五話
ため息をつき、頭を掻いた。
「――次の手を考えよう。絶対に強硬策に出てくるはずだ。いや、もう十分に強硬策だな、こりゃ」
「そうだね、そろそろミカド製薬に対して、なんらかの行動を仕掛けていかなきゃダメだと思う。それを考えるのがまた面倒な話ではあるけど」
俺、フレイア、双葉。俺たち三人はこの世界において「普通とは違う力」を持っている。それがあればミカド製薬を物理的に破壊することは可能だ。ただ、物理的に破壊したところで根本的な解決にはならない。きっとそれはフレイアも理解しているはずだ。そうでなければフレイア一人で乗り込んでいって全部壊してくればいいだけの話なんだから。
「つっても、じゃあどうするかって言われると困る」
「いくつか見えてきたこともあるし、これからはそこを重点的に調べていきたいかな」
「なにかわかったのか?」
「まあね。まずは、ミカド製薬の関係者をこちらに渡したくないっていうのは当然のこと。今回愛美が殺されたのもそう、襲ってきた連中が生きて帰らないのもそう。倒されれば消滅する。極力証拠を与えたくないんだ。ただ相手は私たちが時間をループしていることを知らない。だから思わぬところでこちらに証拠が転がり込んでくる。でもそれは相手が私たちがループしていることを知らないからで、こちらが有利に進んでるってことじゃない」
「いや、相手が知らない部分で行動できるなら十分すぎるほど有利なんじゃないのか?」
「こちらが知らないこと前提で動いてるから有利に見えるだけだよ。お互いが持っている情報が同じならどうかわからない。例えば愛美の件。私たちが愛美のことを知っていることをミカド製薬が知っていたら、もしくは知っているかもしれないという前提で動いていたら、イツキは捕まっていたかもしれない。逆手に取られてね。特に今回の件で愛美に接触しちゃったから、今までみたいにはいかないかも」
「あー、なんとなくわかった」
敵の戦力がこれくらいだろう、だからこちらはこれくらいの戦力で守ればいいという考え方をしてくれれば俺たちの勝ち。でもそうじゃなく、こうかもしれない、ああかもしれないという憶測を踏まえた上で対策の上に対策を重ねられると難しいってこと。だと思う。
「あとはそうだな。宮川夫妻が被検体になったウイルスっぽいの。あれを誰が作っているのかとか、そのウイルスの起源というか、そういう根本に近い部分の情報がないと動きづらいかも。外側ばっかり叩いてても、根幹が無傷なら同じことの繰り返しだろうし」
「その情報を集めるの、相当苦労しそうだな……」
「その辺は私がなんとかするよ」
「なんとかって、どうやってだよ」
「重要人物はなんとなくわかってきた。その人たちを締め上げてく。かなり強引かもしれないけど、そうするのが手っ取り早いから」
「じゃあ俺も手伝うよ」
「それはダメ。アナタはこの世界の住人、私はここの世界の人間じゃない。顔バレもそうだし、なにかの拍子で「ミヤマイツキである証拠」が残ったら、アナタはここでは生きていかれなくなる。その点私は元々この世界にいるわけじゃないから、顔がバレようがDNAが残ろうがあんまり関係ないからね」
「それをお前一人に任せるわけにもいかんだろ……」
「大丈夫。この世界にはない「魔法」っていう強力な武器があるから。ちゃんと夕ご飯食べに戻ってくるから心配しないでよ」
フレイアはベッドから降りて立ち上がった。思い立ったら即行動、とでも言わんばかりに着替えを済ませてしまう。ここに年頃の男がいるというのになんと大胆な着替えだろう。俺は目に焼き付けるかのごとく視線を反らすことはしなかった。
「それじゃ、ちょっと行ってくるよ。なにかあったらライセンスにメッセージお願いね」
「本当は行かせたくないんだけど、無茶だけはしないようにしてくれよ?」
「そのお願いが無茶なんだけどね。それじゃあ、行ってきます」
ベランダから出ていく前、フレイアの顔が近づいてきた。突然のことすぎてまったく反応できなかった。
ふわりと香る甘い匂い。頬に当てられた柔らかな感触。
「じゃあね!」
彼女が出ていった窓を見つめ、俺はぼーっと立ち尽くすことしかできなかった。
「アイツ、もしかして俺のことが好きなので?」
そんなことを口にして気がついたが、たぶんフレイアは俺のことを男として見ていないような気がする。弟とか子供に心配させないようにしているみたいな、そんな感じに思えて仕方ない。それならば俺の前で大胆に着替えたというのも納得できる。
