九話
カップの中を飲み干して立ち上がった。これ以上ここにいたら彼女のペースに飲み込まれてしまう。
「もう行くからな」
「ま、待ってよー」
俺が歩き出すと彼女が後ろからついてきた。追いつくと、今まで通り腕を組む。恥ずかしい以上に嬉しかった。
ショッピングモールを出ると、もうすでに暗くなっていた。
徒歩十分でミカド製薬の前にやってきた。さすが世界的な会社といったところか、外灯が多くて夜だというのにすごく明るい。この時間でもバリバリ仕事してるところを見るとかなり忙しそうだ。
横開きの門はかなり大きく、二人の警備員が立っていた。門の端には小屋があり、中には二人の警備員がいる。入り口だけで四人、建物の中にはそれ以上の警備員がいるんだろう。さすが世界規模の会社だけある。
門の奥、どれくらい先にあるかはわからないけど、いくつかの低い建物が連なっていた。低い建物が何棟かあり、中央部には背の高い建物が鎮座していた。目測、三十階ってところか。
建物の周囲を、ヘッドライトを光らせたフォークリフトや乗用車が走っていた。普通に人も歩いているけれど、スーツだったり作業着だったりと服装はバラバラだった。
「すごい厳重だね」
「これは想像以上かも。簡単に入れそうにない」
「昨日来た人が働いてた場所だけでもわかればいいんだけど……」
「わかってると思うけど、ここで無茶をするのは得策じゃないよ?」
「大丈夫、今日は見に来ただけだから」
「じゃ、帰ろっか」
フレイアに腕を引かれ、ミカド製薬の本社に背を向けた。
「あそこからいくつかの視線を感じる。振り向かないで、歩きながら聞いて」
身を寄せて、彼女がそうつぶやいた。同時に一歩目を踏み出すと、俺たちはそのまま駅に向かった。
「門のところの警備室に一人。本社の一番高い建物から三人。手前の低い建物から一人。奥の低い建物から二人。あと、建物以外から複数、こっちは何人かまではわからなかった」
「ただ見てたってわけじゃないんだよな?」
「ええ、明らかな敵意があった。たぶん、私たちのことを知ってるんだと思う。私たちのことを知らないと思われる人たちは、こちらを見て数秒で仕事に戻っていったみたい」
「防戦一方、かな」
「うん、しばらくは相手の出方を見るしかないわ。迎撃して、証拠を集めて、時が来るのを待つしかない」
本当ならばあまりしたくない。迎撃、防戦、相手の出方を見る。つまり、俺は自分の家で今までと同じような生活をしなければいけないということ。間違いなく、双葉や優帆にも被害が及ぶ。現に双葉は一回死んでいる。たぶん、これからもああいう状況にはなるんだと思う。俺は、耐えなきゃいけなんだ。そしてできるだけその状況を作らないようにしなきゃいけない。
そこからはどこにも寄らずに帰路に着いた。上機嫌なフレイアを見ていると、それだけでなぜか気持ちが和らいだ。
家につくと、当初の予定通りに九時前だった。俺が一人で家に入り、フレイアは後からベランダにジャンプ。これからはこの入り方が主流になるな、間違いない。
「ただいまー」
と言いながら靴を脱いだ。カレーの匂いがする。
「おかえりなさい。ご飯食べる?」
リビングから双葉が顔を出した。
「おう、よそっておいてもらえる?」
「うんいいよ。早めに降りてきてね」
俺が自分の部屋に直行することを察しているような返し方だ。さすが我が妹。
今食事ってことは、たぶん俺よりもちょっと前に帰ってきた感じなんだろう。
一度部屋に戻ってフレイアを部屋の中に入れる。部屋着に着替え、スキップで階段を下った。階段を踏み外したことは誰にも言えない。
双葉が作るカレーはとても美味い。店を出してもいいくらい美味しい。いや、双葉が作ったものは全部美味いが、カレーとオムライスは絶品なのだ。
俺が「カレーだカレーだ嬉しいな」と言いながらリビングに入ると、なぜか優帆がイスに座っていた。思わず固まってしまった。そういう可能性もあると考えなかった俺が悪いのか。いやいや、この時間にいることが間違いだろう。
なぜ「うわっ」みたいな顔をしているのだろうか。俺の歌のせいか。
仕方がないと、俺は彼女の向かい側に座った。
「んだよ、人の顔見て。厄介者が来たとでも言いたげじゃないの」
「その通りだが」と言いそうになってやめた。ブチ切れてドラゴンスープレックスでもされたら困る。
ドラゴンスープレックスはさすがに言い過ぎたか。ブレンバスターくらいにしておこう。
「別に厄介者だとは思ってねーけど、家に帰らんでいいのか?」
とにかく今は食事だ。
スプーンを取り「いただきます」と言ってから食べ始めた。
「うち、しばらくの一人なの。両親は二人だけで旅行行っちゃったしね」
優帆には兄が一人いるが、その兄は就職して他県に引っ越した。だから両親がいなくなると優帆だけになってしまう。
「お前、もしかして寂しいのか?」
その瞬間、優帆の顔が赤くなった。湯気でも立ってしまいそうなほどの赤面っぷり。あとから「あーこれは言わない方がいいやつだ」と思ったがどうしようもない。
「べ、べべべべ別に寂しくないし!」
もう絶対寂しいやつじゃん。全部双葉に任せておけばよかったなと、改めてそう思った。
「おーけーわかった。そうだな、お前が寂しがるはずないよな。うん。わかった、今日は双葉と一緒に寝るがいい」
「ほ、ホントに? いいの?」
なんだか急に小動物みたいなクリクリした目になったぞ。双葉は双葉で、俺と優帆のやりとりを見て微笑んでるだけだし、なんなんだこの空気は。
こういう感覚も久しぶりだが、コイツは昔からこういうヤツだった。感情の起伏が人よりも激しいというか、気持ちのブレ幅が大きいというか。ちょっと前までは水と油よろしく、深く関わろうとはしなかったしな。
食事が終わり、双葉が食器を洗い始めた。俺と優帆は特にやることもなく、ソファーに座ってテレビをみることになった。なんというかとても居づらい状況だが、逃げづらい状況でもあった。




