三話
「お兄ちゃん的にはとても素晴らしいと思いますよ。いつまでもそのままの双葉さんでいてくださいね」
「やめてよもう……。じゃあお兄ちゃんはどうしてあの高校にしたの?」
「俺? あー、俺の話はよくない?」
「よくない。人に聞いといてそれはヒドイよ」
頬を膨らませて、僅かな怒りを現していた。
額に手を当てて考える。これは、言っていいのか悪いのか。
「ち、近かったから、かなぁ……」
「それ本気で言ってる?」
「割りとマジだな。あと友達が行くって言ってたから」
「お兄ちゃんって、時々よくわからない時があるよ……」
サクッと呆れさせてしまった。本当は「双葉が行くつもりだったから」なんて言えるわけがない。それこそ気持ち悪がられてしまうだろう。しかし、しかしだ。俺にとって双葉は非常に大事な存在なのだ。シスコンと言われるのは問題ないが、双葉に嫌われるのだけは困る。
「でもね」
勉強に戻ろうと、ペンを握り直した双葉が言う。
「お兄ちゃんが同じ学校で私は嬉しかったよ。確かにシスコンかもしれないけど、お兄ちゃんは自分の身を挺してでも私を助けてくれるから。学校でなにかあってもきっと助けてくれると思うから。だから安心して学校生活を送れるの。ありがと、お兄ちゃん」
「改めて言われると恥ずかしさで憤死しそうだ。まあ、お前がそう思ってくれてるならありがたい。いつまでも一緒じゃねーんだぞって怒られたら、それこそお兄ちゃん年がら年中泣いちゃう」
「言わないから大丈夫だよ」
「ふふっ」と笑ってから、双葉は勉強に戻っていった。
肩から首にかけての大きな傷跡が視界に入って、俺は少しだけ切なくなった。
「大丈夫だよ。もう気にしてないから」
視線を感じたのか、双葉はシャーペンを走らせながら口を開いた。
「それならいい」
俺も教科書とノートを開く。そしてゲーム機の電源を入れた。この矛盾した行動には突っ込まれなかったが、突っ込まれなかったからこそ俺も勉強せざるを得なくなったわけだが。
小学校の頃、双葉はイジメられていた。一人とか二人じゃない。クラスの半数以上からイジメを受けていた。俺がイジメに気付いたのは双葉が五年生、俺が六年生の時だった。もう一年以上もイジメられていた。
双葉が高熱を出した際、両親もおらず、俺が双葉の看病をすることになった。そして、彼女の着替えを偶然見てしまったことで発覚。最初は否定していたし、彼女が言うことならばと俺も納得した。だから、俺は学校で意識して双葉を、双葉のクラスを観察した。
そこで行われていたのはイジメなんかじゃなかった。クラスの半数以上の生徒から殴る蹴るを繰り返されていた。給食なんかも食べさせてもらえなかった。無視なんかも日常茶飯事。靴や体操服を隠したり、教科書に落書きなどはされなかった。とても頭がいいヤツがいたんだろう、目に見えるようなイジメなどはなかった。
しかし、それでも身体に生傷が増えていった。
放課後、俺は毎日双葉を迎えに行った。ある日、双葉の教室にはほとんど生徒が残っていなかった。嫌な予感がした俺はすぐに先生に連絡、自分でも双葉を探し始めた。
結果的に俺が見つけることになったのだが、ウサギ小屋の裏、外から目につかないところで裸にされていた。性に興味を持つ年頃だろうが、複数人の男子生徒がやるようなことじゃない。
泣き喚いて拒否する双葉に業を煮やした男子生徒が、持ってきたカッターで双葉を脅した。それでも双葉は拒否を続け、俺が到着した頃には、双葉は血だらけだった。
その後のことはよく覚えていない。気がついた時は保健室でベッドに寝かされていた。俺も傷だらけだったが、隣のベッドで眠る双葉もまた傷だらけだった。
