三十二話
ドアに手をかけて、その男は俺たちを見下ろしていた。
「ルイ……!」
背後には武器を持った兵士が数名立っていた。ちゃんとした準備をしてからここまでやってきたということになる。
もう少し時間を稼げると思ってた。でも現実はそう簡単には進まない。
「ボクから逃げられると思った?」
「じゃなきゃここにはいないと思わないのか?」
「でも結果的にキミもボクもここにいる。つまりキミは逃げられなかった。キミには先を見通すような力はないよ。たとえ、キミが破滅の子だとしてもね」
いつものように、楽しそうに、楽しそう笑った。
俺がコイツにイライラする一番の原因はこういうところだ。誰がなんと思おうが、誰がなにを感じようが、そんなことは関係なく自分がよければそれでいいという思考回路をしている。そこからにじみ出る醜悪の笑み。そのすべてがことごとく相容れない。
「じゃあなんですぐに追いかけてこなかったんだ? 逃がすつもりがないんだったらもっと早く追いつけただろ」
「わざとに決まってるじゃないか、そんなこともわからないのかい? キミの絶望が見たかったんだよ。そろそろ拷問にも飽きてきたところだったし」
「人を痛めつけるのが好きなんだな」
「痛めつけるのが好きなんじゃない。服従させるのが好きなんだ。あと相手の中でボクという存在が正当化されるのがいいんだ」
「俺が今そうなってるって? お前に服従してると思うか?」
「これからそうなる。なんのために拷問したんだい? なんのために追いかけてきたんだい? キミを降伏させるためだ」
髪をかきあげて余裕の表情を浮かべる。
思わず、俺も笑ってしまった。
「それならお前にこんな口叩かないとは思わないか? この時点でお前は失敗してるんだよ。俺を跪かせることにな」
「それならまた同じことをするまでだ。クスリを売って、拷問を繰り返す。痛みはなにもかもを越えて人を支配するからね」
「そうかい。じゃああのクソみたいな場所に連れ帰ってみろよ。できるもんならな」
「なんでそこまで自信が――」
ルイの顔色が変わった。
「そうか、キミはもう「あの頃の」キミじゃないというのか」
「そこにたどり着くまでが遅すぎたな」
「どうやって「ここ」まで来たんだい?」
ルイの顔が険しくなっていく。だから俺は逆に笑ってやるんだ。
「三十二回だよ糞野郎」
同時に、立ち上がってルイの懐に飛び込んだ。
ルイはすかさず反応してくるが、今の俺の攻撃を避けることはできないはずだ。そして俺の思惑通り、俺の拳は類の顔面を直撃した。同時に大きな爆発が起きる。ちゃんと眠ったおかげで魔力も回復した。
「なんっ……!」
どうして俺の攻撃が当たるのかとか思ってるんだろうな。
吹き飛んだルイだが、しっかりと空中で一回転してから着地した。
「お前がのんきに拷問を眺めてる時もな、俺はどうやって一泡吹かせてやるか考えてたよ。痛いとか苦しいとか気持ち悪いとか、ムカつくとか悲しいとか辛いとか、どんなことがあってもお前をぶっ潰してやるって、それだけを考えてたよ」
「そして、死んだのか」
「そうだよ。三十二回死んだ」
何回も何回も、舌を噛んで自害した。最初の頃はクスリの効きがあまりにも良すぎて無理だった。でも投与され続けるうちに少しずつ慣れてきて、次第にクスリの効き目も弱くなってきた。
そして、三十二回、繰り返した。
この世界での経験値やレベルというのは、ゲームのように相手に攻撃したり倒したりしなくても蓄積されていく。文字通り「経験を積むだけ」でもレベルは上がる。拷問されて、暴れて、拷問されて、暴れて。それを糧としてレベルを少しずつ上げた。クスリへの耐性を強化しながらレベルを上げて今に至る。
現在のレベル、120。
俺のレベルが100前後を想定して作られた拘束具だ。レベルが上がり続ければ拘束を解くのは楽になる。
何度も挫けそうになった。舌を噛みちぎるというのは相当に勇気が必要だった。痛くて怖くて一人で泣いた。でも泣いたって誰も助けちゃくれない。それに舌を噛み切らなくたって、数時間後にはまた拷問が始まるのだ。痛いことには少しだけ慣れたから、あとは俺の覚悟があればよかった。
死んでは戻り、死んでは戻りを繰り返す。最初の方はミリシャを殺して一人で逃げた。一人の方が身軽だったし、実際この町に到着するのも時間はかからなかった。しかし、到着する時間が問題だった。早すぎると、騒ぎをききつけたデミウルゴスの連中が見回りを始める。そこで何度もつかまった。逆に遅すぎればルイが到着してしまう。
他の町にも行こうとした。でも他の町は遠すぎて、徒歩で行こうとすると、それはそれでデミウルゴスに見つかってしまう。
三十一回の試行錯誤の結果、ミリシャを人質にとって近くの町を目指すというのが俺の計画になった。このままミリシャを懐柔できれば魔女派としても嬉しい限りだ。最悪の場合はミリシャを時間稼ぎに使える可能性もある。
試行錯誤の最中、何度も眠ろうと考えた。だが眠ってしまえばセーブされてしまう。やり直したくてもやり直せなくなってしまうのだ。どこかで間違った場合にやり直せなければいけないからだ。
そうして、なんとかルートを見つけて今に至る。これでも上手くいく確証がないので眠りたくなかったが今回がチャンスだと本能が告げていた。様々な経験の末に身に着けた第六感のようなものだった。
だが問題は「俺とミリシャだけではルイを倒せない」ということだった。こちらは二人、しかもミリシャは人質という設定なので手は出せない。だがルイは集団で襲いかかってくるのだ。どうやっても勝ち目はない。最大の障害は「仲間を呼んでから時間がかかる」という部分。であれば時間を稼ぐしかない。
「お前はそこにいろ」と俺が言うと、ミリシャは「わかってる」と応えた。
ここからは時間の戦いになる。連絡は入れた。あとは仲間が来るまで耐えるだけだ。
ルイの取り巻きたちが襲いかかってきた。レベルはルイと同様に俺よりも低い。一人ひとりと戦うのであれば問題ないが、まとめて戦うには分が悪すぎる。
ここで取れる選択肢は多くなく、結局逃げながら戦い、捕まらないことを目的とした防衛戦をするしかない。
剣や槍、魔法の攻撃はすべて回避。素手による近接戦闘はなるべく避ける。捕まれでもしたら厄介だからだ。つまるところ、戦闘というにはあまりにもお粗末な逃げ腰戦法をとるしかなかった。
「どうしたんだい! さっきまであれだけ威勢がよかったじゃないか!」
最初の一発目は距離を取るのにも必要な一発だった。不意をついた攻撃であれば掴まれたりする心配がないからだ。
「俺には俺のやり方があるんだよ!」
とにかく逃げ回る。途中で真空波に脚を切られた。地面が隆起してきて腕をかすめることもあった。それでも住民には極力迷惑をかけないように立ち回った。
それでも多勢に無勢という言葉があるように、取り囲まれてしまえば逃げることさえできなくなる。その時がすぐに訪れるなんてのはわかっていた。
「さて、これでキミも終わりだ」
「俺を殺しても意味ないってわかってるだろ?」
「もう二度と外に出られないように完璧に拘束してあげるよ。外に出たいだなんて思わせてもあげないさ。いっそうのこと、手足を切断して腐らせてみようか? どんどんと自分というものがなくなっていくかもね」
本当に嬉しそうに笑う男だ。嫌気が差すし、二度と関わり合いになりたくない男だ。




