六話
しかし予想に反してエドガーは素早く立ち上がる。そしてこちらに手のひらを向けた。
「俺の勝ちだよクソガキ!」
横にいたはずのリアが物凄い速度でエドガーへと向かっていく。いや、そうではない。エドガーのAスキル〈マグネットシール〉の効果であることはすぐにわかった。この状況で闇雲に突っ込むほどリアは愚かではない。
エドガーはリアの両手を片手で掴み上げ、思い切り力を込めた。
「あああああああああああああ!」
バキバキと腕が砕ける音がした。
「リア!」
「形成逆転だな。いやー、どうなるかと思って様子を見てればこの程度か。策を練ってきたことに関しちゃ褒めてやるが、全体的にお粗末過ぎたな」
リアの身体を上に持ち上げる。悲鳴が地下室に響き渡り、木霊して、頭の中がぐちゃぐちゃにかき回されているような錯覚さえあった。
どうしたらいい。どうするのが正解だ。どうしてこうなった。どうやってリアを助け出す。どうやって、アイツを倒せばいい。
「助けは来ないぜ。この小屋全体に協力な結界を張ってあるからな。この町に来てからずっと仕込んできたもんだ。呪術師だろうが高レベルだろうが関係ない。何層にも練られた結界を壊すのには最低でも一日はかかるだろうさ」
足がガクガクと震えてしまう。こんな姿を晒せばエドガーを喜ばせるだけだとわかっているのに身体は言うことをきいてくれなかった。
「俺好みの顔になってきたじゃねーか。ここで交換条件といこうじゃねーか」
「交換、条件……?」
「ああそうだ。このガキを離してやるからお前がこっちに来い。お前が来ればこっちのガキは逃げられるぞ? どうだ、いい取引だと思わないか?」
こんな見え透いた手に乗るわけがない。コイツは自分を動けなくしたあとでリアを暴行する。それは間違いない。
「絶対にダメです!」
「うるせーな」
大きな拳が風を切り、リアの横腹を直撃した。リアは目を白黒させて鮮血を吐き出していた。力なく頭を下げ、それでも「ダメ、です」と小さく言う。
思わず涙が出てしまった。間違えた。間違えてしまった。重力の魔法だけでなく他にも策は練った。それに実行した。鎌には毒を塗ったし、イツキの手引きで仲間を得た。極力Aスキルを発動させないようにと立ち回った。けれど、そのすべてがダメだった。
自分たちだけでやろうとしたことを、他人の力を借りてまで実行しようとした。プライドなど捨てて助けを求めた。
それでもダメなものはダメだと思い知った。
「さあ、こっちに来いよ。次は、そうだな。この可愛いお耳を引きちぎるとするか」
想像し、絶叫しそうになった。
大きく息を吐き、心を殺した。こうしなければいけないのだ。愛する妹を守れる可能性が少しでもあるのなら。愛する妹が少しでも生きられる希望を得られるのなら、最初から選択肢などなかった。
「わかったわ」
「よし、いい子だ」
一歩、また一歩とエドガーに向かって歩いていく。
「服を脱ぎながら来い。全裸になれば武器があるなし関係なくなるからな」
舌なめずりをするエドガーのことを、もう人としてみることはできなかった。はやり化物だったのだ。
上着を脱ぎ捨て、ショートパンツを脱ぎ、ブラジャーを落とし、最後にパンティーを置いてきた。
「ははっ、最高のシチュエーションだぜ!」
太い腕が伸びてきた。指も太く、手が大きい。
服はすべて脱ぎ捨てた。けれど、挟持だけはどうやっても捨てることはできなかった。たとえ妹を失っても、エドガーを殺すことが二人の望みだったからだ。
「私たちは……」
「あん? まだなんかあんのか?」
「一蓮托生なのよ!」
左手でエドガーの指を掴み一瞬で捻り上げた。すべての魔力を左手に込めたおかげか、指はあらぬ方向へと、まるでおもちゃのようにグニャリと曲がった。
驚愕するエドガーの顔を見ながら、その眼に向かって右手の親指を突き出した。
アルの動きはエドガーよりも速い。この距離であればしくじることなどありはしないのだ。
そしてアルの親指がエドガーの左目に届いた。
「やっぱりなにもわかってねーんじゃねーか」
親指は瞳の前で止まっていた。見えない壁に遮られているかのように、見えない手に掴まれているかのように、ほんの数ミリのところで止まっていた。
「今俺に触ったこと、自分でわかってねーのか?」
Aスキル〈マグネットシール〉
対象物にふれることで、その対象物を磁石のようにして引き合わせたり引き離したりできる。そしてそれは自分自身にも適応される。
「残念だなあ、もうお前らは俺のおもちゃ決定だ」
リアの腕を離したかと思えば、両手でアルを掴みにかかった。
終わりだと直感した。防御したところで掴み上げられて終わりだ。この体格差なのだから、腕を掴まれて左右に引きちぎられてしまうかもしれない。
思わず涙が溢れる。怖いからではない、悔しいのだ。本気で殺そうと思っていた。妹の無念を晴らすために今まで警察官として頑張ってきた。その結果がこれだ。
声に出した通り一蓮托生だと思った。だから牙を向いた。リアが生き残る未来も自分が生き残る未来も、言うことを利いてしまえば失われると思ったからだ。可能性を考慮しての行動だったが無駄だった。
「ごめんね、リア」
目を閉じて懺悔する。リアだけでも生きられる道があったのなら良かったのに。最後の最後まで、アルはリアの身を案じていた。
「これから楽しませてもらうぜ!」
まるでスローモーションのようだった。ゆっくりと目を閉じ覚悟を決めた。これが私たちの人生だったのだと、納得はしてないが諦めはついた。だって、これで終わりなのだから、と。
「誰がさせんだよ」
聞き覚えのある声がした。
突如、全身が焼けるように熱くなった。
「な、なんだてめえ!」
急いで目蓋を開く。
これは夢か、幻かと目を擦った。
眼の前には、ヒルシュを追っていたはずのイツキの後ろ姿があるではないか。
ああ、こんなことがあっていいのか。一度は騙し、彼をのけものにしようとしたのに。それに感づかれて叱責もされた。それでもこうやって助けに来てくれた。
人生とは残酷なものだ。一人目の妹は殺され、二人目の妹もボロボロになって、自分もまた殺されそうになった。
運命とは残酷なものだ。敵わぬ相手とわかっているのに、こうして目の前に立ちふさがってくれる。
この僥倖をどうやって伝えればいい。そうだ、すべてが終わったらちゃんと礼をしなければ。
私たちを信じてくれて、本当にありがとうと。