まあ、男としては全然納得できないんだけど。
ひとまずそれは置いておいて、そっちの方はフレイアに任せよう。
脱ぎ散らかした服を洗濯物に出して、フレイアが使ったと思われるようなものは極力隠す。優帆に見つかると面倒だからだ。
フレイアが着ていた服を洗濯機に入れる際、青い下着が目に入った。パンティとブラジャーだ。
いやいかん。それだけはいけない。という背徳心がまた困ったものである。背徳的でありながらも情欲をかきたてるではないか。
下着を手にとって生唾を飲み込む。
「これが……」
それらを顔に近づけ――。
「おにいちゃーん」
玄関から聞こえてきた声に、慌てて下着を洗濯機に押し込んだ。
「ななななななんだーい!」
「なんで声上ずってるの? ああ、ここにいたんだね。フレイアさんは?」
「ええ?! フレイア?!」
いやいや今は下着のことは忘れろ。フレイアの下着にあれこれしようとしてたなんて勘付かれたわけではない。どこに行ったのかということを聞きたいだけだ。そうに違いない。
「あー、用事にでかけたぞ。夕食には戻るって言ってた」
「そう、それならいいんだ。お風呂沸いてる?」
「い、いいやまだだ。今から風呂掃除をしようと思っていたところだ」
「わかった。夕食作っちゃうからそっちお願いね」
「心得た」
不思議そうな顔をしていた双葉だが、リビングの方に行ったみたいだ。
なんとかなった。お兄ちゃんとしての体面は保たれたと言っていい。
女性の使用済みの下着に顔を突っ込むのが趣味みたいに思われたら心外だからな。
そんなことを思いつつも洗濯機を凝視した。
「そういえばお兄ちゃん」
「ひゃい!」
「なんでそんなリアクションなの……」
「きゅ、急に戻ってくるからだろ!」
「よくわからないけど、今日もゆうちゃん泊まりに来るから、そのつもりでいてね」
「心得た」
「それ、なんかの流行りなの?」
またまた不思議そうな顔をしながら、今度こそリビングの方に行ったらしい。顔を出して確認したから間違いない。
とりあえず風呂掃除でもするか。
でもなんでまた優帆は泊まりに来るんだ。最近までそんな素振りなかったのに、なんだか急に泊まりに来るようになった。双葉が相手してくれてるからいいけど。
風呂掃除が終わってリビングへ。いい匂いがする。今日は肉だな。
テレビのリモコンを手にしたところで、テーブルの上にある本に目がいった。
《月刊ワールドサイエンス》
帰りに本屋にでも寄ってきたんだろう。
テレビの電源をつけ、本を手にとってパラパラとめくる。双葉は昔からこういう小難しい本を読むのが好きだ。特にワールドサイエンスは、たぶん中学の時から買い続けてる。
「なになに、重力エネルギーの抽出へ、また一歩前進か。よくわからんけどすごいことなんだろうな」
「すごいことだよ」
と、エプロン姿の双葉が現れた。朝は制服の上からエプロンで最高だが、丈の短いパンツとTシャツの上からのエプロンもまたいい。ラフな格好でありながらも非常に家庭的だ。
「俺にはなにがどうすごいのかは正直わからんがな」
「そうだな、水を落として水車を回す、みたいな重力を間接的に使うエネルギー発生方法は今までもたくさんあったの。でも今回の実験は「重力そのものをエネルギーに変換する」っていう試みなの」
「そんなことできんのか? 今までできなかったってことはお察しみたいな気がするけど」
「それができるかも、っていう試みだから雑誌に載ってるだよ。今までできなかったからすごいんじゃない」
「言われてみれば確かにそうだ。でもどうやって?」
「そんな極秘事項、雑誌に簡単に載ると思う?」
「そうなるよね」
一応こうじゃないか、ああじゃないかっていう憶測は書いてあるが、それが確定された方法かどうかまでは書いてない。
「どうやっても「重力を感知して、それをエネルギーとして受け入れる装置が必要である」って当然じゃねーか」
この雑誌、本当に大丈夫なんだろうか
「とりあえずご飯できたからゆうちゃん呼んできてもらえる?」
「メッセージ送っとくわ」
「直接行くの! ほら、さっさとお隣さんに行ってきて!」
エプロンを外しながら背中を叩いてくる。ここで「なんだか新婚さんみたいだな」とか言ったら怒られそうだからやめておこう。




