二十六話
浅く深呼吸をしてミリシャの目を直視した。
「お前のことも、お前の両親のことも助けてやらないこともない」
「はっ、アンタみたいなのになにができるっていうんだ」
「確かに俺にはなにもできないかもしれない。でも仲間に頼んでなんとかしてもらうことはできる」
「他人頼み、か。よくそれで大口叩けたもんだ」
心底呆れたようにミリシャが鼻で笑った。
「それでもお前を助けることはできるぞ」
「だから協力しろって? バカ言うなよ、交渉にならない。例えばアンタが言うように両親を人質に取られていたとしてだ、こうやってお前と仲良くしてたら、私の両親は殺されていても仕方ないと思わないか?」
「まあ、普通はそう考えるよな。普通の状態、特にお前の常識にある『普通』の状態であればだが」
「どういう意味だ? 普通は普通だろ?」
この感じだと、ミリシャは俺のことを詳しくは聞いてないんだろう。であればこの状況を理解できないのも無理はない。
しかし、ルイとミリシャの間に壁があるのはよくわかった。ミリシャの両親が人質に取られているという可能性がより濃厚になってきた。
「俺とお前が仲良く喋っていても、監視されていない限りはお前が疑われることはおそらくない」
「なんでそんなことが言えるんだ。あれは恐ろしい男だ。自分の野望のためだったらなんでもやる。長年連れ添ってきた部下でさえ簡単に切り捨てる。他の部下の前でそいつの首を切り落とすくらいのことは平気でやる男だぞ。こっちは少しでも疑われたら終わりなんだよ」
間違いない。やっぱりミリシャは脅されている。
「俺とお前が仲良く話していても、お前が俺に協力したとは思わないんだよアイツは」
「そんなバカな。あの状況でお前が脱出するには誰かの協力が必要だ。となれば、いなくなった私が協力したと思われてもおかしくない」
「でも今のルイは「ミリシャが俺に協力して脱出した」とは絶対に思ってない。絶対にだ。アイツはなんで俺が脱出したのか、脱出できたのかの見当もついてる。そこにお前が入り込む余地なんてない。わかるか、俺の脱出にお前は必要ないんだ」
「じゃあなんで連れてきたんだ? 必要だからじゃないのか? 私を人質にてさ」
そう言って、彼女はハッとしてなにかに気がついたようだ。
「私を人質にする理由って、なんだ?」
そうだ。今彼女が言うように俺が人質を取る必要など一切ない。ルイのことならなんとなく理解しているし、人質をとったところでルイはミリシャを殺す可能性はかなり高い。それどころがあの建物にいる連中全員を殺してもおかしくない。ルイという男はそういう男だからだ。そしてミリシャもそれをわかっている。
「じゃあなんで私を連れてきたんだ? そうだ、薬を打ってそのへんに放置してもよかった。オーバードーズで死ぬように仕向けてもよかった。アンタは、なんで……」
「お前が必要だからだ」
彼女は目を丸くし、どこか不機嫌そうに眉根を寄せた。
「助けたいとか抜かすんじゃないだろうな」
思わず奥歯を噛み締めた。
命令とは言え、人質を取られているとは言え、他人をあそこまで拷問し、治療し、また拷問をして治療する。そんな人間を誰が助けようと思うんだ。
こういうヤツは自分のことが可哀想だと思ってるフシがある。自分が一番不幸だ、だからなにをしても構わないと思ってる。ミリシャが今まで受けてきた苦痛や彼女の歴史など俺は知らない。でも――。
「俺を痛めつけたこと忘れたのかよ」
思わず右手で首を掴んでいた。
「どの口が言うんだ? 誰がお前なんかを助けたいと思うんだ?」
左手を添えてミリシャの首を軽く締め上げる。
「ぐ、がっ……!」
「苦しいか。俺が味わった苦しみはこんなもんじゃなかったんだよ」
そして、力を緩めてミリシャの体を地面に落とした。彼女は咳き込みながら自分の首を愛おしそうに撫でていた。
それがまた苛ついて仕方がなかった。
「助けたいとか俺が考えるって本気で思ってんのか?」
上目遣いでミリシャが見てきた。瞳の奥に恐怖が垣間見える。わずかに震える唇、荒くなる呼吸、俺のことを畏怖の対象としてようやく認識したようだ。
この女は戦闘が得意ではない。スキルも戦闘系ではないし、こちらには彼女を沈黙させるための薬もある。
「いいか。お前の両親を助けてやるっていうのは取り引きの材料だ。俺に協力するなら、ルイの元から救出してやってもいいってことだ。お前のことも助けてやってもいい」
「それは、取り引きといえるのか?」
「半分は取り引きだ。でも半分は恐喝だ」
「応じなければ?」
「殺す。そうなればお前の両親も間違いなく死ぬだろうな。殺すのは俺じゃなくルイになるだろうけどな」
ミリシャは視線を外し、力を抜いた。考える時間も必要だとは思うが、正直コイツに時間をやるつもりはない。
しゃがみこんで髪の毛を掴む。
「さっさと選べ。このまま俺に殺されるか、一緒に行くか。俺と一緒に来ればお前の両親が助かる可能性があるが、どうするんだ?」
選ぶもクソもない。コイツは間違いなく俺を選ぶ。それしか選択肢がないのだから。
「わかった」
と、彼女は小さくつぶやいた。
「はっきり言え」
「わかったって言ってるんだ」
「なにがわかったって?」
「アンタと一緒に行く」
そうだ、そうでなきゃいけないんだ。コイツが俺の言うことを利くまで、俺はコイツを脅し続けなきゃいけないんだ。俺だって好きでコイツを脅してるわけじゃない。
「それでいい。じゃあ行くぞ」
だがここは思い切り笑ってやった。
ミリシャは悔しそうに奥歯を噛み締めていた。俺に屈服するのなんて冗談じゃない、今すぐにでも舌を噛み切ってやる。それくらいの気迫さえあった。




