九話
リビングでテーブルを挟んで向かい合った。双葉はなにも言わずにお茶を入れてくれた。無表情であったが、そのまま俺の横に座った。
「妹さんだね」
「そうだ。妹も事情は知ってるから一緒に話を聞く。別にいいよな」
「問題ない」
男はテーブルの上に腕を置いてゆっくりと話始めた。
「話は何十年も前に遡る。私が会社に入る前、元会長とある男によってあのウイルスを作る計画が始まった」
「ある男ってのは?」
「留川依一という男だ。病理の医師でもあり研究者でもあった。病原体に異常な執着をしていた、と聞いている」
「聞いているって、誰から?」
「私の前任者だよ。彼もまた私と同じようにあのウイルスに関わっていた。今の話は引き継ぎの時に聞かされたものだ」
「その前任者ってのはまだ生きてるのか?」
「死んだよ。もう年だからという理由で閑職に追い込まれたのだけれどね、閑職ではなく、実験材料になった。きっと私もそうなるだろう。だからここに来たのだ」
前任者に関してはなにも言えなかった。同時に、この男が感じているであろう恐怖に関しても突っ込むことはできない。そこまでこの男の人生に関わる覚悟がなかったからだ。
「何十年も前ってことは、その留川ってやつはもう死んでるんだよな?」
「そう聞いている。留川と会長が結託してウイルスを作り始め、ミカド製薬は水面下で動き始めた」
「でもあんな危険なもんをどうして作ろうと思ったんだ? あれが空気感染するようになったとんでもないパンデミックが起こることくらい予想できるだろ」
「本来は、エピデミック……つまり世界に広がるほどではないが特定のコミュニティで拡散するように作られるはずだった。だが会長である齊間十蔵、そして取締役の一人である齊間景によってウイルスは進化を遂げた」
「齊間景ってのは十蔵の親族か?」
「息子だ」
「そいつらがウイルスを進化させた理由はなんだ?」
「元々は金儲けのためだったんだ。簡単な話だ。強力なウイルスを作りそれをばら撒く。ばら撒く前にワクチンを作っておいて、ウイルスが蔓延した頃にそのワクチンを高値で各国に売りつけるんだ。そのはずだった」
「病原体を最初に作ったのは留川なんだろ? 留川が秘密裏にウイルスを強化してたならわかるけど、なんで齊間親子がそんなことをする必要があるんだ?」
「それは私にもわからないんだ。だが、齊間景が裏で糸を引いているのは間違いない。それをキミたちに止めて欲しいのだ。同時に、私の身を守ってくれると助かるんだがね」
そう言いながら、碓氷は頬を掻いた。
それが本心であることは間違いないだろう。その身一つで化け物と戦えるのだ、自分の身を守れるとすれば俺たちしかいない。俺たちに身を守ってもらうには危険を犯してでも情報を提供する必要があった。
俺がコイツの立場でも、もしかしたら同じことをしたかもしれない。安易に責めることはさすがにできなかった。
「他にも情報があったら話してくれ。それ次第だ」
碓氷は頷き、咳払いを一つした。
「ウイルスは完成に近い。早く行動を起こさないと数日でこの世界が化け物で溢れることになるだろう。進捗状況としては99%と言ってもいい。あとはそのウイルスとワクチンを量産すればいいだけだ」
「でもミカド製薬の地下で見た感じだともうちょっと時間がある感じだったぞ」
「あそこは数ヶ月前から稼働していないんだ。ミカド製薬が所有する南の方の山に本拠地を移している」
「山の中に研究施設?」
「山の側面をくり抜いて無理矢理施設を作ったんだ。と言っても、今は入り口以外は土に覆われているがね」
「場所はわかってるんだよな」
「ああ、ちょっと待ってくれ」
碓氷はスマートフォンを取り出し、なにやら操作し始めた。
「ここだ」
見せてくれたのは地図アプリだった。確かに、ここから南に数キロ行った先にある山の中だった。
「それさえわかればあとは動くだけだな」
「だが、もしかしたらそこにはもうウイルスはないかもしれない」
「どういうことだよ」
「製造場所と保管場所は違う、ということだよ。私は間接的にしか関わりがないから詳細までは知らないんだ」
「それじゃあなにも変わらないってことか……?」
「いや、研究施設さえ潰せれば量産は避けられる。ワクチンだって作ってあるはずだから、そのワクチンさえあればパンデミックは止められるはずだ」
「どっちにしろその研究施設には行かなきゃならないってことだな」
そうと決まれば早速用意しなければいけない。空気感染するウイルスが完成してるとなると、それに感染しないための対策をとる必要も出てくる。
「すぐにでも行くのか?」
「できれば今夜にでも」
「そうか。ならこちらで防護服と防護マスクを用意しよう。出かけるのはそれからにしてくれ」
「いつ頃届く?」
「裏から手を回すとなるとすぐにでも動かないと間に合わないな。最低でも半日はかかる。もしかすると今日中は不可能かもしれない」
「それはそれで仕方ない。もし届かなかったら明日や明後日にするさ。とにかく防護服の方は頼む」
「ああ、任せてくれ」
碓氷が差し出してくる手をがっしり掴んだ。
「私のことは守ってもらえるんだよな?」
「大丈夫だ。とりあえずうちにいてくれていい。その代わりリビングとトイレと風呂以外はやめてくれ。知らない人間にうろつかれるの、さすがに気持ちよくないからな」
「そのへんはちゃんと配慮するよ」
「でも家族はいいのか?」
「お恥ずかしながら私は独り身だから心配ない。ありがとう」
そう言って碓氷は微笑みながら右手を上げた。
とりあえず碓氷にはオヤジの服と下着を与えておこう。バイクだって言ってたし今もバッグを持っていない。きっと着替えなんかもないだろう。
ウイルスが保管されている場所はまだわからないままだが、山の研究所さえ潰せればまた一歩前進する。この件が終われば俺も前のように穏やかな日常が送れるようになるだろう。
それは、果たしていいことなのかどうか。
俺は異世界に行って、非日常であることが楽しくなっていた部分がある。というか、現実世界のことが終わってもまだ異世界の問題が残っている。
クラウダ、デミウルゴス、ルイ、ハローワールド。でもとにかく目の前の問題を解決する方が先だ。
俺はフレイアにメッセージを送り、今日の出来事を伝えた。フレイアも早めに帰るとのことなので、あとはフレイアが帰ってきてからだ。もう一度碓氷と話をして作戦を考えた方がいいだろう。研究施設にも連れていかなきゃいけないし、用意することはまだ多くある。
夜までに体調を整えておこう。なによりも、碓氷がまだ俺たちの味方と決まったわけではないのだ。こちらにも気を配っておかなきゃいけないだろう。
双葉がキッチンに向かった時に「まだ碓氷のことは信用するなよ」とは言っておいたので大丈夫だろう。
こうして、時間は刻一刻と過ぎていく。




