法は解けていた。だから、痛む体に鞭を打って、どこかにいってしまわないようにと双葉を抱きかかえた。
もう一度、衝撃がやってきた。
こんな状況でよくやってくれたと、心の中でフレイアを褒めた。
今度は上手くやってくれたな、ありがとう。
強烈な魔法のうねり。眼の前の氷が一瞬で砕け散った。それだけじゃない。俺の意識も、まばゆい光の中へと飲まれていく。
瞼の向こうでなにが起きているのかはわからない。でもその光景を想像することなく、俺は意識を失っていく。
意識が途切れる間際、俺の手からクリスタルの欠片がボロボロと落ちていくのを見ても、なにも感じなかった。
【to the next [expiry point]】




