最終話
双葉の顔の泥が拭き終わり、再度走ることになった。
その五分後、また後ろで誰かが倒れる音がした。双葉だった。
「おいおい、大丈夫か?」
そう言って近づくが様子がおかしい。
「すごい熱です。顔も真っ赤だし」
「さっきまでなんともなかったのに急にか?」
「わかりません。もしかしたらずっと我慢してたのかもしれません。フタバさん、喋れますか?」
双葉は大きく胸を上下させて呼吸をしていた。しゃべるどころか動くのも難しいかもしれない。
「風邪、かな」
「違うな。これ、魔力欠乏の症状だよ」
フレイアが双葉の頬に触って言った。
「魔力、欠乏?」
「人間の体内には多大な魔力を内包してる。人間の身体に秘められた魔力っていうのは、全部を開放すれば町一つを滅ぼせるほどとさえ言われているの。と言ってもエネルギーとしての魔力だから理論的な話にはなっちゃうけど」
「その魔力がなくなってきてるってことか。でもそんなにすぐなくなるもんなのか?」
「そんなわけないでしょ。急速に魔力が失われるなんて……」
と、フレイアが頭上を見上げた。
「雨だ」
「雨がどうかしたか?」
「この雨が魔力を奪ってるんだよ。さっきからちょっとおかしいとは思ってたんだ。やけに魔力消費が激しいなって」
「さっき転んだ時に泥まみれになったからってことか?」
「そういうこと。それだけじゃなくて、雨を吸い込んだ服を身に着けてたからっていうのも原因だと思う。少し濡れるくらいなら問題ないし、拭けば多少の違和感程度で済んだと思う。でもずっと肌に触れてたとなれば話は別。早く服を脱がせて処置をしないと」
「処置ってどうするんだ。ここじゃなにもできないぞ」
「まず服を脱がせてからイツキがフタバちゃんをおんぶする。後ろからメリルがフタバちゃんに向かって魔力を供給する。方法はこれしかない」
「迷ってる時間はないってか」
「とにかく、イツキはしゃがんで待ってて。絶対にこっち見ないで」
「わかった。早くしてくれよ、しゃがんだ態勢ってきついんだ」
「いいから早く」
仕方なくしゃがみ込み、いつおぶさってもいいような態勢をとった。後ろの方ではがさがさごそごとと聞こえる。だが一分程度で身体に重みがかかった。
「よし、行くか」
落とさないようにと立ち上がる。身体強化のおかげもあって特に重いとは感じなかった。
メリルが双葉に毛布をかけ、俺の前でそれを縛った。
「魔力の放出が収まっても風邪をひいたら意味がありませんからね。それじゃあ、行きましょう」
背中を押されるように、先程より少しゆっくりの速度で走り始めた。
「いったいなんなんだよこの雨。自然現象じゃないだろ」
「作為的なものだとは思うけど、誰がどうやって引き起こしてるのかまではわからない。一刻も早くエルドートに到着しなきゃいけないことだけは確かだけど」
作為的、と彼女は言った。つまり誰かが「俺たちがここにいること」を知っていてやったことになる。ただの盗賊がやるにしては大掛かりだ。こんなことができるやつは知らないが、こんなことをやりそうな組織にだけは心当たりがあった。
「デミウルゴスの仕業、ってことはないか?」
「あり得る。なんでかわからないけどイツキのこと狙ってるみたいだったし」
「もしかして俺の能力に気付いてるのか?」
「さあどうだろ。でも知ってたら狙われても不思議じゃないと思う。無限に同じ日を繰り返せるんだから、精神操作なんかでもされればイツキはデミウルゴスの傀儡になる。そうすればデミウルゴスの都合がいい未来が作られる」
「それだけは勘弁して欲しいな……」
「犯人がデミウルゴスじゃないことを祈るしか――」
続けられるはずの言葉が聞こえることはなかった。
前にいたはずのフレイアが、一瞬にして消えてしまった。いや、どこにいったのかはわかっている。左側から来た「なにか」によって、右側へと消えていったのだ。
当然、雨を防いでいた透明な傘は消えた。俺たちの身体を雨が濡らしていく。一気にけだるさがやってきて息が荒くなる。
苦しい。身体が重い。
「クソっ……! なんなんだよ……!」
前のめりに倒れそうになるが、なんとか踏ん張ってこらえることができた。これを長時間続けろ、と言われても難しい。
「フレイア……」
右の方に視線を向けると、フレイアが木の下に立っていた。
急いで駆け寄ると、立っているわけじゃないということに気がついた。
大きな槍で胸を貫かれ、木に貼り付けにされているのだ。
「おい、突然すぎるだろ……」
次の瞬間、俺の右腕が吹き飛んだ。叫びそうなほどの激痛。それでも俺はフレイアしか見ていなかった。
矢継ぎ早に飛んでくる何本もの槍。右腕を抑えながら、フレイアに向けられて飛んでくる槍を払い落としていった。
「イ、ツキ」
「まだ息があるのか。誰かフレイアを――」
誰かって誰だ。誰がここにいるというんだ。振り向けばメリルも倒れてしまっている。双葉もダウンしたまんまだ。
「俺しか、いないのかよ」
雨を降らせたやつも、槍を投げたやつもわからない。こんな状況で、いったいどうしろっていうんだ。
その時、フレイアが微笑んだ。
「だい、じょうぶ」
「大丈夫ってなんだよ。大丈夫なもんかよ」
「アナタなら、だいじょうぶ」
ぎゅっと胸が締め付けられる。
間違いない。俺はフレイアのことが好きなんだ。何度も死線をくぐってきた。何度も助けられてきた。たとえ俺が生き返ろうとも、好きな人が死ぬ姿は見たくないんだ。
そのとき、俺の胸をなにかが貫いた。下を見るとぽっかりと穴が空いていた。
大丈夫、俺は何度でも生き返る。駄目なのは死ぬ前にデミウルゴスに捕まること。
「どうして、こうなっちまうんだろうな……」
「運命、なのかもね」
フレイア胸に刺さった槍を強引に引き抜いた。胸が痛い、熱い、今すぐにでも意識が飛びそうだ。
落ちてくる彼女を支えて、もう一度口にする。死ぬ間際だからなのか、感情が一気に溢れ出してくる。
「生きてて、欲しいよ」
「そっか」
フレイアは小さく息を吸い、目を見つめてからまた微笑む。
「じゃあ、私をもっと愛してあげて」
「意味が、わからない」
フレイアが俺に手を伸ばす。次の瞬間、俺の視界はブラックアウトした。先程まであった痛みはどこかに吹き飛んで、妙な暖かさが身体を包み込んだ。まるで誰かに抱かれているようなそんな暖かさの中、俺は、意識を失っていった。
【to the next [expiry point]】




