十八話
「おにいちゃーん! 朝だよー!」
そんな声で目を覚ます。天井を見上げて今日もまたいつもと同じ一日が始まる。退屈でなんとも言えない日常だ。
でもどうしてだろう。これが「日常」だと感じてしまっているのは。まるで「非日常」を経験してきたみたいな、なんとも言えない違和感がある。
「すぐいくー」
俺はそう言いながらも俺はもう一度布団にくるまった。
「もう! 早くご飯食べないと遅刻するよ!」
ぐいぐいと布団が引っ張られて、けれど俺も布団を離すつもりはない。
「大丈夫だって、ちゃんと行くから」
「ホント?」
「ホントホント」
そこで双葉が布団から手を離した。そのせいで壁に手を打ち付けてしまう。
「うおおおお……」
「ちゃんと来てよね」
「わかったぁ……」
「約束ね」
双葉が部屋を出ていったあとで、手を押さえながらベッドから足をおろした。
ササッと制服に着替えて階段を降りていく。コーヒーのいい匂いがしてきた。
ダイニングに行くと、トーストとスクランブルエッグとコーヒーが用意されていた。さすが我が妹である。
双葉と一緒に朝食を食べ、二人揃って家を出る。たぶんだけど、こういうのが幸せなんだろうなと思う。
「よく言うよな」
「なにが?」
「幸せって、失ってから初めて気づくものだって」
「急になに?」
「よくわからないけど、なんか引っかかってるんだ」
歩きながらそう言った。
「なにが引っかかってるの?」
「引っかかってるっていうか、胸に穴が空いたみたいな感じでさ。忘れちゃいけないものを忘れてるような気がするんだ」
「夢でも見てたんじゃないかな」
どこか大人びた声色に違和感を覚えて、思わず双葉の顔を見下ろした。今まで見たことがない双葉の笑顔があった。
「夢、か。かもしれないな」
その時、後ろから足音が聞こえてきた。
「あ、私忘れ物しちゃったから先行っててよ」
「は? 急になんだよ」
双葉が来た道を逆走し、反対にある人物が駆け寄ってきた。
そしてその人物が俺の前で止まって息を整える。
「声くらいかけていきなさいよ」
幼なじみの優帆だ。前髪をさりげなく直しながら上目遣いで俺を見る。なんだろう、こいつを見ているとドキドキしてくる。今までそんなことなかったのに。
「なに? じっと見ないでよ気持ち悪い」
「自分から話しかけておいてそれはひどくない?」
「アンタはそういうキャラなの。双葉は? さっき走っていったけど」
「忘れ物だって」
「そうなの? 双葉らしくない」
「先行っててとか言ってたし学校行くか」
「そうね」
どちらともなく足を出し、歩幅を揃えて歩き出す。よくわからないけど、なんだか気恥ずかしくて、胸がざわつく感じがする。
「なあ、お前って彼氏とか作らないのか?」
「な、ななななによ急に。別にいいでしょ、私の勝手だし」
「好きなやつでもいるのか?」
「んー、そう、ね。いるかもね」
「なんだよそれ。いるかいないかの二択だろ」
「いたとしても今は教えてあげなーい」
そんなことを言いながら優帆が歩調を速めた。
「別に減るもんでもねーだろ……」
俺もまた速度を上げて優帆についていった。
きっとこの関係はいつかは終わる。どういう形であれ、高校生活が終われば一緒に通学することも、下校することもなくなるのだ。そこで俺たちの関係は一旦終わるのだ。
けれどきっと、その先でまた違う関係が築かれるんじゃないかな、なんて漠然的に考えていた。それがどんな関係であったとしても、俺も優帆も受け止めていかれるんだと思う。確証はないけど、そんな気がした。
「ねえ」
「なんだ」
「隣町に新しいカフェができたんだけど今度行かない?」
「なぜ俺と」
「今誘う相手がアンタしかいないから」
「今誘う必要あるか?」
「うるさいわね。行くの? 行かないの?」
「まあ別にいいけど」
「じゃあ決まり。今週の金曜日学校帰りね」
「なぜ制服」
「制服でしかできないこともあるでしょ」
そう言って、優帆が微笑んだ。
その瞬間、胸が強く脈打った。
俺はその時気が付いた。いや、気がついてしまった。
きっと俺は彼女に――。
「まあ、いっか」
これは胸にしまっておこう。いつかこの気持ちを伝える日が来るはずだ。だから、今はこの関係でいたいんだ。この関係が、心地いいから。
そうして俺たちは「普通の日常」を歩んでいく。苦しいことも楽しいことも、すべて受け止めながら、俺たちは生きていくんだ。
それでいいんだと思った。少なくとも、彼女の笑顔が輝いているうちは、俺は余計なことは考えなくてもいいから。だから、ずっとこのままで。




