十三話
朝起きて、朝食を食べて、外に出た。双葉はいつもと変わらず、昨日のことなどなかったかのように振る舞っていた。いや、あれもまた双葉なのか。
外に出た理由はもちろん優帆の家に行くためだ。もう十時だし、さすがに起きてるだろ。
チャイムを鳴らすと、優帆が顔を出した。心なしか顔色がいいようだ。
「なに? こんな時間になんかよう?」
「あー、いや、元気してるかなって」
「元気……もしかしてアンタ、お兄ちゃんになんか言った?」
「さ、さあ、なんのことだかさっぱり」
じーっと、こちらを凝視していた。上から、下から、右から、左から。俺のつま先から頭のてっぺんまで見られている。
「はあ……まあいいわ。この件は追求しないでいてあげる。で、用事は?」
「特にないんだなこれが。それじゃあ、俺はこれで」
「なんなのよ、まったく」
背を向けて、自分の家へと足を動かした。
その時、背後で「ありがと」というつぶやきが聞こえてきた。ような気がした。あの優帆のことだ、これくらいで俺に礼を言うとは思えないな、うん。
家に帰る時、宅急便の車がゆっくりと走ってきた。ママゾンで買ったあれやこれや来たのだろうか。そういえば頼んでた映画のDVD、いつ発売だったっけ。
と思ったけど優帆の家だった。俺のDVD、いつ届くんだろ。
家に帰ると、リビングでは双葉がテレビを見ていた。テレビを見ながらお菓子を食べていた。なんだ、ただの主婦か。
「おかえり、早かったんだね」
「ちょっとした散歩だからな」
「散歩にしては妙に嬉しそうだけど、なんかあった?」
「特にないな」
「嘘、ついてない?」
「ついてないついてない。そういや今日ってなんか予定あるのか?」
「んー、特にないけど」
「なら今日はどこかに出かけないか? たまには二人で飯でも食いに」
「奢ってくれるの?」
「そりゃ俺から誘ったわけだしな」
「でもフレイアさん、まだ帰ってきてないよ?」
「心配ではあるけど、便りがないのが良い証拠ってな。そのうち帰ってくるだろ」
「お兄ちゃんがそう言うなら。じゃあ用意するから十分後に」
「わかった、俺も用意してくるわ」
二人同時に二階に上がり、自室に入った。妹とはいえ女の子だ。こういうときはビシッとちゃんとした格好しないとな。
今日は天気もいいし、白いダブルダウンのシャツ。上からちょっと集めのネイビーブルーのジャケット。下は薄いグレーのチノパンだな。
着替えを済ませて部屋から出た時、どこかで大きな音がした。爆発音のような、それでいて鈍い破壊音のようだった。
音は俺の部屋の方だ。いいや、俺の部屋側の外だ。つまり、優帆の家。
嫌な予感がして、急いで外に出た。
筋肉隆々の化け物が、優帆の頭を掴み上げているところだった。
この状況を飲み込めという方が難しい。しかし、優帆の命が危険にさらされているということは言われなくてもわかっている。
「優帆を離せ」
化け物がこちらを見た。
「ユウ、ホ。イツ、キ」
その声に聞き覚えがあった。抑揚がなくて分かりづらいが、この声は間違いない。
「じゅんちゃん、なのか」
更に状況がわからなくなった。あの見た目、間違いなくミカド製薬が作ってるヤバイ薬の作用だろう。でもなんでじゅんちゃんがああなってしまったのか、まったくわからないのだ。
「タス、ケテ、クレ」
ぐぐっと、優帆を掴む手に力が込められていく。
「あああああああああああああああ! 痛い! 痛いよお兄ちゃん!」
優帆の金切り声にも似た叫びが木霊する。このままだと優帆が――。
突如、バキッという音がした。今まで抵抗していた優帆の手が、だらりと重力に従って垂れ下がる。
「なんでだ……なんでこうなっちまったんだよ……」
赤い赤い液体が、地面にポタポタと落ちていた。優帆の顔は見えない。それだけが
唯一の救いだったのかもしれない。きっと大きな口を開けて、大きく目を開いて、絶叫の表情で息絶えていることだろう。そんな彼女の顔は見たくない。
「いやあ、我々の技術もなんとかここまで来たんですね」
今までの会話にない低い声。その正体が、物陰から姿を現した。俺の左側の道からだ。
スラッとしたスーツ姿の男。まだ若く、たぶんじゅんちゃんよりも少し年上くらいだろう。若い割には妙な落ち着きがあって、そのせいで年相応には見えない。
「アンタ誰だ」
「誰でしょうね。でも、見当はついているんでしょう?」
化け物を見ても動じない。それに俺のことを知っている。
「ミカド製薬の役員か」
「ええ。いくら化け物に進化させることができても、それが制御できなければ意味がない。でも少しずつ、元の人間の意識を残したまま変化させられるようになってきた。我々の技術も捨てたものではありませんね」
「なにが捨てたもんじゃないだよ。こんなことして、一体なにがあるっていうんだ。なにが目的なんだよ」
「それを話す義理はありません。話したところで意味もありませんしね。ただ、アナタたちは非常に邪魔です。どうやって始末しようかと思いましたが、やはり情に訴えるやり方というのはいつの時代も有効ですね」
「はじめから優帆を狙ったっていうのかよ」
「兄が妹を殺す。最高のシチュエーションではありませんか? その感情の機微、興味があったんです」
もう完全に手遅れだ。
優帆もじゅんちゃんも、俺のせいで巻き込まれた。
双葉だけじゃなく、無関係な人間も巻き込んでしまった。そしてそれはもう変えられない。過去には、どうやっても戻れないからだ。どうやっても過去を変えることなんてできないからだ。
もっと上手くやれていたら。もっと考えて行動できたなら。優帆も死ななくて済んだし、じゅんちゃんが化け物になることもなかったんだ。




