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一話

 その日、兄が死んだ。


 それを初めて聞いたとき、頭が真っ白になった。気がつけば通夜も葬儀も終わっていて、遺体を見たときに出なかった涙も、墓を見てなにも感じなかった心も、日常に戻ってようやく私の体を巡り始めた。


 朝食のトーストをかじった時、いつも目の前にいたはずのお兄ちゃんが見えたような気がした。次の瞬間、知らず知らずのうちに涙が流れてきた。それからは濁流のように流れてきて、私の感情のすべてを押しつぶしていった。


 私はその日、学校を休んだ。朝食を食べながら泣き崩れた私をお母さんが心配して休ませてくれたのだ。


 制服からパジャマに着替えて部屋に戻る。もう一度カーテンを閉めてベッドに入った。


 目を閉じるとお兄ちゃんとの思い出が蘇ってきてしまう。嬉しいけれどとても悲しく、止めたいと思ってるけれど涙が流れ続けていた。


 学校にはちゃんと行くようになった。勉強もしっかりしてたし、情緒不安定になることもなかった。でもそれはお兄ちゃんの死を忘れたわけではない。悲しんでいるだけではなにも生まれないから、私は前に進むことを選んだのだ。


 しかしその頃にあることに気づいた。それでも私はお兄ちゃんのことを考えてしまっているということだ。


 勉強中に、シャーペンをノートの上に置いた。顔をあげると正面には家族で撮った写真があった。


「そうか……」


 私は。


「お兄ちゃんが好きだったんだ」


 これが恋の芽生えだと気づいた。



 失ってから気付く恋心がここまで辛いなんて、いったい誰が想像できただろうか。そして、それを誰が教えてくれたのだろうか。


 そうやって、その日はまた涙を流した。


 少しずつ日常に戻っていって、高校を卒業して大学に入った。勉強はできたし、物理学の方に興味があったからそっちの方向に進むことにした。


 大学に通い始めて一度目の秋、大きなニュースが世界を直撃した。アメリカ、ロシア、ドイツ、イギリスを中心にして特別なウイルスが蔓延しているというニュース。人が化け物になるという、ファンタジーのような出来事だ。


 あっという間に世界に広がって、封鎖する国がでてきても関係なくウイルスは広がり続けた。


 けれどその出来事がファンタジーでなくなったのもすぐのこと。日本にもそのウイルスが入ってきた。街は崩壊し、数ヶ月とたたずに日本も体裁を失った。それは日本だけではなく、ありとあらゆる国が国としての形を失っていった。


 その中で生き残る人々が存在していることは知っていた。ウイルスに感染した場合、病気が発症するのは間違いない。しかしその疾患は一つではなかった。化け物になる者と、人の形を保ったまま特殊な力を得る者の二種類が存在しているらしかった。


 私と両親は避難生活を強いられて、都会のシェルターに身を寄せることになった。そこはウイルスに感染して、それでも化け物にならなかった人たちの寄り合いのような場所だった。


 ある日、食料を取りに外に出た際、目の前で化け物になる寸前の男の子と出会った。肌が鱗のようになって行くのを見て、なにを思ったのかその男の子の手を握って「大丈夫だから」と言っていた。


 次の瞬間、私の手から光が溢れた。その光が男の子を包み込むと、鱗に変化し始めていた肌は元に戻っていた。


「おねえちゃん、ありがとう」


 男の子はそう言って気絶した。


 その時私はようやく気がついた。これが私が持っている「特殊な力」なのだと。


 それから人が化け物になるときにはできるだけ立ち会うようにした。そのために危険な場面に出くわすこともあった。


 だが、危険な目に遭えば遭うほどに運動能力が上がっていった。というよりも運動やトレーニングをすることで、明らかに身体能力が向上していっている。そう感じているのは私だけでないようで、これも「特別な力」の一端であることは間違いない。


 そして私が持っている「特別な力」の正体もつかむ事ができた。病原体やウイルスを中和する能力のようだ。正確には体の方を病原体に合わせる、というのが正しいようだ。抗体を作り出せるように体を強制的に変化させる。そのため、化け物に変化するウイルスも無効化できる。


 しかし問題がある。完全にモンスターになった者は手の施しようがないということだ。私の能力は「化け物に至る過程」でしか作用しないことになる。


 その一方で、もう一つの効果が生み出されることもわかった。ウイルスによって得られた能力を不活化するというものだった。完全消去は不可能だが、それらを一時的に眠らせることができる。これもまた「ウイルスに対して体を書き換える」という能力の一つだと思われる。つまり「どのようにして体を書き換えるのか」をこちら側が選定できることになるのだ。


 つまるところ、この力さえあれば「特別な力」を持つ人たちのことも元の人間のように戻せるということになる。


 この力をどうやって使えばいいのか。自分一人でどうにかできるわけがない。そう思っていた時、私はある人物と出会うことになる。

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