四話
宮川家に向かう途中、消防車が通るのが見えた。嫌な、予感がした。
急いで裏路地に入り、全力疾走で宮川家に向かう。
到着した頃、宮川家は火に包まれてしまっていた。消防車が通った時間を踏まえても、ここ数分間の間に起きた火事ではないことくらいはわかる。
「くそっ! なんでこうなるんだよ!」
宮川家に向かって走ろうとした時、消防士の人が目の前に現れた。
「ダメだよ、この先は立入禁止だ」
他の消防士は消火活動を続けていた。その中でも数人、避難を促すために消防士が駆け回っていたのだ。
「中の人はどうなったんですか!」
「消火活動を始めたところなのでなんとも言えませんが……」
消防隊員が家の方へと視線を向けた。
「おそらく、無理ではないかと」
誰が見ても全焼だ。火の回りが速く、四方を炎が覆っている。
俺は消防隊員に「ありがとう」とだけ言ってその場を離れた。
裏側、人がいない方向へと走り、周囲を確認した。そして跳躍。少し離れた家の塀に登り、そのまま宮川家に向かう。火事に注目がいっている今なら、全速力で走れば誰にも気付かれることはないはずだ。
遠目の位置から、宮川家の二階へとジャンプした。ガラスを割り、無理矢理家の中へ。
「愛美さん!」
そう叫びながら一階へと降りていく。
リビングへと乗り込むと、大柄の男が愛美の首を掴み持ち上げているところだった。床には三人の消防隊員が倒れていた。
「その人を離せ!」というところなのかもしれない。でもそれじゃ遅いと思った。なによりもこの状況で話をするなんて悠長なことはしていられない。
男の背後から急接近して、背中側から脇腹に向けてミドルキック。体勢が崩れたところで足を払い、倒れたところを思い切り蹴り飛ばした。
壁にぶち当たって、男はそれきり動かなくなった。
「愛美さん、しっかりしてください」
抱きかかえると、彼女がうっすらと目蓋を開く。
「やっぱり、こうなってしまうのね」
小さく咳き込んだ愛美は、右手で腹を抑えていた。そこからは血がジワリと滲み出して、着ていた服が一気に赤く染まっていく。
「心配しないで、もう私は助からない」
「どういう意味だよ。意味がわかんねーよ」
「でもそうね、できれば、ここで殺して欲しい」
今度は大きく咳き込んだ。
ここでようやく気付いた。彼女の身体がどんどんと柔らかくなっている。抱きかかえているはずの俺の腕が、彼女の身体に埋まり始めていたのだ。
「これって……」
「なにかを射たれた。だから、殺して」
彼女の身体が柔らかくなっていく理由を知っている。あの日、俺たちを殺したような、スライム状のモンスターになる予兆だ。
迷っている暇はない。でも、彼女にはまだ意識がある。まだ人だ。まだモンスターじゃない。
「手遅れに、なる前に、早く」
顔が変形していく。ぐにゅぐにゅと、目も鼻も口も、少しずつ歪んでいく。透明度が増していく。頭の真ん中に、赤く光る何かが見えた。それがスライムとしてのコアであることは、すぐにわかった。
「くそっ!」
迷えない。放置しておいたら、俺も、フレイアも、双葉も、そして優帆も殺される。
愛美の額に手を当てた。
「ごめん!」
「あなたの、もとへ……」
一瞬で強烈な炎が巻き起こる。できうる限りの魔法力を使って、彼女のコアを破壊した。
最期に彼女は笑って見せた。清志のところへ行くのが嬉しかったのだろうか。涙一つも流さず、ただただ笑っていた。
立ち上がり、強く拳を握った。
未来は変わった。でも、こんなふうに未来を変えたいわけじゃなかったんだ。
その時、入り口の方が騒がしくなってきた。おそらくは消防隊員。先に入った三人が出てこないから応援を出したんだろう。
リビングを出てキッチンへ。勝手口から宮川家をあとにした。ススまみれのこの服が、なんだか今の心模様と重なった。
服がいくら汚れても、俺の身体はどこも傷んでいないのだ。特になにかをしたわけじゃない。ただ死人を増やしただけなんだ。そんなふうに、感じてしまった。
家に帰るとフレイアが起きていた。ベッドの上で漫画を読んでいる。
「おかえり、早かったね。んで本人はどこに? 連れて来たんでしょ?」
「そのことなんだが、ダメだった」
「ダメって、どういうこと?」
フレイアは漫画を閉じて座り直した。
「アイツらに殺された。結局最期にはスライムにされてな。まあ、殺したのは俺なんだけど」
まだ人間としての意思が残っているのに殺してしまった。思い出すと、胃の辺りがキリキリと痛むようだ。
それから、宮川家で火事があったことなんかを話した。愛美を掴み上げていた男が生きているかどうかという部分も含めて。
「想定内と言えば聞こえはいいけど、私たちは後手に回るしか選択肢がないみたいだね」
「らしいな。なにか、そう、内側から崩せるような話が愛美から聞ければよかったんだけど……」
「でも、私はこれはこれで正解だったんじゃないかって思ってる」
「正解なもんか。また人が死んだ」
「でもそれを精算するのにはさ、たぶん愛美と清志の出会いより、ずっと前の段階でなんとかしなきゃいけない問題なんだよ。ここでこういう結果になったのはそれなりの蓄積があったから。そうやって考えてみない?」
どうしてか、フレイアは優しく微笑んでいた。その笑みが何を意味しているのか、なんとなくわかってしまうあたりがまた辛い。
助けられなかった、自分ならなんとかできたかもしれないのに。そういう考えを一度捨てろって言いたいんだ。時間のうねりの中で、人ひとりにできることなど存在しないのだと。過ぎてしまった物事に執着しても、過去に戻れないのであればどうしようもないのだと。もしも戻れたとして、未来を変えるすべがなければ意味がないのだと。俺には、そう言っているように感じた。