三話
「借金はすべて、ミカド製薬が返してくれました。その代りに、私たちはミカド製薬の奴隷となったのです」
「そんな都合がいい話があると? 俺にそれを信じろというんですか?」
「都合がいいのは、当時の私も思っていました。新入社員としてミカド製薬に就職した主人。それから五年後のことでした。仕事は順調そうでしたが、結婚してから、借金を返していくので精一杯でした。そこにそんな話が舞い込んできたのです。私は拒否しましたが、主人が譲りませんでした。どうやっても私と一緒にいたいのだと。そのためならばこの身を捧げる覚悟があると。最終的には主人に押され、契約を交わしました」
「その契約の内容は教えてもらえませんか?」
「簡単なものです。借金返済の代わりに、ミカド製薬の言うことをなんでもきく。それだけです。主に新薬開発の被検体であり、今回の件においてもそれは同じです」
「じゃあアナタも……」
「主人が亡くなった今、私もこれから被検体として扱われるでしょう。今日ミカド製薬に呼ばれていますから」
「行かない方がいい。自ら死ににいくようなものだ」
「わかっていますよ。それでも行かなければならないのです。主人が私と一緒に背負ってくれたものは、それだけの価値があるものだったのですから」
彼女が顔を上げた。涙を流しながら、笑っていた。満面の笑みが、悲しさを冗長させているようだった。
このままでは彼女と戦うことは避けられそうにない。
考えろ。この人と戦わず、なおかつ彼女を生かす方法はないものか。
「――でも、清志さんを殺したのは、元はと言えばミカド製薬じゃないですか。それなら、俺がミカド製薬をなんとかします。だから、ミカド製薬には行かないでください」
考えられる限り、こう言う他なかった。
「信じられると、本気で思っているんですか?」
「清志さんがどういう姿になったのか、アナタは知っていますか?」
「薬の実験は何度も見ました。人ではない、なにかになる」
「俺はその化物を倒した。俺ならその化物を倒せるんです。ミカド製薬の怪しい薬の製造だって止めてみせる」
最終的にはそうしようと思っているのだ。それに俺とフレイアならそれが可能だと信じている。
「無理です。ミカド製薬はアナタが思っているよりも強大で、強引なのです」
「よく知ってますよ。何度も襲撃されてるので。そのうえでなんとかすると言ってるんです。お願いします。ミカド製薬にはいかないでください」
深く、頭を下げる。優帆を危険に晒したくない。こうなった以上、排除できるリスクは極力排除しておきたい。
「そう、言われましても……」
「清志さんはアナタに生きていて欲しいはずです。だって、ミカド製薬とのめちゃくちゃな契約にだって従ったんでしょう? それはアナタのことが大事だったからだ」
「アナタになにがわかるのですか。私と清志のことなど、アナタはなにも知らない」
そんなことを言いながらもまだ笑い続けている。彼女の心を動かすことができない。もう決意を固めてしまった。そんな感じだ。
しかし、そこで思い出す。
「清志さんから手紙は受け取っていませんか?」
「手紙、ですか?」
「もしも受け取っていないのであれば、清志さんの部屋を探してみてください。そこに彼の気持ちが書かれているはずです」
「ですが――」
「俺も一緒に行きますから。お願いします」
ため息をつく愛美。そして、ゆっくりと立ち上がった。
「わかりました、行きましょう」
素直な人だと、率直にそう思った。清志が惹かれたのもなんとなくだがわかるような気がした。
二階に上がって清志の部屋へ。愛美は引き出しから手紙を取り出してきた。
俺が「呼んでみてください」と言えば、彼女は頷いてから手紙を読み出す。
最初は怪訝そうな顔をしていた愛美だが、手紙を読み出してからその顔色が変わっていく。最後は口を抑え、嗚咽を殺すことなく泣き出した。
「わかって、もらえましたか」
おそらくだが、清志は愛美には生きていて欲しかったはずだ。だから今までずっと一人で背負い込んできた。借金返済によって結ばれた契約を、今まで一人でこなしてきたところから見てもすぐにわかる。
「アナタのことを愛していたから、危ない目に合わせたくなかったから、今までその契約を一人でこなしてきたんじゃないんですか? アナタは、そんな清志さんの気持ちを踏みにじるんですか」
彼女は首を横に振り、手紙を抱きしめていた。
「アナタがミカド製薬に行かなければ、ヤツらは別の手を考えると思います。でもすぐには行動に移せない。そうすれば俺たちにも時間ができる」
「なにか手があるんですか?」
「最後はミカド製薬と戦わなきゃいけないんです。そのための積み重ねは大事だ」
「私は、どうすればいいんでしょうか……?」
心の中でガッツポーズをした。これで今夜の戦闘は間違いなく回避できる。
「今日は俺が周囲を見張っています。スーツの男たちが来たら話を合わせて、それから家から出ないでください」
「それだけでいいんですね?」
「あとは俺たちがなんとかしますから。俺だって、清志さんを殺したくて殺したわけじゃない。ミカド製薬がこんなっことをしなければ、清志さんが家に来て薬を打たなければこんなことにはならなかったんです」
「電話が来たらどうしたら……」
「どうして来なかったと言われたら、具合が良くなかったとでも言ってください。それでもこの家に来るようなら、俺が排除します」
納得したのかしていないのか、やや不服そうではあったが、首を縦に振ってくれた。
その後、宮川家を出てフレイアと合流した。日の当たらない路地裏で、ひと目につかないようにと最新の注意を払う。
が、フレイアはジト目で凝視するばかりだった。
「な、なんだよ」
「割とめちゃくちゃ言ってくれるなーと思って。なんていうか人の感情に漬け込むようなやり方、卑怯だなって」
「いや、仕方がないだろ。ああ言ってでも納得してもらわないと、今日の夜にはあの人と戦わなきゃいけなくなるんだ」
「わかってるけど、なんかイツキって悪役の方が似合うんじゃないかって気がしてきたよ」
呆れ顔で罵られた。
「で、ずっとここにいるんでしょ? 一度家に戻る。スーツの男たちが来るのはまだ後だ。もしもミカド製薬からの刺客が来るとすれば、愛美がミカド製薬に時間どおり到着しなかった場合だろうし、まだ時間はある」
俺とフレイアが食事をして家に帰り、フレイアが眠ったあとで宮川家に行ったのが前回だから、スーツの男たちが来るのは午後二時前後だったはず。愛美がミカド製薬に向かうのはその後なので、お昼くらいに来れば問題はないだろう。
「じゃあ一旦戻ろうか」
フレイアが俺の手を握る。温かく、柔らかい。何度も繋いだ手だが、どうしてもまだ慣れない。
そうやって、手を繋いだまい家路についた。まあ、引っ張られただけと言えばとんでもなく聞こえは悪い。
帰る途中でコンビニに寄って、お昼に食べるおにぎりやアイスや飲み物を買った。こっちの世界の食べ物はやはり珍しいらしく「これとこれと、あとこれも」とたくさんカゴに入れられた。俺の財布の事情も察してほしいんだが。
家に帰って一息つく。フレイアを部屋に残して階下へ。コーヒーを淹れて部屋に戻ると、フレイアはベッドで横になっていた。今朝も頭が痛いって言ってたし、結構無理してたのかもしれない。
コーヒーを持ったまま、俺は一階に戻ることにした。ゆっくり休める時くらいは寝かせておいてやりたいからだ。
前回と同じくゲームを始めた。まあ前やってたゲームは部屋にあるから別のゲームだが。
ほどよく時間を潰し、コンビニごはんを食べてから家を出る。当然、宮川家に向かわなきゃいけないからだ。