次の日から、双葉は一週間ほど休んだ。その一週間、俺のを見て顔を青くする生徒がいた。双葉のクラスメイト、あの時あの場所にいたヤツらだった。そいつらを脅して話を聞くと、俺が暴れまわって男子生徒たちを殴り倒したらしい。そこでようやく合点がいった。男子生徒たちが皆、顔に青あざを作っていたからだ。
双葉はすぐに復帰した。彼女の考えはよくわからなかったが、いつものようににこやかに学校に行った。
その時に誓った。俺がこいつを守るのだ、と。俺以外にこいつを守れないのだ、と。
イジメはなくなったが、逆に避けられるようになった。けれど、双葉は逃げなかったし、めげなかった。だから俺も逃げないしめげない。こいつの心が折れていないのに、俺の心が折れるわけにはいかないから。
肩の傷は、あの事件の時につけられたものだ。もっと早く到着していれば避けられた自体だから、少なからず俺も心を痛めている。
一時間ほど勉強しただろうか、不穏な空気を感じた。ワーウルフと戦った時と同じような空気だ。水の中に油を垂らしたみたいな感じか。平穏な日常に不純物が混じるという感覚だ。
「双葉、ちょっといいか」
「ん? どうしたの、改まっちゃって」
「お兄ちゃんのこと、好きか?」
「ちょ、なによ、急に」
恥ずかしそうに顔を伏せ、耳まで真っ赤になってしまった。もじもじしているところがまた可愛らしい。ってそうじゃない。
「答えて欲しい。真面目な話なんだ」
「う、うーん。好き、だよ」
はにかみながら言う彼女は、やはり俺が守る対象なんだ。双葉の存在を守りたい。笑顔も、泣き顔も、困った顔も、全部守りたいんだ。
「なら、今すぐ自分の部屋に戻るんだ。」
「いきなりどうしたの?」
「俺のことが好きなら言うことを聞いてくれ。これから、たぶん、きっと、よくないことが起きるはずだ。そのよくないことから守るために、俺の言うことを来てくれ。頼む」
机に両手をついて頭を下げた。時間をかけるわけにはいかない。ここはサッと了承を得られなければ俺の負けだ。
「……よくらからないけど、お兄ちゃんがそう言うなら従うことにする。意味もなくそういうことを言うような人じゃないっていうのは、私が一番よく知ってるから」
「ありがとう。部屋に入ったら部屋の真ん中にいてくれ。くれぐれも窓やドアの付近には近寄るな。で、俺がいいって言うまで出て来ないで欲しい」
「わかった。説明できる時が来たら、その時はちゃんと説明してね」
「おーけー、そん時は納得するような説明を用意しとくよ」
「うん、お願いね」
勉強道具を片付け、双葉が階段を上っていった。これでなんとか用意は出来た。双葉が部屋に入ってすぐにフレイアが結界を張ってくれるはずだ。そしたら今度は、前回双葉や俺たちを殺したヤツを潰す。
「上手くやったわね」
双葉と入れ替わるようにフレイアが階段から降りてきた。
「バカにしてんのか? 双葉が俺のことを信用してるからこそできることだ。まあ、そうでなきゃ命賭けてまで助けようとは思わないが。敵は外か?」
「ええ、ドアの前でじっと立ってる。怖いくらい微塵も動かないわ」
「見た目は?」
「それが問題でね、ただの人なのよね。けれど纏っている空気は人のそれとは一線を画する。真っ黒なコートに真っ黒な帽子。この季節にはちょっと不釣り合いよね」
「なんだろうな、この前のヤツと同じような臭いがするな」
「そういうことね。行きましょう。一時間くらいなら、家の中で好き勝手暴れてもそこまで傷にはならないでしょう」
「家がね。俺たちは傷だらけだろうな」
「そこはご愛嬌。特に結界を張った後だから私の戦力が若干落ちる。アナタの戦いっぷりが戦況を左右すると言っても良い」
「頼られるのは嫌いじゃねーよ。やってやるさ」




