七話
顔に触れる。もう、少しだけ冷たかった。
俺がもっとちゃんとしていたら、フレイアは死なずに済んだのだろうか。そうじゃないな、困ったら、俺が死ねばいい。フレイアがいなくなったら過去に跳躍することができない。そうなればミカド製薬の凶行を阻止することだってできなくなる。
「大丈夫か?」
気がつけばクラウダが近くまで来ていた。
「大丈夫なもんか。フレイアが死んだんだぞ」
「ああ、一人死んだな」
「つまりフレイア以外の死者はいないってことか? そりゃよかったな。ホント、犠牲が少なくて、よかった、よ……」
泣くつもりはなかったのに、どうしても涙が溢れてしまう。
「そういう意味ではない。フレイアの一人が死んだ。そう言っただけだ」
「フレイアの、一人?」
「これもまた、世界を改変するための重要な布石だ。今はとにかく城に戻るぞ。そこで話の続きをする。フレイアはそこに置いておけ。こちらで埋葬しよう」
「でも――」
「いいから来い」
睨めつけられて二の句が継げなかった。
クラウダに言われるがまま、俺はまた魔女の部屋へとやってきた。そこにはゲーニッツ、ナディア、グランツもいた。
「座れ」
小さなテーブルを挟み、俺とクラウダが対面する。
「話の続き、してもらおうか」
「ああ、そうだな。そもそもどうして私は何度もお前に過去と未来を行き来させたのかはわかるか?」
「わかるわけないだろ。そんなこと」
「では教えてやろう。レベルを上げなければ、過去でも未来でも通用しないからだ。過去で死ぬということはレベルが足りないということ。であれば未来で効率的にレベル上げをすることができる。そうやって、お前のレベルを上げさせた。過去でモンスターと戦えなければ、ミカド製薬とも戦えないからな」
「なるほどな、それはよくわかった。でも、そうなると俺が本来死ぬはずだったあの日からモンスターが現れるようになったってことでいいのか?」
「そういうことだ。あの日から急激にモンスターが出現し始めた。それよりも前から兆候はあったんだがな、野生動物のせいになったり、交通事故などで偽装されたんだ。モンスターによる被害が増え、徐々にミカド製薬も隠すことをしなくなった。そのうちにウイルスが完成した。その名は『ヘルモクラテス』だ。だからこそ、お前が死ぬ前後から行動を起こす必要があった。本来ならばもっと過去へと跳躍できればよかったんだがな」
「それは俺も気になってた。ウイルスが作られるよりもっと前に止められればこんな苦労はなかったはずだ。どうして俺が死ぬのと同時に干渉する必要があったんだ?」
「必要があった、というのは間違っている。逆に言えばあの地点が干渉地点としては最短だったんだ。フレイアの跳躍能力にも限界があるからな」
「だからこそ限界があるならもっと早く行動しとけばよかっただろ。言ってる意味がわからない」
クラウダは背もたれに体重をかけ、ため息をついた。
「おい、連れてこい」
メイドの一人にそういうと、メイドが部屋のドアを開けた。
俺は目を疑った。
「フレ、イア……?」
先ほどと変わる様子がまったくない、死ぬ前に見たフレイアの姿がそこにあった。
「どういうことだよ」
「さっきも言っただろう。フレイアの一人が死んだのだ、と。フレイアはある人間のクローンである。しかしながら本体の能力を引き継いだ個体を生み出すことはかなり難しかった。そうして、ようやく複製できたのが数体。時間がかかりすぎて、お前が死ぬ前後にしかこの作戦は実行できなかった」
「なんだよそれ……それを全部信じろっていうのかよ……」
魔女の話は、そのすべてが俺の常識を遥かに超えている。
「信じる信じないの話はとうに過ぎた。クローンの話も、そこにフレイアがいることこそが証明になる」
「でもあのフレイアには今までの記憶はないんだろ?」
「ある。今までのフレイアの記憶はちゃんと受け継がれている。脳が残っていたからな、そこから情報を新しいフレイアに移した」
「そんなこと、ホントにできるのか?」
「実際にできている。記憶の情報化と情報の縮小化、その情報を更に信号に変えて信号によって脳を刺激する。記憶を書き換えるのではなく、時間をフォルダ分けして同時に所持する方法をとっている。魔法だけでも難しい、科学だけでは不完全。それならばその二つを合わせればいい。幸いだが、ウイルスが蔓延したことによって脳が活性化された人間もいたのだ。それによって重力エネルギーやカー・ブラックホールの製造にも魔法が一役買った。エネルギー問題や電子機器の縮小なども、一億年も経てばその技術も飛躍する。それが普及していないだけでな」
言っていることはそこまで深くはわからない。でもそれができるようになった世界、ということだけは理解できる。確か俺がいた世界でも重力エネルギーだのブラックホールだのというニュースは話題にはなっていた。
「できることはよくわかった。でもそれが正しいことだと思ってやってんのか? いくらクローンだとしても別の人間だろ」
「同じ人間として扱うために記憶を転写しているんだ。そうでなくては上手く行かないからな」
「それでも、俺にはそれが正しいことには思えない」
なにが正しいのかなんて、そんなのは人の立場でいくらでも変わる。特にこの世界は俺がいた世界よりも法律に関して甘そうだ。法も倫理も、俺がいた世界とは違うのならば、俺の正しさとクラウダの正しさも軸がズレていておかしくない。
クラウダは心底呆れたというようにため息を吐いた。
「死という運命を捻じ曲げた私は悪か? お前を助けたのは悪か? 過去を延命するために干渉するのは悪か? 世界を汚染するウイルスが蔓延するのを阻止するのが悪か? 他人のクローンを作ることが悪か? ではなにが正しいんだ? 理論的に、倫理的に、なにをしたら人らしい正しさを得られるというんだ? デミウルゴスが言うようにこの世界が滅びるのが正しいのか? お前はどう思う?」
クラウダが言いたいことはよくわかる。わかるに決まってるじゃないか。
これは最終的にトロッコ問題のようなものだ。俺がミカド製薬を潰せば未来はウイルスがない世界へと変わってしまう。このままミカド製薬を見逃せば今と同じ未来が待っている。俺の行動一つで生きる人間と死ぬ人間を選別するのと変わらない。どちらが正しいとも、どちらが悪いとも言えないのだ。
それと同じなのだ。自分の中でなにを正しいと定義するか。それによって「俺の方向性」が決まるのだ。




