二十五話
その時、ミリシャの視線に気がついた。ミリシャは視線を彷徨わせていたが俺の目は誤魔化せない。時計はないが、確かに時間的にはこの辺か。
「今俺のこと見てただろ、隠しても無駄だぞ」
俺がそう言うとミリシャの視線が戻ってくる。ゆっくりではあるが確実に俺を見ている。つまり薬の効果が解けかけてるということだ。
「言いたいことがあるなら言っとけ。つっても俺はお前を殺すつもりはないから、これが最期の言葉になるってことはないけどな」
彼女はゆっくりとため息を吐いてから、またゆっくりと口を開いた。
「なんで、拘束を解けたんだ」
もっともな疑問だった。俺が彼女の立場でも同じことを言っただろう。
「悪いけどそれに関しては答えられない。いや、本当に最後の時になったら教えてやるよ」
「最後って、なに?」
「さあ、なんだろうな」
バッグから注射器を取り出してミリシャに近づく。彼女は嫌な顔をして後退る仕草をするが、まだ薬の影響が残っているせいで上手く体を動かせないんだろう。
ミリシャの首元目掛けて注射器を構えた。が、まだ針は刺さない。
「お前もこの薬を打たれ続けたんだろ?」
注射器を突き立てる前にそう言った。
「なんの、話だ」
まだ体が言うことを利かないというのはわかる。手錠を外そうともしないし、大きく体を動かそうともしていない。目蓋も完全に開いているという感じでなく、若干眠そうなところからもまだ薬が残っているのがわかる。
「効き目が切れるのが早すぎる」
「だからなんだって言うんだ」
「これだけ切れ始めるのが早いってことは、アンタの体にもそれなりに耐性があるってことなんじゃないのか」
「んな馬鹿な――」
俺はミリシャの袖をまくりあげた。そこにはいくつもの注射跡が残っていた。
「これが証拠だ。お前もルイにいいように扱われてたんじゃないのか?」
ミリシャがため息を吐いた。
「自分でやったんだ」
「そうか」
そうして、俺は注射器に力を入れる。それを見たミリシャが息を呑んだ。ゴクリと、喉が動くのがわかった。
だから俺は注射器を下ろした。
「打たないのか?」
「打つ必要がないからな。お前、拷問は得意そうだが戦闘は苦手だろ?」」
それにコイツのスキルは戦闘向きではない。コイツのレベルは俺より下だということはわかるし、無理矢理手錠を外しても逃げられない。正面からぶつかり合っても得策じゃないということはコイツが良く知っているはずなのだ。
俺は川で手を洗い、それから少しだけ上流の水を両手で掬った。それをミリシャの口元へと持っていく。
「飲めって? 人の手で汲んだ水を?」
「飲まなきゃ死ぬだけだ。間違いなく脱水症状になるぞ」
彼女は観念したのか、少しずつ水を飲み始めた。かと思いきや一気に全部飲み干してしまったのだから驚きだ。この暑さだ、それもしかたない。
それから俺は何度かミリシャの口元に水を運んだ。彼女が「もういい」と言ったのは、八回くらい水を運んだあとのことだ。
「よし行くぞ」
腕を掴んで立ち上がらせた。極力遠くに逃げなければいけない。デミウルゴスの連中に追いつかれてしまったらもう二度と脱走はできないと思うからだ。それにミリシャからの拷問も苛烈を極めることになるだろう。
森の中を歩き、草をかき分け、岩を登る。最初は無言だったミリシャがふとあることを口にした。
「逃げられると思ってるの?」
もうだいぶ薬の影響が抜けたのか、本来の彼女らしいキリッとした目元に戻っていた。
「できるかできないかじゃないだろ。やるしかないんだ」
「アンタの仲間が助けに来るのを待てばいい」
「それまで拷問を受け続けろって? ふざけんな、人の体をなんだと思ってんだよ。お前らのおもちゃじゃないんだよ」
「別におもちゃだなんて思ってないけど」
なんていいながら彼女は薄く笑った。その理由はなんとなく想像できる。
「だろうな。お前はルイに言われて仕事でやってたんだろうしな」
ピクリと耳が動く。森の中、資格情報が多いこんな状況であってもわかるくらい、彼女の動きは今までの彼女からは想像できないほど予想外のものだ。予想外、というのは少しだけ違う。彼女が反応することがわかっていたからだ。
「どういう意味?」
「両親を人質に取られてるって話も、実はまんざら嘘じゃないんじゃないかと思ってな」
「はっ、何を根拠にそんなこと言うんだか。私のことも知らないくせに」
「説明してほしいのか? じゃあいくつか根拠をあげてやるよ。拷問自体は慣れた手付きだ。でもたまーに顔が歪んでたよな。拷問の時じゃない、終わった後だ。拷問そのものじゃなく、いつまでこれが続くのかっていうそういう思いがあったんじゃないか?」
「そんな馬鹿な」
「それにルイに対して敬意もなにもない。上下関係という感じもないし、お前らはほとんど同列の存在なんだろうなって思ったよ。たとえばビジネスパートナーみたいな感じだな。お前の性格もあるんだろうが、お互いに必要な要素を補い合ってるからそういう関係性になる」
「私の両親が囚われているなら、私が謙るべきなんじゃないの? ホントにバカバカしい」
「ルイに対等に扱うと言われてたとしたら理解できない話じゃないだろ? アイツはそういうことを言いそうだしな」
「あの人のことを知ってるみたいな口ぶりだな。それに私をけしかけて拷問させる理由なんてないでしょ?」
「あるんだなこれが。お前のスキルは強力なものだ。きっとアイツはそれを欲したに違いない。アイツはお前の能力を欲して、お前を縛り付けるために拷問の教育を施した、と考えるとこの状況も頷ける」
「そんな少ない情報でよくもまあ、鬼の首を取ったみたいに責められるな」
「別にそれはそれでいいさ。で、これからが本題だ」
本当に話したい内容はここからだ。俺がコイツの話に乗ったのもこのためだ。だがやり方を間違えるとまた失敗する。




