十五話
目を覚ましても雨は降り続いていた。どこかで洪水でも起きているんだろうか、雨以外の轟音も耳につく。
「なあフレイア、これ本当に日常茶飯事なのか? さすがにひどくないか?」
「確かに、いつもなら一晩経てば止むんだけど……」
ちなみに今は普通に服を着ている。一晩で服が乾いたからだ。もう少しあのままでも良かったかな、とも思うが目のやり場に困るのでこれでよかったのかもしれない。いやでもなあ。
「イツキさん、ちょっといやらしい顔してませんか?」
「そそそ、そんなわけないだろ? メリルは俺の顔がそんなふうに見えてるのか、心外だな」
「でも昨日の今日なので、お兄ちゃんの顔がゆるんでても仕方ないと思いますよ」
「つまりイツキは私たちのあの姿を想像している、と」
ここで女性陣が団結しはじめた。本当にやめてほしい。
「そういうんじゃないから。だってなにも見てないし。ほら、見てなかっただろ?」
うんうん、とうなずくと女性陣は納得行かないといった感じで口をつぐんでしまった。
「それより、だ。これからどうするか考えよう。ゲーニッツたちと連絡は取れたか?」
「全然。コールもかからないってことは、そもそも電波が届いてない可能性がある。この雨で通信塔でも倒れちゃったかな」
「ライセンスの連絡方法って電波だったの?」
「電波塔を経由した電波だけど? まあ電波っていっても公共魔力みたいな魔力の吹き溜まりがあって、それが電波を生み出してるんだけど」
俺たちの世界でいう電波とはまた違った概念でできてるってことか。
「この雨じゃ外に出てくこともできないだろうし。エルドートは目の前だってのに……」
「止むまで待つか、雨の中を抜けていくか」
「雨の中は危ないだろ。はぐれる可能性が高いし」
「そうなのよね。まあ、このまま待つしかないと思うよ」
「このままっつってもやることがないんだよな。暇つぶしの一つもない」
「ただ話をするっていうのも限界があるなあ。それに食べ物もない。さすがに非常食は常備されてなかったし」
「何日も降り続くようなら、無理矢理にでもここを出ないとまずいな」
「体力があるうちにエルドートを目指さないと、雨に打たれて体力が尽きるね」
「悩ましいな」
腕を組んで考えてみるが、どっちもどっちな気がしてならない。
前が見えないほどの豪雨だ。今外にでて危険を冒すか、雨が止むのを待ってから出るか。しかし食料もない状態で長居することはできない。この雨が長く止まないのであれば、体力が残っているうちに雨の中を進んだ方がいい。二・三日で雨が止めばいいが、それすらもわからないのだ。
この問題に答えをだすのは難しい。それは「普段ならば一日で雨が止む」というフレイアの言葉が当てはまらない状況だからだ。
こうしている間にも時間は流れる。足踏みをしている場合だととるべきか、待っている時間も貴重だととるべきか。
深くため息をつき、膝を叩いて立ち上がった。
「行こう。いつ止むかわからない雨の様子を見てる場合じゃないと思う。これは運だけど、例えばこんなところで死んだとして、後悔しない道を選びたい」
「ただの雨だよ? 降り続いても数日だと思わない?」
「さっき言ったよな。普段ならこんなに長く降らないって。これが誰かの手によって作られてる雨だとしたら、数日間じゃ済まないんじゃないか?」
「そういう答えに行き着く、か。まあ同感ではあるけど」
フレイアもまた同じことを考えていたんだろう。俺よりもここの気候に詳しいんだから当然とも言える。
「魔法を使ってなんとかならないか?」
「この豪雨だと蒸発させるっていう手段も使えないかな。となれば風属性の魔法かな。雨が身体に触れる前に空気を生み出して雨の方向を変える。もしくは頭上に空気の壁を作る」
「できるか? 四人分だけど」
「私一人でずっとってのは無理だけど、フタバちゃんとメリルもいるから大丈夫でしょう」
二人に視線を向けると浅くうなずいていた。なんとかなる、と言いたいらしい。
「んじゃ、ちょっと強引だけど行こう。道案内は任せたぞ、フレイア」
「任せて。私の庭みたいなもんだからさ」
こうして、俺たちは素早く用意を済ませて小屋を出ることになった。
ドアを開けた瞬間に雨が強く吹き込んできた。なによりもまったく前が見えない。数メートル先にあるはずの木さえも見えないからだ。
「ちょっと後悔しそう」
「しっかりしてよ、男の子でしょ」
と、フレイアに尻を叩かれた。女の子に尻を叩かれるってこんな気持ちなんだな。こう、心の距離が近くてちょっとドキドキする。
と、そんなことを考えている場合ではない。
フレイアが頭上に空気の膜を張ると空気が傘のようになった。雨も景色も歪んでいるのでレンズのように見える。
頬を両手で叩き「行くぞ」と号令をかける。そして俺たちは走り出した。
地面はかなりぬかるんでいて足が取られそうになる。こんなところで転べば泥だらけだ。しかし転ばないという方がかなり難しいほどにぬかるんでいる。身体強化したところでこればっかりはどうすることもできない。雨に濡れないのはいいが視界は悪く、そして同時にこの足場の悪さ。雨に打たれるよりもずっと体力面での不安があった。
「なあフレイア。本当にこっちであってるのか?」
「うーん、たぶん」
「たぶんて」
「この雨なんだから仕方ないでしょ。前が見えないんだから」
「反対方向に向かってたら笑い話だな……」
「大丈夫だって。私を信じなさいって」
フレイアは走りながらも歯を見せて笑っていた。この笑顔には何度も救われてきたし、俺もこの笑顔には逆らえない。
胸が熱を持っていく。彼女の笑顔をずっと見ていたいと思うんだ。こうやって笑いかけてくれる彼女の側にずっといたいと思っている。
馬鹿な話だとは思う。現実世界と異世界、どちらを選ぶかと言われたら、今ならば異世界の方を選んでしまうだろう。この異世界に留まりたいって、そういう決断を下してしまうに違いなかった。
バシャっと、背後で音がした。雨の音にかき消されるところだったがなんとか聞こえてきた。振り向くと双葉が倒れていた。メリルが手を差し伸べており、双葉はすぐに立ち上がっていた。
「あーあー、泥だらけだよ」
「仕方ないでしょ、転んじゃったんだもん」
双葉が本気で泣きそうなのであまりいじめないでおこう。
「フタバさん、大丈夫ですか?」
「大丈夫じゃないけど大丈夫です……」
「ちょっと待っててくださいね」
そう言いながら、メリルはポケットからハンカチを取り出して双葉の顔を拭いていた。この献身さはメリルだからこそだろうな。




