十三話
ガチャッと、部室のドアが開いた。顔を出したのは香本さんだけだったが、部室の中を隠すようにしてドアで自分の身体を挟んでいた。
「せ、先輩ですよね? なにか用ですか?」
俺と視線が合ってバツが悪そうな顔をした。そりゃそうだ、この中には双葉がいるんだから。逆を言えば俺が双葉の兄貴だと知ってて告白してきた。
「用事しかねえんだよなあ」
ニヤニヤするたっつんの頭の上を、サダの太い腕が通過した。サダはドアをがっしりと掴み、そのまま強引に部室のドアを引き寄せた。
「ちょっと! なにするのよ!」
部室の奥には香本さんと一緒にいた女生徒三人と、上級生の男子が二人、同級生でも有名な不良が二人。そして部室の中央には、ブラウスを脱ぎかけている双葉が立っていた。
「んだてめえ。お楽しみを邪魔すんじゃねーよ」
上級生二人が立ち上がる。
その瞬間、胃の内容物が沸騰するような感覚があった。人の妹の服を脱がせてお楽しみだなんて、そんなことが許されてたまるかよ。
けれど、なんとか理性で抑えることに成功した。今までたくさん怒り狂ってきたせいか、怒りに対して耐性がついたのだろうか。
それでも怒りがこみ上げてくるのには間違いなかった。
誰よりも早く部室の中に入り、双葉の元へと歩いていく。
「おにい、ちゃん……?」
涙目の双葉を強く抱きしめて、頭を優しく撫でた。
「ああそうだよ。お前のお兄ちゃんだ」
「やっぱり、来てくれたんだ……」
「当たり前だろ。お前が言ったんだ。お兄ちゃんってな。お兄ちゃんはな、どんなことがあっても妹のことを守るもんなんだよ」
双葉は俺の胸に鼻をこすり付け、俺の背中に手を回した。震えた腕が痛々しく、少しでも遅れていたら大きな傷が心に一生残ったかもしれない。
許せるわけがない。こんなこと、許してやるわけにはいかないんだ。
「間に合ったみたいだね。ほら、双葉おいで」
そこで優帆の声がした。優帆もまた友人を連れてきたみたいだ。
「優帆のとこ行ってろ。あとは俺たちがなんとかするから」
「でも――」
「大丈夫だ。でも心配してくれると嬉しい」
双葉の背中を叩き、優帆の方へと押しやった。
「手加減、してあげて」
「わかってる」
たっつんとサダも乗り込んできた。人数的には不利だが、今の俺は普通の人間とは言い難い。正直俺一人でも十分なくらいだ。
しかし、友人たちがいてくれるというのはどうしてこうも心強いものなんだろう。人数とか戦力とかじゃない。一緒に立ってくれているということが嬉しくて仕方がなかった。
パンパンと、誰かが手を叩いた。
「はいそこまで」
そう言って入ってきたのは生活指導の先生だった。
「他の先生たちもすぐに来てくれるはずだ。これから一人ずつ話を訊く。特に上級生の二人、それとそこの男子二人。あとは一年の女子たちだな。いますぐ生徒指導室に来い」
二人、三人と教師たちが集まってきたかと思えば、そのまま男子生徒たちを連れていってしまった。当然ではあるが、あとから来た教師によって俺たち連行された。生徒指導室ではなかったが、それでもなにを話せばいいのかを考えてしまう。
俺、たっつん、サダ、優帆、優帆の友人が順番に空き教室に呼ばれて話をした。双葉は教師に寄り添われて先に帰ったみたいだ。
教師に訊かれたことは少なく、思った以上にあっさりとしていた。どういう経緯であの部室に行くようになったのか、乗り込んだときはどういう状況だったのか、手は出したのかといった感じだ。
ものの数十分で開放された俺たちは、どういうわけか全員で校門を出ることになった。俺、優帆の友人たちとはちゃんと喋ったことないんだけど。
