五話
俺が目を覚ましたのは、朝日が眩しかったからとか、ニワトリの鳴き声がうるさかったからとかじゃない。カーンカーンという大きな鐘の音が外から響いてきたから。
「窓、開けっ放しだったか……」
何事かということよりも、うるさくて眠れないという方が大きかった。
窓に近寄ると、外が妙に明るかった。空は深い蒼に飲まれ、誰が見ても夜だということがわかる。が、町の方は赤や黄の光に照らされている。
考えるまでもない。この町全体に火事が広がっているんだ。
「一体どうなってんだ!」
荷物をまとめて部屋を飛び出す。階段の前でコケてしまったがそれどころではない。
階段を転がるように下り、誰もいない食堂を突っ切ってドアを蹴破った。
「こりゃ、どうしようもねぇな」
アチラコチラで火の手が上がる。逃げるルートも限られてるだろうけど、俺は土地勘がないからどう逃げたら良いか見当がつかない。
右も炎、左も炎。それって、もう逃げ場がないってことじゃないか。
「イツキ、こんなところでなにしてるの?」
その時だった。彼女の声が、後ろから聞こえたんだ。
振り向くと、宿屋の上にフレイアが立っていた。
「おま、なんでそんなところに……」
高い屋根から飛び降りるが、その着地音は無音に等しいほど静かだった。
「アルハント全体が火事になってるから住民を避難させようと思って」
「つまり俺は助かったってことか……」
「そういうことになるね。基本的にこの町には強い冒険者ばっかりだから、軍警の人たちも強い人ばかり。つまり避難させること自体は難しくない。でも町自体が大きくて人数が多いから、冒険者総出で対応しなきゃいけなくなった」
「なるほど。でもそういうことなら俺も救助側に回った方がよくないか?」
「救助できる?」
「できません」
「知ってる。はい、掴まって」
「う、うす」
差し出された手を握ると、彼女はそのまま跳躍した。
グイッと引っ張られてちょっと痛かったが関節の脱臼はない。気がつけば彼女が俺の腰に手を添えていたからだ。
屋根伝いに移動するが、下方に見える住人たちも冒険者に助けられているようだ。
こんな状況であっても、俺は悔しいとかは思わなかった。冒険者になりたてだからなのかもしれない。ちゃんとした冒険者であるならば、助けられているだけの今の状況は相当悔しいはずなんだ。
例えば五年間バスケをやって、後から入ってきて二年しかバスケしてないやつにレギュラーをかっさらわれるとか、そういう悔しさがありそうなもんだ。俺は部活とかやってなかったからよくわからないけど。
町の外には住民が集められていた。俺もそこに加わることになったのだが、住民は皆恐れ慄いている。顔には畏怖を貼り付けて、家族がいる者は輪になって抱き合っていた。
フレイアは俺を下ろしてから、すぐにまた町に戻っていった。
次々と救助される住民。飛び交う高レベルの冒険者。俺は見ていることしかできなくて、地面に座り込んで、時間の経過を待つしかなかった。
泣いている者も多い。きっと、あの中で家族や恋人や友人残っているんだ。そして死んだものも間違いなくいるんだ。
悲鳴と叫声が冷たい空気に混じっていた。かなり近くで聞こえているはずなのに、どこか遠くから聞こえてくるみたいだ。
向こうの山から太陽が登ってきた。夜明けが近い。
太陽がのぼって気温が上がり始めたころに町が消し炭になった。やはり泣き声は止まなくて、それはたくさんの死人が出たということを意味していた。
まただ、脳裏にあのスキルが浮かんできた。
〈ハローワールド〉
もしかしたら、俺が死ねば助かる人もいる。正義感なんてないし、責任感だって人並みにしかない。それでも、こんな光景見ちまったら、そう思うしかないじゃないか。
眠いのもあるし、疲れているのもある。慣れない土地で感情を揺さぶられたのも、当然ある。情緒不安定気味だと自負しているが、この感傷を止められない。
両手で顔を覆った。
冒険者としてなにもできなかった時はなにも思わなかったのに、今はすごく悔しいと思っている。
不意に肩を叩かれた。
「ダメよ」
顔をあげると、フレイアが怒ったような顔をしていた。短時間しか一緒にいなかったし、彼女はいつでも無表情だ。でも、なんとなくわかってしまった。
「なにがダメなんだ?」
「ハローワールドを使おうとしたでしょう」
「して、ないよ」
「嘘」
「使っちゃいけないのか? 使えば、あの火事だって防げたかもしれないだろ」
「あの火事が起きたのは日付変更前。今からハローワールドに頼ってもアナタが起きるのは火事の後。だから、意味が無い」
「そう、か」
内心ホッとしている自分に嫌気が差した。
「クソっ……!」
「自ら死を選ぶのは愚かなこと。絶対にしないで」
「自害しろと言われてもできねーよ。たぶん頭を抱えて時間がすぎるのを待つことしかできないんだ。俺は、弱い」
「弱くていいわ。自殺するのは勇気じゃない。たとえ死んだ後で生き返れたとしても。できるだけ生きなさい。醜くても、見窄らしくても、今を生きることに価値があるわ」
「そう言われて、なんで俺は安心しちまうんだよ……」
フレイアに抱きつくと花の香りがした。
彼女は俺の身体を押し返すことはしなかった。背中に手を回し、トントンと背中を叩いてくれた。