二十九話
水のせせらぎと小鳥の鳴き声で目を覚ます。起き上がって背伸びをしたが、こんなに頭の中がスッキリしていて伸び伸びとできる朝は久しぶりだ。
視線を落とすとミリシャが寝息を立てていた。なんだかんだ言ってもこういう状況で眠れるだけの図太さがあるってことだな。
川の水を飲んで喉の乾きを潤す。が、腹の虫が大きく唸った。水だけじゃ腹の足しにはならないか。
ミリシャの元に戻って彼女の頬を叩いた。例えば彼女が起きていなくても、こうやって俺が上であることを示さなければいけない。
「別にやりたいわけじゃないけどな」
コイツには散々拷問されたしデミウルゴスにも恨みがある。こうでもしないと気は晴れない。
「ん……」
少しずつ目蓋が開かれていく。すぐに起き上がって周囲を見渡していた。今の状況を把握しているのだろう。
最後にスカートをまくりあげて、自分の股を弄っていた。
「なにしてるんだ?」
「変なことされてないかと思って」
「するわけないだろ。興味ない」
「興味ないっていうのは嘘だろうね。でもなにもしてないのは本当みたいだから深くは突っ込まない」
「ああそうかい」
俺はため息を吐きながら立ち上がった。こんなクソみたいなやり取りをしている暇はない。
「立て。行くぞ」
リードを引くと「うっ」と漏らしながらミリシャも立ち上がった。上目遣いで睨まれるがコイツに戦闘能力がないことを知っているので別に怖くはない。
この世界にも法律や秩序は存在する。しかしそれを上回るほどの力と悪意に満ちているのだ。結局のところ人を支配できるのは力だけなのではないかと思ってしまう。ミリシャに戦闘能力があればもう少し扱いが難しかっただろう。
リードを引きながら橋を渡って反対側へ。川を下るか道なりに進むか迷うところではある。どちらも目立つのだが、確実に町にたどり着けるのは後者なのだ。町まで行けばフレイアたちと連絡を取る方法もあるはずだ。固定電話みたいなのはもうないようなのでそこは行ってから考えるしかない。
「そうだ」と振り返った。
「なに?」とミリシャが眉根を寄せた。
「決まってるだろ」
素早く首元に注射器を打ち込む。全部打ってしまうと歩けなくなってしまうので三割程度にとどめておく。
「アンタってホントに……」
「悪いな。戦闘能力はなくても逃げられると困るんだ」
ミリシャの焦点が定まらなくなってきた。
「よし行くか」
少しだけ胸が痛む。こんな奴らに胸を痛めるなんてどうかしてる。鬼にならなきゃ寝首をかかれる可能性だってあるというのに。
頭を振ってから歩き出した。リードに繋がれているミリシャはちゃんと従順に従っている。が、クスリの効き目は間違いなく薄れてきているはずだ。
自分で打たれ続けたからわかることだが、ルイ、というかデミウルゴスが使っているクスリは抗体ができやすいようだ。というよりも、体の方がクスリに順応しやすいと言った方がいいかもしれない。特に、過去で俺が打たれていたものだと過程すれば、人間の体は変化したのにクスリの方は変化していないことになる。となればクスリの方が弱くなったのではなく体の方が強くなったと考えるのが自然だろう。
道を歩き続け、前から行商や運行馬車が来る度にミリシャに身を寄せた。リードを繋いだままだとさすがに怪しまれる。俺の格好が貴族みたいなのだったら奴隷と主人で誤魔化せるかもしれない。この世界に奴隷制度があるかどうかは不明だが。
こうして二時間ほど進んだところで町が見えてきた。それなりの大きさみたいだが、町の半分は畑や牧場だ。俺が今まで見てきた町と趣が違うところからも、エルドートから離れてしまっているのかもしれない。
町に入ってからミリシャを支えながら近くにあった木の下に座り込んだ。周囲の人間の動きを観察するためだ。
残念ながら俺には金が無い。連絡手段もないし、そもそもここがどこかもわからない。であればなにか取っ掛かりを探すしかないのだ。
と、そこで忘れていた事がある。
ミリシャの体を弄ってポケットがないかを確認する。
「あった、これだ」
メイド服の腹のところに小さなポケットがあった。そこに入れられていたのはミリシャのライセンスだ。
ミリシャの手を使ってライセンスのロックを解除。情報をテキトーに閲覧していくが、正直パーソナルデータには興味がない。見たところで意味がないからだ。
メッセージ機能を開いてみるがフレイアたちの連絡先を知らない。トーク機能も同様だ。ライセンスを見つけたはいいものの、そもそも使い方があまりわからない。
「クソっ」
頭を抱える。
いや、まだやれることはある。