「あーあ、大変なことになったな」
なんて優帆が言った。それを聞いた俺は反射的に優帆を見た。
「つかお前、こうなるのわかってんだったら説明しとけよ!」
思わず優帆にそう言ってしまった。
教師たちが乗り込んできたのも、おそらくは優帆の仕業だろう。こうなるように仕組んでいたと推測できる。俺をけしかけたのも、教師が到着するまでの時間稼ぎみたいなもんだろう。
「私たちがどれだけ苦労して先生たち呼んできたのか知らないくせによく言うな」
「そうだそうだ」
「大変だったんだぞ!」
友人の援護攻撃。ってそうじゃない。
「だったらそう言ってくれればよかった。先生たちを呼んでくるから時間稼ぎをしろって」
「言っても言わなくても一緒じゃん?」
「先輩たち殴るところだったぞ」
「そこまで行くとはさすがに思ってなかったんだこれが。もっと早く動いてくれると思ってたから」
「お前なあ……」
ドッと疲れがやってきた。あのままだったら間違いなく俺はあそこにいた全員を殴っていた。
「でもアンタは殴らないんじゃないかなって思って」
「どうしてだよ。可愛い妹があんな目に合わされたんだぞ。そりゃ殴るよ」
「でも双葉の前で殴れるの?」
「む、それは、うーん……」
よく考えれば双葉が見てたんだよな。そう考えると微妙な線だ。喧嘩してるところなんて双葉は見たくないだろうし、暴力沙汰なんてことになれば当然学校側からの処罰が下る。下手すれば退学なんてことにもなりかねない状況だった。
「もしも命の危険があったなら、アンタは迷わず殴ってたと思う。でもそういう状況じゃなかったから、アンタなら自分の感情よりも双葉も気持ちを優先させたんじゃないかなーと思ったわけよ」
「なんだよお前。俺の理解者か?」
「何年アンタのこと見てきたと思ってんのよ。それくらいわかるっての」
優帆は間違いなく俺のことを見てきてくれたんだろう。以前の俺だったら、間違いなく先輩たちを殴ることはなかった。小学校の頃に双葉を助けたときに、双葉には危ないことをしないでと言われてしまった。
しかしあのままだったら俺は先輩たちを殴ってたと思う。それはなぜか。負けないという自信があったからか。それとも力を見せつけたかったのか。俺は、以前の俺とは変わってしまったのか。
双葉が暗い顔をしていた理由もわかったし、たぶんその原因も解消できたと思う。その反面俺の中で別の感情が産まれつつあった。
俺は、人を殴りたかったのだろうか、と。
「まあいいじゃない。終わったことなんだから」
こういう楽観的なところは優帆の美点かもしれない。コイツといると無駄に落ち込まずに済みそうだ。
たっつんとサダは優帆の友人たちと楽しく話してるみたいだし、双葉もそれに上手く溶け込めてる。そうだ、それでいい。今双葉を守ってくれるのは俺だけじゃないんだ。だからお前は他人と、ちゃんと接することを覚えるべきなんだ。
「さ、帰ろうぜー」
なんて言いながら優帆が俺の腕を掴んだ。その時、なんだか胸が高鳴ったんだ。双葉と風呂に入った時のような感じではない。これはまるで、フレイアと一緒にいる時のような、そんな感じだった。
「おま、ベタベタすんなよ」
「あん? アンタもしかして照れてんの? 童貞はこれだから困るよなー」
「どどど、童貞……だけど」
「童貞なんじゃん。まあまあ照れるなって、私で女慣れしとけよ」
俺の腕を抱きしめたまま走り出すもんだから、俺も走らざるを得なくなった。
あの胸の高鳴りがどういう意味を持っているのかわからない。本当に女性なら誰でもいいのだろうか。それとも、なにか別の意味があるんだろうか。今の俺にはそれがわからなかった。




