十話
ものすごい速度で森の中を進んでいく。きっと今まではなんともなかったくらいの速度だ。そのはずなのに、周囲の景色を目で追うことができないくらいに速く感じてしまっていた。
「マジかよ……」
自分の能力が一般人まで落ちたことがショックでならなかった。同時に怖くなってきた。この状態でルイと対峙していったいなにができるっていうんだ。殴られても死ぬ。蹴られても死ぬ。もしかしたらデコピンされただけで頭が吹っ飛ぶかもしれない。ヤツと俺にはそれくらいの差がある。
怖くなった。なにもできないことも、死ぬ可能性があることも怖かった。
俺は【ハローワールド】の能力があったから突き進むという道を選んでこられた。なにがあっても死にさえすれば元に戻るから。でもそれがなくなった今、俺は簡単に死んでしまう。
そうしているうちにフレイアが止まった。いきなり止まったせいでフレイアの腕が腹に食い込み吐きそうになった。これが「普通に戻る」ということなんだ。そして「普通の人間」である優帆たちを危険に晒し続けてきた。
怖くて仕方がなかった。自分がやってきたことがこんなにも残酷だったなんて、このときまでまったく理解していなかった。
「追ってきたんだね。と言ってもキミたちがやれることなんて一つもないけどね。いや違うか、一つあるけどその選択肢はないのと一緒だからね」
ルイはそう言ってなにかを持ち上げた。
「あう……」
顔面が酷く腫れ上がったフレイアだった。正確にはフレイアのクローン体。
「もうなにも考えたくないっていうくらいボコボコにしてあるから大丈夫。殺してほしいとさえ懇願したくらいだから」
ルイがさらにフレイアの体を持ち上げる。そのフレイアには四肢がなかった肩から先、股関節から先がバッサリと切り落とされていた。
「お前、それ……」
「本当ならね、ミリシャを使ってもっともっと従順にできるはずだったんだ。でもキミが持っていっちゃったからさ。仕方なくこうさせてもらった。この子の手足がないのはキミのせいだよ」
そう言って笑っていた。
「ふざけんな……!」
今までだったら飛び出してた。でも、今の俺にはそんな勇気はない。死にに行くようなものだから。俺はフレイアよりも自分の身を優先した。それが胸を締め付けた。本当の俺はこんなにも矮小な人間だなんて考えたくもなかった。
「そうは言ってもボクと拳を交えようとはしないんだね。賢明だ。なによりも戦いにおいて理性をもって考えるという行為は弱い者だからこそできるんだ。恥ずかしいことじゃない。ただ、立ち向かう力がないだけだからね。強いものは考える必要がない。だって力で全部ねじ伏せることができるんだから」
より大きな声で笑っていた。
虚しく、歯がゆく、悔しかった。
ルイは声を抑え、掴んでいるフレイアを俺たちに突き出した。
「さあおしゃべりはここまでだ。もうキミには勝ち目はない。それを噛み締めたまま、知らない間にすべて終わっているという状況を受け入れてくれ」
フレイアが光を放ち始める。
「どういうことだよ!」
「じゃあね、脇役の、ボクのライバル」
最後にそう言ったかと思えば、ルイは四肢を切り落とされたフレイアと共に消えてきた。瞬く間の出来事だった。
「どういう、ことだよ」
今までルイがいたところに駆け寄ってみるがなにもない。忽然と姿を消してしまったが、どういうことなのかはわかっている。アイツはフレイアのスキルを使ってどこかに移動したのだ。
「おそらくだけど過去に飛んだのね」
「なんでわかるんだ?」
「今ルイにとって邪魔なのはなんだと思う?」
「アイツを妨害する存在……もしかして俺か?」
「そういうこと。過去に戻ってルイがやろうとしているのは過去のイツキを殺すこと。他にあるとすれば、過去に戻ってウイルスをばらまくこと。過去に定着してウイルスの進捗を一気に進めること」
「どっちにしろ過去に行かなきゃいけないってことか。でも、どうやって行くってんだよ……」
そう言いつつも方法はわかっている。だって方法なんて一つしかないんだから。
「行こう、過去へ」
フレイアが笑顔でそう言った。
「行くって、どうやって」
「私が連れてく」
「そんなことしたらお前が死ぬ」
「すぐには死なないよ。頑張れば五分とか十分くらいは生きていられる。ってクラウダが言ってた」
「俺に見殺しにしろって言うのかよ」
そうだ。フレイアの時空跳躍能力があれば追いかけることができる。
「でも私じゃないと駄目なんだ。私なら私の姉妹たちの行方を追うことができる。そういうふうに作られてるから。もしも他の時空跳躍能力者じゃ駄目なんだ」
右手が差し出された。
「もしも未来が変わった場合、未来が変わったことに気が付かないまま未来が定着してしまう。私たちがこうしてるってことはまだルイが行動を起こしてないってこと。時間切れになる前に、早くしないといけないんだ」
わかってるよ、そんなこと。
「でもキミが死ぬ」
「そしてまた生き返るよ」
更に左手を差し出してきた。手の上には二本の注射器があった。
「赤い方が未完成のウイルス。青い方が未完成のワクチン。これがあればなんとかなるから」
「赤い方を俺が打って、青い方をルイに打つってことか」
「そういうこと。なんとかできるよ、イツキなら」
そう言ってくれるのはありがたい。でも自信がなかった。本当に俺一人でやれるのかがわからない。未完成のウイルスとワクチンにどれだけの効果があるのかもわからない。つまりそれは博打以外のなにものでもないんだ。




