三話
フレイアは戻ってきてすぐに風呂に入った。俺のTシャツとトランクスを着てくれるのは非常に嬉しいのだが目のやり場に困ってしまう。双葉も理解があることだし、今度二人で買いに行ってもらおう。もちろん双葉とフレイアの二人で、だ。さすがに女性ものの下着と服を買いに行く勇気はない。
リビングのテーブルの上、下に青いビニールシートを敷き、その上に小包を置いた。フレイアが小さな結界を小包の周りに張り、そのまま小包を開いた。
「なんだこれ、アンプル的なやつか?」
クッション材が敷き詰められ、その中には一本のガラス製のアンプルが入っていた。先端を折るタイプのものだ。
「これもウイルスなんでしょうね」
と、フレイアがため息をついた。
「秋山が使ったやつと同じなんだろうな」
「秋山ってさっきの人?」
「ああ、この小包の送り主で、俺たちが黒焦げにしたやつ。自分で自分のポケット殴ってたんだよな」
「注射してなかったね」
「アンプルの破片が皮膚に刺さって感染したのか?」
「そんな上手いこといくかな。より確実な方法はまだあると思うんだけどな」
「そうなると……空気感染ってのが濃厚なんじゃないか?」
空気感染。これがなにを意味しているのかはここにいる全員が理解していた。
「もしそれが事実なら大変なことになるね。ミカド製薬は空気感染でウイルスをばらまくことができる。もしも町にウイルスがばらまかれたら、もう私達だけじゃどうすることもできなくなってしまう……」
「でも俺には感染しなかったぞ?」
フレイアは口を押さえ、アンプルを見続けていた。
「たぶんだけど、空気中に存在していられる時間が短いんじゃないかな?」
「そんな簡単なこと?」
「それ以外に考えられないんだから仕方ないでしょ? 私だってわからないんだもん」
お手上げだと、両手を上げていた。
「じゃあ空気中に存在していられる時間が長くなったら……」
「この世界は終わってしまう」
三人同時にため息をついた。
「どうにか、できないのかな?」
不安そうに双葉がつぶやいた。
「どうにかするしかないだろ。このまま放置するわけにもいかないからな」
「どうにかするって、どうやって?」
潤んだ瞳が俺を見た。
たぶん、いやきっとそうだ。俺はこの目を、コイツを守りたいんだ。コイツだけじゃないし優帆や友人たちだって守りたい。でもやっぱり、妹は大事なんだ。ずっと俺の側にいて、俺の後ろをついてきたんだ。兄が妹を守るのは当然のことなんだから。
「そろそろ動くぞ。このまま好き勝手させてたまるか」
「そうだね。まあ世界を救っても誰も気付いてくれないだろうけど」
「気付かれたらそれはそれでまずいだろ。俺たちは普通じゃないんだから」
「それもそうだけどさ。あ、忘れてたけど、秋山の車の中にあった私物は全部持ってきたよ」
「それは家に帰ってきてすぐに出すものでは?」
一度玄関に戻ったフレイアは、黒いカバンを下げて帰ってきた。
カバンの中身は手帳だったりスマートフォンであったり、なにかの資料だったりと情報源としては非常に濃密なものだった。
名刺には「製造部部長 秋山一慶」と書いてあった。ミカド製薬の人事名簿なんかがあればもっとよかったが、今はここにある情報からわかることを整理するしかない。
「部長クラスが出てきたか。でもここまで来ると専務クラスの人間も絶対噛んでるだろうな。中東からの人間がどうとかって言ってたし、部長がそんなこと簡単にできるとは思えないし」
「そういうものなの?」
「いやわからないけど。なんとなくで言った」
「私こっちの世界のことわからないんだからちゃんとしてよね」
怒られてしまった。
スマートフォンはやはりというかロックがかかっていて中は見られなかった。
資料の方は普通の試薬のようで、資料を見ただけではなにがなんだかわからない。読めるところだけ読んだ感じだとなにかの病気の抗体薬みたいだ。
手帳を読み始めると、スケジュールに書かれている「D」の文字が気になった。
「Dって、なんだろうね」
「俺にもわからん。でも秋山が最後に言ってたんだ。Dに栄光あれって」
「D、か……」
結局この中には「D」に関するものは出てこなかった。
「まあでも、ミカド製薬に侵入すればなにかわかるかも」
「侵入って、そんなことできたら苦労しないだろうに」
「たぶん入れると思う」
聞き捨てならない言葉を聞いた気がする。
「ん? 今なんて?」
「入れると思うって」
「なんで?」
「なんでって、ずっと裏口を見張ってたから暗証番号はわかるよ。でもあそこは一般社員が一人も使ってないみたいだし、入る時は最新の注意を払わないと」
「暗証番号だけでなんとかなるもんなのか? なんかの装置に顔近づけたりとかしてなかった?」
「確か……そうだね、顔近づけてたかもしれない」
「スパイ映画とかでよく見るやつだな」
「私映画とか見たことないからよくわかんないんだけど」
「網膜認証ってやつだ。目の中に網膜ってのがあって、網膜は指紋の代わりができるんだ。一人ひとり作りが違うから」
「じゃあ中に入るには目が必要ってこと?」
「そう、なるな」
フレイアは目を閉じ、こめかみをトントンと人差し指で叩いていた。
「取ってこなきゃ、だよねえ……」
「お願いします、姉さん」
「イツキの姉さんになった覚えはないけどね」
こうして、これからの方向がなんとなく決まった。時間がない以上、やれることは今のうちにやっておかなければいけないからだ。
作戦の決行は今日の夜。




